21番
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空に連れられて来たのは、大きなテレビのある部屋だった。丁度外から見て、ドーム状になっている所にある部屋だ。ここはとにかく広い。何人も座れる長いテーブル、天井には風呂場と同じようにプラネタリウムが映し出せるようになっている。テレビの前には1人用のソファが幾つも並んでいた。そして、カラオケ用なのだろうか、低い直方体の台がテレビのすぐよこに置かれていた。
「うーん、聞こう聞こうと思っていたのだけど、沖浦家ってお金持ち?」
空が目を丸くして海人に聞いた。今更かいと思わないでもないが、海人はこっそりと耳打ちした。
「元々、陽子さんや直人さんが色々な所で賞金を取る事が多くて、裕福だったんですが、……宝くじに当たったんですよ」
「え、それって単位で言うと千万?」
「億」
さしものの空もあんぐり口を開けている。無理もない。くじが当たった当時、長倉家も大変な騒動だった。叔父が気前よく「半分やるよ」などと言い出したものだから。連日にわたる家族会議の結果、お金は受け取らなかった。弟は最後まで駄々をこねていたが、それが正しい選択だろう。後々トラブルになっても困るし。
「何か、幸運の女神様でもついてんでしょうかね」
思わず、そんな言葉が口から出てしまう。人生、お金が全てではないと言うけども。
「うーん、でも、こうして海人君もカラオケ楽しめるわけなんだから、いいんじゃない? 細かいことは。ほら、楽しもうって」
そう言って、空は海人を引っ張っていく。
――ま、そうだよな
叔父に指摘されたばかりだというのに、もう僻んでいる。そんな自分を海人は笑った。大金持ちになったからといって、叔父や叔母、従姉の優しさが変わった事なんて無かった。
「あら、似合っているじゃない。海人君」
「あらら、これは認識を改めないといけないね」
陽子と弥生がそれぞれ言葉を投げかけ、直人は静かに微笑んで頷いた。海人は頭を下げた。
「ありがとうございます」
その謝辞を、陽子はいつものさばさばした気軽さで受け流した。
「あぁ、いいのよ。で、最初は誰歌う? やっぱり蒼野さん?」
「いいえ、海人君で」
ずずっと空は海人の肩を掴んで前へと押し出した。ちょっと待って欲しい。
――え、ええ? 心の準備もないままに、それはぁ……
「私が海人君に合いそうな歌を選んであげるわよ。あ、得点対決で負けた時の奢り忘れないでね」
「対決は本気なんですか!? それは、あまりにも理不尽……」
しかし、空はそんな抗議に耳を貸す事なく、カラオケ用のリモコンを操作していく。その横から弥生が覗き込みながらくすくすと笑った。
「気を付けてね、空さん。こいつ、流行りの歌を何一つ知らないからね」
余計なお世話だが、事実なので海人も何も言い返せない。今度から歌番組もきちんと見るかなと、微妙に方向性の違う努力を考える。
そうこうして3分程して、ようやく海人の歌う曲が決まる。
タイトル「君が好き」おい、ちょっと待て。
「なんですか、この曲……うわ、なに、これ歌詞の後半が意味不明なんですけど!?」
いや、むしろ意味は分かる。「好きだ!」の16連発。しつこい。何かの罰ゲームだとしか思えない。しかし、空は至って真面目な顔で講釈を垂れる。
「いい? 単純な歌詞の方が歌いやすいでしょう? それにこの曲は音程があまり変化しないから、練習するにはもってこい……な筈」
「本当のところは?」と弥生。
「うん、海人君がこれ歌ったったら、面白いだろうなと! そういうことでドーゾ!!」
――あ、ツッコミを入れる隙もなく、入力しやがった!
やたらと激しいテンポの前奏が流れ始める。練習にはもってこいであるかは、疑問が残る。しかし、今更止めるのも興醒め。歌詞が画面に現れると、もう海人は半ばやけくそになりつつ、覚悟を決め、大きく息を吸った。
「好きだー! 好きだ、好きだー! 君が好きぃ!!」
「きゃー」
「すごいわー」
「アハハハハハハハハハ!!」
――ええい、何がすごいだ。そして空さん笑いすぎ。やっぱり面白いから選んだだけなんですね、そうですね。ええい、歌いきってやる
あまりの恥ずかしさで出てきた涙で画面がぼやけた頃、ようやく歌い終わった。マイクを直人にバトンタッチし、ソファに座り込んだ。背もたれの後ろから、空が覗き込んでいる。この上ないくらいのご満悦顔で。
「う、歌い切りましたよ」
「うんうん、すごく……よか…ったよフフフ」
「あの、全然説得力ないです、空さん」
歌っている間中ずっと笑っていたその頬を、左右に引っ張り上げて歪めたい衝動に駆られる。
――空さんの前で初めて歌った曲があれって……なんでだよ
あまりにも不服だ。空が機嫌を治そうと話しかけてくるが、海人は無視した。だって、まだ笑っているもの。
「ごめんごめん。ほら、次はそうだ、私と一緒に歌わない?」
思わず海人の顔から、険悪な感情が吹き飛んでしまった。
――空さんと一緒に?
「えっと、また笑いネタっぽい曲じゃなくて?」
「今度はちゃんと選ぶ。だって、あんなの恥ずかしいもの」
――確信犯だった―!!
やはりここは一度おしおきすべきだと海人は、強く思う。だけど、そんな勇気なかった。
「え、あー……なら」
「あれ……海人君って強く言い出せないタイプ?」
首を傾げた空の顔が途端、左右に引っ張られる。
「えー、えー、そうですよー」
「ごめふひゃ……いひゃひゃひゃ」
「反省してくださ、あっぐぅあ!?」
餅みたいに柔らかいなと、調子に乗っていたら、弥生によって阻止された。具体的には首筋にチョップ。
「おぅのれ!! 女の子の顔は命だぞ!! 貴様、この方を誰と心得る!!」
「うげほほ……副将軍か、何かか?」
「ばっかやろー! ふざけてんのかぁ!?」
ふざけてるのはそっちだろう! と、海人は言い返そうとしたが組み伏せられてしまう。カラオケの歌よりもよっぽど騒がしい。
「えっと、みなさーん聞いてる?」
歌っていた叔父が寂しそうにこちらを見ている。やたらと音程差が変わる超難易度の曲のようで、それを歌う叔父が只者ではない事が……というよりも、かなり練習した事がわかる。
比喩でもなんでもなく、弥生に命をとられかけた海人は、それどころではなかったが。茶番も程ほどに、空が選んだのは男女でデュエットする曲。しょんぼりと叔父がマイクを空に渡す。咳き込んでいたせいで、海人はタイトル名を見忘れた。ついでに出遅れた。
「ほら、落ち着いて。最初は女性パートだから」
弥生にマイクを押し付けられ、海人は歌詞を見る。空が最初に歌ってくれたおかげで、メロディがおぼろげながら分かる。軽やかで、楽しげな歌だ。歌詞も、また比較的分かりやすい。音程を探るように海人は、最初は小さく、そして段々と声を大きくしていく。
空が歌い、その声を追いかけるように、海人の声が続き、時に交じり合う。海人が1人のパートで音を外しそうになると、空の声が寄り添うに修正してくれる。
次第に海人は歌の調子を掴み、安定した音程を保ちつつ、歌う事が出来た。それだけじゃない。この歌の雰囲気もきちんと考えられる。
――君がどこにいても
――結ばれているよ
――見上げた青空で
――零した涙
――求めた慰め
――千の言葉よりも、傍にいてくれた方がうれしいに決まっている。2人の時はここから動き出す
空がこの曲を選んだことには、何かの意味があるのだろうか。海人は考えずにはいられなかった。
それとも、先程と同じように何にも考えずに選んだのだろうか。これは自分の思い過ごし、思い違い、意識のしすぎなのか。
そして、歌は最後の一言で締めくくられる。
――辿りつく場所はどこなの。わからない。だけど、海人と一緒ならば
「……え?」
海人は声を最後まで伸ばすのも忘れてしまっていた。空はそんな彼を置いてきぼりにして、歌い切り、吐息を漏らした。それから何食わぬ笑顔で、舌を出した。
「ごめんごめん、歌詞間違えちゃった。『あなた』だよね」
「お、おおう!!」
「ひゅー、ひゅう!!」
叔母と従姉から歓声が上がった。次は採点、そして弥生の入れた曲が始まるのだが、もうそれどころではない。空は変わらず、ちょっとした冗談であるかのように笑っている――ように見えるが、視線が海人と合っていない。こころなしか、顔も赤いように見える。歌に熱中し過ぎてとかだろうかとも思う。しかし、今のは……。
「空さん」
――いや、そんな些細な事はいいんだ
空は自分の気持ちを歌で伝えてきた。
――千の言葉
さっきの海人はまさしく歌詞にある通りだ。言いたい事が多すぎて、自分でも無意識のうちに言葉を飾って……だが。
――傍にいてくれた方がうれしいに決まっている
これは空の気持ちだと海人は思う。それにたとえ違っていたとしても、これから掛ける言葉には関係ない。
「俺も同じ気持ちです」
言葉が消えた。弥生が選んだやたらと静かな曲だけがまるで、背景音楽のように流れ始める。自分の為に皆が黙ってくれているのだと思うと、不思議な気がした。
「空さんが一緒なら何も不安に思うことはありません」
ふううっと、たった二言なのに、見ている人も少ないというのに、緊張と羞恥で顔が真っ赤になる。
曲をまだ誰も止めなかったおかげで、時が止まっていないということだけは分かった。
ようやく、ゆっくりと空は頭を上げた。その顔には、名前通りの青空のような笑みが広がっていた。
「やっぱり、気障だよねー、海人君は」
「う……、歌で気持ちを伝えてくる人に言われたくはないです」
耳まで真っ赤になりながら、海人が訴えると、空の声は嬌声を奏でた。輪唱するように、海人も笑った。続いて、弥生や陽子、直人も。
「台無しだよー、海人君」
「そうそう、ちゃんと最後まで堂々としてなきゃ」
「それが男というもんさ」
えぇい、この親子は他人事のように……他人事だけどもと、海人は顔を逸らした。それにしても、さっきの海人は傍からみて、堂々としているように見えたのだろうか。自分ではどうにも、そんな気がしない。いつも通り、へたれで、言葉を飾ろうとして滑ったようにしか。
「ところでね、海人君。さっきの点数見てた?」
「いえ……というか、さっきのはデュエットだから、どっちが上かなんて」
「海人君1人で歌っている時よりも、2人で歌っている時の方が点数が上だった」
――えっと、だからどうしろと
海人が怪訝な顔で首を傾げていると、空は指差して偽悪的に微笑む。
「だから、ジュース奢って!」
「なんでだ―!!」
理不尽な要求に、海人の絶叫が部屋を包み込んだ。




