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青空に歌えば  作者: 瞬々
16/34

16番

 一度は止んだ雨が再び降り出していた。先程と違って、大粒の激しい雨が。空は黒く、遠くの方では時折、雲の合間を雷が照らしていた。栗原家で借りた傘を差しつつ、海人は空の姿を探す。彼女は傘を店に置いて行ってしまっている。行くあてもなく彷徨う空はすぐに見つかった。傘も差さずにずぶ濡れになりながら、歩く少女はさぞ、目立つだろうと思うが、道行く人は誰も彼女に振り向かない。


 海人はそっと後ろから近付くと、傘のなかに空を入れた。はっと驚き、空は海人を見た。そんな空を見て海人は、静かに真剣なしかし、励ますような笑みを浮かべる。


「すみません、来ちゃいました」


 空は戸惑うように目線を落とした。ふわりとした髪も濡れて滴り、頬を伝う雨粒が涙のように零れていく。何か声を掛けるべきなのだろうが、海人には何も思いつかなかった。無我夢中で飛び出し追いかけてしまったから。


「なに、それだけ? 他に何か言いたい事があるんじゃないの?」


 空が波紋広がる地面を眺めながら、訊ねる。やはり黙っているだけでは駄目だなと海人は苦笑しつつそれでも言う。


「空さんが何か言うつもりになるまで、俺は黙ってますよ。空さんの気持ちが落ち着くまで、他の誰の言葉も聞かないことにする」


 空は黙ったまま、数秒。それから乾いた笑みを漏らす。


「ハハハ……何よそれ? 気障ねー」


「え、そうですか?」


 海人もおどけて答えてみせる。海人は心理学者じゃないし、カウンセラーでもないのでどんな言葉を掛ければ彼女にとっていいのかはわからない。しかし、ただ放っておくこともできない。だから、彼女の方から話しかけてくれるまで待つ事にするのは良い考えのように思えた。


 2人は黙ったまま、雨の中を歩く。歩きながら、海人は考えた。あの写真を撮ったのは誰だろう。マスコミが駆けこんだのは空が歌い終わった後、彼女が店を出た後の事だ。だとすれば、あの写真を撮ったのは、店の中にいた誰かということになる。客の中の誰かだろうか、それとも店の人か? そこでふと、海人は残酷な予想が思い浮かんだ。


――あいつは、尾田ってやつは本当に信用できるのか?


 マスコミが来ることをいち早く察知したり、空のゴシップ記事を持って来たり。考えてみると彼は、いつもピンポイント過ぎやしないだろうか?


 だが、これを空に伝えるのは残酷過ぎる。それに、まだ憶測の域を出ない。とりあえずは彼に対して特に注意を払っておこうと海人が、考えた時だった。


「おいおい、相合傘かぁ?」


「……嘘だろ」


 耳障りな声を聞き、海人は思わずぼやく。後ろを振り返ると、そこにいたのは昨日絡んできた三人組。なぜ、こんなところにこんなタイミングで。単なる運であるとしたら、今日は厄日だ。三人組はじりじりと間合いを詰めてくる。


「離れろよぉ、調子乗り過ぎなんだよ、あぁ?」


 だが、空がその程度で怯む筈が無かった。少年達よりも百倍は凄まじい剣幕で、逆に食って掛かる。


「ちょっと! あんたら何勝手な事言ってんのよ!! 私がどこの誰と一緒に傘入ろうが勝手じゃないの!! なに? それとも、嫉妬してんの? 気色悪――わひゃ?!」


 海人はその文句を最後まで待たずに彼女の腕を引っ張り走り出し、空は不意を突かれて奇妙な声を上げた。


「あ、何逃げるの?! 馬鹿ね、あんなのに負けるわけないでしょ! 腕力でねじ伏せてやるわ!!」


「そりゃ冗談だとしても恐ろしすぎて笑えませんが、止めてください。あいつら昨日の店にいたやつらですよ! 多分、あの記事の写真撮ってたのもあいつら!」


 三人組は昨日と同じく、今日もしつこい。他にすることないのか、こいつらと思う程に。


「最初から仕組まれてたのかもしれませんね! 多分、奴らは週刊誌の記者か誰かから、“お小遣い”でも貰ってんじゃないですか? 空さんの写真と引き換えに!」


「そうまでして、私に拘る理由は!?」


 空が走りながら聞く。水溜りを撥ね服が泥だらけになるが形振り構っている場合ではない。


「それは、空さんがACのプロデューサーと言い争った事にあるんじゃないですか!?」


「どういうことよ?」


 2人は信号が赤になりかけの交差点を駆け抜け、建物と建物の合間の狭くて人通りのない通路を駆け抜ける。


「つまり、経緯としてはこうだ。空さんと言い争ったプロデューサーは、大層怒っていた。1人で歌わせるよりもA・C・Sに入れた方が、売れること間違いなしだというのに、空さん自身がやりたくないと言い、あまつさえ辞めるとまで言いだしたからだ」


「辞めるって言ったのは、あいつがそれ以外に道はないからって言ったからよ!」


 空が怒ったように言う。海人は周りを見渡し、何か逃走手段はないかと考える。斜め上を見ると建物の合間から駅が見えた。しかし、電車にしろバスにしろ、乗るには切符を買ったり金を払ったりと、時間が掛かってしまう。すぐ後ろに迫っている三人組は一緒に乗り込もうとするだろう。


「そんなことは奴にとってはどうでも良かったんですよ。ともかく、突然辞められてしまったら、会社のイメージがダウンしてしまう。そこでプロデューサーが考えたのが、あの記事なんですよ。あの記事でバッシングを受けているのは空さん1人です。あれは全部空さんが自分勝手にしたことであって、会社は一切悪くないってね。会社のイメージがダウンするのを防ぐためのスケープゴートみたいなものですかね?」


「えっと……つまり、マスコミもACもグル?」


「この予想が当たっているかどうかはわかりません。それを確かめる術もないし、したところで、何の解決にもなりませんけどね!」


空は突然走るのを辞めた。海人の腕を振りほどき、その場に立ち尽くし、今にも消え入りそうな声で訴える。


「もう……嫌だ、こんなの」


「空さん?」


「いつだってそうよ。3年前だって。私はただ、歌っていただけだった。スカウトしてきたのはあいつだし、入ることを最初に決めたのは家族。私は歌うのは好きだし、色んな人に聞いて貰えるならって気持ちでやったけど……」


「そんな事を言ってる場合じゃないですよ! 早く逃げないと!!」


「もう、いいって言ってるの。どうせ、1人で何かしようと思ったのがいけなかったんだ。きっと皆それで怒ってるんでしょ? 私が何かするのが気に喰わないんだ」


 引き裂かれた空の心から流れ落ちるように、瞳からは涙が次から次へと零れ落ちて行く。彼女は優しく微笑んで、海人の胸を押した。


「逃げなよ。私に付き合う必要なんてない。そうだ、恵美ちゃんにも伝えて。一緒に歌えなくなったって……」


「諦めませんよ」


 海人は空の肩を掴み寄せる。空の瞳がすぐ目の前にまで迫る。人生でこれ程失いたくないと思うものが現れるとは、思いもよらなかった。だけど、これは幻想じゃない。いつもなんとなく思っていた想像上の「何か」ではない。この手の中に確かにあるものだ。


「俺はあなたの歌が好きだ。何物にも染まらず、自分を貫くあなたの気持ちがこもった歌が好きなんです」


「だけど」


 言い淀む空の手を海人はしっかりと握る。


「皆で作っていけばいいんです。心の底から楽しんで歌えるそんなグループを」


 ――空がそう、夢見ていた筈の事。今は空だけじゃない。俺や恵美さんや恵美さんのご両親、皆が願っている事だ。


 空は顔をくしゃくしゃに歪めて、海人の胸に頭を埋めた。それを予想はしていたものの、心の準備が整わなかった。心臓が起爆寸前の時限爆弾のようにものすごい勢いで、脈打つ。


 ――だらしない。


 空なら言ったであろう事を、自分自身に投げかけ、海人は不器用な手つきで空の頭を撫でた。その時、ロマンス要素とはまるで縁の無さそうな怒鳴り声が通りに響いた。


「あ、いたぞ!! てめぇ!!」


「ち……いい所だったのにぃ、あのK(空気が)Y(読めないやつ)め……!!」


「あの、空さん? さっきとまるで雰囲気が違うのはどうしてでありましょうか?」


 思わず敬語になってしまう程に、空は元気を取り戻していた。涙は一体どうしたわけか、もう乾いている。


「1人残らず潰してやるー……」


「今の空さんなら、冗談抜きで出来そうですから、止めてください。逃げますよ」


 3人組に向かって行こうとする空の襟首を掴み、駅へと走る。


――あれ、というか今のやり取りが無かったら電車なりバスなりで逃げ出せたんじゃね?


 後悔先に立たず。いや、今のやり取りが無かったら、空は活気を決して取り戻せなかっただろうから結果オーライなのではあるが。


「うーん、愛の逃走劇よりも、愛の闘争劇の方が私好みなんだけどな」


「あの、どこか頭でも打ちました?」


 急激に落ち込んだり、戻ったりしたせいか、空のテンションがおかしい。そんなふうに考える海人だが、そのテンションがおかしくなっている原因は、大体海人のせいである。


「バスや電車は使えない。だとすれば、タクシーですね」


 海人は空の手を引っ張り停車場まで全力疾走。空が息を整える間もなく、タクシーを1台捕まえる。


「なんか、見た目に反して……海人君って体力あるね」


「実は小学生の頃……なんて、言ってる場合じゃないですね」


 3人組がこちらに向かって走ってくる。まだ諦めるつもりがないらしい。いくらなんでも、しつこすぎやしないか。その事を少し訝しみつつ海人は運転手に住所を告げる。


「じゃ、空さん。『沖浦』って家がありますから、そこに。僕の名前を出せば、大丈夫な筈です」


「え? え? なんで、海人君乗らないの?」


 説明してる間が無いので、空を車内に押し込み、ドアを思いっきり閉める。運転手はおばさんドライバーだった。これは幸いと、海人は訳ありな(実際あるのだが)顔で頼んだ。


「行ってください。緊急事態なんです」


「ん~? なんだか、わからないが任されたよ。アクセル全開200キロで逃げればいいのね?」


「いえ、安全第一法定速度でお願いします」


 アクション映画の中の命を狙われるヒロインじゃあるまいし。女の子さえ守れれば世界をぶっ壊してもいいなんて危険思想はしておりません。


 そしてやはり、冗談だったらしく、タクシーは滑らかな安全運転で発車していく。さてと、海人はようやくたどり着いた3人組を見やる。


――こっちは本当にアクション映画みたいになっちゃいそうだな


 出来るならば荒事なしで済ましたい。3人組は揃いもそろって体だけはでかいが、頭は悪いし、動きもバラバラだ。“この程度ならいけるだろう”という確信はあった。


「おぃおい? なんだよ、ひーろー気取りかよ?」


「お前よぉ、気に喰わねぇんだよ」


「潰すぞ?」


 典型的な悪役っぽい台詞といのは、なぜか現実世界でもよく使われる。格好いいからとかじゃなくて、単純に脅し文句として使えるからだ。


「じゃあ、やるか?」


 少年の1人の襟首をひっ掴んで耳元に問いかける。突然の反撃にその少年――どうやらリーダ格のようだ――はびくっと身を引こうとする。その足を踏みつけ逃げないようにする。


「今、ここで」


「し、しねえよ」


――よろしい、良い子だ


 海人は内心でほっとしつつ、少年を乱暴に振り払った。


「昨日の店で空さんの写真撮ったのはお前達か」


「だ、だったらなんだってんだよ。写メ撮るのは自由だろうがよ」


「ふざけんな。それで? 誰かにそれ売ったのか?」


「売った? んなことすっかよ……」


 尻すぼみになって、少年は黙った。そんなことを聞かれるとは思ってもみなかったと言う顔だ。演技ではないだろう。そんな器用な真似が出来るようには見えない。


「で、その写真どうしたんだ」


「え? どう……?」


 海人の足が目にも留まらない速さで動き、電柱を蹴りつけた。


「どうしたって聞いてんだよ。誰かに送ったのか? ネットには?」


「ぶ、ブログで公開したけど……」


 成程、写真がどのようにして渡ったのかはそれで大体の想像がつく。しかし、謎はまだある。


「で、さっきはなんで俺達を追ってきた――気に喰わないって理由以外で」


 揃って即答しかけた3人組は出鼻を挫かれて、顔をしかめる。


「いや、俺らは……しんえーたいだからよ」


 しんえーたい……親衛隊? 誰の……そんなのは問うまでもないだろう。長倉海人親衛隊……ないない。いやいや、もしかしたらあるかもしれないじゃないか。


「空さんの?」


 一応、訊ねてみると、少年は変な顔一つせずにコクコクと頷いた。どうやら、少し脅し過ぎたらしい。


「そ、そうだよ。蒼野さんに近づこうとする不逞の輩を追い払うっつー」


「あぁ、そうかそうか……」


 海人はどうでも良さそうに、その言葉を流す。1人黙って思考を巡らす。ほんの1分程度だが、わけもわからず待たされている3人組は互いに顔を合わせている。


 やがて、海人は口を開いた。先程とは打って変わって穏やかな声で言う。


「いや、さっきは悪かったな。空さんが今、大変な事になってるから焦ってしまったんだ」


「た、大変なことってよぉ、なんだよぉ、おい?」


 3人組は、本気で驚いているように海人に詰め寄った。心から心配しているが故の反応であると、海人は信じた。しかし、ここで、彼らに今起きている事を全て話すわけにはいかない。


「心配すんなって。大事ではあるけど、ちゃんと解決できる事だから」


 実際には海人1人或いは、空や恵美、尾田と一緒であっても解決出来そうにない事だが、ここで空の純粋な“ファン”を不安にさせるわけにはいかない。空の為にも。


「それより、これは誰にも言わないで欲しいことなんだが……ブログにも書いてはいけない」


「な、なんだよ」


 身構える3人組に海人は、これからの希望について囁く。


「蒼野空は、また歌う。今は出来ないけど、いつか仲間と共に歌うんだ。その時は、彼女への応援の程、よろしく」


 3人組の返事を待たず、海人は傍にあったバス停に向かって、歩き出した。丁度バスが到着するところだった。海人はそれに乗り込み乗車代を払うと、一番後ろの長い4人掛けの席に座る。


 後ろの窓を見ると、あの3人組が手を振っている所だった。何やら大きな口を開いて叫んでいるのだが、何と言っているのかまでは分からない。ただ、罵倒の言葉でないことは確かだ。応援されているのだなと、海人はなんとなく予想する。


「あぁ、がんばるよ」


 バスは発車し、3人組はあっという間に遠くへと流されていった。海人は窓から目を離し、腕時計を見た。あれから10分程度経過している。あのタクシー運転手がこちらの言った住所を覚えていなかったり、迷ったりしていれば別だが、そろそろ辿りついている頃だろう。

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