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青空に歌えば  作者: 瞬々
13/34

13番


 舞台に立った空はいつもと雰囲気が少し違う。いや、「違う」だと語弊があるかもしれない。舞台に立つ空はいつもの空だ。


 その空という存在の上から不可視のヴェールを被せたと言った方が適切か。彼女の歌が持つ柔らかさで、彼女自身という存在を覆い、聞く者へと気持ちを共有させる。そんな力があるのではと、海人は思う。


 だが、それを本人には伝えてはいない。多分、その力は自分自身では自覚がないものだと思うし、意識してやっているわけではないだろうから。


 彼女には自分の思った通りに歌ってほしい。それが海人の願いだ。


 簡易ステージの上で、空と恵美は一言二言言葉を交わし合う。果たして、それだけで合わせる事等出来るのだろうか。音楽に対する知識はほぼ無いと言って良い海人だが、多分難しいのだろうなと思う。


 恵美が心配そうな顔をしたが、空はそんな彼女の肩を叩いて元気づける。


「失敗したっていいのよ! むしろ、これは私の試練。初めての人と合わせて歌えるかという。あなたは試す側として魔王の如く、堂々としていればいいの」


もっと他にいい例えはないのか。随分と可愛いお下げの魔王だ。ゲームに出てくる魔王もあんな感じだったら、いいのに。


 恵美は控えめに笑って答え、ヴァイオリンを肩に置いた。海人は恵美父と恵美母と共に、ステージ前に小さな椅子を置いて座っている。恵美父の誤解は一応解いたつもりだが、先程からちらちらと視線を向けられて、緊張する。恵美父が言いたかった事とは、恵美と海人自身の関係についてだったのだろうかと思うと、なんだか馬鹿馬鹿しいと海人は思う。他人事ではないけども。


「大丈夫かしらね……」


 恵美母がぽつりと呟く。それは母ではなくても思うだろう。恵美の顔は緊張でがちがちのようだし、細見で小さな彼女は突いただけで倒れてしまいそうな印象がある。


 勿論、ここで失敗したとしても誰も責めはしないだろう。一緒に歌う空も含めて。だけど、恵美自身としてはどうだろう。ここでもしも失敗してもこれから、いくらでも練習の機会はあるのだし、大丈夫……本当にそうか? ここで失敗することは彼女にとっては何とも無い事か?


 彼女にとって憧れの的であった――海人などよりも遥か昔から憧れていた――空との共演。そこでの失敗は今後、小さな毒の果実として恵美の心に植え付けられる事になりはしないか?


 何気ない表情――少なくとも見た目上では――で空に申し入れ、空は快く受け入れた。


 しかし、自分で自分の道を初めて決めた彼女にとって、この共演は過酷過ぎる試練なのではないか?


 何か、何か言わなければ。だけど、何を言えばいい? 何が正しいかなんてわからない。後になってみて、分かるものだったりする。そして、時には正しい答えなんてない時もある。ならばと、海人は思った。正しい事を言う必要はない。


「恵美さん」


 きっと上手くいく。そんな曖昧な奇跡があると信じて、海人は告げ、


「初めて空の歌を聞いた時の気持ちを思い出すんだ」


恵美は静かに頷き、微笑んだ。


空は何も言わない。ただ、瞼を閉じて、歌が始まる時を待っている。恵美もそれに習うように瞼を閉じて、弾き始めた。


 弓が弦の上を滑り、ひとつの音が生まれる。ひとつ、ふたつ、みっつ、それらが合わさって、メロディが奏でられる。安らかで嫋やかな調べが少しずつ、少しずつ、広がっていく。


 そこに空の歌がひとつの音楽となって交わる。静かに優しく、だが決して弱弱しさを感じさせない芯のある歌声が。


 歌声と楽器は決して離れず、時に軽やかに、時に楽しげに、調和していく。


 それは、ひとりの少年とひとりの少女の何気ない出会いの歌だった。不器用だけども決して飾らないそんな少年を、少女は好きになるが、それを打ち明ける事が出来ない。そんなこそばゆい、だが、どこか懐かしい気がする、そんな歌。


 瞼をとじて弾く恵美の表情は、どこまでも穏やかで、眠っているかのよう。


 手を広げて歌う空の表情は、遠くの方に向かって、飛び立つ天使のよう。


 歌詞の中の少女は、そんな2人の祝福を受けながらついに打ち明ける。


――ずっと言えなかった事。あの時置き去りにした心、今送るよ


 少女がなんと告げたのかは、歌詞の中には無かった。歌声の端の吐息とヴァイオリンの奏でる素朴なメロディが、愛の言葉のように流れ去り、部屋は歌の余韻に包まれた。


 このまま、永遠に時が止まるのではないかと錯覚しそうになる。それ程までに歌が終わった後の静寂は長かった。何しろ、観客のうちの三分の二である恵美両親が、放心していたからだ。驚きからなのか、感動からなのか、いずれにせよまともに口が利けなくなる程の衝撃を受けた事は確かだ。


 空の言葉を借りるなら「新鮮な反応」と言ったところか。恵美の全く新しい一面を2人は味わったに違いない。


 そして、そんな2人よりも、吃驚しているのは恵美自身のようだ。瞼をゆっくり恐る恐るというように開けた彼女は、夢から覚めたばかりのように呆然としている。


 そんな親子を見比べていた海人は、空に睨まれて、我に返る。


 ――あぁ、そうだ。これが夢なんかじゃないって事を教えなきゃな。


 パチパチパチパチと、海人は立ち上がって拍手した。それは劇場に立つ2人に向けてのもの。今の自分には到底、辿りつけない場所にいる2人へ向けて送る心からの称賛。


 恵美父と恵美母の2人も我に返り、そして、拍手を送った。


 自分の成し遂げた事にようやく実感が湧いた恵美は満面の恵美でそれに答え、空と観客に向かってお辞儀した。


「ありがとうございました……!!」


「何、言ってんのよ、恵美ちゃん。まだまだ、これからもっともっと、一緒にやるのよ? 今度やる時は、フルートさんも加えてね」


 と、空は舞台から飛び降りると大股で、海人の方にまで歩み寄った。そして、その手を掴むと物凄い力で引っ張り上げた。


「今度は断らないわよね?」


 突然の事に不意を突かれた海人に、空は問いかける。代わりになる者なら他にいくらでもいる筈なのに、そう問いかける彼女の気持ちを考える。そして、何よりも自分の気持ちを。


 あれ程の演奏を自分も出来るだろうか? たとえ、これから練習を始めたとして、空の歌に合うようなメロディを奏でることが? 


――いや、そんな細かい事は今はいいんだ。こんな事で悩むようになったのは、どうしてだよ、俺? フルートなんて吹きたくなかったんじゃないのかよ。


 もう、これは認めるより仕方がないようだ。海人は空の澄んだ瞳を見返して受け答える。


「俺も空さん、そして恵美さんと一緒に音楽を奏でたい。ぜひ、俺を入れてください」


「ふふん、呼び捨てにはしないのね? さっきはしたのに」


 あ、それはと海人は口ごもる。恵美を元気づけるつもりで言った言葉であり、意識しての事ではない。ふとついて出た言葉だ。


「私も君と同じ年なのよ? 別に呼び捨てにしたっていいのよ」


「そ、そんな出来ないですよ……空さん」


 たははと、誤魔化すように笑うと、空は何故か不満そうな顔で一歩離れた。


「ま、いいけど」


 恵美が舞台から降りて、2人に近づいてきた。


「そうですよ! 空さんは私達のリーダーなんですし!」


「リーダー、リーダーね……そいつは悪くないわ」


 気に入ったのか、空はふふっと笑って受け入れた。


「素晴らしかったわよ、2人ともね」


「驚いたよ。それによかった」


 恵美母と恵美父の2人がそんな賛辞を呈すると、空と恵美の2人は再びお辞儀した。


「歌なんて……、中身の伴わない薄っぺらいものだと思っていたけど、認識を改めなきゃね。あなたは自分の歌と同じように、優しいし強い。恵美も、そんなあなたを憧れとして目指すというなら、私達は安心出来るわ。ねえ?」


「あぁ、私達としても、是非応援したいね」


 夫婦は揃って、穏やかに笑いあう。先程とは打って変わって、優しくなった2人に戸惑いつつも、顔を赤らめる空。海人は良かったじゃないかとその肩を優しく叩いた。


 空はその手の上に自分の手を重ね、今までにみたことないくらい穏やかな笑みを浮かべた。


「ありがとう」


その笑顔にどぎまぎし、幸福感に包まれつつ、だがこうも思う。なんとも、他人行儀だなと。


 今日の主役は空と恵美だ。あのお爺さん店員が言った通り、海人は少しだけ手伝いをしただけだ。だが、空は違う。恵美とその両親に自分の気持ちを率直にぶつけてみせた。それが結果的に恵美の気持ちに勇気を与えたのだ。


 空の歌と同じだ。優しいながらも決して弱弱しくない、芯のある強さ。絶対的に不利なあの状況でも、諦めずに、自分自身を貫き、それが奇跡を呼んだのだ。


――気障な言い方をするならば、空から降ってきた奇跡ってところか……ふと海人にそんな言葉が浮かんだ。


「俺も、俺も覚悟を決めないとな。まだちゃんと、話していないから」


 誰に言うとでもなく、海人はそう呟く。決まっている。これは、誰かに告げる意味のない言葉だ。


 海人自身が自分で解決すべき問題なのだから。そして、今の彼には空の歌がついている。これほどの勇気は世界中のどこを探したってあるわけがない。


 ――そう、今の俺には信じられるよ。

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