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苦手な方はご注意ください。

八方美人『花散里天女』の甘言

作者: エタナン

 思い付きで作ったキャラクターを中心とした物語を展開しています。

 作者の他作品のキャラも出ていますが、別にそちらを知らなくても問題なく読めます。

 16歳の高校生女子『花散里(はなちるさと)天女(あまめ)』は語る。


「オセロって知ってますか? 白と黒の薄っぺらい(ピース)がひっくり返るあれです。私、あれが好きなんです。同じ白と黒のチェスや、同じように相手を挟む挟み将棋より。なんと言っても、白と黒がはっきり表裏に分かれているのがいいんです。まるでこの世の縮図みたいじゃないですか、物事のある側面がある人にとっての善であり、他の誰かの悪であるように、互いが自分にとっての良い部分を主張し合っているみたいで……互いが、遠慮することなく自分の価値観で世界を埋め尽くそうとしているかのようで、見ていて楽しいです」


 天女は、雑談のような口調でそれを語った後、まるでアンケートの協力でも頼むように問いかけた。



「ところで、あなたから私はどう見えますか? もしも自分の色と合わないというのなら……好きなだけ、塗り潰してしただいて構いません。しかし、不確定(グレー)というのはどっちつかずで落ち着きません。真実がどうであろうと、なんなら証拠も好きに作っていただいて構いません。あなたの信じる色、あなたの信じる正義に当てはめていただければ結構です。どうぞ、私が『白』か『黒』か……私をどちらにするのか、あなたが決めてください」




 数日前の晴れた日。

 一人の男がビルから飛び降り、地面のコンクリートとの衝突で即死した。


 その第一発見者は、その現場に居合わせたという高校生女子。彼女が行ったのは、『落下してきた男』ではなく『飛び降りた男』についての通報だった。


 彼女は、男の飛び降りたビルの屋上にいたのだ。

 そして、駆けつけた警察に対して彼女は『飛び降りようとしている彼を見つけ、説得しようとしたが彼は目の前で飛んでしまった』と言い、その状況を詳しく説明するため参考人としての任意同行に応じて警察署まで来たのだが……



「何度も言いますが、彼の自殺の詳しい動機については私の口から言うことはできません。彼自身のプライベートな事柄や名誉に関わることも含まれているので、仔細を説明するのは刑事さん相手でも躊躇われます。もし罪に問われるのならば、どうぞこのまま手錠をかけていただいて構いません」



 説得の内容に関することになった途端、天女は急に、頑なに口を閉ざすようになった。彼がいつ屋上に来て、どれだけ覚悟に時間を費やした上で、どちらの足から飛んだかすら詳しく証言するのに、会話自体に関しては黙秘を貫いている。


 死体には争った跡もなく、落ち方も空中で暴れたものでもないので自らの意思で身を投げ出したことは自殺自体は確実なのだ。普通なら、ショッキングな場面を目撃してしまった少女の精神面を配慮して、余計な追及を続けることはない。


 しかし……


「しかしお嬢さん、それだと遺族の方々が納得しないんだよ。何せ、彼の『遺産』が……失礼、貯金していた数千万の資産が直前に引き出されて行方不明になっているんだ。最期に豪遊したわけでも、ギャンブルで使い切ってしまったわけでもない。このままだと……キミが彼を騙してその資産を手に入れて、口封じに彼を自殺に追い込んだという疑いがかかってしまう。彼は資産について何か言っていなかったかい?」


「黙秘します」


 自殺した男の、その直前の動きが問題だった。

 銀行でいくつもの口座に分けていた貯金を引き出し、それをどこかへ移動させたことが、自殺発見後の捜査でわかっている。不自然さもそうだが、遺族が受け取るべき金がどこにもないというのも問題だった。彼は妻一人子一人の核家族の大黒柱で、彼の家族は稼ぎ口を失ってしまい、しかも生活を立て直すまで頼りにすべき遺産もない。


 しかも、不自然なことに遺書や遺言の類は一切ないのだ。


 そうなると、明らかに怪しくなるのは自殺を目撃した第一発見者である天女。ともすれば……


(『財産を騙し取られて自殺した男が、それを書き残した遺言状を屋上に残していたがこの娘が証拠を隠滅した』……なんていう仮定も立てられる)


 刑事の大川は、目の前で人が死ぬ瞬間を目撃したはずなのに澄まし顔で話す少女に不審を禁じ得なかった。表面的には優しく問いかけてはいるものの、内心では疑い続けていた。


 そんな中、取り調べの休憩時間にカツ丼を上品に食べながら彼女が言い出したのが、先ほどの『あなたが決めてください』という話だった。一見、尋問まがいの取り調べに耐えかねた少女がプレッシャーから逃れようと釈明を放棄した発言にも聞こえるが……


(この余裕が……『どうせ証拠もなく捕まえられないだろう』って態度が、怪しすぎる)


 刑事は、一向に動かない状況に業を煮やし、とうとう『切り札』を切ることにした。


「そこまで言うんなら仕方がない……実は、あの日、キミが郵便局へ行っていた姿を見た警官がいるんだよ。映っていたパトカーの車載カメラもね。パトロールの途中、偶然にね。キミはもしかして、そこで『何か』を預けたんじゃないかな?」


 天女の今まで淀みなく返ってきた言葉が僅かに詰まった。それは、刑事が求めていた反応だった。


「こう見えても、オジサンは警察だからさ……郵便局で何をしたかくらい、調べればすぐにわかるんだよ。だけど、今の内に教えてくれればさ……」


 その動揺を逃さず、畳みかけようとしたその時……



「おい、大川! 取り調べは終了だ! すぐに彼女をお帰ししろ!」

「え、部長!? なんでですか! 今これから……」

「いいからこっちこい!」


 突然現れた上司に引っ張られ、責め立てられる大川刑事。


「さっき確認がとれた。苗字が違うからすぐにはわからなかったが、彼女の身元保証人は須磨議員だ。警察OBの友人も多い。これ以上曖昧な疑いだけで拘束するとまずいことになる。彼女に関する調査もダメだ」


「あ……圧力ですか? でも、やっと反応が……」


「自殺は確かなんだ。お前の決めつけで捜査を進めさせるわけにはいかない」


「くっ……」


 大川刑事は、悔しげに天女の方を見る。

 すると天女は、先程の動揺はどこに行ったのか、呆れたように言った。


「だから言ったんです。白黒はっきりしてくださいって。では私はこれから、友達と遊ぶ約束があるので、ごきげんよう」


 大川刑事には、悠々と去っていく彼女を止める術はなかった。










 取り調べから数日経ったある日。


「私、『北方領土』って少し嫌いなんです。『沖ノ鳥島』もあまり好きではありませんね。だってよく考えてください、やれうちの領土だ、やれ島じゃないだ、誰のものでもないだとか……誰のものでも良いじゃないですか。というか、そこまでケンカまでして取り合う価値はないと思うんです。価値観や独占欲の問題ではなく、ただ単に意地の張り合いをしているだけじゃないですか。そんなにケンカの種になるだけなら、いっそのこと中立域にでもしてしまった方がいいと思いませんか? 正直言って、大人の醜い争いなんて物心ついた頃から見せられ続けて子供(こっち)はもううんざりなんですから」


 議員の子供が言うとなかなかに重さが違う世間話だった。


 場所はとある高級レストラン、そこで正装(ドレスコード)の少女『花散里(はなちるさと)天女(あまめ)』が話す相手は、よそ行きのドレスを着た美しい女性だ。


 まあ、彼女がここにいる理由を考えれば美しいのは当たり前と言えば当たり前ではあるのだ。彼女は『赤月(あかつき)美巳(ミミ)』……女優だ。そこそこに人気があり、年収もかなりある。そして、最近いわゆる『お金持ち』の仲間入りを果たし、こうして様々な業界の『お金持ち』が集う社交界的な意味合いの食事会に参加することになったのだが……


「へ、へえ……さ、さすが議員の娘さんね……」

(お偉い方との挨拶に疲れて一息つこうと思ったのに……なんか、すんごい変な子とお近づきになっちゃったわ)


 ミミは、未だこういう世界に入って日が浅く、接待のような言葉ばかりを繰り返すお歴々との会話に疲れ、しかし早退などという心証の悪いことも出来ないので休む口実を探している時、議員の娘という立場で連れてこられていたらしい天女に目を付け、話しかけられたのだ。


 そして、世間話をしようとしたら口から出たのが先程の、このような場ではかなり際どい話である。


(ま、大人たちがお互いの機嫌を取り合っている中で子供だけが国の未来を憂うような話をしてるのも皮肉な話だけれど……)


 天女の方は、このような場に出てくるのはミミよりは慣れているようだが、やはり息の詰まる思いをしているように見える。これがもっと小さい子供なら空気など読まずに料理を楽しんだりするのだろうが、十代後半ともなれば分別を要求される。


(本当は、パーティーって言ったら友達とゲームしたりとかって楽しんで当然の年頃なんだろうけどな……)


 ミミは自分の高校時代を思い出そうとしてみるが、そうするとますます今の環境に息が詰まりそうなのでやめておいた。普通の家庭に生まれ、実力でのし上がってきただけあって高校時代も下積みで大変だったが、それでも今に比べれば気楽で自由だったはずだ。


「……すみません、私ばかり話してしまって。つまらなかったですよね?」


「いえ、そういうわけじゃないの。ごめんなさい、私が学生の時はそんな難しいことあんまり考えたことなかったなあって思って」


「ふふ、私だって知ったかぶりをしているだけですよ。こういう場では多少聡明なふりでもしておかないと須磨さん……『お父さん』に迷惑がかかりますから」


「須磨議員の娘さんだったわね……」


 『須磨さん』……彼女の父親の立場に当たる彼を他人行儀にそう呼んだことに若干の疑問を感じたミミの反応に気付いたのか、天女は声を抑えてミミに言う。


「苗字が違って、変ですよね。実は私のお婆様が須磨さんと仲が良くて、身寄りのない私を引き取ってくれたんです。苗字も、お婆様の生きた証として大事に残してもらってるんです。だから、実はこういう場所に来るのもそこまで慣れてなくて……同じような様子の赤月さんが話しかけてくださって、少しホッとしました」


 ミミは少々驚いた。

 天女の苗字については、この食事会の出席者の間では『入籍していない女性との隠し子か離婚した女性から引き取り直したのだろう』という噂があり、暗黙の裡に触れてはいけない事柄だと認識されていたのだが、実は血縁ですらない養子だったとは予想外だった。そして何より、そのような真実をあっさりと初対面の相手に教えてしまうことが驚きだった。


「あ、安心してください。実はこれ、そんなに秘密にしてるわけじゃないんです。ただ、あまり広まると変な噂が立つかもしれないと言われてるので……ここだけの話にしてくださいね」


 『ここだけの話』というのは広めろというフリのような文句なのだが……天女の場合は、そのままの意味なのだろうと感じた。

 隠し子だろうと離婚した女性との子供だろうと、血縁があると思われていれば、大きな問題は無い。大人の社会では、婚約や婿入り嫁入り、芸名などで名乗る苗字が変わることなど珍しくはない。だが、血縁がない……『身寄りのなくなった友人の忘れ形見を引き取っただけ』となれば、親の七光りが強く作用する世界に実力も血も関係なく情だけで取り入ったと噂されてもおかしくはない。普通の家庭ならば美しい友情の話かもしれないが、大人の世界はそういったものを食い物にしてしまうほどドロドロとしているのだ。


「う、うん。ここだけの話にしておくわね。それにしても……」


「なんでしょう?」


「そんな大事な話を簡単にしちゃうなんて、もしかして天女さん意外と天然?」


「あら、どうしてわかりました? たまに言われるんですけど」


「なんとなく。でもなんだか……」


 ミミは、嘘と見栄の満ちる世界に純粋な色を見つけたような気分になった。

 そして、その色を自分の視界から失いたくはないと思った。


「もっとあなたとお話しがしたくなっちゃったなあ……ねえ、アドレス交換しない? 迷惑じゃなければ、平民上がり同士でたまに堅苦しいこと抜きにして話ができるといいなって思うの」


 それに対し、天女は間を置かず首を縦に振った。


「はい、いいですね。じゃあ私達、今からお友達ですね」




 しばらくして。


「あら、大倉さん。すみません赤月さん、ひとまずこれにて」

「そうね、時間取らせちゃってごめんなさいね」


 天女とミミはしばらく雑談を交わしていたが、やはりいつまでもそうしていられるわけはなく、天女は政界の重鎮に声をかけられ、離れて行ってしまった。彼女の親の迷惑を考えれば無視するわけにもいかないだろう。


 そして、一人になってすぐに……


「あーら、須磨議員のところの娘さんに粉かけて。もしかして、政界進出でも狙っていらっしゃるの?」


「いえいえ、私は賤しい生まれなものでそんな下心で子供を利用したりという考えは浮かばなかったわ。それにしても、あなたもいらしてたのね『青海(あおみ)さん』」


 ミミに声をかけてきたのは、同じく女優の『青海(あおみ)沙紀(サキ)』。

 ミミとは違い、両親がアイドルと男優といういわゆるサラブレットというやつで、ミミとは何度か共演しているがあまり馬が合わない。以前主演の取り合いをしてからは、会うたびにこのような会話を交わしている仲だ。


「疲れたでしょ? 慣れない社交界は」


「そうね、私はいつも仕事が多くて忙しいもので」


「顔色ちょっと悪くない? 別に帰ってもいいわよ? 皆さんには代わりに私が挨拶しておいてあげるから」


「結構ですのよ、少し休憩してるだけだから」


「そう、じゃあ休憩の邪魔をしてもあれですし、私はこれで。ごきげんよう」


「お元気で」


 立ち去る青海を見送り、ミミは深くため息を吐く。


「はあ、大人の世界って本当に疲れるわ……」







 それからしばらくしたある日。

 とある喫茶店にて。


「あ、ミミさん! こっちですよ、こっち!」

「ちょっと天女ちゃん、大きな声出さないでよ!」


 待ち合わせをしていた天女とミミは、昼食を共にしながら今日今後の計画を確認する。


「かわいい服のたくさんあるお店を見つけたんです。結構穴場なのでミミさんも思いっきり楽しめると思いますよ?」

「私も、面白いアクセサリーのたくさんある店見つけたのよ。この後一緒に行かない?」


 本人が有名人というわけではない天女はともかく、顔の知られたミミは堂々と外で羽目を外すには行かないのでサングラスや帽子で変装している。二人は今、プライベートの友達なのだ。もう何度かこういう形で会っているが、天女は有名人がいても噂が立ちにくい穴場スポットなどを見つけるのが上手く(本人によると他の有名人の友達からたまに聞くらしい)、とりつくろわない会話ができる点も合わせてミミにとっての安らぎになっている。


(最初に会った時はあれだったけど、付き合ってみると意外と聞き上手だし……お互いに疲れない距離感をわかってるみたいなんだよね。調節が上手いっていうか、会う度に仲良くなれてる感じがするわ)


 接している内に、きっと彼女はそういう振る舞いが上手い人間なのだろうと感じ始めている。

 世間ではよく『八方美人』と言われる他人に自分を合わせやすいタイプなのかもしれないが、他人への印象が全てである『大人の世界』を知るミミはそれを悪いとは思わない。今の家に引き取られて複雑な『大人の世界』を生きて行く上で自然とそうなって行ったのだろうと思えば、むしろ彼女の順応の高さに好感すら覚えた。


(実際美人さんだしね、大人になったら立派な女優とかになれるかもしれないわ)


 ミミはなんとなく、天女が自分を見るときの心の中に僅かにでも憧れの感情があれば嬉しいと思った。







 あくる日。

 バラエティ番組にゲストとして出演することになったミミは、本番前の打ち合せで顔を僅かにしかめることになった。

 共演の青海沙紀が、似たアクセサリーを持っていたのである。


(今日はこの前天女ちゃんと一緒に買ったアクセサリーを付けてきたのに……最悪)


 天女と一緒に選んだこともあり、結構お気に入りだったのだが、それが嫌いな相手とかぶってしまったという印象で上書きされてしまって気分が悪かった。

 しかも、青海は目ざとくアクセサリーのデザインに気付いたらしく……


「あーら、赤月さん? なんか、今日の私達、どこか似てないかしらねえ?」


 ピンポイントでそれを意識した話を振って来た。

 ミミは表情だけ取り繕い、切り返す。


「そうね、アクセサリーがよく似てるわね。青海さんも、いいセンスしてるわね」


「そうねえ。私達、趣味が合うのかしら。これ、結構有名なブランドなんだけど、あなたのはどこのかしら?」


 親の代から『お金持ち』の青海と、いわゆる成金のミミでは財力に家の差が出る。

 ミミは、その皮肉とも取れる質問に対し、見栄を張るように答えた。


「さあ、これはあるお方が私に似合うと言って選んでくださったから。どこのブランドかより、心が大事だと思いますわ」


 まるで恋人がいるかのように匂わせる発言に、青海がやや顔をしかめる。

 職業柄スキャンダルも怖いのでなかなか気の許せる相手ができないため、青海もミミも現在独身なのだ。


 鼻を明かされたような様子の青海を見て、勝ち誇ったような気分になったミミは少し清々しい気分と共に天女に感謝した。







 またある日、ミミは天女から相談を受けた。


「『友達』が、仲良くなりたい子となかなか上手くいかなくて相談して来たんです。でも、私もどうしたらいいかわからなくて……人生経験豊富なミミさんなら、何かわかるかと思うんですけど……」


 人生経験豊富なミミからすれば、この手の話での『友達が』というのは大抵自分自身の話だというのがバレバレなのだが、そこは敢えて気付かないふりをして相談に乗った。


 相談内容を要約すると、彼女の友達がもう一人の友達とくだらない理由でケンカをしてしまってから、仲直りする機会がなくて険悪なムードが続いてしまっているらしい。ちなみにそのケンカの原因というのはとある劇での主役の取り合いだそうだ。彼女は学校で演劇部をやっていると前聞いたことがあるので、その関係だろう。仮にも議員の娘が脇役となるのはいろいろとまずいだろうが、彼女よりずっと演技の上手い同級生もいるらしいので、そこらへんのゴタゴタがあったのだろう。本人も別に主役をどうしてもやりたいわけではないようなので、より複雑なことになっているようだ。


「主役の座にそこまで争う価値はなかったはずなんですけど、その『友達』は意地を張って熱くなっちゃって……最近では派手にもめたりはしないんですけど、それでも空気を悪くしてしまって……」


 いつも微笑んでいる天女の表情が沈んでいると、ミミの心も沈んでいく気がした。会う度に、彼女の笑顔や言葉が自分の心を洗ってくれていたような気がして、それが得られないのが嫌だった。


「学生の世界も大変ねえ……でも、そういうのはなかなか有耶無耶になってくれないから、一度思い切って謝って見たら……って、その『友達』にも言ってあげたら? お互いに暴力沙汰になったわけでもないんだったら、案外自分が一歩譲るだけでなんとかなると思うわよ?」


「でも、その……こちらの、『友達』の方にも面子がありまして……自分の方から謝るとその、親御さんがうるさくて……」


「なら、二人だけで会ってどっちから謝ったかは秘密にしたらいいんじゃない? 周りからはいつの間にか仲直りしてたって感じでいいじゃない」


「でももし、それで許してもらえなかたったら……謝り損になりませんか?」


「厳しいこと言うようだけど、そこまでそりが合わなかったらきっぱり縁を切った方がいいかもね。それか、そうならないように誠意をしっかりとあらわすのが大事だと思うわ。ちゃんと心を込めて謝れば、きっと許してくれると思うから」


 大人として、少し見栄を張った答えだったが、天女はそれを聞いて安心したように笑った。


「ありがとうございます……『友達』にも、そう伝えておきますね」


 ミミはその笑顔を見て、癒やしを感じている自分を認識した。そして、天女の笑顔を取り戻した達成感と共に心の片隅で思った。


(私は、この笑顔に軽く依存してるのかもしれないわね)


 大人が子供に寄りかかるようで少し恥ずかしかったが、危機感を抱くことはなかった。







 またある日、天女は気分が良さそうな様子で、ミミに笑いかけた。


「この前はありがとうございます。これ、『友達』からです」


 その手には、可愛いテディベアがあった。なかなか高級そうな材質で、上流階級の家庭の子供が持ちそうなものだった。


「あら、ありがとう。これ、高かったんじゃない?」


「さ、さあ。『友達』が買ったものなので値段までは……気に入りましたか?」


「そうね、とってもかわいいわ。大事にするわね」


「ありがとうございます。ところでそれ、実はちょっと特別性でして……」


 天女が、テディベアの額を触り、内部に隠されていたらしいスイッチを押した。すると、テディベアから天女の声が聞こえてくる。



『ハッピーバースデー! お誕生日おめでとうございます!』



 一瞬キョトンとしたミミだが、遅れて思い出す。


「そっか……今日、私の誕生日だったっけ。ありがとう、天女ちゃん」


 ミミは天女からテディベアを受け取り、頬を朱に染めた。

 こんな形で、サプライズで誕生日を祝ってもらうなどということはここ数年記憶にない。不意なことに、思わず笑ってしまった。


「そっかー、また一つおばさんになっちゃったかしらね」


「そんなー、ミミさんはまだまだ可愛いですよ。どうですか、この後一緒に可愛い洋服でも」


「いいわね。せっかくだから、今度の番組で着る服でも選んでもらっちゃおうかしら」


「ミミさんなら何着ても似合いますよ」




 それから、ミミはますます天女との仲を深めた。

 しかし、もしかしたらそれは依存を深めただけかもしれない。


 いつの間にか、天女の存在はミミの中でかけがえのないものとなっていた。


「天女ちゃん、もう少しだけ、一緒に遊ばない? お互い学校とか仕事があることはわかってるんだけど……」


「わかりました、いいですよ。でも、ミミさんは疲れた顔してちゃ仕事にならないのでほどほどにしましょうね?」


 甘えれば、好きなだけ甘えさせてくれる。

 気を使うのが上手い天女の口からは、ミミを嫌な気分にさせる言葉は一度として出なかった。


「ねえ、これこの前見つけたブローチ。おそろいの買ったの。片方貰ってくれる?」


「これ、すごいしっかりとした作りですね。高かったんじゃないですか? すごく嬉しいし気に入ったのでもらいますけど……子供にあまり贅沢を覚えさせちゃだめですよ?」


 甘やかせば、小言を言いながらも応えてくれる。

 自分の自己満足のためにしていることを理解して、その上で勘違いせず自己満足を満たさせてくれるのが嬉しかった。


「もしさ……私がスキャンダルとかで、世間から叩かれたら……天女ちゃんは、それでも私が何もしてないって言ったら、信じてくれる? 連絡とかとれなくなっても、友達でいてくれるかな?」


「私は信頼関係というのが世間の言葉で左右されるものだとは思ってません。たとえ私達の立場上、公に会ったり話したりする事が出来なくなっても、ミミさんが私を信じていてくれる限り、私は勝手に手を切るつもりはありません」


 天女の言葉は世間知らずの子供のように純粋で、綺麗で……薄汚れた大人の世界に染まってしまった心が忘れかけていたものを与えてくれるようで、無条件に信じて受け入れたくなってしまうような、甘い誘惑を伴うものだった。





 そして、しばらくしたある日。


 天女と何度か行ったことのある服屋で待ち合わせをしていたのだが、急遽来れなくなったというメールが届いた。なんでも、いつもスケジュールが詰まっててなかなか会えない友達が急に会えるようになったのでそちらを優先したいということらしい。まあ、学生にも大人とばかり遊んでいるだけではなく、そういう付き合いはあるだろう。


 仕方なく、一人で店を見るミミだったが……


(一人でショッピングしててもつまらないなあ……そういえば、天女ちゃんの誕生日っていつなんだろう? 今度聞いて、近かったら何かプレゼントのお返ししようかな)


 いつしか、探すのは自分のための服ではなく天女に似合いそうな服になっていた。

 どんなものを選んでも喜んでくれそうな気はしたが、ちゃんと本当に喜んでもらえるものを選びたかった。そして、彼女の心からの笑顔を想像すると気分が弾んだ。


 しかし、そんな彼女の目の前に全く思いもしなかった人物が現れた。


「あら、その服はあなたには小さすぎるんじゃない?」

「!!」


 青海沙紀……彼女もプライベートなのか、軽い変装をしていて気付かなかったが、声で一瞬にして確信した。


(なんでこんなところに!)


 いや、ここは有名人御用達の穴場だ。他の有名人と鉢合わせしてもおかしくはない。

 だが……


(なんでよりにもよってこの女なのよ! しかも見られた! 浮かれてる所を!)


「大きなお世話よ!」

「あ、待って! 待ちなさい!」


 ミミは逃げ出すように店を飛び出す。

 弾んでいた気分が一転して、最悪の気分になった。







 その日の夜。

 ミミは天女に電話を掛けた。


「ねえ、今日どうして来てくれなかったの?」


 その声には苛立ちがわかりやすく出ていた。理不尽なのはわかっていたが、天女がドタキャンさえしなければ自分の醜態を見られることはなかった。そう思うと、文句を言わずにはいられなかった。


 しかし、それに対して天女は……



『すいません……どうしても、行けない理由がありまして』



 電話越しでもわかるほど申し訳なさそうに謝罪して来る。

 あまりに真っ直ぐな謝罪に逆に責め立てたことが申し訳なくなってしまうが、次の言葉でその感情は吹き飛ぶことになる。



『ところで、なんで「青海さん」から逃げたんですか?』



 ミミは、今日の詳しい話を天女にはしていないはずだ。

 しかし、何故『青海沙紀』と会ったことを知っているのか……


「ど、どうして……私は、青海さんと会ったなんて一言も言ってないでしょ?」


『はい。でも、言ってなくてもわかりますよ。さっき、青海沙紀さんから聞きましたから』


「……え?」


 ミミの思考が止まった。

 何故、天女が今日のことを青海から聞くなどということがあるのかわからなかった。それではまるで……


「もしかして……青海沙紀と、知り合いなの?」


『……はい、そうです』


「ちょっと待って! じゃあまさか、今日私があの店にいることも……他にも……」


『……はい、青海さんとはよく、ミミさんの話をしてます。初めてミミさんと会った日、あのあと声をかけられて……』


 思い出されるのは、天女と話した直後に話しかけてきた青海の言葉。平民上がりが不相応にランクの違う人間と話していたことを諫めるような、身をわきまえろとでも言うような態度。

 ならばもし、同じ『七光り組』として声をかけられ、ミミをはめようとして手を組んでいたとしたら……


「じゃあ、今までずっと私のことリークしてたっていうの!? ふざけないで! 初めて会った日からずっと私を裏切ってたってことでしょ! 私のことを青海に話して、青海とのことはわたしに黙って……」


『落ち着いてください。私はミミさんの味方です、今度詳しく話をしますから……』


「味方って何よ! 私に嘘ついてたクセに!」


『嘘なんて、一度も言っていません。信じてください』


 冷静な口調が白々しく感じた。

 今まで信じてしまっていた言葉が、無条件に受け入れてしまった言葉が、全て自分を信用させるための作為の詰まった甘言かもしれないと思うと吐き気がした。


「本当は何にも知らないで浮かれてる私のこと、心の中で笑ってたんでしょ?」


『笑ってなんかいません。私達の友情は本物です』


 『友情』などという言葉が空虚に聞こえた。


「ねえ、天女ちゃん……本当のこと言ってよ。あなたは、私のもの? それとも、青海のものなの?」


『私は……「あなたのもの」ではありません。ですが……』


「うるさい! もう話しかけないで!」


『待ってください、この前のテディベアのとうちょ……』


 ミミは電話を切り、天女の番号に着信拒否をかけた。

 そして、頭を抱える。


「嘘でしょ、じゃあ今までずっと天女ちゃんの前で話したことも、浮かれたりしてたことも全部あの女に筒抜けだったってこと? いえ、それだけじゃないわ!」


 見栄を張ったアクセサリーのことも全て裏まで筒抜け。

 そして……


「あった……マイク……」


 テディベアを調べてみると、小型マイクらしきものがすぐに見つかった。

 メッセージを再生する装置に繋がったそれは電池を共有しているらしいが……


「天女ちゃんの前どころか、独り言まで全部筒抜け……? まさか、いくらなんでもそんな……」


 動揺するミミに、新しい着信音が響く。

 天女ではない。先ほど着信拒否したままだ。だとすれば……


「も、もしもし?」


『……もしもし、赤月さん?』


 聞こえてきたのは、青海の声だった。

 もはや、その程度では動揺すらしなくなったミミは、一周回って冷静な口調で問いかける。


「青海さん……ね? やってくれたじゃない。調べたわよ、テディベア」


 すると、青海は嬉しげに声を返した。


『あらそう? 結構自信作だったんだけど、どうだったかしら?』


「そうねえ……天女ちゃんとのこともいろいろ聞きたいわね。今までどういう話をしてたのかとか」


『そうね。じゃあ今から二人だけで会わない? 直接会って話したいこともあるし』


「……いいわ、じゃあ今日の服屋の近くの公園があったでしょ? 一時間後、あそこで会いましょうよ」


『そうね、今度はお互いにお世辞とか抜きでちゃんとお話ししましょう』


「わかったわ、お互い腹の内をさらけ出して」


 電話をきったミミは、目を閉じ、天女の顔を思い出す。いつもいつも、変わらぬ笑顔で自分に接してきたその笑みが……簡単に騙される自分を見下ろしていた余裕によるものだと思うと虫ずが走り、それを喜んでいた自分を思い出すと鳥肌が立つのを抑えられなかった。








 その日の深夜。


 ミミが公園に行くと、青海は電話で言ったとおり一人で待っていた。

 清々しいまでの、普段の作った物とは違う笑みだった。その勝ち誇ったような表情に、ミミも笑みを返す。


 そして、親しげな笑みを浮かべたまま、青海に歩み寄って行く。


「天女ちゃん、相当のやり手ね。すっかり手玉に取られちゃったわ」


 それに対し、青海も無警戒に言葉を返す。


「そうね、末恐ろしい子だわ。ああいう子は、敵に回したくはないわね」


 そして、ミミと間近で、正面から向き合って青海は息を整えて言う。


「もうわかってると思うけど、直接伝えないといけないと思ってね……あの、」



「悪いけど、負け犬はあんたよ。青海」



 次の瞬間、青海の腹には鋭い刺身包丁が刺さっていた。

 何が起こったかわからないような顔をした青海は、自分の腹を見て、呟くように血混じりの言葉を吐く。


「ど……どう、して……」


「人の友達かっさらっていい気になってんじゃないわよこの馬鹿女。前々からあんたのこと、気に入らないと思ってたのよ」


「ち……ちが……」


 青海の腹から包丁を抜いたミミは、倒れながらも腹を押さえて血を何とか止めようとする青海を見下ろし、『女優』として相手を油断させるために作っていた表情を捨て、嘲う。


「あは、あははは!! すっきりしたわ!! そうよ、こんなやつ死ねばよかったのよ! 待ってなさい、あんたの家にある私の盗聴の記録とかも全部消してやるから」


 その時……背後の茂みが僅かに揺れた音がした。

 驚き振り返ったミミは、包丁を片手に怒り狂う。


「あんた、二人でって言っておいて……それともただの通行人かしら? とにかく、今すぐ捕まえて……」

「だっ……め……」


 走り出そうとしたミミの片足が急に動かなくなる……いや、捕まえられる。

 倒れた青海の手が、火事場の馬鹿力なのか信じられない力でその足を掴み、引いたのだ。


 そして、走り出そうとした直後のミミがその予想外の妨害に対応しきれるわけがなく……


「わ、ちょ、あんた! 離しなさい! あ、あぶな……」


 ミミは倒れた。

 それも、とっさに地面につこうとした手には鋭い刺身包丁……支えにしようと柄を握った拳を地面に向けたことで、刃は真っ直ぐ上を向き……


 ザクリ


「う……そ……」


 走る痛みとショックで消えゆく意識の中、ミミの目の前には誰かの足が見えた。

 そしてその誰かは、聞き慣れた声で同じ刃で傷を負った青海とミミを見下ろしながら電話をかけていた。



「すいません、救急車を二台お願いします。女の人が二人、公園で倒れています。場所は……」










 数日後。

 昼休みの時間、学校にいた天女に聞き覚えのある声の持ち主から電話がかかってきた。


『刑事の大川だ。この前の自殺の件、それについ最近の女性二人の死体発見の件について話を聞きたい。同行願えるか?』


「ミミさん、沙紀さんについては『死体発見』ではなく『負傷者発見』ですが……わかりました、事情聴取には応じましょう。しかし、今は学業の最中なので放課後にしてもいいですか?」


『……出来るだけ、早い方がいい。なんなら、こっちから学校に乗り込んで教員方を説得してやってもいいんだぞ。警察の頼みなら単位くらい都合してもらえるだろ』


「あまり穏やかではないご様子ですが……学校に入ってくるのは、絶対にやめてください。死にたくなければ」


『ほう……それは、「学校に入ってきたら殺す」っていう脅しだと受け取っていいのか? なんなら、出るとこ出たっていいんだぞ、本職だしな? それともなにか? お嬢様のわりに通ってる学校はケーサツなんて見つけたら生かして返さないって不良グループでものさばってるのか?』


「いいえ、『脅し』でも『警告』でもなく、ただの『忠告』です。お節介と言ってもいいかもしれません。私があなたに何かをするわけでも、あなたが思うようなシステムがあるわけでもありませんが……あなたのような『部外者』は、きっと『誰か』を刺激します。それが『誰』になるかはわかりませんが、この学校には……この『世界』には、あなたが登場する余地はありません。私が何もしなくても、きっとここにいるうちの『誰か』に『何か』をされて、悪ければ精神的、肉体的、社会的な死の危険に発展しかねません」


『……要するに、警察の威光が逆効果になる環境ってわけか。わかったよ、こっちもつまらないところで捜査妨害されても困る。放課後、学校の外で話そう。どこがいい?』


「警察署ではないんですか?」


『上からは、あんたの動きを「拘束」するなと言われてるからな。あんたの行きたい場所に勝手に行ってもらって、こっちはそこに勝手について行って立ち話ついでに事件について話してもらうことにした。捜査上内密な話もあるから、出来れば人気のないところへ行ってくれると助かる。なんなら車で送る』


「なるほど、では……そろそろ行こうと思ってたところですし、せっかくですので送ってもらうとしましょうか。『お墓』へ」


『「墓」? 誰の墓だよ?』


「『光國(みつくに)幸三(こうぞう)』さんのお家のお墓……先日、私の目の前でビルから飛び降りた方の墓前でお話しましょう」




 放課後。

 何百という墓石が階段状に削られた急な斜面に立つとある墓地にて。


 天女は、『光國家之墓』と名前が彫られた墓石の前に座り、手を合わせる。そして、目を閉じたまま小声で何かを呟き、そのままの姿勢で背後の大川刑事に尋ねる。


「今回の事情聴取……正式な令状のようなものはありませんでしたね。それに、ミミさん、青海さんと彼の件は明らかに無関係です」


 『彼』というのが、目の前の墓を……そこに収まるべき、『光國幸三』を指すのは明らかだった。もっとも、四十九日が間近に迫っているため、便宜上の魂の所在は怪しいものだが、今それを言ってもしょうがないだろう。


「私が思うに、これは正式な捜査ではなく……大川さん、あなた個人の興味と判断によるものですね。だから、警察署でなく、このように人気のない場所を選んだ……そういうふうに判断してもよろしいですか?」


「……わかってて、ここまで来たのか。確かに、二つの件は無関係のものとして処理されてる。片やただの自殺、片やただの仲の悪かった有名人二人のケンカが発展した結果の事故。どう考えても、関連性はない。ただ一つ、あんたが関わってるってこと以外はな」


 天女が立ち上がり振り返ると、大川刑事は拳銃を抜いて銃口を無防備な天女に向けていた。


「品行方正なお嬢様で、親の威光を盾に威張ることもなく周りからの評判もそれなりに良好。というより、敵を作らないように表面的には誰にでも愛想良く振る舞って特定派閥を作らないし入らない、それでいて孤立しない典型的な八方美人……だが、よく調べてみれば、その裏でやってることはとんでもない」


 銃の引き金に指がかかっている。

 暴発よりも、標的を逃すリスクを排する殺意の表れだ。


「母親は蒸発、父親は自殺、祖母は病死でそれから須磨議員の養子になってからあんたの周りでは次々に人が不審な形で死んでる。中学時代の担任教師、同級生、ハウスキーパー、タクシードライバー、喫茶店の店員……自殺がほとんど、一部は事故死や殺人、そして犯人は自殺、さらに不信死や行方不明も数えきれない。どれもこれも無関係として取り扱われてたが、その全てにあんたが『証人』として関わってる。こんなにおかしなこと、そうはないだろ?」


 天女は、大川刑事の目を見てため息をつく。

 脅しや冗談ではない、本気の目。銃もサイレンサーが付けられ、リボルバーだが弾がおそらく全弾装填されているだろうことが間近で見てわかる。

 逃げようとすれば、彼はすぐさま引き金を弾くのだろう。

 そうなれば……


「私を殺しますか……そういえば、噂では警察組織には法で裁けない罪を追及したり身内の起こした事件の火消しをしたりする仕組みがあるとか……ドラマとかでもたまに出てくる都市伝説ですが。私はここでただ『消える』だけ、そういうことですね?」


「……チャンスはやる。そこの光圀幸三の自殺幇助について自首するなら、ちゃんとした表の法の裁きを受けさせてやる。だが、それが嫌なら……」


「それは心揺れるお誘いですね……ですが、最初に会ったときから言っているはずですよ?」


 天女はゆったりと歩き、大川との距離を保ちながら立ち位置を変える。

 これが逃げ出そうと走り出したり銃を奪おうとしたなら、大川は迷わず引き金を弾いただろう。しかし、天女は逃げるそぶりなど一切見せず、階段状の土地の端に……一歩後ずされば、何メートルも下の墓石に頭から真っ逆さまに落ちるしかない、逃げ場のない場所に立って、微笑んで見せたのだ。



「私が『白』か『黒』か、どちらにするかはあなたが決めるんです。私の行いの意味を、あなたが決めるんです。須磨さんも、法律も、断罪行為が罪に問われるかもどうかも関係ない……あなたの価値観で決めてください」



 銃など使わなくとも、大の大人が腕一本で押せばそこから落ちるだろう。

 あるいは、大川が『飛び降りろ』といえば、本当にそうするのかもしれない。

 当たり所が悪ければ死にかねないし、そうでなくともプロのスタントでもなければ確実に大けがをするはずの高さと場所だ。しかも、それは警察の秘密機関などなくとも、墓に赴いた彼女が足を踏み外しただけの『事故』で済む話だ。


「そうやって……時間を稼ぐ気か? 助けや目撃者が来るのを待ってるのか?」


「いいえ、むしろ目撃者などがいれば話がこじれますので早く決めてもらえると助かります。まあ、もしかしたらあなたの同僚の方たちが周りを見張ったりしているのかもしれませんが」


「そうやって、自分の命を人質にすれば見逃してもらえるとでも?」


「銃を向けておいて、自分の命を人質にされたところで効果がある人には見えませんね。私としては手間を省いたつもりだったのですが、そう取られてしまったのなら残念です」


「あんたまさか……自分の命なんて、どうでもいいと思ってるのか?」


「何を言っているんでしょう? これでも私は、自分がいなくなると悲しむ人がたくさんいると思っています。先ほどあなたが言ったように、それなりに友達もちゃんといますから。それはもちろん、喜ぶ人も少なからずいるのでしょうが……私は、自分が消えて喜ぶたくさんの人たちの笑顔より、自分が消えて悲しむ人の涙を防ぐことを優先します」


 天女は、表情に怯えも恐怖も虚勢も混ぜることなく、ただ純粋に『疑問』を重ねた。


「でも、あなたには私の都合なんて関係ないはずですよね? 私は知りたいんです。立場もお世辞も後腐れも考えず、ただ純粋にあなたが私をどう見ているか。それを教えてほしいんです」


 いつしか、大川の額には冷や汗が噴き出ていた。

 抵抗されることも、命乞いされることも、逃走を試みることも、買収だろうと、あらゆる場合を想定してこの場に彼女を連れてきたつもりだった。


 しかし、こんな諦めとも諦念とも達観とも違う……まるで、試されているかのような、『選択』を強いられることなど、全く想定していなかった。


 何かの間違いだと彼女が叫んだなら、嘘だと断じることができただろう。

 須磨議員からの報復などを引き合いに出したなら、それを甘んじて受ける覚悟をして引き金を弾けただろう。

 開き直って罪を認めたらなら、迷わず捕まえることができただろう。その後で親の権力などで逃げられると考えているなら、警察組織の裏の権力で後悔させてやれる確信がある。


 しかし、彼女は自分について語らない。弁明せず、背景も問題にせず、反論しない。

 何かの策略を疑うしかないほどに……怪しすぎて、疑わしすぎて、逆に真実の言葉としか思えないほどに、毒々しいほどに濃厚な甘言だけを、その舌にのせて放つ。


「花散里天女……あんたは、他人を精神的に追い込んで自殺や殺人に追い込む。それを自覚しているか?」


「はい、私の周りでたくさんの人が死んでいるのは、それが明らかに異常な頻度であることは認識しています」


「あんたは……それを、故意に行っているか?」


「『故意ではない』……と言ったら、信じてくれますか? そうだとして、無意識に人を死に追い込むことと、意識的に行っていて反省の余地がないことの間にどれほどの差があるでしょうか?」


「仮に故意でないとして、本当に馬鹿げた話だが無意識に誰かを精神的に自殺するまで追い込んでしまうとしたら……あんたは、そんな自分に罪があると思うか?」



「それは『あなた』が決めることです。私自身がわからないから、『あなた』に訊いています。大川刑事……いえ、学校でいじめられて自殺した『大川(おおかわ)浩次(こうじ)』さんのお父さん、『大川(おおかわ)慶次(けいじ)』さん」



 大川刑事の……大川慶次の心臓が、ドキリと跳びはねた。


「な、なんで息子のことを……あんたまさか、俺の息子にも……」


 引き金にかかった指が小刻みに震える。

 しかし、天女は首を横に振る。


「いいえ、調べてわかってるはずでしょう? さっき挙げた中に『自殺した学生』がなかったんですから。自分の息子と私が一度でもあったことがないか、調べてからここに来ているんですよね? それに、あなたは警察組織内のこんな裏のシステムにかかわっているんですから、そのいじめっ子たちにも制裁を加えた後なんでしょう? いえ、制裁を加えるために裏のシステムにかかわったのかもしれませんが」


「じゃ、じゃあなんで息子のことを……」


「私、よくお墓に行くんです。ここだけじゃなくて、いろんな墓地へ。知っている人の命日がたくさんありますから。その時に、実は何度かあなたをお見かけしてるんですよ。いつも泣いてて、人に見られたくないようでしたのでこっそり避けていくんですが、何度も何度も『浩次すまない、俺が助けられなかったばっかりに……』って、何年も前から。いえ、つい最近もですね。今思えば、こうやって裏の制裁の前に気持ちを高めに行ってたんですね。こっそり聞いてた話の断片からすると、強くなるように教育を重ねて、その結果いじめに遭っても大人に相談できずに自分一人で抱え込んでしまったそうですが……あなたは、その息子さんの最期から、こうやって精神的に誰かを追い込んで自殺させているらしい私のことを赦せないと思った。そうじゃないんですか?」


「あ……が……」


 息が詰まる。

 動機が激しくなって、目の焦点も合わなくなってきて、気分が悪くなって来る。

 そんな大川に、天女は希望を託すかのように、心底待ちわびた答えを求めるかのように、目を輝かせて問いかける。


「あなたなら……あなたになら、私の罪を決める権利がある。あなたの裁定なら、私も納得できます。さあ、教えてください。償うべきか、償うべきならどのようにして償わなければならないのか、今ここで、あなたがそれを定義してください。さあ、教えてください」


 大川は、拳銃を……ゆっくりと下げ、へたり込んだ。

 そして、内胸に仕込んだ小さな無線のボタンを押し、苦しむような表情で言う。


「俺には……あんたの罪なんて、決められない。もう、包囲は解除した……来た時の車に別の警官が乗ってるから、送ってもらえ」


「……わかりました、今はあなたがそうするというのなら……私も、そうします」


 天女は危ない段差の端から注意しながら離れ、大川に頭を下げて立ち去ろうとする。

 その背中に向かって、大川は尋ねた。


「なあ、あんた……あんたは俺の罪をどう思う? どれだけ仕事をしても、息子が赦してくれたと思えないんだ。俺はいつまで、こんなことを続けなきゃならないと思う?」


 すると、天女は少し悩み……


「死んじゃった人が赦してくれるかどうなんて、私にもわかりません。でも、それでも割り切ってしまいたいときは、私はこうして、コイントスでもして決めることにしていますね。表と裏、どちらが赦してくれるか、どちらが赦してくれてないかは口に出さずに、いつもどちらにすると決めることもせずに、ただ心の中でぼんやりと曖昧に決めて、ただ弾きます」


 大川の目の前に、よく市販される磁石式のオセロの駒が落ちてくる。

 天女がたった今、弾き上げたものだ。しかし天女は、その結果を見ることもせずそのまま歩き去ってゆく。



「もしそれが『赦してくれる』だったら……そちらの方だと納得できたら、きっとそれでいいんだと思います。結局のところ、自分に相応しい処遇なんて、自分で決めるしかないんですから。大川さん、あなたに、あなた自身以上に償いを求める人はいないのだから、思いつめずもう少し甘やかしてもいいはずです。浩次くんだって、きっとそう言うと思います。『育ててくれてありがとう』『お父さんが責任を感じる必要はないよ』『お父さんは悪くないよ』って……言ってくれていると思えば、気が楽になるはずです」




 しばらく座り込んでいた大川は、車の走り去る音を聞き取った。

 そして、もうすぐ一般人が入ってこられる時間になることを思い出し、銃を懐にしまおうとして、ふと……地面に落ちているオセロの駒を見る。


 それは『白』だった。


 それが、どちら側の意味を持つのか大川にはわからない。しかし、それが白星だと……無実だと見れば、少しでも赦されたと考えたら、不思議と気分が軽く……


「だ…駄目だ。こんな薄っぺらいもんなんかで、こんな簡単に楽になっちゃ駄目だろ! 俺はあいつに騙されただけだ、誤魔化されただけだ! じゃなきゃ、今まで苦しみが嘘みたいじゃねえか! あんな女の言うことなんて、そんな簡単に赦されるなんて信じていいわけがねえ! 浩次はきっと俺を怨んでるんだ、簡単に赦してくれるわけがねえ!」


 錯乱したようにわめいた大川は、拳銃からサイレンサーを外し、六発入っていた弾丸の内、一発おきの三発を落として、弾倉を回した。

 そして、こめかみに銃口を当てる。


「浩次……俺を、赦してくれるか?」



 墓地に、銃声が響いた。










 翌日。

 花散里天女は、学校の部室で語る。


「最近、とても悲しいことが立て続けに起きてしまいました。知り合った人や、友達が死んでしまって……とても悲しくて、とても寂しいです。どうして私の周りでは、たくさんの人が不幸になってしまうのか……やっぱり、私はこんなところにいない方がいいかもしれません。あの時、嘘でも罪を告白していれば……囚われの身になっていれば、きっと何人かはそのまま幸せになれたかもしれません……ねえ、どう思います? 私はやっぱり、こんな所にいない方がいいでしょうか? それとも、何かが起こるまでは、ここにいられる限りはここにいた方がいいんでしょうか? どうか、決めてもらっても……」


「アウト! 学校では敬語禁止だっていっただろが」


「あう!」


 突然顔のド真ん中にデコピンを当てられ、顔を抑えて涙ぐむ天女。

 それに対し、彼女にデコピンを叩き込んだ部活の友人は小言のように責め立てる。


「第一、おまえの口調はど丁寧すぎて敬語だと途端に嘘くさくなるんだっての。外面を気にしなきゃいけない外や家の中ではともかく、学校では普通にタメ口だって決めてるだろうが。いいとこのお嬢様なのも秘密なんだろ?」


「ぅう……そうだけど、いきなり人中デコピンはやめてくれない? 涙出てきた」


「どうせ普段悲しくても滅多に出ないんだからいいだろ。それよりほら、さっさと次の駒置けよ。花散里の『白』の番だろ」


「もうちょっと女の子として扱ってくれてもいいでしょ、行幸くん」


 天女のオセロの相手……『行幸(みゆき)正記(まさき)』は、『黒』の面を上に次の置き場を思案しながら、雑談のように天女の話を続ける。


「で、それで何だったか……ああ、そうそう。その『光圀幸三』って、二か月くらい前に家に遊びに来るのが遅れた時の言い訳の事情聴取の人か? でも結局、それって本当にただの自殺なんだろ?」


 ちなみに、部室には今ほかに誰もいない。

 一番早く集合した天女と正記で、時間を潰しながらオセロをしているのだ。そして、正記は天女の周りで何人も死んでいると聞いても全く引かない貴重な学友なので、二人きりになると天女の『愚痴』を聞く流れになることが多い。


「はい、その通りで……あ、違った。うん、そうだよ。なんか奥さんとの間の子供に、自分の血が流れてないのが分かったらしくてさ、真面目に朝から晩まで働いてるのが馬鹿らしくなっちゃったんだって」


「それで、最後の最後で奥さんを思いっきり困らしてやろうと思って、貯金を隠してもらったわけか。郵便局ということはだ……なるほど、日付指定の郵便で金を壺にでも詰めて、死んでから時間差で家族に届くようにしたんだな? 最期に使い切ってやれってならないあたり立派じゃないか」


「そう。四十九日を期限指定にしておいたから、丁度今日あたりには遺書と一緒に弁護士さんのところに届いてるはずだよ。で、昨日は奥さんがお金の頼りにしようとした浮気相手の人に逃げられてしまいましたって報告したの」


「律儀なもんだ。ま、そんな事情じゃ警察から家族に伝わるようにするわけにはいかないよな」


 正記は異常に察しがいいので、隠し事をしてもすぐわかってしまう。そのため、天女は最初からほとんど隠さずに自分の身の回りで起こったことの詳細を教えて相談しているのだ。


「で、そっちの方でその大川って刑事さんに目を付けられて、その目を付けられてる間に女優の『赤月美巳』と『青海沙紀』のことが起こった」


「うん……二人とも、死んじゃった。救急車を呼んだけど、間に合わなかったよ」


 天女の口調や表情はあまり変わらない。しかし、黒の駒を置くときにやや指が震え、しかもその直後に正記に角を取られてしまう。

 天女は、感情の揺れや動揺が顔に出にくいのだ。笑顔のポーカーフェイスとしてはほぼ完璧なので正記くらいしかわからないが、ババ抜きやポーカーならともかくオセロではポーカーフェイスは役に立たない。


「そうか……それにしても、それに関しては花散里が気に病む必要はかけらもないと思うぞ」


「そうかな?」


「当たり前だろ。運が悪かった、あと強いて言うなら話をちゃんと聞かなかった赤月美巳が悪い」


「ちょっと行幸くん、死んだ人を悪く言うのは……」


「だからって、生き残ったやつに全責任を取らせるのは悪習もいいところだと思うがな。オレは、生きてるやつがちゃんと生きていけるようにするためなら、死者の冒涜の罪くらい甘んじて受け入れるつもりだ」


 正記の威圧するような目を、天女は真正面から見つめ返す。



「私が手を出さなければ、二人は今も生きてました。ミミさんは、私を間違いなく私を恨んで死んでいました」

「そうだとしても、悪いのは赤月美巳だ。おまえは何も間違ったことも悪いこともしていない。勝手に傷ついた方が悪い」



 二人の間に、一瞬だけ緊迫した空気が流れる。

 だが、それはすぐに霧散する。どちらも相手がこの手のことでは自分の主義を曲げないと知っているのだ。


「おまえは別に、青海の味方としてスパイをしてたわけじゃない。もちろん、両方を操って殺し合いをさせたいわけでもなかった。おまえはただ単に、『二人の共通の友達』として、仲直りを画策してただけなんだからな。その良心を否定したら世の中は回らないだろ」


 天女は、ミミと最初に会ったすぐ後、青海に声をかけられた。

 そして、青海から相談を持ち掛けられたのだ……『赤月美巳と仲良くなりたい』と。それも、コネクションや表面上の関係ではなく、心からの友人になりたいと。


 実のところ、ミミは有名人の交流の中で周りからかなり心配されていた。

 ミミ自身は『平民上がり』の自分が周りから差別されているように感じていたようで、実際そういう目もないわけではなかっただろうが、それ以上に彼女は違った意味で注目を集めていた。『平民上がり』としてのコンプレックスが彼女を必要以上に追い詰め、精神的に疲弊していたのが周りに察知されていたのだ。


 しかし、彼女は努力家であり女優だった。自分でも気付かないうちに、自分すらだまして平気なふりをしていた。それを誰よりもよくわかっていたのが、青海だったのだ。実のところ、以前ミミとの間で起こった主演の取り合いも、根底には圧倒的に出番が多くなる主演を任せた場合の負担を感じ取った青海がミミを主役から降ろそうとして、それをコンプレックスの強かったミミが主演の座を横取りしようとしていると認識したのである。実際は、二人とも主演の座を得ることがなく第三者に役が移ったことでミミは引き分けだと思ったようだが、青海にとってはそれでよかった。


 しかし、その後も軋轢は消えず、その一件は『青海=ミミの敵』という認識が固まってしまった。


 まあ、青海自身もそこまで仲直りがうまいわけではなく、天女の協力で共通の話題を用意したりしてもミミの態度に売り言葉に買い言葉を重ねて結局けんか腰になってしまう部分はあったのだが、その後で毎回天女と反省会をしたりと努力は重ねていたのだ。


 直接顔を合わせてはうまくいかないということから、『メッセージを録音可能なテディベア』に謝罪と仲直りを求めるメッセージを入れて天女に渡させたりもした。『額のスイッチ』を押せば天女のメッセージが、『頭頂部のスイッチ』を押せば青海のメッセージが聞こえたはずなのだが、精神的に追い詰められたミミはその簡単な仕掛けに気付かず、テディベアを引き裂いて取り出したメッセージ録音用のマイクを盗聴器だと勘違いしたらしい。額のスイッチを何回か押し続けていれば、いつか気付くはずの簡単な仕掛けだったのだが、彼女がそれに気付くことはなかった。


「ま、頼まれてそんな仕掛けをしたのも実はオレだったりするんだが……あの渾身のメッセージを聞かずに装置を破壊するなんてもったいない」


「一応、青海さんが会いに行くのは止めようとしたんです。私のチップのアドレスが着信拒否になったままだったので、もしかしたらメッセージを聞いていないかもしれないと。でも彼女は……」


「だから敬語! 第一、おまえが悪いっていうなら一番悪いのは赤月美巳を依存させすぎたことだ。まあ、依存させたっていうよりあっちが勝手に寄りかかってきただけなんだろうけど、依存は十分にしてて尚且つ信頼が足りなかった……その段階で、仕込みが浅い段階で半端に種明かししたのが拙かった。相手を誤解させるにしろ、嘘を吐くにしろ、落としどころがちゃんと見えてくるまではやり通さないと面倒なことになる」


「だって私……」


「わかってる……『花散里天女は嘘を吐けない』、それが今回の物語の大前提だ。どんなに顔色が変わらなくても、どんなに言葉が嘘っぽくても、どんなに相手に都合のいい甘いことを言ってても……全部、本心だ。わかってるよ、オレは人間が嘘を吐けば、その瞬間の顔を見ればすぐにわかる。そのオレが保証する限り、花散里は嘘を吐けない。嘘を吐いたことがない。もう、性格というか性質ってレベルで、確かなことだ」


 完璧なポーカーフェイスと、絶対に嘘を吐けない性格。

 そして、本心を包み隠さず明かしても人を惹きつける良心と気遣いの上手さ。


 宝の持ち腐れ……では済まない。


「『八方美人』ってのは、半分褒め言葉で半分は悪口……いや、七割以上が悪口かもしれないけど、大抵は『いろんな人に気に入られる態度や外面を持ってるが、本心では計算して気に入られようとしてる』って意味で使われる。ま、実害はないしいわゆる社交辞令が上手いってだけの話なんだが……花散里の場合は、本当に『素』で本当の意味での『八方美人』を満たしてて、何一つ嘘を吐くことなく人に気に入られることができる。そうなってくると、全く怪しいところがないと逆に怪しいと思えてくる」


 世の中には、『慈善活動』というものを迷信だと思っている類の人間がいる。

 道端の募金は必ず目的地に届くまでにピンハネされ、ボランティア活動は見返りか宣伝の計算が例外なく存在し、テレビ番組で出ている人間が誰かを心配したり感動で涙を流したりするのを見て仕事上の演出や演技としか思えないタイプの人間が、確かに存在する。というより、その手の警戒心は誰にでもあるのだ。


 『信用できそうだからこそ警戒しなきゃいけない』、『ここまでわかりやすく信頼を求めるのは、隠したい裏をごまかすためだ』……そういった考えが、薄汚れた『自分だけは騙されない』『自分は食い物にされる愚か者にはならない』というある種の傲慢さが、幼いころには持ち合わせていたはずの単純な善悪を感じ取る能力を狂わせる。



「花散里……こういったら、おまえは怒るかもしれないが、今まで死んでいったやつらは死んで当然だったのかもしれない。何せ、おまえの善意を、心配を、気遣いを、そして何よりそいつらを信じた心を疑って、裏切って、踏みにじったんだ。青海沙紀だって、警告を聞いて会いに行ってなきゃ死ななかった」



 そういうと、天女はオセロの白の駒を最善とは見当違いの場所へ置きながら、顔を伏せる。

 天女の周りで人がよく死ぬというのは、一重に彼女の口から出てくる言葉が『正しい』からだ。彼女が生まれ持った運の要素もあるだろうが、何より彼女の言葉が間違いを自覚する者にとって重いから。善意の忠告を聞かず、ひたすら逆へ逆へと突き進めば、いつかは致命的に破たんし、認めた瞬間に否定し続け増幅した自己の矛盾に破滅する。



 生徒へのセクハラを続けたとある中学教師は、その現場を見つかり、やめるように優しく呼びかけられ続けたのを強請られ脅迫されていると思い込んだ。

 中学の時のとあるクラスは派閥で分裂していたが、陰険な対立をいさめようとそれぞれの派閥内での上下の陰口を筒抜けにすると裏切りや内乱が頻発し、最終的には大きな事件に発展した。

 とあるハウスキーパーは地位の高い雇い主に取り入ろうとしていたが、そのために捨てた恋人に恨まれた。

 とあるタクシーの運転手は過去に轢き逃げした老人の墓を知り、遺族と遭遇して動揺し逃げようとして轢き逃げされた。

 客の女性を盗撮しストーキングしていたとある喫茶店の店員は、純粋な恋慕としての後押しを受けたが、真剣に相手の心を考えた末自身の行いを振り返り絶望した。

 とあるサラリーマンは、配偶者との対話から逃げ、やり直しの機会を永遠に失った。

 とある女優は、自分を思いやってくれていた者の振る舞いを演技と思い込み、恩を仇で返し、仇を仇で返された。

 とある刑事は、自分の罪を自分で決めることができず、適切な裁きを受けることが出来なかった。


 一度として天女は、誰かの死を願ったことも、画策したことも、要求したこともない。

 ただ、忠告し、真実を伝え、不実を指摘し、親切を施し、正道を勧め、対話を求め、仲介し、選択を委ねただけだ。

 彼らが天女の言葉を受け入れ……自分を振り返り、改善し、謝罪し、改心し、償い、努力し、信頼し、意志を強く持っていれば、物語は別の展開を見せただろう。

 しかしきっと、彼らは天女の表裏ない言葉を、縋り付けば正しい方向へと自分を導いてくれるであろうその言葉を、その甘い誘惑を逆に取り、自己の中で裏返して『そんなことはできないだろう』と否定してしまったのだろう。


 いっそ、言葉の上で否定されていれば反発して自分で正解を見つけられたかもしれない。

 しかし、天女は嘘がつけない。彼女の言葉を疑い始めれば、間違った方向に突き進むしかない。

 一度信じたものを疑うのは簡単でも、一度疑ったものを信じなおすのは難しい。天女の示した正解を進むべき方向から排除してしまえば、もう一度そこを目指すことは難しい。


 彼女を信じるだけで……天女の言葉に従うだけで、最悪の事態だけは防げたはずなのだ。

 逆に言えば、死んだ者たちは天女の言葉に従わなかったからこそ……反発したからこそ、最悪の事態を迎えたのだ。


「私……最近思うの。もしかしたら、私はこんな場所にいない方がいいんじゃないかって。悪いことはしたくないけど、警察に捕まって、刑務所にでも入れてもらえばもしかしたら……もう、誰も不幸にならないんじゃないかな?」


「バーカ、このど天然災害。こんな言い方なんだけど、おまえが刑務所なんかに行ったらきっと大惨事になるぞ。死ぬのは大抵心が荒み切って人を疑うのが当たり前になった人間なんだから。それとも、悪い人間なら死んでもいいというのか」


「だからって普通の人が何人も死んでいいってことにはならないと思うんだけど……」


「いいか? 第一、『この学校』では『誰も死んでない』んだ。中学までがどうだったかは知らないが、高校生になってから、オレと会ってから、この学校では誰一人死んでない」


「そんなこと、なんの根拠もないじゃない。学校の外ではもう何人も死んじゃってる……これから、たくさんの人がこの学校で死んじゃうかもしれない。私には、どうにもできないんだから」


「何言ってんだか。最初に、おまえはオレに言ったろ『この学校のみんなには、死んでほしくない』って……そう『願った』。そして、それが今『叶っている』。因果関係がないわけがない、『どうにもできない』わけじゃない。この学校でゆっくりと、誰も死なない人付き合いを練習すればいい」


 正記の言葉に、天女は顔を上げて、にっこりと微笑んだ。


「そうだね……行幸くん、殺しても死ななさそうな性格してるし」


「おいおい、確かに精神HPには自信があるがおまえに本気で殺しにかかられたらわからんからほどほどにな」


 そう言って、二人はしばし笑いあい、白と黒の駒を置きあってひっくり返しあう。

 置いて返して、返して返されて、手のひら返しを繰り返す駒たち。しかし、もしかしたら天女が好きなのは本当はそういう部分なのかもしれない。


 白と黒の丸い駒、これらが彼女を見る人の目だとしてみると、それがしっくりくる。

 白い目で見られようと、黒い目で見られようと、価値観が変わり手のひらを返して裏切ろうと、決して駒の総数が変わることはない。嫌われようと寝返られようと、誰も死なず、盤上の世界から誰も消えることがない。

 そして同時に、どの駒も全てが等価で、捨て駒もどれかの駒を守るための生贄もない。

 将棋やチェスで強い駒を取るために別の駒が盤上から消えることがない。

 それはまるで、天女の理想の形のようで、勝敗にかかわらず安心する。


そして、正記は無言のうちにそれを感じ取っているのか、天女と二人の時は迷わず部室に隠したオセロ盤を取り出し、申し合わせたように勝負に付き合うのだ。


 そして、勝負が終盤に差し掛かったところで……


「ところでこの前、百恵ちゃんから告白したいって相談されたけど結果どうなったの? 結果を聞いてないんだけど」


「グサッ! やりやがったな……ふったよ、一か月ほど保留にしてから」


 わざとらしく効果音を付けて精神的ダメージを表現する正記に、天女は首をかしげる。


「ふーん、意外だね。行幸くんは百恵さんからのお願いを断らないと思ったんだけど」


「まー、別に取り付く島もなくふったわけじゃないけどさ……大事なものは、そばに置いときたくないだろ? 壊しちゃいそうでさ。特に、オレ達みたいなのはさ」


「なるほどね、ちょっとわかるよ。ほら、ラスト一枚は……ここね」


「おい、なんで一枚足りないんだ?」


「ごめん、今度また買ってくるから。ポケットに偶然入り込んでて、昨日他の人にあげちゃった」


「まあ、一枚くらいなくても成立するが……一枚差で黒のオレの勝ち。最後の一枚を入れると引き分けか」


 そこで、部室の戸が開き、二人の同級生の部活メンバーが入ってくる。



「もー、また遊んでる! ほら、正記も天女も片づけて! 先輩方が来る前に元に戻して」



「……あ、モモ。もう、そんな時間か。よし、もう一戦するか。今度は三人で」


「なんでそうなるの! ていうかオセロ三人でって難しいし。正記、ちょっと外出てって! 今から新しい衣装の試着だから。ところで天女、この前もらった綺麗な古着、仕立て直して衣装にしてみたけどどうかな?」


「あ、もうできたの? うん、可愛く仕上がってると思うよ」


「そうかな、私にはちょっと上品過ぎるっていうか上級すぎるっていうか、なんか生地が良すぎて着る私の方が負けてる感じがしちゃってるかなって思うんだけど……」


「全然そんなことないよ、すごく似合ってる。百恵さんもスタイルいいんだし、きっと舞台の上でも映えると思うよ。あ、それと合いそうなアクセサリーも持ってるから付けてみる?」

「いや、きっと観客の大半はモモのこと衣装かけか何かと見間違うに違いない。もしかしたら、服だけ目立ち過ぎて服の喋るファンタジーだと思うかもな」


 二人の正反対の意見に、同級生の『脇田(わきた)百恵(ももえ)』は一瞬聞いた言葉を整理した後、立腹したように頬を膨らませる。


「ふーん、正記の意地悪。いいもん、天女のセンスの方が信用できるし。お言葉に甘えてアクセサリーも貸してもらうね。ほら、服のセンスのない男は出てったでてった」


「はいはい、どうせオレのセンスはファンタジー世界でも浮くレベルだよ」


 そう言いながら、正記はオセロ盤を片づけ、部室を出ていく。



 そして、部室の中で楽し気に話す声を聴きながら、薄く微笑む。


「ああやって、素直にあいつの言葉を信じて甘えてりゃ誰も不幸にならなかったはずなのに。『信じる者は救われる』ってフレーズはさすがに嘘くさいが、人を信じることもできないやつが救えないってのは本当だな」


 根拠のない励まし、無条件の肯定、善意からの忠告。

 この世には、そういった信じるだけで助かり、救われる言葉がある。もちろん、得てしてそういったものを意図的な信頼関係の構築や騙しの下準備として行う者もいるが、全てがそういったものだと決めつけるのは間違いだ。何故なら、本当にそういったものが存在すると誰もが共通認識として知っているからこそ、その紛い物が生まれる。善人を装う人間がいるとすれば、それは逆説的に偽物の元となった本物が存在するということだ。


 騙されないように用心深くすることは罪ではない。

 しかし、本物の心を疑い踏みにじり傷つけることを正義だと思い込めば、それは罪だ。必ずいつか、人を信用できなかったことを後悔することとなる。


 あるいは、どんなに完璧で正直な人間だろうと……そういう人間だからこそ、そうやって生きられない嫉妬から、コンプレックスから目をそらそうと、それを見る者の心にそういった闇を作り出してしまうのかもしれない。

 仮に、天女のような全く本心を隠すことなくそれでも他人に上手く接することのできる目立った欠点のない人間と遭遇して、それでもその人物の裏に闇を見たとしたら、それは自分の欠点を見ようとしない心の盲点が作り出した影が羨望の輝きの裏返しとして見えているのだろう。



「ま、要するにだ……他人の評判にケチ付けたり無闇に嫌ったりしてるうちは、『八方美人』とか以前に心が醜い人格ブスってことだな。他人の人格疑う前に自分の人格見直さないと、死ななきゃ治らないような馬鹿面になっちまうぜ」


 登場人物紹介 (ネタバレ)


 『花散里(はなちるさと)天女(あまめ)

 ……八方美人。

 嘘を話すことができない少女。しかし、お世辞や嘘を使わなくとも本音で人をほめたりおだてたりしているので、人当たりはよく気に入られやすい。

 また、嘘はつかないため他人のためを思って何かを話す場合、基本的に言っていることは正しく、それを信じて従っていれば事態の悪化を避けられたり物事がいい方へ向かい始めたりするが、彼女を疑い言葉を信じず逆のことをしようとするとその人物にとって悪いことが起こる。

 彼女の助言を信じず破滅を迎えてしまう人間は数多く存在するが、一方で彼女の助言を信じて改心した詐欺師やいじめを克服した友人、出世した役員なども数え切れないほど存在する。

 彼女の存在が良い予兆となるか悪い予兆となるかは、彼女を見る人間の心の清らかさ次第である。


 ……ちなみに、名前は『あまめ』であるがあまり甘い食べ物は好きではない。合成甘味料だと身体に合わず体調を崩してしまうので、甘いものはフルーツ程度しか食べない。



 『行幸(みゆき)正記(まさき)

 ……天女にとっての友人。

 嘘を吐くのが得意で、少々変人なところがある同じ部活の友人。演技を始めると人格が変わってしまい、その才能を日常から嘘で使っているので今では本当は自分がどんな人間だったかもよくわかっていないらしい。他人の嘘を見抜くのが得意。


 ……ちなみに、天女には黙っているが花散里家と行幸家は血縁はないものの何代か前に深い交流があり、生前の天女の祖母に頼まれて天女の学校での人間関係を調節しているが、天女には偶然の出会いを装っておりこれからも騙し続けるつもりでいる。



 ちなみに、『花散里天女』の名前の由来は中国の故事成語『天女散花』です。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああそうか、”普通”の人間ならちゃんと助言を受け入れて良い結果を得られるって意味での百恵の起用かぁ よく出来てるわ
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