第十幕〜彼女と彼と“子孫と”―後編
「こちらの道にございます」
ファリウスは、ノイゼスの道案内で林を抜けていた。昼間に教会の者が作った、人が通れる幅だけ草を取り除いた簡素な道だった。
しかし、よくよく見れば定期的に人の手が入れられて、“どこにでもある獣道”を意図的に作り出し、維持していることがわかる。
このルートは、普段から一般の民に公開していない“秘された道筋”なのだという。“教会”を使用する王族が“万が一”の時に使うルートであり、地元の猟師と教会の者で管理してきた極秘の道。
「この道は、例の道と途中まで並行して進んでおります」
ノイゼスの説明によれば、この道は途中まで並行しているらしい……何の道と、といえば教会から石碑への道、だ。教会はメーリア湖畔公園の裏手に位置し、表向きには“公園内と繋がってはいない”。
しかし、現実はこうして公園内部を通過して、別の場所―――王族の隠れ家に通じていた。それは、この湖畔公園を管理する組合の長であるウィルクス・シーリーさえ知らないことである。
知っている者は、管理組合でも上下関係なく、ごくごく数名のみである。このメンバーは代ごとに変わる。
なぜ長であり責任者であるウィルクス・シーリーがそのメンバーに入っていないかは、ただ単に一ヶ所に権利が集中しないために、だ。
「このまま行けば、彼女の姿を偽ってるヤツに会えるんだな?」
――――ファリウスの目的は、エリザの幽霊の扮装をし、彼女がまだ現世をさ迷っているとみせかけて、観光客を増やそうとする輩の現場をおさえることだ。
「是」
一言、ノイゼスが肯定する。
この日のために猟師たちが、輩が出没する日を入念に調査し、ひとつの法則に気づき、今日という日を選びあげた。
「さぁ………年貢の納め時だ」
ファリウスは心の底から楽しそうに笑みを浮かべた。
その笑みは、とてもとても腹に一物がある笑みにしか見えず、笑みから漂い来る黒さは、王族の浮かべる笑みからとてもほど遠い悪人の笑みのようだった。
「あ…………」
ナタリーは、初めて感じる恐怖から体を動かすことができなかった。迫り来る眼前の恐怖に、体が地面に縫い付けられてしまったのだから。
先程浮かべた笑みのまま、透き通った姿のエリザが近づいてくる――――ゆっくり、ゆっくりと歩を進める。
まるでそこに生きているかのような足の運びだが、動く度に透けて見える体は、明らかに生きている人ではない。風景をレースや紗のような薄い布ごしに見るように、体ごしに向こう側が透けて見える体はありえないのだから。
そして何より、伝わる絵姿そっくりなこの姿。
『化けてでるんじゃない?』
――――あの小娘のいうように、化けて出たというのか。
「あっ………い、や………」
震え、定まらないナタリーの視線は、崖の上に立てられた石碑。
エリザは、“表向き”の話では岸から入水したけれど、“本当”はこの崖より飛び降りた。
この石碑は、表向き“年月を過ぎて誤って伝わったお話”として、“ロランの子孫”が否定する――――皆、そう信じている石碑。信じこまされている石碑。
その石碑がぴしぴしと甲高い音を立てて一瞬のうちに瓦解した。崩れ落ちたその石碑をあんな無惨な姿にしたのは、エリザ。触れた途端に崩れたのだ。
「あぁあ……い、やぁっ……いや……」
そのエリザの手が、こちらへのばされる。白い、半透明の手が、こちらへ迫る。触れようと、いつの間にか目の前にいたエリザの手が、ナタリーに触れようと迫る。
『あんた、あたしの骨。勝手にあんなことに使ったやつよね』
にっこり。
『なんで、勝手に墓を暴いたの?』
優しく微笑んで。
『そんなことをしていいわけないわよね』
でも、目が笑っていない。
『あたしは許さないわ、決して』
もうすぐ、エリザの透ける手が彼女に届く。
『許さないわ、私を裏切ったロランも。あたしを冒涜した、あんたたち子孫も』
――――ナタリーは知らない。
エリザは、見て“怒ってる”とわかるときはまだまだ彼女の怒りが序の口だと。それはテルザである今生も変わらないということを。
エリザが本当の意味で怒り狂うときは、笑みを絶やさないのだと。
それを知るものは今は皆墓土の中だが――――
「やめるんだ、エリザっっ!!」
今まさに、石碑を砕いたその手で触れようとしていたエリザの動きが、寸前で止まる。ナタリーは途端に気を失い、崩れ落ちた。その体を、この場の現状にも屈しないノイゼスが引きずり、縄で拘束していく。
「エリザ………」
笑みを消し、無表情になったエリザが声の主を見る。
『…………何で。何であたしの名を呼ぶの、邪魔するの。こいつは』
エリザが、ちらりと拘束されてゆくナタリーをみやる。ざわざわと、周囲に風が吹き始める。
『こいつは! あたしを冒涜した!』
エリザを囲むように風が吹き荒れる。周辺の草や花、葉が舞い上がる。
『あんたの子孫よ――ロラン!』
エリザが、涙を浮かべてロラン……ファリウスを見る。
『どうして! どうしてあたし以外の女と! 子までつくって、その子孫まであたしを冒涜して!』
エリザの周囲の風が、ファリウスへ方向を定め始める。
「殿下っ!」
滅多に取り乱さないノイゼスが、焦ってファリウスの前に出ようとするが、ファリウス自身により止められる。
「エリザ、姿が変わってもわかるんだね、俺がロランだって――それとも、君が魂だからわかるのかい?」
優しい、けれどどこか泣き出すのをこらえた笑みを浮かべ、ファリウスは……ロランは、風の中に身を突っ込んでいく。風が、押し出そうとするが、彼はそれさえ押し退けてエリザに近づいていく。
『ど………して、よ』
戸惑うエリザが、頭を押さえて首を横に降る。
『あんたは、あたしを』
「裏切ってない。俺は――僕は、すぐに処刑されたんだ。あの石碑を見たのかい?あれは、百年ほど前のシーリーが作った偽りの碑だ。確かにあそこに君と僕の体は眠るけれど、あとから据えられた碑の文章はデタラメにもいいところだよ。僕は、君を裏切っていない、一度たりとも」
――――だから、だから。泣かないで、どうか。
エリザの頬を流れる涙を、彼は指でぬぐおうとして………すり抜け、その手を呆然とみやる。
「エリザ」
狂おしい、胸を締め付けられる表情でエリザを見つめ、エリザを抱き締めようとするが、腕はやはり空を泳ぐだけ。
「エリザ」
見つめてくる瞳を、エリザは見つめ返す。泣きながら、首を横に降る。そして――――
「エリザぁあああっっ!!!」
ふっと、空気に溶けるようにしてエリザは消えた。 慟哭する彼を置き去りにして。
「……………………」
その翌日、研修最終日前日。テルザは、重い頭を抱えて起き出したが、すぐに高熱を出してしまい、医療用の馬車ですぐさま王都の自宅へ帰ることとなる。……心配で頑なに付き添うと宣言したテッサ・グレンベルグに付き添われて。
――――ロランを、残したまま。
歯車は回りだしたが、二つの歯車は交差せず、いまだ走り続ける。今度こそ、交差するために。
「ノイゼス」
ファリウスは、決意した。
「王都の、中心神殿に殴り込みだ」
神を問い質すことを。
「さぁ………」
クスクスと笑い、神は歯車をいじり続ける。
「自力で、交差しないと面白くないからねぇ………」
――――片方の歯車は、足掻き、必死に神の手から逃れようと動いていた。
6/11、訂正(最終日→最終日前日)しました。時系列一日ずれてました。




