第三十話『目に見えぬ導き』
「……ドム……これはどういう事なのか、詳しく説明してくれるわね?」
思わず殴りたくなる衝動を堪えて、わなわなと震える手を握りしめる。
視線の先には、空の皮袋がテーブルの真ん中で無惨な姿を晒していた。
テーブルを挟んで向かい側に座るドワーフに目線を戻す。
ドムはチラッと私の方に視線を向けると、悪びれもなく欠伸をして口を開いた。
「……娼館で豪遊した」
その瞬間、ピシッと音がした様な感覚が私の頭の中に伝わる。
(……この男は、毛ほどにも反省していないようね……)
私はこのドワーフの金銭感覚の無さに頭痛を感じながらも、この極めて深刻な事態をどうやってその石頭に叩き込んでやろうか考える。
ドムは、私のいない間に全財産を……酒や女につぎ込んだのである。
しかも金貨だけならまだしも、非常時に換金しようと密かに隠していた貴重な鉱石や宝石まですっかり無くなっていた。
……つまり、私達は限りなく無一文状態となってしまったのである。
「……それが遺言でいいの?」
頭の中で風の揺らめきを発現させる。
それは、自己の精神世界に想像(創造)した事象を物理的な力に変換する、言うなれば魔法の発動に必要な『魔術の構成』である。
魔法力が高まるのを感じたのか、ドムの顔色が変わる。
「……な、何もそこまで……」
「そこまで、でないでしょ!」
テーブルを叩き、私はドムにまくし立てた。
「何をどうしたら、一年は優に暮らせるお金を散財できるのよ!?」
私は無意識に立ち上がり身を乗り出す。
それに驚いたメイユールとナリール―二人はベッドの端に避難していた―は身を竦ませた。
「ドム、あんた馬鹿じゃないの!?よりによってルターズで一番高い娼館なんかに二泊もしておいて言い訳するつもり!?」
「……別に女を抱いたくらいで……」
「女を抱くな、とは言ってないでしょ!なんで馬鹿みたいに散財したのか聞いてんのよ!あんた、何も考えないで高級娼館に入り浸る習性でもあるわけ!?」
ようやく私の怒りを理解したのか、ドムの顔に冷や汗が浮かぶ。路銀が尽きた事を知ったドムは低く唸った。
「……まぁ、過ぎた事だし、あなたが散財したお金は稼いでもらうとして……この宿はリリトさんのツテで無料で済むからいいとして、ここを出たらどうするのよ」
溜まった怒りを吐き出して少し落ち着きを取り戻した私は、とりあえず椅子に座りドムを睨みつけた。
「……あ、あの……路銀なら、私も少し持ってますから……何もそんなに怒らなくても……」
横から恐る恐るメイユールが声を掛けてくる。
彼女は神殿を出る時にわずかだが旅の資金を持って来ていた。
だが、それとこれとは話が違う。
冒険者が多少の豪遊をするのは仕方の無い事だが、ドムの散財した額は豪遊程度では済まされなかったのだ。
そして何よりも許せなかったのは、密かに大切にしていた宝石まで売られた事だった。
女を抱くために思い出の品を売ったのが私にはどうしても許せない。
「……そうだ。何もそこまで怒る事ないだろう……」
でも一番許せないのは、このドワーフのまったく悪びれる事の無い態度だ。
「……少しは反省しなさいよ!」
そう言ってテーブルを叩きつけると、私は部屋を飛び出した。慌ててナリールも後を追う。
私は頭に血が昇っているのを自覚していたがとても冷静になる事が出来ず、あてもなく歓楽街の方に向かって黙々と歩き出した。
残されたドムとメイユールは、困った表情でお互いの顔を見合わせていた。
「……ドムさん、謝った方がいいですよ?」
不安げな視線を向けるメイユール。
ドムもさすがにまずいと思ったのか、彼女の言葉に頷くとポツリと呟いた。
「……仕方無いな。しばらく酒を断って誠意を見せるか……」
ドムはそう言うと席を立ち上がり、自分の部屋に戻って眠る事にした。
(……どうして、ドムは冒険以外の常識を知らないのよ……)
私は歩きながらひとり愚痴る。
(……ホント、戦闘以外の思考は短絡的なんだから……)
歩いているうちに怒りが萎んでいく。ドムは前からそうだった。根っからの戦士であるドムは、良くも悪くも豪放磊落なのだ。
(……仕方の無い事、か……そうなのかな……)
冒険者となってから、私は『常識』の尺度があやふやになった様な気がしてならない。
命のやり取りを繰り返していたら、一般的な常識など無くなっていくのだろうか?
「……マギー、ちょっと寄って行きたいところがあるんだけど、付き合ってもらってもいいかしら?」
いつの間にか私の腕に自分の腕を絡ませたナリールが突然、耳元で囁きかけてきた。
「……いいわよ」
かすかな吐息を感じて背筋に悪寒が走ったが、それを堪え私は小声で答えた。
ナリールの後を付いていくと『昇天街』に辿り着く。
周りを見れば、ゼクシスを連れた男達がご機嫌な表情で街を歩いている。
時折、その男達から奇異の視線を感じながらも私はナリールの後に続いた。
しばらく歩くとどの建物よりも目立つ豪華な造りの建物の前に着いた。
『夢幻の館』と書かれた看板が入り口の脇に立て掛けれている。
ここからナリールは逃げ出したのか?
私は彼女の方を見た。
「……マギー」
少し弱々しい声で私の名前を言うと、すぅ、っと深呼吸をする。
そして意を決した表情に変わると建物の中に入っていった。
「―――夢幻の館へようこ……ナリール!」
ナリールを見たゼクシスが驚きの声をあげる。
後から入った私は、中を見て率直な感想を述べた。
「……ドムの気持ちが、なんとなくわかる様な気がする……」
甘美な香りは理性を奪い、彼女等の妖艶な肢体が男達の欲望のタガを外す。
衣装というには、あまりにも淫ら過ぎるその格好は彼女等の妖艶な肢体をより引き立たせていた。
享楽の果てに男を破滅させるものが、たしかにこの場所には存在している。
同性だからか、彼女等の魔力の影響をあまり受けなかった私は比較的冷静にその状況を分析していた。
「……ナリール」
この場にいるどのゼクシスよりも強い波動を放つ女性がナリールの前に来た。彼女がこの館の主人だろうか?
「……よく帰って来てくれました。あなたがいなくなってから、私達はとても寂しい想いをしたのよ……」
そう言って彼女はナリールに抱擁する。
「……あ、あの……カディルナリス様……私、お許しをいただきに戻ったのです……」
ナリールは女主人の体をそっと引き離す。
「……私、この方と旅に出ます……」
不意に私の体にしがみついてナリールは静かにそう言った。
女主人はナリールの顔を見つめる。その目に宿る妖しげな光がナリールを捉える。
「……お許しを……」
私の腕にまわしたナリールの手が震えていた。
「……ナリール、その娘と……」
女主人は静かに、だが強い口調で問いかける。
ナリールは少し怯えた表情で頷くとはっきりと答えた。
「……はい、寝ました。でも、無理矢理ではありません……だから、掟には背いてません……」
掟?人と寝る事と掟に何の繋がりがあるっていうの?
私はその意味がわからずに訝しんだ。
「……『むやみに精気を摂取する事なかれ』……我らゼクシスの掟を、決して忘れてはなりませんよ……」
女主人の声には、少しだけ優しい響きが含まれていた。
「……ナリール、あなたの決意はわかりました。旅に出る事を許可しましょう……ただし、ゼクシスである事は秘密にしなさい。それがあなたの……そして、その娘のためです。いいですね?」
「……ありがとうございます……」
ナリールは一礼をすると私の方を見た。そして、寄り添う様にくっつくと笑顔で言った。
「……マギー、これからもよろしくね……」
やっぱり……私は、なんとなくそんな予感を感じていたので、あきらめた様に頷くと彼女の体を引き離して女主人の方へ追いやった。
「……私、先に宿に戻ってるから……他の娘にも、別れの挨拶をしてきなさいよ」
私はそう言うとさっさと店から出て行った。
この場所は男の楽園。果てしない享楽と堕落で彩られた禁断の園。私がいつまでも留まっていい場所ではない。
(……すべては、心の向くままに……これが運命なら導かれるままに……私は進んで行くまでよ……)
歩きながら、私は思案する。
あの虚無の空間ともいうべき場所で私は“何らか”に導かれる運命を背負ったのだろう。
私の復活には、意味があるのだから……。
帰り道、そんな事ばかりが頭の中でうごめいていた。
……そこにはすでに、ドムの散財の事も、ナリールが付いて来てしまう事も、何故か私の思考の中から抜け落ちていた。




