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第二十八話『困惑のマギー』


ここは、ライマー島の北部の広大な森の中である。

現在地は森の西よりにいると思う。

半日も歩けば“夜の都”として名高いルターズに辿り着けるだろう。

私は東のマイア神殿からルターズを目指しての旅の途中だった。

街道をひたすら進んだ私が何故森の中にいるかというと、水の気配を感じて森に入ってしまったからである。

そこで人の気配を感じた私は盗賊達と、その彼等に襲われている彼女を発見、隙を見て盗賊達を倒し彼女を助けたのだった。

「……うっ……ううっ……」

小さな呻きとともに彼女は寝返りを打った。

……そして、彼女は目覚めた。

「……あ……こ、ここは……」

起き上がり辺りを見渡す。どうやら、盗賊達がいないか探している様だった。

「……おはよ。あの男達は倒したわ。もう大丈夫よ」

ローブの裾を直しながら私は彼女に今の状況を説明する。

彼女はきょとん、とした表情で私の顔を見返す。

そして思い出したのか、急に顔色が曇った。

「……ああ……」

彼女は両手で顔を伏せると静かに泣きはじめた。

……かける言葉がなかった。

あの盗賊達は、よってたかってか弱い彼女にあんな卑劣な行為をしたのだ。

(……いつの時代も、泣きを見るのは……いつも女性なのね……)

私は肩を震わせて嗚咽を漏らす彼女を優しく抱きしめると、その震える体を静かに撫でた……。

「……ありがとうございます。このご恩は、一生忘れません。ありがとうございます……」

ようやく落ち着きを取り戻した彼女は、真っ赤になった目を擦りながら私に何度もお礼を言ってきた。

彼女はナリールと名乗った。なんでも、ルターズから逃げ出して来たという。

「……私はマーガレット。マギーでいいわ」

困った事になった。

私はこれからそのルターズへ行かなければならなかった。

私を死んだと思い込み、旅立って行った仲間達に会わなければならないのだ。

「……私はそのルターズへ急がなければならないの。ナリール、あなたはどうする?」

彼女を無理に連れて行くわけにもいかない。何かしらの事情で逃げ出して来たのだから、ルターズへ連れて行けばどんな目に遭うかわからない……。

かといって、彼女を安全な場所へ送り届けるだけの時間的な余裕はない。

ドムは冒険者としての精神的な強さをきちんと兼ね備えている。

今頃ルターズで新たな仲間を探していてもおかしくないのだ。

(……薄情かもしれないけど、割り切れない者に冒険者は務まらないのよね……)

あのドワーフとて、まったく悲しんでないはずはないだろう。

だが、その悲しみを乗り越えていく逞しさがある事も私は知っている。

だから急がなければならない……。

「……私も、ご一緒します……」

「えっ?」

「……私、今回の事であきらめました。ですから、私はルターズに戻ります」

その声は小さかったが、意志の強さを感じた。

「……私、人間じゃないから……やっぱり“外”では生きていけないようです……」

ナリールは少し悲しそうな目を私に向けた。

その目には、たしかに人間のものとは違う妖しい輝きがあった。

「……あの男達に乱暴されて、私はゼクシスである事を思い知らされました……」

ゼクシス!彼女は、あの淫魔族の者だったの……。

「……心は拒んでいても、体はあの男達に乱暴されて喜んでいました……もっと犯されたい、いじめられたい、と心の中の声が私に囁くのです……」

ナリールは自嘲気味な笑みを浮かべると私の手を握りしめる。

「……精気を糧とするゼクシスのさが、ですね……それが嫌で逃げ出したのに、やっぱりゼクシスである事は隠せません……ゼクシスには、男を惑わす力があるから……逃げてもきっと同じ事の繰り返しです……それなら、ルターズにいた方が、愛した人が性欲に狂う姿を見ないだけ、まだマシ……所詮、淫魔……幸せにはなれません……」

ナリールの手が強く握られる。逃れられない種の本質に悔しさを感じているのだろう。

私は、ゼクシスの宿業というのはわからなかったが、ナリールの苦悩はなんとなくだがわかる様な気がした。

「……マーガレットさん……私はゼクシスですけど、一緒にいても構いませんか?」

彼女の言いたい事はわかる。でも、私には彼女を拒む事はできなかった。

「……旅は道連れ、って誰かが言ってたわ。ここで出会ったのも何かの縁だし……できれば遠慮してほしいけど、精気が欲しくなったらあげるわ……」

ナリールは淫魔。

淫魔と行動を共にする、という意味を知っていたが、あんな悲しい話を聞かされて拒めるほど私は薄情にはなれない。

「……マーガレットさん、ありがとう……」

彼女は私の胸に飛び込むと、涙を流して何度も感謝の言葉を言い続けた……。

 

いつまでも森の中にいるわけにはいかなかった。

獣もいるし、何よりこの森は盗賊達の隠れ家になっている。

いくら魔術師とはいえ、一人では彼等に適うはずもないのだ。

彼女を助けた時の様な奇襲ができるなら、また話は違うのだが……。

よって私達は街道を西に歩いている。

陽は沈み、月が顔を出し始めていたが先に進む事にした。

彼女は淫魔。

魔物なので、見た目と違ってその体力は並の冒険者とは比べものにならなかった。

(……一晩中、冒険者達の相手をするだけあって、すごい体力ね……)

黙々と隣を歩くナリールを横目に私は内心舌を巻いていた。

私は魔術師にしては珍しく、基礎体力の訓練も毎日欠かさずに行っている。

『……魔法は体力が肝心。魔術師とはいえ、いざという時のために肉体を鍛えておかなければならない……』

私は、この魔法哲学にいたく感銘を受け、魔術の他に体力の鍛錬を行っている。

そのおかげで、戦士以外の女性に体力で負けた事がなかった。

しかし、ナリールは女戦士並の……いや、それ以上の体力をもっていた。

早足で歩いているのに、彼女はまったく疲れを見せないでいる。

歩き続ける事数時間、私達は“夜の領域”を越えて闇の種族の領地に入った。

(……このまま行けば、予定より早くルターズに辿り着けるわね……)

目の前に明かりが見える。その光はルターズの不夜城には劣るものの、一般的な夜の街に比べれば充分すぎるほど明るかった……。

 

フェミニンの街。

“夜の都”ルターズから東へ半日の距離にあるこの街は、闇の種族の領地の割に人間の人口が多かった。

人間が経営するだけあってルターズほどではないが、それでも歓楽街の派手さは夜の街にふさわしい。

この街は、人間独特の活気を誇っていた。

私達は裏通りにひっそりと佇む“快楽の坩堝るつぼ亭”なるいかがわしい名前の寂れた宿屋に宿泊する事にした。

案内された部屋はお世辞にも清潔とは言えなかったが、一晩寝るだけだし、ひとつしかないとはいえベッドがあるだけ疲れた体を癒せる。

すっかり冒険者に染まった、と思いつつも私はあまり気にせずローブを脱ぎ捨てるとベッドに潜り込んだ。

「……あ、あの……わ、私も一緒に……寝てもいいですか?」

少し遠慮がちにナリールは口を開いた。彼女は淫魔。その事を気にしている様だった。

「……当たり前でしょ。ひとつしかベッドがないんだから……さ、遠慮せずに一緒に寝ましょう……」

どっちにしても彼女に欲情されれば、一緒に寝なくても同じ部屋にいるので逃れられない。

本気で欲情した淫魔に抵抗できる者なんていないから、私はおとなしく彼女を受け入れる事にした。

「……では、失礼します……」

ナリールはしずしずとベッドに入る。

小さなベッドではお互いの体が密着する。

男の情欲を掻き立てる彼女の柔らかな肌が私の体に押しつけられる。

気がつくと私は、いつの間にか彼女の腕に抱かれていた。

「……マーガレットさん……いえ、マギー、あなたの精気を下さい……」

彼女はそう言うと私の体をぐいっと抱き寄せ、私の顔を自分の方に向かせる。

「……マギー、いい?」

やけに潤んだその目には淫猥な輝きで光っていた。

「……抵抗するだけ、無駄でしょ?」

私は淫魔の本質を知っている。

何を言っても結局のところ、彼女は私を抱くのだ。

それなら無理矢理彼女のモノにされない様にするしかない。

彼女達の房中術は人間達の比ではない。

限りない快楽の果てに堕落する者が後を絶たない。その事から、彼女が私を無理矢理自分のモノにする事だって、決して不可能な事じゃないのだ。

「……ナリール、私を……夢中に、させないでね……」

魔術師になる前―まだ見習いだった頃―、魔術師の慣例で師匠の夜の相手をさせられていた事を思い出す。

師匠は女性だったが、数ある弟子の中で最も美貌を誇る私をよく指名していた。

幸い師匠はあまり房中術に長けておらず、それこそ毎晩の様に抱かれていたのにも関わらず、私は快楽に溺れる事はなかった。

(……でも、ナリールは違う……)

私は抱かれる事に、というよりも、ナリールに夢中になってしまう事が怖かった。

私は同じ見習いの娘が師匠に夢中になり、魔術そっちのけで快楽に溺れたあげく、師匠にかわいがられていた私に嫉妬して排除しようとして破門されたのを思い出していた。

快楽に溺れたら破滅する……。

私はその事を身を持って知っている。

「……ナリール、抱いてもいいけど、私を夢中にさせないで……お願い、約束して?」

私はナリールの目が妖しく光るのを見て怖くなった。

もしかして、彼女は私を堕落させるつもり?

ナリールは私の言葉に答えず、私の頬に触れた。

「……ナリール……」

逃れようとするが、彼女の腕に抱かれたまま身動きする事ができなかった。

逃れる事もできない私は、彼女が魔物である事を思い知らされた……。

 

……波の様に次々と快感が押し寄せ、何度も意識が真っ白になる。

意志を強く保ち、快楽に溺れそうになるのを必死に耐えるが、彼女はそんな私を楽しむ様に私の体を弄んだ。

結局、彼女は答えてくれなかったが私を夢中にさせる事なく行為を終えてくれた。

もし本気だったら、こんなもので済むはずがない。

実際、彼女はまだ満足していないのだから。

「……マギー、約束、守りましたよ……」

私の顔をその豊満な胸に抱き寄せる。

私は胸の谷間から彼女の顔を覗き見た。

私はまだ快感の余韻で喋る事さえできず、ただ彼女にされるがままに抱かれている。

(……早く、ルターズへ向かわないと……)

そう思いながらも、私は意識を保ち続ける事ができなかった……。

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