第二十五話『奇跡を知る者、知らぬ者』
旅支度を終えたドムとメイユールは、マイア神殿の入り口に集まったガンツェル達に見送られ、一路ルターズを目指した。
マーガレットの遺体はもうしばらく安置してもらう様に魔法処置を頼んだ。
連れ込まれた時にかけられた魔法がそろそろ切れるためだ。
マイア神殿だけではなく、神殿に運ばれた遺体には腐敗を止める魔法を施す事になっていた。
それは、綺麗なままの状態で葬儀を行うためである―――。
マイア神殿からルターズまでは、冒険者なら四日あれば辿り着ける。
大きな荷物を運ぶ隊商に比べ、身軽な冒険者は一日に歩く距離が長いのだ。
ドムはこのライマー島へ来て間もないので地理に疎かった。
これまでの旅はすべてマーガレットに任せっきりだった事を思うと、エルフの魔術師の存在が思いの外大きかった事を知った。
大地を踏みしめ生きている事を実感する。
この心地よい疲れを体感する喜びに、自然とその歩みは早くなった。
(……ドムさん、思ったより元気そうでよかったわ……)
前を行くドムを、暑い日差しに目を細めながら見てメイユールは歩く速度を上げる。
戦士の、それも他の種族よりも強靱な肉体を持ったドワーフの歩みについて行くのは、いくら神官戦士として鍛えたとはいえ、女性であるメイユールにとって肉体的な疲労は大きかった。
(……疲れを感じるだけ、私はまだ幸せよ……)
流れ出る汗を拭きメイユールは己を戒める。
疲れを苦に思う自分に内心叱咤してドムの後に続く。
ドムはしばらくしてメイユールが疲れている事に気付き、木陰で少し休みを取る事にした。
「……すまない、俺とした事が……」
バツが悪そうに頭を掻いて謝るドム。
マーガレットにしてもコンスタンスにしても、女とは思えない体力を持っていたので、つい普段と変わらぬ速度で歩いた事に深く反省した。
昼に近い時刻だったので日差しが強く、歩いてるだけで滝の様に汗が吹き出る。
しかも金属鎧を着ているので灼熱地獄にいる気分になる。
ライマー島には『四季』という季節の移り変わりがない。一年中、初夏の状態である。
この世界において『四季』のない大陸は少ない。
そのためドムにしてみれば、この暑さは全く苦になっていなかった。
木陰でどっかりと腰を下ろし、遠くを見ているドム。その姿に感心しながらメイユールは体を鍛え直そう、と密かに思うのだった……。
見知らぬ場所で目を覚ました私は、ベッドから身を起こし自分の体を抱きしめた。
(……肉体がある……)
あの空間での記憶がまざまざと甦る。
何も無い世界……あれが死の世界だったのだろうか?体に触れて私は自分が生き返った事を知り、あの空間で出会った“人の様な者”を思い出して頭が混乱した。
《―――私の名はルーン=マナス……しがない魔術師だ―――》
……しがない魔術師どころではない!ルーン=マナスと言えば、我々魔術師の中で知らぬ者はいない伝説の魔導士である。
一般の人達は知らないが、魔術師は大きく二種類に分かれている。
己の魔力を具現化して魔法を放つ魔術師と、己の魔力だけではなく、雑多の精霊の力や大地の気―オーラという―を使い魔法を放つ魔導士だ。
……この世界には元々魔術師の数が少ない。
その魔術師の中でも強大な魔力を持つ魔導士はさらに稀少な存在であった。
ルーン=マナスはその魔導士の中にあって、魔術師の発展に貢献した偉大なる人物だった。
遙か昔、この世界―古の記述によればクロムワイズと呼ばれている―で起こった“魔導大戦”により、すべての大陸から凄まじい力を持つ魔導士達は消え、わずかに残った魔術師達も“魔導大戦”によりその力を忌み嫌われ、その数は減少の一途を辿っていく。
そのため七つある大陸の中で魔術師ギルドが公に認められているところは、リンデン大陸とティア=レステア大陸の二つしかないくらい魔術師の地位は低かった。
そんな世界でルーン=マナスは魔術師の地位向上に尽力したのだった。彼の偉大さはリンデン大陸に魔法国家ルーン=マナスという国が建国された事でも伺い知れる。
そのルーン=マナスに偶然にも出会えた事に私は静かな興奮を覚えた。
(……偉大な魔導士ルーン=マナスに出会うなんて、信じられない……)
私はあの時の出来事に衝撃を受けている。
よくよく思い起こせば、溢れる知性、身にまとうオーラ、虚無の空間においての自己を認識する強靱な意志力、どれを取っても本人であると言わざるを得ない……というよりも偽物である可能性は皆無だ。
魔術師、いや、魔法の力を持つ者にとって“ルーン=マナス”の名はそれほどに偉大なのだ。
(……生きる上で只の偶然などない。
この出来事も私の人生に何らかの意味があるはず……)
不思議な事に体力、魔法力ともに完全に回復している。
それに異常とも言える感知能力も消えていた。
みんなはどうしているのだろう?部屋の雰囲気から察するとここは遺体安置所の様だ。
しかも私は死装束の服を着せられている。
もしかしたら、私が死んだ(実際に死んだが…)と思い旅立って行ったかもしれない。
早くみんなに会わなければ。私はベッドから降りると死装束姿のまま部屋を出た……。
ニール達の反応は予想通りだった。
たしかにこの世界では《奇跡》の力による蘇生は認知されている。
だが、その奇跡を起こす者は稀少な上に蘇生の確率は極めて低い。
ここマイア神殿……いや、ライマー島で一人だけ《奇跡》の力を行使する人物がいたが、現在はライマー島南西にあるユピトという街で起こった災害による被害者の救助に行っているため、私が生き返った事に衝撃を受けていた。
「―――信じられないわ!」
「……奇跡だわ!」
神に仕える身のエルとプラナの反応は特に凄かった。
初めのうちはゾンビか不死の生き物になったのかと疑い、私を除霊しようとさえしたのだ。
だが私から生命力を感じた二人はすぐに私が蘇生した事を知り、今度は神の力なしに生き返った事に頭が混乱していた……。
二人、いや、マイア神殿の神官達も『何故蘇生できたのか』私に問い詰めた。しかし、その問いになんて答えていいか悩んだ。
ルーン=マナスに助けられた、なんて言った日には大変な事になる。
そのため、私は『わからない』とだけ言うとその話に関しては一切口を閉ざした。
「―――ドムとメイユールは三日前にマイア神殿を出てルターズへ戻ったぞ」
ようやく事態が沈静化したその晩にガンツェルからこの場にいないドムの話を聞いた。
その話を聞いて私は、早くドムとメイユールに生き返った事を伝えようと思った。
さすがに仲間の死は堪えるはず……それを聞けば、ドムも喜んでくれるだろう。
だが、早くルターズに戻らねばドムの消息を見失ってしまう。
体力の方は完全に回復していたので、私は明朝にでもルターズへ行く事に決めた。
今回の悪魔退治の冒険では貴重な体験をした。
この戦闘では、より一層熟慮する事を学んだ。
悲観的な発想で仲間に心配をかけた事を反省し、これからは視野をもっと広げて様々な状況においても冷静に、かつ最後まで全員が無事で済む方法を考えようと心に誓った。
(……私もまだまだね)
自分の行動の浅はかさを苦笑する。
だが、未熟なだけに私はまだまだ成長できる。そう思うとなんだか前向きな気分になる。
(……ルターズへ着いたらどうしようか……)
私はこれからの事を思いながら、明日の出発に向けて眠りについた……。