第十九話『悪魔退治〜絶望〜』
……妖気はドム達のいるところまで漂って来ていた。
その妖気は間違いなく“霧の悪魔”のものだ!
「―――近くに“霧の悪魔”が現れた様だな!どうする?戦い行くか?それとも様子だけ見に行くか?」
ドムはそう言ってたき火に木の枝を投げ入れた。
「……戦うのは危険過ぎる……だが、無視するわけにもいかないよな?もしも仲間の誰かが遭遇してたら殺されてしまう……」
ガンツェルは立ち上がり手を強く握りしめた。
「……よーし、だいぶ回復した。様子だけでも見に行こう。エルはニールの治療を続けてくれ」
ガンツェルは剣を掴むと妖気の感じる方向に向き直った。ドムはすでに歩き始めていた……。
「……おい、待てよ!俺も行くぞ!」
ガンツェルは黙々と先へ進むドムの後を追って足早に森の中へ駆けて行った……。
近付くにつれて妖気は強さを増していく―――。
ドムとガンツェルは剣を抜き、十分に警戒しながらも足早に“霧の悪魔”が現れたであろう出現場所へ向かった。
道を遮る草木を払いながら前に進むドム。
まるで戦いに行くかの様な足取りにガンツェルは不安を覚えた。
「ちょっと待ってくれ。その剣では“奴”にはダメージを与えられない」
ガンツェルはドムの元へ近付くと魔力を集中させて呪文を唱え始めた。
そう、彼は魔法戦士だったのだ。
とはいえ、その魔法はごく初歩的なものしか行使できなかったが。
なので程度は低いが、武器に《魔力付与》の魔法ぐらいなら唱える事はできた。
「……すまぬな。万が一の時は“霧の悪魔”と戦わなければならないのに、すっかり失念していた……」
ドムの剣に光が灯る。淡い光が明かり代わりになる。
ガンツェルは続けて自分の剣にも《魔力付与》の魔法をかけて再び歩き始める。
(……やる気満々じゃないか?こっちは“奴”の魔法弾を防ぐ手立てもないのに……あのエルフの魔術師がいない今、戦闘になったら逃げられんぞ?)
草木を払いながら黙々と前を歩くこのドワーフには、死への恐怖が無いのだろうか?それとも無愛想に見えて意外にも情に厚いのか?ガンツェルは今までの冒険で何度も危機に遭遇し、多くの仲間を失ってきた。
時には自分の身を守るために仲間を見捨てた事もある。
その彼にしてみれば、ドムの行動は愚かしくも眩しく見える。だが、その行動にガンツェルは好意を覚えた。
(……この男は死なせたくないな)
このドワーフが好ましく思えた。
信頼できる男だ。ガンツェルはこの男になら背中を任せられると思った。
……プラナはその“惨状”を目にして身動きができなくなった―――。
視線の先には“霧の悪魔”がいる。
そして、ヘイグの無惨な姿も……。
(……ああ、なんて事!ついに力尽きたのね……)
ヘイグの体にはいくつもの短剣が突き刺さっていた。盗賊達に敗れてしまったのだ……。
でも“霧の悪魔”に魂を奪われずによかったのかもしれない。
悪魔に命を奪われた場合、最悪その魂を消滅されるまで悪魔に利用される事もある。
死して苦しみに晒されるくらいなら、刃にかかって死ねただけ救いだったとも言えた。
(……あなただけ死なせないわ。
どうせ“霧の悪魔”からは逃げられない。それなら死ぬまで戦ってやるわ……)
プラナは恐怖に固まっている体を動かそうと体中の力を振り絞った。
しかしプラナの意志に反して体はぴくりとも動かなかった。
……それはある意味、プラナにとって“幸運”だった。
盗賊達は目の前に現れた“霧の悪魔”に圧倒されていた。
突然“霧”が発生し人の形に集まり異形の姿に変化したから。
しかも強烈な妖気によって足が地に張ったかの様に動かなくなっていた。
リザードマンの戦士を倒し気を抜いた瞬間の出来事に盗賊達は完全な不意打ちを受けたのだ!“霧の悪魔”はゆっくりと盗賊達に近付いていった。
この者達には、自分を殺める力も、逃走する術もない―――。
“霧の悪魔”の本能は目の前の“獲物”の力を即座に判断した。
殺すのは、たやすい。ここはじっくりといたぶり、恐怖の感情を堪能したい―――。
邪悪な考えを思いつき、“霧の悪魔”の顔に不気味な笑みが浮かんだ……。
盗賊達はその異形の姿、妖気を見て、目の前の者が“悪魔”である事を理解した。
……恐怖が心を支配する。
不気味な笑みを浮かべながら近付く“悪魔”から逃れようと必死に固まった体を動かそうともがいた。
だが恐怖で凍り付いた体はまったく動かなかった……。
そんな盗賊達の一人に“霧の悪魔”は手を伸ばした―――。
「―――ギャアアアァァァッッッ!!!」
張り裂けんばかりの絶叫がこだました!触れられた盗賊はみるみるうちに干からびていく。急激に生命力を吸収したのだ。
生命力とともに恐怖と絶望の感情が“霧の悪魔”に吸収された。
その負の感情が邪悪なる意志に歓喜を与える。
一瞬のうちに干からびた仲間の惨たらしい最期に盗賊達の心は恐慌する。
“霧の悪魔”は別の盗賊の前に来るとその恐怖を煽るため、ゆっくりと手を伸ばし、できる限り恐怖と絶望の感情を引き出した。
そして盗賊の体に触れると、今度はゆっくりと生命力を吸収した……。
(……なんたる仕打ち!いくら敵とはいえ、放っておけない!)
凄まじい、まるで人間とは思えない絶叫を上げて干からびてゆく盗賊達を見て、プラナはそのおぞましい行為に憤りを感じた。
いくら敵対した者とはいえ、その所業を見過ごす事などできなかった。
(……動いて!一瞬でいい!彼等の呪縛を解くには、心に希望を与えなければいけない!……お願いだから動いて!)
このままでは盗賊達は無惨に吸収されて枯死してしまう。
その邪悪さを見て、彼等は魂を弄ばれたあげくに殺される事は目に見えていた。
それでもプラナの体は動かなかった。
恐怖によって、というよりも体力が限界を越えていたのだ。
……“霧の悪魔”は次なる獲物の前で呪文を唱えた。
すると干からびた盗賊達に黒い光が発生し、動かぬはずの体が起き上がり始めた―――。
ゾンビと化した仲間が恐怖に震える盗賊に近付く。
「―――ぐわぁぁぁっっっ!!!」
ゾンビに体を掴まれ、盗賊の心は砕けそうになる。
その恐怖に意識が消えそうになった瞬間、生命力を奪うべく“霧の悪魔”の手刀が盗賊の胸板を貫いた。
最後に残った盗賊は、その地獄絵図を目の当たりにして体の自由を取り戻す。
「―――うわぁぁぁっっっ!!!」
そして一目散に“霧の悪魔”から逃げ出した!“霧の悪魔”はそれを楽しげに眺め、ある程度離れると“霧”になり盗賊の後を追って行った―――。
残されたゾンビは生前の仲間の死体に爪を立て、その死肉を喰らい始めた。
(……いけない!ヘイグが食べられてしまう!)
仲間がゾンビに食べられる!それだけは断固阻止しなければ。
プラナは無理に動こうとして前のめりに倒れ込んだ。しかし、仲間を見捨てられない。プラナは地を這ってヘイグの元へ進んで行った。
気持ちとは裏腹に体は言う事を聞かず、ゾンビ達の視界に入り気を引く事もできなかった。
ゾンビ達は仲間の死体をもの凄い勢いで貪り喰らうと次なる食料―うつ伏せに倒れているヘイグ―に近付いていった。
「―――どおぉぉぉりゃあぁぁぁっっっ!!!」
ゾンビ達がヘイグの体に触れようとしたその時、雄叫びを上げながらドワーフが反対側の森から飛び出してきた!
そのすぐ後にガンツェルも勢いよく駆けて来る……。
ゾンビ達は構える間も無いままに突然現れた者に斬りつけられて、その身が崩れたと思ったらあっさりと土に還った。
「……ガンツェル……ドム……ヘイグを、見て……」
仲間に声をかけるとプラナは力尽きて意識を失った。
それは非常にか細い声だったが、ガンツェルは聞き漏らさず声の出た方向に目を向けると気を失ったプラナを発見した。
二人はすぐ様“霧の悪魔”の仕業である事を察知し、それぞれプラナとヘイグを抱きかかえると足早に森の中へ消えて行った……。
……強い妖気を感じる。私はメイユールにその事を目で伝えた。
メイユールも感じたのだろう。
頷くと武器を手に立ち上がり、妖気の発する方向に体を向ける。
まだ遠くにいる。
妖気の動きを追うと“霧の悪魔”は移動している様に感じたが、誰か遭遇してしまったのか?
ゆっくりとだが、その妖気は何かを追跡している様な感じがする。
(……誰か、悪魔のテリトリーに入ってしまったのか?それとも負の感情を持った者が森の中を駆けまわったのか?)
そうでなければ、動きまわらなくてもいいはずだ。
何故なら悪魔族は夜になれば闇の力を自然に吸収し、何もしなくても活力が沸いてくるのだから。
私は頭の中で考えを巡らした。
体が動かないのだ、せめて何かしらの知恵を出さなければ……。
おそらく魔法力が回復し始めるのは朝になってからだろう。
それまでの間、私は唯一動く頭を使い“霧の悪魔”に対抗する手段を考える事にした。
……魔法力が戻れば、エル達の神聖魔法が発動するまで“霧の悪魔”の気を引けばいい。
おそらく次に限界以上の魔法力を使えば私は死んでしまうだろうが、その時は“霧の悪魔”も倒されているだろう。
……だが、もしも魔法力が回復しなかったら―――。
魔法力が朝から回復するとは限らない。
私自身、自分の体の異常がいつ治るのかわからないから、別の手段も考えなければならなかった。
(……私の命ひとつで、どうにかできるのなら……)
今回ばかりは認識不足を痛感させられた。同じ悪魔でも、その強さは個体によって変わるのを失念していた。
悪魔はその成長過程において人間以上に学習する。
こと戦闘においては、それが顕著に現れるというのに……。
私の認識の甘さが事態を悪化させてしまった。
今となっては後悔しても仕方ない。この償いは次の戦闘で必ず返す。
私は次の戦闘で自分のすべてを使い“霧の悪魔”を倒そうと心に誓い、仲間の犠牲を少なく済む戦術を考え続けた……。