第七話 操りの糸を断つために
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サウド湾についたのは、予定時刻より2時間早い正午のことだった。
ヨゼフィーヌ・Ⅳ・ギーゼキング戦闘教官は、他には誰もいない浜に揚陸したボートの甲板に腰掛けて、メルダー・マリオネッテを待っていた。
「遅かったな」
短く刈った艶やかな黒髪の下、感情を宿さない硝子玉のような灰色の瞳で、彼女はロゼットを一べつした。
「申し訳ありません」
ギーゼキング教官は、美しい女性だった。細身だが胸から腰にかけてなだらかな稜線を描き、どこか人目をひきつける蠱惑的な雰囲気をまとっていた。
だが、それがまるで、よく出来た美術像のように、あるいは能面のように見えるのは気のせいだろうか。
「次の任地に向かう。早くボートに乗れ」
メルダー・マリオネッテは動かなかった。いつも真っ先に駆け出す12も、杭槍を握り締めて警戒している。
南船北馬とは、常に旅をするという意味の熟語であるが、この言葉は、西部連邦人民共和国の都市や軍のあり方を示してもいた。北に地盤を置くベーレンドルフ閥は陸軍に、南に地盤を置くヴァイデンヒュラー閥は海軍に、それぞれの軍資金をつぎ込むのだ。自然、両者の装備は異なる様相を見せていた。
ロゼットは、皆を代表して、自らの師に訪ねた。
「教官、沖に見える船は、ベーレンドルフ軍閥のものです」
「次の任務は、ベーレンドルフ領で行う。その為のものだ。余計な質問を挟むな」
ロゼットは、そっと胸元の懐中時計に触れた。
かちかちと、三つの針が回りながら時を刻んでゆく。
誰もいない、”気配だけは存在する”浜に、一陣の風が吹く。
風が運ぶのは、刃金と血と、死の匂い。殺す意志を宿した人の匂い。
かちりと、歯車がかみ合う音を、聞いた気がした。
乾いた唇を、かみ締める。
「ギーゼキング教官。ヤーコブ博士は内通者を疑っていました。ヴァイデンヒュラー軍閥の情報が、あまりにもベーレンドルフ軍閥に流出していたからです。
今回の件だってそう。反政府軍の船がアースラ海軍の駆逐艦に尾行された偶発戦闘なら、陸軍が村を包囲できるはずがありません。
最初から、村の位置は特定されていたのですわ」
「それで?」
ギーゼキング教官がちろりと、赤い舌で自らの唇をなめあげる。
そんなわずかな仕草さえ、花のように美しく、蛇のように恐ろしい。
「最初に気づくべきだった。三年前、貴女は監督官として、ワタシ達と一緒にシュターレン寮に同行していた。遺跡を塞ぐ”封鎖結界”をピンポイントで破壊できる魔術師など、そう多くない。でも、貴女なら可能です」
「……」
「今回の任務はどこかおかしかった。
メルダー・マリオネッテ全員を共和国の外に出したこと。商人が見かけない顔だったこと。最後に、兵を海岸に伏せてワタシ達を迎えたこと。
任務なんて茶番だったのでしょう。貴女の目的は、ワタシ達を、いえ、20をヴァイデンヒュラーから引き離すこと」
メルダー・マリオネッテ全員が、20を中心に円陣を組んで、石弓を構えた。
「やはり、お前は欠陥品だな。1。お前達は余計なことを考えず、任務だけを果たせばよい。それが出来ないのなら、処分するだけだ」
風が吹いた。砂が舞って、隠されていたものが姿を現す。
後方に、巨大な西洋甲冑型ゴーレムが五体。左と右の側面にそれぞれ兵二十名。
単純計算で戦力差は3倍以上、退路はなし。
ヨゼフィーヌ・Ⅳ・ギーゼキングは、20に手を差し伸べるようにして、冷酷に言い放った。
「20。私と共にベーレンドルフ軍閥に来い。それが万人のためであり、貴様のためでもある。逢いたいのだろう? ニーダル・ゲレーゲンハイトに。我々なら、会わせてやれる」
ふるふると、20は首を横に振った。
「わからないのか? 私は貴様が頷けば、メルダー・マリオネッテ全員の命を保障すると言っている。それとも、貴様は、ともに育った仲間が皆殺しにされるところを見たいのか?」
「ア……」
20が震える。蒼い瞳を閉じる。砂浜にこぼれた雫は、涙だろうか?
ロゼットは、彼女の気持ちが手に取るようにわかった。自分が人形に戻れば、兄姉たちが助かると、そんな阿呆なこと考えてる。
ぎゅっと、恐怖にふるえる妹の手を、握り締めた。
5が、7が、11が、12が……、20人のメルダー・マリオネッテ全員が末の妹に手を伸ばした。
行かなくていいと、お前の居場所はここだと示すために。
「ふっ」
それを見た、ギーゼキング教官があざ笑った。
「”爆ぜろ、苗よ”」
彼女がコマンドを口にした瞬間、空気が、世界が変わった。
「がああああああっ」
「くうううううっ」
5の二の腕から木の根が飛び出した。7(ズィーベン)の髪からツタが伸びた。11が、12が、身体中から異質な植物性の何かに身体を食い破られ、呻きながら倒れてゆく。仕組まれていたのだ。食事か、外科手術か、以前埋め込まれた自爆用の術式と同様に、メルダー・マリオネッテを、「人形に変える為」の呪詛が埋め込まれていた。
「そのまま引っ張って来い」
ヨゼフィーヌ・Ⅳ・ギーゼキングが、命令する。ロゼットの腕が、指が、木の棒のように変化して、20の腕を血がにじむほどに強く掴んでいた。意識が欠けてゆく。組み替えられてゆく。操り主にとって都合のいい人形にするために。
ロゼットは、回らない舌と唇を懸命に動かして言葉を紡いだ。
伝えなければならない事がある。伝えたい気持ちがある。それは、人形では叶わぬことだから。
「……大丈夫よ、20。アナタは、自分の意志で帰るときまで、ここに居ていいの。だから、イスカ・ライプニッツ・ゲレーゲンハイト。メルダー・マリオネッテが指揮官、アインスが許可します。”やっちゃいなさい”」
「ン!」
渾身の力を込めて、意志の全てを懸けて、ロゼットは、仲間達は、20を突き飛ばした。
彼女は身の丈より長い銃身を砂面に向けて、特製の弾丸を装填し、……撃ち込む。
「ほう」
文字が溢れる。着弾点を中心に、涌きあがった文字は球状の魔法陣を描きながら宙空を舞い、ロゼット達を包み込んだ。
氷結する。凍結する。メルダー・マリオネッテの体内に巣食う異常な魔力を凍りづけにし、破砕した。
腕から生えた木の根が、頭から伸びたツタが吹き飛んで、棒切れのように変化していた肢体が生身の肉を取り戻す。
「突撃!」
ロゼットが叫ぶ。指で指し示す方向は後方、西洋甲冑型ゴーレム。
ここは敵の掌中だ。包囲を破り、互角に戦える場所までたどり着かなくてはならない。
「行かせると思うのか?」
真っ先に駆けて行く12を見送り、ロゼットは殿軍としてギーゼキングを迎え撃つ。
振るわれる鉄扇の一撃を、槌の柄で受け止める。
火花が散り、ロゼットは下から、ギーゼキングは上から、互いの得物を振るい合う。
「教官。貴女ほどの人がどうして裏切ったのです!?」
「裏切ってなどいないよ。私は言わば埋伏の薬。
最初から、ベーレンドルフ側の、否、秩序と正義を守る側の人間だ。
メルダー・マリオネッテ・アインス。お前が、勝てぬと知りながら、ヴァイデンヒュラーに与えられた任務を果たそうとするように。
私にも果たさねばならぬ使命がある」
「使命?」
「こういうことだっ」
ギーゼキングの左手が魔術文字の輝きをまとい、見えない風の刃を作り出す。
対するロゼットは、光の盾を呼び出そうとするも、間に合わない。
不可視の刃がロゼットの首をはねる寸前、後方から飛来した20の弾丸が結界球を創りだし、風の魔術文字を凍結、破砕する。
「対物狙撃銃とは良く言った名前だ。本質を隠し、本質を顕わしている。
20の魔銃には、魔術の素たる文字自体を破壊する力がある。
隠していたのだろう、あの男は、そしてお前達は。その《力》の重要性を知りもせずに」
ロゼットは砂を蹴り上げ、間合いを取って、光の矢を撃ちだして牽制した。
対するギーゼキングは、風を集めて盾を創り、いとも容易く受け止めて見せた。
「魔術戦とは、文字が生み出す《力》と《力》のぶつかり合いだ。
どちらのエネルギーが勝るかで、優劣を決する。けれど、20の銃、そして、あの紅い道化師の焔は《魔術文字そのものに干渉する》……。
その《力》が必要なのだ。再び神焉の刻を迎える今、次なる世界を正しく導く為に!」
ギーゼキングの推測は半ば正しい。20の銃に撃たれたゴーレムが行動を停止するのは、装甲を無力化され、魔術文字による回路の一部を凍結、破砕されるからだ。その一撃は強力無比で、同じアーティファクトでなければ防げまい。
(でも、違う。違います。あの焔の翼は、もっと異質な……)
後方で12が鬨の声をあげ、ゴーレムの地に崩れる音が聞こえた。
5が呼んでいる。けれど、離脱できない。そんな隙を与えてくれる相手じゃない。
「メルダー・マリオネッテ・アインス。私とお前は、欠陥品かそうでないかの差はあれ、同類だ。与えられた使命を果たすためだけにここにいる。だから、破壊してやろう。その役目を果たし、再び地にかえれ人形」
鉄扇から繰り出される風と、槌から放たれる光が交錯する。
光は散り散りに切り刻まれ、ロゼットの胸元が無残に引き裂かれた。
あかい血が迸り、首から下げた銀の懐中時計が宙に舞う。
文字盤の下では、複数の歯車がかみ合い、廻っている。
歯車は、迷わない。疑わない。
ただ己の成すべきことを果たし、己がすりきれるまで天命を全うする――――。
そこには、ロゼットの理想が、信じる完全が
「ちがう」
思い出した。
思い出してしまった。
忘れていた、忘れようとしていた、あの夜のこと。
「1。今助けるっ」
「木よっ」
「ぶっぱなせ」
7の繰る鋼糸が、ロゼットに絡みついて、後方へと引っ張った。
風の刃を、11が呼び出したサボテンが盾となって受け止めた。
5の掛け声に合せて、メルダー・マリオネッテが次々と矢を浴びせかける。
「あの日は、ワタシは決意したんだ。人形に戻ろうって。どうして、そう思ったのか、忘れてた」
そうすることで、皆で生き延びようと思ったんだ。
メルダー・マリオネッテの全員が、失われることなく、生きていたいと思ったんだ。
その感情は、すでに人形ではない。人が、抱くもの。守りたいというオモイ。
「ヨゼフィーヌ・Ⅳ・ギーゼキング。ワタシは貴女とは違う。与えられた使命の為だけに戦ってるんじゃない。使命とか、万人のためとか、そんな薄っぺらな誤魔化しの為じゃない」
その一瞬、ほんのわずかにギーゼキングの能面が割れた。怒りという感情が仄見えた。
「悲しい結末だってわかってる。苦しい結末だってわかってる。それでも、ワタシは決めたんだ。私達姉弟の未来は、ワタシ達の手で切り開こうって」
着地する。
7が鋼糸を解くのに合わせて、ロゼット・アインスは走る。
ヨゼフィーヌ・Ⅳ・ギーゼキングは、鉄扇で全ての矢を叩き落すと、魔術文字を紡いだ。
風が吹きすさぶ。砂が捲れる。海が轟く。
創り出されたのは、竜巻。人の手では抗えぬ、暴威。
「そんな魂のこもらない風や魔術で、このワタシを倒せるものですかぁぁああっ」
叫ぶ。
槌に光が集う。ロゼットは、蛮勇にも風の渦に向かい、小さな腕を振り上げた。
腕を振り下ろすと同時に、砂浜を割って光の柱が出現した。
貝が、流木が、風が、光の中へと溶けてゆく。その莫大なエネルギーは竜巻をも飲み込んで、ギーゼキングの張った風の障壁ごと海へと吹き飛ばした。
けれど、吹き飛ばされたロゼットの師は、空中で反転し、波打ち際へと着地する。
自らの主を守るように、左右両翼から、半ば人形化した兵士達が集い、壁を作った。
「心の力、とでも言うのか。
メルダー・マリオネッテ・アインス。姉弟の未来と言ったな。
親に捨てられた劣等民族の人形風情が、家族ごっこのつもりか?」
ギーゼキングは、鉄扇を軍配団扇代わりに高々と掲げ、強襲の為の配置を整える。
「パパは、パパになってくれた。イスカは、パパの娘になった。
行こう。おねえちゃん。だいじょぶ。……いっしょにたたかおう」
長い銃を携えて、蜂蜜色の髪の少女がロゼットの隣に進み出た。
散開したメルダー・マリオネッテが、一人、またひとりと集まって、迎撃と離脱の為の構えを取る。
「20……」
たとえ血が繋がっていても、子を捨てる親もいる。
たとえ血が繋がっていなくても、親となり、子となろうとするものがいる。
愛し合い、夫に、妻になろうと人は寄り添う。
家族とは、血のつながりだけじゃない。きっと、家族であろうとする意思が、絆となって結ばれるのだ。
ならば。
「みんな」
見回す。誰もが笑みを浮かべていた、強い意思を瞳に宿していた。
「戦いますわよっ」
応っ、と強い叫びがあがる。
これは自分達の戦い。家族を守るための、愛するものを守るための、人として当然の戦い。
迷いはない。心を殺す必要も、人形になる必要もない。
(なぜなら)
この鼓動が、脈打つ命の音色が。
(ワタシ達の生きている証だから)
「いいだろう。私は、教主直属部隊”無限の自由”が一人、ヨゼフィーヌ・Ⅳ・ギーゼキング。火の巨人ロキ、海の巨人エーギルと並び立つ、古の風の巨人を冠る神器が一つ、第三位契約神器カーリが盟約者。メルダー・マリオネッテ……お前達を殲滅する」