第六話 道化師さん家の家庭事情
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ニーダル・ゲレーゲンハイトと、ロゼット達『メルダー・マリオネッテ』の別れは、あっさりとしたものだった。
翌日、ドクトル・ヤーコブの使いの女が来て、ヴァイデンヒュラー領へと連行された。
任務に失敗したにも関わらず、廃棄されなかった理由は、今でもわからない。ニーダルが何か手立てを打ってくれたのか、それとも、ヤーコブ博士の気まぐれだったのか……。メルダー・マリオネッテは再び精神拘束の魔術をかけられた後、一人ひとり散り散りにされて、ヴァイデンヒュラー閥の工作員や魔術師の下で調整された。
ほとんどの者にとって、その記憶は苦痛に満ちたものだった。例外は、『紫の賢者』と呼ばれる魔女に師事した5と、もうひとり、20だけだったろう。
20が送られたのは、シュターレン軍閥専属の遺跡荒らしとして有名な魔術師、ニーダル・ゲレーゲンハイトの元だった。
彼女はそこで「イスカ・ライプニッツ」という名前と、保護者を得ることになる。ニーダルは、20を敵対軍閥から預けられたドウグではなく、「養女として引き取ったのだ。彼は彼女に養父として接し、戦士として育て上げた。二人で遺跡から発掘した第六位級契約神器、『アンチマテリアルライフル』と名付けた長銃を与えて。
一年後、メルダー・マリオネッテはヤーコブ博士によって再び集められ、特殊工作部隊としての使命を果たすことになった。
そして、そこには、20の姿もあったのだ……。
復興暦1113年/共和国暦1007年、若葉の月(3月)11日目。
メルダー・マリオネッテは、護衛していた商人達を拠点まで送り届けると、新たな指令を受けた。
命令書のサインは、ヨゼフィーヌ・Ⅳ・ギーゼキング戦闘教官。三年前、ドクトル・ヤーコブの使いとして、メルダー・マリオネッテを連れ戻しに来た工作員。そして、ロゼットを引き取り、『調整』を施した師でもあった。
彼女の命により、メルダーマリオネッテは休む間もなく再び荒野に向かい、西の果てにあるサウド湾を目指すことになった。
7が深刻な顔で、ロゼットに話しかけてきたのは、出発からしばらくたってからのことだった。
「1。昨夜のことで話がある」
昨晩、命令違反を犯して救援に戻った20を、ロゼットは皆の前で激しく叱責した。
が、20は、退路の確保と護衛対象の安全圏までの離脱という任務を果たしており、仲間の救援に駆けつけた彼女を責めるのは、隊全体の士気にも関わるのではないか、と7は忠言した。
「そうね、7。確かに昨日はワタシの判断ミス。最初に敵戦力を読みちがえたのは、ワタシなのに、20を責めるのは筋違いだったわね」
「そういう意味じゃない。アインス。君は、ここのところ、20にだけ厳しすぎる。まさか、あんな噂を信じているわけじゃないだろう?」
ぼうぼうとわかめのように伸びた前髪の下で、鋭く光る7の目に射抜かれて、ロゼットは思わず首から下げた銀の懐中時計を握り締めた。
「まさか、信じるわけありませんわ」
20を引き取って以来、ニーダルの鬼畜や強姦魔といった醜聞に、新たな項目が加わった。
曰く、ロリ。曰く、幼女趣味。
依頼人が宿を訪ねると真昼間から素裸で奉仕させていただの、客にはまず彼女を抱かせてサービスするだの、高官達の乱交パーティーに破廉恥な服着せて娼婦デビューさせただの、それはもう、散々な噂が飛び回っていたのだ。
が、実際に帰ってきた20は、かつて以上にニーダルを慕っていたため、ロゼット達は「またいつものでっちあげか」と納得していた。
「むしろ、男子の目が気になりますけど。いつもエロスな12(セバルツ)だけでなく、たまに変な目で見ている者がいると、11(エルフ)が怒っていましたわよ」
思いもよらぬロゼットからの反撃に、7もまた、わかめ髪の下で視線をそらした。
「そりゃあ、僕達だって年頃だ。20は、あの人との私生活については触れたがらなかっただろう。そこまで過激でないにしても、なにかあったんじゃないか? と勘ぐるヤツだっている」
俺は違うぞ、と、彼らしくもなく言い訳して、言葉を続ける。
「あの人は、妙齢の女性に会えば食事にさそい、ベッドにいざなうことを礼儀と考えてる節があったんだ。……正直、父親としてどうふるまっていたか、なんて想像もつかない」
目的地であるサウド湾は、まだ遙かに遠い。ロゼットは水筒の水で喉をしめらせると、ちょっとだけひねた笑みを浮かべた。
「聴きたい?」
「あ、ああ」
ロゼットの背後に、なにか得体の知れないもやのような迫力を感じて、わずかに7の足運びが乱れた。
「海水浴に出かけて、二人で砂のお城を作った」
「は?」
なんかこう、ざっぱーんと波の押し寄せる風景を想像して、7が前髪の下の目を見開いた。
「紅葉がきれいだったので、サンドイッチをもって滝を見に行った」
「……」
落葉の中、ゴゴゴという滝の叩きつけるような風景を想像して、7が口をあんぐりと見開いた。
「遺跡近くの泉で二人で釣りをした。他にも栗拾いとか、キノコ狩りとか、知人の農園でブドウの収穫やイモほりを手伝ったとか。春や秋のお祭りにも参加したそうですわ。あの人、意外に観光が好きみたいで。それにね、彼、お菓子作りがしゅみで、休日は20と一緒にかまどの前に立つの。信じられる?」
7は、20と一緒に、朗らかな笑顔でクッキーを焼くニーダル・ゲレーゲンハイトを想像した。なんかもう、色々と台無しとゆうか、めちゃくちゃだった。
「すまない。僕には、俺には、そちらの方がでっちあげに聞こえる」
「同感ね」
ロゼットは、バックパックの中から緑色の小さく丸い何かが3つ刺さった串を取り出すと、7に勧めた。
「ユーカ米の粉に、ヨクサの葉をまぜて蒸したものよ。昨夜、20と一緒に作ったの。ダンゴという、あの人の故郷のお菓子に似せたものだそうよ」
口に含むと、よくわからない食感がした。歯ごたえも、喉越しも悪くない。聞いたことも食べたことも無い菓子。
不意に、どうしようもない痛みと寂しさが、7(ズィーベン)の胸に穴を空けた。
「話さないわけだ。僕たちに、俺たちに気を使っていたのか」
それが、親子にとって当たり前の風景なのかどうかは、親という存在を知らない7には判別もつかない。
けれど、少なくともニーダル・ゲレーゲンハイトと20は、二人で親子として過ごす時間をもとうとしたのだ。
それがどうしようもなく、痛く、辛く、燃えあがるほどに……妬ましかった。
「優しいだけでは、なかったそうですけど。ご飯を抜かれることもあったそうですし、平手で打れたこともあったそうですわ」
だが、理不尽に鞭打たれたり熱湯をあびせられることはないだろう。汚物や毒物を口にねじこまれることも。
それよりも、なによりも、この胸を焼く痛みと熱さにくらべれば。
7は、灼熱する胸を醒ますように、深く、深く息を吸った。
冷静にならなければならない。メルダーマリオネッテの男で、1の支えになれるのは自分だと、自分だけでありたいと7は自負していた。だから、感情をなだめる。冷静に、平静に、彼女の助けとなり得るように。
「だから、君は20に厳しくしていたのか」
「ええ、嫉妬していたの」
しぼりだすような声を出したロゼットはうつむいて、二つにわけた黒褐色のおさげ髪が力なく揺れた。
「違う。20を守るためだろう」
7は、あれはてた荒野を見据えた。風と岩だけが続く大地。
ここに住まう者は、一度とて思わなかっただろうか? 水と緑が欲しい、と。
あるいは、水と緑のある大地を、知らなければ耐えられたかもしれない。
しかし、あの日、あの道化師は与えてしまったのだ。
殺すこと、殺されることしか知らない、殺戮の為の人形達に、無条件の安全と愛情を。
その居場所は、七日の後、夢幻の如く取り上げられ、20だけが与えられ続けた。
なぜ、なぜ、何故!?
いっそ醜聞通り、20があの男を篭絡したというのなら、諦めもついただろう。
彼女がそれだけ、優秀な工作員だった、ということなのだろうから。
事実が異なることを、メルダー・マリオネッテの全員が知っていた。機会は平等にあって、選ばれたのは偶然で、にも関わらず20だけが父親を得た。アーティファクトを与えられ、遺失魔術を学び、幸せな時間を過ごした。どうしてそれが、私ではなかった? 僕ではなかった?
たとえ、20自身に非がなくとも、そういった黒い感情を誰もが持っていたはずだ。ゆえに、1は厳しく当たったのだろう。20に。
「5には、そういった感情は向けられていないのか?」
「彼女の場合、師事した相手が特殊でしたから」
「特殊って?」
「『紫の賢者』は女の子が大好きなんだそうです」
一瞬、脳がショートしたように、7は、発言の意味がわからなかった。
「影響されて、『やっぱり女の子同士っていいよね。男と違って、汚くないし、固くないし、臭くないし。真実の愛は、同性にこそあると思うんだ』なんて熱っぽい目で言われてみなさい。毒気も何も抜けますわよ」
7は、想像してみた。12が頬を赤らめた熱っぽい目で、話しかけてくるとする。
『やっぱり男の子同士っていいよな。真実の愛は、同性にこそあると思うんだ』
……最悪だった。
「7、吐きそうな顔してますけど、大丈夫?」
「そ、その、『紫の賢者』こそ大丈夫なのか?」
「危険人物ですわよ。初対面で、5が趣味はなんですかってたずねたら、幼学校に登校する児童の観賞なんて答えたのよ」
「通報しろよ!」
「ヴァイデンヒュラー軍閥の魔術顧問なんて、誰が逮捕できるというんです!」
二人して、つい声を高く上げてしまい、慌てて声を低める。
幸い、12の周りで5達が騒いでいて、誰も興味をもっていないようだった。
「おまけに、その人、ヤーコブ博士と仲がいいの。真の萌えとは何か、エロスとは何か、そもそもこの二つは異なるものだから、なんてお酒を片手に、真面目に討論してましたのよ」
「うちの研究所が心配になってきた」
「おまけに二人とも、あの人に興味津々で、ぜったい仲間に引き入れてやるって、研究所裏庭の桃の木の下で息巻いてましたわ」
7は、ヤーコブ博士とニーダル、そして紫の賢者とやら杯を交わす場面を想像してみた。
年甲斐もなくあれっぽいプリントTシャツを着たヤーコブ博士と、男らしくふんどし一丁のニーダル、それに紫のローブを着た変な女性がグラスをぶつける。
『我ら三人、姓は違えども兄妹の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、萌えとエロスの道を探求せん。若きはゆりかごから老いは墓場まで節操なし。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を』
湧き上がるERO! ERO! という歓声。三人は笑顔で集う同志に応え、変態による変態の為のウエーブを起こして、変態センセーションの渦が全世界を席巻し、ついには全世界同時変態革命が起こるのだっ!
「い、嫌すぎる」
「せ、世界の危機ですわね」
取り合えず会わせない様にしなきゃ、と二人は誓いあった。
ニーダルは大抵の場合、シュターレン老の依頼でどこかの遺跡に潜っているだろうから、出会う可能性は著しく低いのだが。
その時、12が悲鳴をあげて、5が何かノートのようなものを手に、1に飛びついてきた。
「ああ~、やっぱり抱き心地いいなあ、1は♪ ……いたいいたい」
「正気に戻りなさい」
ロゼットは、5の耳を思いっきり引っ張って、ひるんだところを引き剥がした。
「もう、軽いスキンシップじゃない。ほらほら、それより、これ、見てよ」
「だめ~、見ちゃダメっす」
12が何か喚いていたが、気にせず渡されたノートを見る。
「スクラップブック?」
それは、エブリデイポストという王国の新聞社が海外向けに出したコーナーの記事を集めたものだった。
「ええ、なになに、
”王国人は海外旅行で、少年少女を銃で撃つハンティングを楽しむ”
まあ、あの外道な国なら、それくらいやるでしょう。
”王国のレストランでは、豚と性行為するショーを行った後、それを具材に調理する”。
うわっ。リョウキテキですわね。
”王国人の母親は、受験を控えた息子の為に、勉強の前に性処理をする”
”王国のOLの72%が、セックスを堪能するための技術を学ぶ特殊キャンプを経験する”
”王国では売春産業が盛んであり、通常の売春に食傷した彼らの間で最近ブームになっているのは小学生と老女である”
”王国人女性の55%が出会ったその日に男に股を開く淫乱である”
”王国の病院では女性看護士がお尻の穴にバ…”
って、何よ、このポルノ記事のスクラップはっ。12、貴方、こんな記事を集めて恥ずかしくないの!」
「ひいい、20、やめて、そんな目でおれを見ないで~~」
「王国って信じられない国ね。道徳の崩壊なんてじげんの話じゃないわ。こんな、こんな国にいたから、きっとあの人は変態になっちゃったのよ!」
「1、あの人がスケベなのと王国に因果関係はないぞ。だいたい12が集めた記事はでっちあげだ」
「エブリデイポストの名前くらい知ってるわよ。タブロイド紙ならともかく、仮にもクォリティペーパーがそんな真似するわけないでしょ」
「やったんだよ。ほら、エブリデイポストが”王国国内向け”に出した訂正記事だ」
7は、ぺらぺらとスクラップブックをめくり、最後のページを見せる。
今年の7月20日に、『海外向け通信、出直します』というタイトルで、訂正の通知が出ていた。
「チェック機能に不備がありました。……って、そんなじげんの問題?」
「さあな。色々言い訳を書いているが、”具体的にどんな記事を載せてきたのかは、不快になる人もいるだろうから書きません”それが、エブリデイポストの意思表明なんだろう」
「ふうん。12、これは没収ね」
「ひ、ひどいっス~~」
「いいから行進。昼までには、ギーゼキング教官と合流するわよ」
はあい、と気のない返事を返して、再びメルダー・マリオネッテは荒野を歩き始めた。
「7。貴方の前の任地は王国でしたわよね。ひょっとして、これもうちが、共和国が関係してる?」
7は、しばらく迷ったようだったが、答えた。
「僕だって、あまり詳しいわけじゃない。
記事の主な執筆者二人のうち、一人の外国人は、オーリア島の過激な反王国グループと密接な関係を持っているようだ。また、もう一人は王国人名義だが、複数人によるペンネームの可能性もある。そして、このPNは、浮遊大陸カナード国の反王国工作団体の活動に頻繁に名前があがっている。
1だって、共和国が、オーリア島やカナード国の反王国工作団体にどれだけ出資しているか、知っているだろう? 多すぎて、どこの軍閥がどういった意図で指示したのか、あるいは指示していなかったのかさえ、わからない。少なくとも、エブリデイポストによるでっちあげが、王国や王国人の評判に痛烈なダメージを与えたのは確かだと思うけれど」
王国は、数年前アメリアに「政府は人身売買を防ぐための努力を怠っている」と批判され、「監視対象国」にリストアップされた。クオリティペーパーであるエブリデイポストには、根拠となるソースの資格があるのだ。他にも、アメリアの不良兵士が王国の少女を襲った際に、「和姦だと思った。無理強いなどしていない」というふざけた答弁を行っている。これらの事件に、エブリデイポストの影響はなかっただろうか?
「それにしても、王国って変わった国ですわね。普通、ここまで悪し様に報道されたのを知れば、デモのひとつや二つ起きるでしょう。まったくの無関心なんて、国民の品位が知れますわね」
「本当に、そう思うかい」
「ええ、ちょうどワタシ達があの人と出会った頃でしたわね。共和国が王国に輸出した食品に毒薬が混入されていたとか。あの時も、ろくに抗議すらしなかったそうですもの。きっと、ゴーレムのように、感情がまひしているんじゃありません?」
ロゼットの言葉に、7は賛同しなかった。土埃除けのローブを目深に被り、答える。
「まずエブリデイポストのでっちあげだが、王国で事情を知った者たちによる不買運動が始まっている。
本格化する以前の6月時点で、前年に比べ売上10万部が減少、抗議を受けて広告をひきあげた企業も続出した。
元々企業にも、宣伝効果が怪しまれていたこともあったから、ちょうど引き金になったようだ。
そして、共和国から王国への輸出は、あれから時間が経っても事件前の三割以上おち込んだままだ。
魚介類や生鮮野菜の影響が特に大きくて、四割以上少なくなった品もある
旅行客も激減して、かつての四割、旅行会社によっては、六割近く減少した。
王国の対共和国感情は、目に見えて、悪化しているようだ」
「待って。でも、王国は大陸運動祭のリレーを迎えたときも、友好的に接して……」
「その友好的に接してくれた王国人を、リレーの観客として動員された共和国留学生が、国旗を飾った金属竿で小突き回したんだ。どうなるか、なんてわかるだろう」
ロゼットは、深く息をついた。粉っぽい土が、口の中に入り込んでじゃりじゃりした。
「詳しいですわね、7」
「僕もその場にいたから。途中で交代したけど、走者の護衛としても走ったよ」
「あの自称”ボランティア”の?」
「どこから漏れたのか、妖精大陸のメディアには、特殊部隊員が混じっていることをすっぱぬかれていたけどね」
1は、少数民族である7をリレーに併走させたことが信じられないのだろう。
彼自身、指令を受けたときは驚きだった。けれど、後にある情報を得て、自分を加えた理由を理解する。
あの日ニーダル・ゲレーゲンハイトがリレーを襲う、というデマが流れていたのだ。
(ありえない話だ。それは、あの人の流儀じゃない)
それでも、7にとっては、心騒ぐ事件だった。
共和国パラディース教団は、わずかにしか接点をもたないメルダー・マリオネッテが、ニーダル・ゲレーゲンハイトに対する抑止力となる可能性がある、と判断したのだ。背筋の凍るような一件だった。
「王国では、その日、ネオメオルヒス騒乱の犠牲者を、近くの寺院でいたんでいたよ。騒乱で亡くなったネメオルヒス人や他の少数民族と、パラディース教徒の双方を供養していた」
7の呟きに、ロゼットは目をつぶり、こぼすように吐き出した。
「王国は、ワタシ達の味方になってくれるかしら」
「王国は、西部連邦人民共和国パラディース教団の味方だよ」
「そうね。心強いわ」
その問答がもつ意味は重かった。だからこそ、7は嬉しかったのだ。