第五話 別離の刻
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過去は終わる。
眠りから覚めて、上体を起し、瞳を閉じたまま深呼吸する。
自分を再構築する。人間が人間であるためには、理性と感情が必要だ。
あの真っ黒な衝動に突き動かされるだけの『人形』では、目的は達しえない。
だから、創り上げろ。
真っ黒な燃えカスに、焼け砕けた『ルドゥイン・ハイランド』という欠片を拾い集めて上書きし、『ニーダル・ゲレーゲンハイト』にならなければならない。
かの禁呪は、絶大な破壊力と引き換えに使用者の精神を焼き滅ぼす。
生き延びた者は記録にはなく、ほぼ全員が一年以内に狂死し、あるいは廃人となって死んだ。
けれど、『自分』はまだ生きている。生きている限り、復讐と守護の誓いは果たさなければならない。
まどろみの中で、たゆたうこと数十秒。ニーダル・ゲレーゲンハイトは、ふと隣にぽかぽかとした何かを感じた。
(ああ、昨夜は誰と寝たんだっけ?)
人肌の温もりは好きだ。触れていると、焼け焦げた残滓のような冷たい自分が、まだ人間であるかのように錯覚できるから。
目をあける。蜂蜜色の髪。下着に包まれた白く小さな身体。20が穏やかな寝息を立てていた。
別の意味で、硬直する。冷や汗がたらりたらりと流れる。
「冷静になれ。冷静に」
いくら記憶があいまいだからといって、こんな子供に手を出すほど、『自分』は無節操ではないはずだ。
たとえば、一人じゃ寂しいからもぐり込んだ(注、彼女たちは大部屋で布団をひいて雑魚寝です)とか、雷が怖くてやってきた(注、昨夜は雨もあがっていい星空でした)とか、……納得できる理由はいくらでもある。はずだ。
「だいたい俺は女と寝るとき以外は、このコートを着ているだろう。間違いなんて起こるはずが無い」
その紅い外套は、ベッド脇の椅子の上へ丁寧に畳まれて、上半身は思いっきり裸でした。
ザァァァァァァァと、血の気が引く音を、ニーダル・ゲレーゲンハイトは自覚した。
ついでに、銀色の髪の女を筆頭に、かつての仲間達が「ロリコン死ねや。この鬼畜野郎」とか書かれたのぼりと武器を手に手に、修羅の笑顔を浮かべるのを幻視する。
「うわあああああああっ」
思わずベッドから転げ落ちる。
「20、大丈夫かっ!」
途端、ドアの前で待っていたかのように、徹夜明けらしい充血した目の少年が部屋へと飛び込んできた。
確か、12とか呼ばれている少年だ。
「おいそこの出歯亀野郎」
「は、はい」
「俺を殴れ」
「へ?」
――――
―――――
ロゼット・アインスが珍しく、いつもより5分遅く起きると、騒ぎはもう始まっていた。
「どうしたの?」
歯を磨き終わり、髪にブラシをかけていると、女子が20の周りに集まってきゃあきゃあと歓声をあげていた。
洗面所から見えた中庭の方では、男子が見守る中、12がシャツ一枚のニーダルに殴りかかっていた。「腰が入ってないぞ」とか「脇をしめろ」とか、なぜか殴られながらニーダルがアドバイスしている。まあ、あの人はマゾらしいので、また変な趣味にでも目覚めたのだろう。
「おはよう。1、聞いておどろくなよ。20が大金星だ」
5が嬉々として、首に腕をからめて飛びついてきた。
「はあ?」
「だからっ、あのヘンタイさんをオとしたんだって。攻略完了だって。くぅうう、どうやってくどいたんだろ」
11が紅茶の入ったカップを持ってきて、説明を加えてくれた。
「20がニーダルさんと寝たそうですよ。いま、くわしい話をきこうとしていたところです」
「あ、そ」
この時点で、ロゼットは半ば真相を把握していたが、それでもほんの少し棘があったりなかったりした。
20は困ったように目を伏せて、食堂で話し始めた。
「ドアから入って」
「うんうん」
5や11達が待ってましたと身を乗り出す。
「ニーダルさんはねむっていたの。おこしてもおきなかった」
「うんうんうん」
5や11達が目をきらきらと輝かせる。
「でも、とても苦しそうだったから、コートをぬがせたの」
「うんうんうんうんうんうんっ」
5や11達がもう絶好調と言わんばかりにもりあがる。
「ベッドの中に入っておやすみしたの」
「きゃぁあああっ……て、え?」
食堂にいた全員の頭の上に、大きなクエスチョンマークが浮かんでいる。
「あの、さ、20。ひょっとして本当にねむっただけ?」
「ン」
20は、ほんの少しだけ照れながら、にこりと微笑んだ。
「それって、寝るは寝るでも、本当に寝ただけじゃ……」
「全滅? 私たちってみりょくなし?」
食卓に並んだ全員が、脱力してばったりと倒れ、5(フェンフト)達がどんよりしながら囁きあっている。
「あれ、でも、でしたらどうしてあの人は」
11が疑問に思ったか、あれ?と首をかしげた。
ロゼットは紅茶を飲み干して、あっさりと言い放った。
「そんなの決まっているでしょう。バカだからよ」
「「ああっ!!」」
20を除く全員がはたと手を打った。
中庭では、相変わらず12がニーダルに殴りかかっていた。
「ぬるい。ぬるいぞ。お前の怒りはそんなものか!」
「御忍!」
殴ってるはずの12に泣きが入ってるように見える。
「男なら、俺くらい殴り倒して見せろ」
「男ならっ、うおおおおおっ」
12は吠え叫んだ。気合をこめ、拳を握り締め、強く大地を踏み込む。
そこに、玄関口に出たロゼットが声をかけた。
「ニーダル。もういいわよ。昨夜は何もなかったって」
「なにっ」
ニーダルが一歩下がる。12の拳はわずかに逸れて、伸びきり。
無防備に突っ込んだ胸板に、ニーダルの拳がめり込んでいた。
「あ?」
「ぎゃらくてぃか~~」
よくわからない悲鳴をあげて、きりもみしながら12は吹っ飛んだ。
水きり石のように綺麗にバウンドしながら、玄関口まですっとんで来て、あら器用ねなんて思ってしまう。
「ね、ねえ。12だいじょうぶ?」
11が駆け寄って、治癒の術を掛けようとする。
「お、おれは、もうだめだ。助からない」
「そんな、気をしっかり」
11に抱き寄せられた12は、ぐったりとしてこう続けた。
「せ、せめてさいごにキスを」
「!?」
突然のことに硬直していた11(エルフ)へ、12(セバルツ)は口をタコみたいに伸ばして顔を近づけて。
唇が彼女に届く前に、何処からか伸びて来た鋼糸でぐるぐる巻きにされて、ひきずられた。
「ちょ、7、なにすんだよっ」
「いいかげんにしろ阿呆」
「男のロマンだろ。わかれよ」
「それがロマンだなんて、僕の、俺のロマンは認めない」
「い、いたい、おれる、きれる、ゆるめろ~」
ふう、と、ロゼットは重いため息をついた。
(ワタシ達、これから大丈夫かしら)
☆
この日の夜は、皆で石を積んでバーベキューをした。
これが、「人間」でいられる最後の時間だってわかってた。
だから、皆必要以上に笑って、騒いで楽しんでいた。
初めての体験だったから、ふもとの町で買い込んできた肉は生焼けだったり、焦げすぎていたり、酷い出来だったと思う。
それでも、本当に、美味しくて涙が出るほど愉快だったのだ。
ニーダル・ゲレーゲンハイトも笑っていた。その笑顔が眩しかったから、ロゼットはちょっとだけからかってみたくなった。
「こんな食事ですのに、楽しそうですわね」
「そうか?」
「ええ。ずいぶん、いい笑顔ですわよ。ほら」
手鏡を見せる。焚き火の焔が、ニーダルのちょっと間が抜けた笑顔を映し出す。
「っっっ」
よっぽどつぼに入ったのか、ニーダルは腹を押さえて笑い出した。目の端には涙すら浮いている。
「ど、どうしたんですの」
「っっっっ。いや、ひどい顔だな」
「あら、今頃気づきまして。でも、ワタシは」
ロゼットは、続く言葉を言えなかった。笑っているはずのニーダルが、なぜか泣いているように見えたから。
彼女は知らない。不意打ちで見せた手鏡に映ったニーダルの笑顔。それは、断じて作り笑いなどではなかった。
「っっっ」
皆で火を囲んだ最後の夜―――。
少年少女たちは殺戮人形に戻ることを決め、壊れた復讐鬼は人間に戻っていたことを自覚した。