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第24話 ノルニル

24


 復興暦1113年/共和国暦1007年、若葉の月(3月)16日午前。

 ニーダル・ゲレーゲンハイトは、中央郵便局で趣味の切手をしこたま買い込んだ後、愛娘のイスカ、灰色熊のぬいぐるみベルゲルミルと一緒に、ディミオン首長国連邦中心都市ドームの街を見て回った。

 親子が最初に足を向けたのは、大勢の人々が祭りのようにごったがえす市場だ。雑踏ではぐれないように、しっかりと手をつないだ父親は、娘に服や靴、おもちゃを勧めたものの、買ってほしいとねだられたものは、色とりどりのスパイスが入った瓶詰一式だった。


「みんなでカレーをつくるのっ」


 ニーダルは一瞬だけ視線を逸らして、自分の肩に腰掛けたベルゲルミルにアイコンタクトを試みた。


『小麦粉からルゥは作れるか?』

『いい機会です。ちゃんと教えますよ』


 イスカの母親役である彼女が、つぶらな瞳でウインクするのを見て、ニーダルは首肯しゅこうした。


「よし、じゃあ、肉と野菜も買ってかえるか!」

「やったー!」


 ニーダルは満面の笑顔ではしゃぐイスカを抱き上げると、器用に人ごみをすり抜けて、生鮮食品のおろし区画へ向かって歩き出す。


(もうちょっと、高いものをねだってくれても良かったのに)


 ニーダルは娘の清貧を喜びつつも胸を痛めていたが、イスカにとっては高価なものより、姉兄皆で楽しめる物の方がずっと素敵なプレゼントだった。


(パパの選ぶ地味な服より、エンジュお姉ちゃんのつくってくれる服の方が可愛いんだ)


 同時に、イスカはこうも内心思っていたが、これは知らぬが仏だろう。

 ニーダルは、せっかく港町に来たんだから洒落たシーフードカレーでも作ろうと、お値段高めの海老と九絵ハムール、籠いっぱいの野菜を買い、よく考えたら男子には質より量だったと別鍋用に特売肉をどっちゃりと買い集めた。


「パパ、お買いものたのしいね♪」

「おおっ、これぞ観光地の醍醐味だな」

(いつもの買出しのような気もしますが、イスカが喜んでいるからいいでしょう)


 そうして親子が市場を出て、戦利品をホテルまで持ち帰ろうとすると、一人の少年が入り口で手を振っていた。

 彼が着た黒地のドレスシャツには、白のドクロマークや血管を模した赤い刺繍ししゅうが、目に痛いほど縫い付けてある。


「ニーダルさぁんっ、荷物ならおれが持って帰りますよ」

「お、おい。レイジ、その格好は……」

「どうです!? ロマンあるでしょうっ!」

「た、確かにカッコいいが」

「そうでしょう! そうでしょうっ。これはおれが運びますから」


 レイジは爽やかに会釈すると、山のような荷物を軽々と提げて、ホテルへの道を駆けていった。


「イスカ、レイジって、ああいうヤツだっけ?」

「パパ。レイジお兄ちゃんは、オトナになったんだよ」

「そ、そうか、あいつもちょうどそれくらいの年齢だもんな」

「うん。今日ののふくは、ふつうでよかった……」

「えっ?」


 あいつは、普段いったいどんな格好をしてるんだ? と、ニーダルはイスカの情操教育に不安を覚えたものの、紫崎由貴乃むらさきゆきの露出過剰ろしゅつかじょうな私服を脳裏に浮かべて――、一切合財いっさいがっさいを忘却した。

 ベルゲルミルが、あんたの外套コートも大概でしょうが、とツッコミを入れたものの、即時忘れたことは言うまでもない。


「かー、記憶喪失ってつれーわあ、呪われてるってつれーわぁ」

(チョ、宿主ッ!? 他人ノセイニスルンジャアナイッ)



 かくして夕食の食材をレイジに託したニーダルたち親子は、都市ドームの観光名所のひとつである、世界最大級の水族館へとやってきた。

 ニーダルは、今夜には空港でディミオン首長国連邦を発つ。イスカとベルゲルミルもまた共和国へと連れ戻されてしまう。三人は、今日、残された大切な時間を、家族水入らずで過ごしたかったのだ。

 人気アトラクションの一つだという、魔法で補強されたガラスの舟に乗って、魚達の泳ぐ巨大な水槽の上をすべりだすと、イスカは歓声をあげた。


「すっごいね! ここ」

「先輩が勧めるわけだ」

「いつかアリスちゃんとも来たいな」


 アリスというのは、マラヤディヴァ国で出会ったイスカの大切な友達で、地球とはまた別の異世界から来た人語を解する虎だという。


(虎、かあ。呼んだら、水槽の魚、食べちゃうんじゃないか?)


 などと、ニーダルは不穏なことを胸中で考えていたが、これもまた知らぬが仏だろう。


「おいしそう。じゅるり」

「ベル公。よだれを拭け」

「し、し、失敬なっ!?」


 ともあれ、イスカはおおはしゃぎだった。

 潜水服に着替えて、エレベーターボックスに似た駕籠の中に入って魚にえさをあげたり、サメと一緒に泳いだり、熱帯魚を間近で見てうっとりしたり――、平服に着替えなおした後も、まるで鞠のように元気に跳ね回っていた。


「こら、はしたない。走っちゃいけません」

「ごめんなさい、ベル。パパ、あっち行こう、かわいいよ」

「おおー」


 イスカに手をひかれ、隅から隅へとかけずり回ったニーダルは、正午を過ぎたころにはバテていた。

 水族館内に併設されたショッピングモール、その一角にある喫茶店で昼食を取った後、棒のようになった足をさすりながら、机につっぷしてしまう。


「パパ。あっちでペンギンさん見てくるね!」

「ベルとはぐれるなよ」

「だいじょぶ!」


 灰色熊のぬいぐるみを頭上に乗せて、イスカはステップを踏みながら飛び出していった。


「ば、馬鹿な。先輩と一晩中ヤリ続けてもびんびんなこの俺がっ……」


 むしろその徹夜が原因だろう。

 とはいえ、子供と一緒に遊ぶと想定外の行動をとることから、意外に疲れるものだ。


「おやおや、後輩。もう老いたのか、そういえば、もうすぐ三十路のはずだが」

「ふ。先輩、いい男は年齢と共に磨かれるんだよ」

「根拠はわからないが、とにかくすごい自信だ」


 紫崎由貴乃が、いつの間にかニーダルの隣席に座っていた。

 公共の場では、女性が肌を見せることを好まぬお国柄ゆえか、珍しくシックなワンピースドレスとロングスカートを着て、コーヒーを飲んでいる。

 白く細い指先で、魔術文字を刻むと、周囲の景色が青白く色を変えた。

 おそらくは、時間の流れを変えて、空間を隔離させたのだろう。

 ニーダルは、由貴乃の早業に、水族館側のセキュリティをモノともせずによくやると舌を巻いた。


「高城、状況が変わった。イスカはわたしが引き取らせてもらう」

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