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第23話 終末の剣唄

23


 レイジは前髪に隠れた黒い瞳を瞑って、首を大きく横に振った。


「あの怪物は、世界大戦の真っ最中に突如現れて、何もかもを台無しにしたそうだ」


 ナナオとアカシアは、まだ何かを隠しているのではと表情に違和感を感じたが、踏み込んだ追求はできなかった。


「だったら、レイジ。ガートランド王国の聖女、っていうのは誰だ? 今のうちに監視しておけば、神焉戦争ラグナロクについてつかめるかもしれない」

「すまないが、アカシア。おれが工作員として派遣された任地はイシディアだ。王国のことは、ナナオの方が詳しい」

「そ、そうか。ナナオはどうだ? なにか気づいたことはないのか? この際変わったことならなんでもいい」


 アカシアは、ナナオの手を掴むと、吐息がかかるほどの至近距離まで身を寄せた。

 くせの強い赤銅色の髪の下、灰色の猫目に射すくめられて、ナナオは頬を染め、おもわず視線をあさっての方にそらしてしまう。

 硝子棚に並んだ薬瓶のラベルを流し見ながら、浅い呼吸を繰り返して、王国での記憶を呼び覚ます。


「せ、聖女なんて事件は知らないな。変わったことと言えば――、ニーダルさんが王国で乱痴気騒らんちきさわぎのあまり腎虚じんきょになって、公安の新人にノックアウトされたなんて、うわさが流れたことくらいか?」

「紅い道化師のメッキがついにはげたってニュースか。私も、いっとき、大さわぎになったのをおぼえている」


 共和国パラディース教団を二分する大軍閥、ベーレンドルフ派、ヴァイデンヒュラー派の重鎮達は、降って湧いた朗報に喝采をあげたという。

 二ーダルは、喜び勇んだ彼らによって100人単位の刺客を送りつけられたものの、ことごとく返り討ちにして己が健在を再び知らしめた。

 どんちゃん騒ぎの末に、事情を良く知らぬ者達は、ニーダル敗れる! という情報を王国のプロパガンダではないかと疑い、ニーダルのひととなりを知る者達もまた、どうせ痴情のもつれで女にでも刺されたのだろうと苦笑いして収束した。


「あの時期は、確かイスカとベルさんが任務で王国にいたはずだ。きっと、ニーダルさんは、ベルさんにかみつかれてひん死だったか、秘蔵の酒かエロ本でも捨てられてショックのあまり不覚をとったんじゃないか?」


 レイジの投げやりな推理に、ありうるありうる、と、ナナオとアカシアは納得した。

 ホテルで、大の男が灰色クマのぬいぐるみに手も足も出せず、尻にしかれる光景を目のあたりにしていたから、説得力ははかり知れない。


「じゃあ、歴史が異なるから、聖女が世にでるはずの事件も起こらなかったのか?」


 アカシアの推測は、半分だけ正しく、半分だけ間違っていた。

 事件自体は、いきさつこそ異なったものの、滅んだ世界と同様に、この世界でも引き起こされたのだ。

 しかし、決定的な違いが、ひとつあった。――事件の中心となった契約神器アーティファクトと盟約を結んだのが、滅んだ世界で聖女という役割を押しつけられた少女ではなく、この世界でまさにニーダル・ゲレーゲンハイトを撃退した少年だったことである。


 彼の本名を、――赤枝基一郎あかえだきいちろうという。


 紫崎由貴乃の後輩、高城悠生の親友にして好敵手、演劇部会計担当である彼は、真の意味で正義感あふれる自由主義者であったたため、王国の親共和国野党によるコントロールをまるで受け付けなかった。

 滅びを迎えた世界では、親共和国政党こと友愛党は、”大勢の人々を救った聖女が、我が党を支持しています””我が国に迫る脅威に対抗できるのは、我が党の支持者である聖女だけです”と喧伝けんでんし、国民の安全と生命を人質にとるような看板戦術でなりふりかまわず与党の座にしがみつこうとしたのだが、こちらの世界では、聖女を利用するという手段は永遠に失われた。

 盟約者の違いは、地味に世界のすう勢に影響を与えていたのだが、知る者はいない。レイジは王国に縁がなく、レイジが情報を得た相手もまた、別の国にいたからである。


「アカシアの言うとおりかもしれない。レイジ兄。百歩ゆずって、俺たちに見せた幻が事実だとしよう。近くて遠い世界もあったのかもしれない。でも、この世界が同じ末路をたどるだなんて、どうして言えるんだ?」


 気まぐれな猫のように喉を鳴らして、胸にすり寄るアカシアに困惑しつつ、ナナオは彼女のくしゃくしゃになった髪を手櫛てぐしいた。

 レイジは、わずかに眉をひそめたものの、言葉を続けた。


「ちょっと前にあった、マラヤディヴァ国の内乱を憶えてるか?」

「共和国が経済植民地を失って、腹いせに軍隊動員して分離独立をはかったら失敗した件だろう? それに何の関係があるんだ」


 あせるなと手のひらで抑止しつつ、レイジは胸ポケットから一冊の手帳を取り出して、ページを開いて見せた。


「紫の賢者からの指示で調べた、反政府軍支援者のリストだ」


 示された名簿には、ナナオとアカシアには、理解できない名前が連ねられていた。


「でたらめじゃないのか? 西部連邦人民共和国うちはともかく、なぜ浮遊大陸アメリアやルーシア、妖精大陸の政治家や富豪が出資してるんだ! まるで繋がりが見えない」

「共通点はあるさ。たとえば、内戦を利用して、第一位級契約神器を生み出そうとした、とかな?」


 第一位級契約神器。「七つの鍵」とも呼ばれる最高位の神器は、必要な数を満たすことで、世界樹へと至る虹の門を開くと伝えられている。

 鍵は、その大半が、千年前の大戦で失われた。しかし、ふたたび第一位級契約神器を創ることは叶わない、というわけではないのだ。

 契約神器アーティファクトは、他の神器を壊して魔力を取り込むことで、あるいは、強い人間の意志や感情にさらされることで、より強く、より高い等級へと成長する。イスカと盟約を交わしたベルゲルミルが、そうであるように……。


「じゃあ、なにか、あの内戦は、第一位級契約神器を創る、ただその為だけに起こされたのか!? それどころか、この世界の紛争やテロルの背後には――!?」

「わからん。確かなことは、国や民族とは別個の枠組みで、第一位級契約神器を創り出そうとする勢力がいるということだ。七つの鍵が揃ったとき、あらゆる願いをかなえる世界樹を巡り、神焉戦争が世界を焼き尽くす。おれは、連中の影を追う途中で紫の賢者と出会った。おれは、どうしてもそいつらと戦うために力が欲しかったんだ」


 レイジが、世界が憎かったのも、変えたかったのも、本当のことだ。しかし、己の怒りや悲しみを利用して、神焉戦争を招こうとする者達の存在が許せなかった。

 ナナオは目を伏せて、思索に集中していた。胸元で甘えていたアカシアは、そっと離れると、右の手のひらを開いて、ナナオの手を取った。


「ナナオ。ロゼットに打ち明けよう。レイジもいいな? これは、私たちメルダー・マリオネッテ全員に関わる問題だ。きっと、目をそらして耳をふさいでも、ムダだ。もし、レイジの言うことが本当なら、必ず向こうからちょっかいを掛けてくる」

「二階の広間に皆を集めておく。必ず来いよ、レイジ兄」


 ナナオは、レイジの肩をパンと叩くと、アカシアと連れだって医務室を出た。


「必ず来い、か。いったい、どうやって見抜いたんだか」


 レイジは鼻を鳴らして、医務室の隅に転がった赤唐辛子粉の瓶詰を見た。

 ナナオにはレイジを殴る理由があり、レイジにはナナオに殴られる理由があった。

 なぜなら、特定色の瓶詰を転がすことで、レイジは隠れていたミズキに合図サインを送っていたのだから。


「やっはー、レイジ。どうしたの? 出て行くのはやめた?」


 鍵の開いていた窓を開けて、桃色の髪をポニーテールに結んだ幼馴染おさななじみが、ひょいと医務室の中に忍び込んできた。


「ナナオとアカシアには、事情をぶちまけた。もう隠しても意味がない。ロゼットの判断をあおぐよ」

「そうしよっ。あたしたち、姉弟じゃん。レイジはさ、考えて、考えて、考えすぎちゃうところあるもの」


 レイジは、奥歯をかみ締めた。

 ミズキの言葉は正鵠せいこくを射ている。考えて、考えて、きっと考え抜いたことを言い訳に、致命的に間違ってしまった男を知っていたから。


「おれの言っている事は正しい。正しいけれど、続ける場所がめちゃくちゃだ、か。ナナオの言うとおりだよ」


 レイジは、間違った男が踏んだわだちを避けて、同じ道を歩もうとしていた。


「変える、変わる、変わらなきゃ。そんな甘言にまどわされて、悪い方向に変えちゃいけないって、当たり前のことを忘れた」


 レイジの黒い瞳から、ひとすじの涙がこぼれた。

 ニーダル・ゲレーゲンハイトでは駄目だった。あるいは、”それこそ”がレヴァティンに取り込まれない原因のひとつかもしれないが、彼は自身をみがき続ける求道者であっても、世界の覇権や変革にまるで興味を抱いていない。

 紫崎由貴乃の軍門にくだったのもその為だ。だが、紫の賢者はメルダー・マリオネッテを救う気などなく、レイジとミズキは彼女の魔手から姉弟を守るために綱渡りを余儀なくされた。


「今も、あいつと交わしたつるぎのおとが、耳からはなれないんだ」


――

――――


 二年前、復興暦1111年/共和国暦1005年。

 いっときは大勢力を誇った国際的なテロリスト集団、赤い導家士どうけしの残党が滅んだ。

 彼らの最期の地となったイシディア法王国の山岳要塞で、レイジはひとりの傭兵と刃を交えた。

 ドレッドロックスヘアが目立つ傭兵は、篭手こてと一体化した刃で、袈裟懸けさがけと足技の入り混じった剣術を駆使する、奇怪な異邦人だった。

 傭兵の武器は、明らかに使う流派に向いていなかった。にも関わらず、相対したイシディア軍の兵士達は鎧袖一触がいしゅういっしょくとばかりに殺害された。

 傭兵の円を描くような三連続の袈裟けさ切りをいなし、膝蹴りを己が肘で抑えて、レイジはナイフをあごの下から押し込んだ。必殺を意図した一撃は、読まれていたかのように篭手で弾かれた。

 傭兵は頭を下げて、背を屈めた低い姿勢から跳ね上げるように剣を切り上げて、なぜか先読みできたレイジはそれを二本のナイフで防いだ。レイジと傭兵、互いに振るうナイフと刃が、まるでオペラの歌唱のように剣の唄を響かせた。

 どれほどの時間が経っただろうか――。らちがあかぬと見たレイジは、服の袖口から鋼糸を浴びせかけた。同時に、傭兵の篭手からも、鋼糸が間欠泉のように噴き出した。まったく同じタイミングで放たれた互いの隠し技は、相殺されて不発に終わった。


『カ、カカ。カカカカカカッ!!』


 それを見て、傭兵は笑った。大麻と煙草で黄ばんだ歯をむき出しにして、まるで遊園地に始めて来た幼子のような屈託のない顔で、戦場だというのにも関わらず、狂ったように笑いつづけた。


『ああ、けったいな格好をしているからわからなかったぜ。なんだ、オレ、こんなところにいたのか?』

『おい、クスリが脳まで回ったか、おっさん!』

『中二病のガキがっ』


 次の瞬間、傭兵の足払いが、レイジの体勢を崩していた。縮地という歩法だと知ったのは、後のことだ。傭兵は、口笛をひとつ吹き、レイジの視界は吹雪という幻覚で覆われた。


『喜べ小僧。貴様の願いはもうすぐ叶う。歪んだ世界は破壊され、屍に満ちた荒野で、勝利の凱歌をあげるがいい! これが貴様の行き着く未来だ。カカカカカッ!!』


 レイジは見た。傭兵が辿った、近くて遠い世界における神焉戦争の軌跡を――。

 世界を変えるため、生き延びるために、男は戦い続けた。弟の首をはね、妹を手にかけ、時に見殺し、時に謀殺した。

 眼前には、斬殺され、絞殺され、焼殺され、圧殺された弟妹の亡骸なきがらが、まるで塔のように積み重ねられている。

 生首となったロゼットが、塔の上部から悲しそうに見下ろしている。


『あ、ア、ア』


 そして、頂点、レイジが愛した女、大切な幼馴染は、ひとのかたちをたもっていなかった。


『あああああああああああああああああっ』


 世界は変わったのだろう。やつは見届けたのだろう。

 最愛のものを引き換えにして、至高ノ果実くさったごみを手に入れた。

 そうして、境界を越えて、彼岸へと渡ったのか。

 彼こそは、狂い果てた、もうひとりのレイジがたどり着いた終末ゴールに他ならない。


『違う。おれはお前じゃない。ちがう、チガウ、ちがうんだっ』


――――

――


 ベッドの上で涙をこぼすレイジの背を、ミズキは撫でさすった。


「ロゼットを支える。おれは、ミズキ、お前を、ナナオたちを愛してるんだ」

「知ってるよ。だから、だいじょうぶ。あたしはレイジの傍にずっといる。あたしだから、わかるんだ。きっと何もかもうまくいくって」


 嗚咽おえつするレイジを抱きしめて、ミズキは想った。

 レイジが教えてくれた、限りなく近くて遠い世界の自分もまた、幸せだったのだろう――と。

 どんな無惨な死を遂げたとしても、それほどまでに守りたい、愛するものがいたのだろうから。


(でも、あたしは、別の道を行くよ。レイジと一緒に、ロゼットたちと歩くんだ)


 愛する男の泣き声と心臓の音を聞きながら、ミズキはもうひとりの自分に誓った。


今回、回想で出演した傭兵は、今後書く「近衛編」でのメイン敵となります。

レイジとどのようにして出会ったか、なにを望んで戦っていたのかは、そちらで書く予定です。ご了承くださいm(_ _)m


蔵人編こと、「悪徳貴族」でも、ちょっと出演してますが、その時点で正体を予測できた方がいらっしゃったら、……脱帽です(*´∀`*)

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