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第19話 恋せよ乙女

19


 復興暦1113年/共和国暦1007年、若葉の月(3月)15日目夕刻。

 夕食は、砂浜で焼き魚大会になった。

 訓練を受けたメルダーマリオネッテにとってサバイバルは手馴れたもの、皆で競うように魚を釣り、貝を集めてゆく。

 一方、ニーダルは重症を負って包帯ぐるぐる巻き、紫の賢者は子供たちの水着姿鑑賞に夢中で働く気はなさそうだった。


「昔からアンラッキースケベで酷い目に遭うのが俺と赤枝の担当で、甘い部分を先輩がかっさらってお咎めなしなのはどうかと思います」

「ならば、後輩! あらゆるエロが許される爛れた淫世界の扉をともに開かないか」

「よっしゃ、のった!」


 包帯を引きちぎり、華麗なダイブを決めようとしたニーダルだが、運悪く綺麗な貝殻を見せに来たイスカと、彼女の肩に鎮座した灰色熊のぬいぐるみに阻まれた。


「のるな。あと、ちょっと頭冷やそうか…」

「ベル。頭に噛み付いたらむしろ血が昇る。これ以上出血すると貧血で死ぬ。あ、意識が遠く」

「や~り~す~ぎ~。ベルばっかだきつくのめーっ」

「イスカ。心配するところ、間違って、ぐふ」


 そうか。イスカにはベルゲルミルの噛み付きが愛情表現に見えるのか、と、おにぎりを差し入れにもってきたロゼットは目からうろこが落ちた気分だった。

 なにぶん殺気がこもりすぎで、抱きついているようには見えな……捕食って愛情なのかな? と哲学的な問題を考えてみたりする。


「ロゼット、ちょっと”遅かった”ね。やっぱりロリコンどころかペドフィリアだったなんて。よよよ。」

「アンズ。あれは冗談ですからね。きっと、たぶん、そう」


 隣で嘘泣きを始めたアンズをたしなめながら、ロゼットは浅く息を吐いた。

 年齢のみを考慮すれば、ノーラ=ミーミルもまた千歳を越えているから、一応範疇はんちゅうに入り得るのだ。


(契約神器だから抱かないよ! なんてことは、ベルさんが無茶して人化を隠しているからないでしょうし)


 今更気づいたのだが、紫の賢者も、余計なことをせずに普通に誘惑したら、ころっと転がりおちていたのではないだろうか?


(ワタシも、普通に誘惑すれば)


 ロゼットは、浴衣の前をほんの少しはだけてみる。

 胸には自信がないが、少しくらいは色っぽく見えるかもしれない。

 チラリ、とニーダルに流し目を送ってみると。


「おーい、ロゼット。浴衣着崩れてるぞ。アンズ、見てやれ」

「ハイハイハイ! おまかせ~。さー痛くしないから、脱いでね~」

「自分でできます!」


 予想の通りにスルーされて、ロゼットは少し涙目になった。


「うん。リーダーは格好つけないと。お前は素材がいいんだから、しゃんとしなよ」


(その気遣いを、どうして別の方向に発揮してくれませんの?)


 ニーダルも殊更鈍感というわけではないだろう。紫の賢者が現れて実感したが、彼女はちゃんと対象に見られているのだ。やはり自分は魅力に欠けるのでは、とロゼットの内心は揺れていた。


「オジョー、さんきゅーな。うむ、絶景かな絶景かな」


 ロゼットが手渡した握り飯にかぶりつく、ニーダルの視線の先には、忙しなく魚を調理して大皿に盛り付けるミズキとエンジュの姿がある。

 たゆん。

 ぽよん。

 どこがとは言わないが、少し崩れた浴衣の奥で、彼女達の脂肪の塊が揺れている。


(おしりも、って、う、うらやましくなんてありませんわ!)


 ロゼットがハンカチを涙ながらに噛んでいる間にも準備は進み、紫崎の賢者が乾杯の音頭を取って、夕食が始まった。

 エイスケが、裸足で砂を巻き上げながらさっそうと皿に飛びついて、焼いた魚や海老の腹に食らいつく。


「うめぇ、このさかな、うめえ」

「待て、エイスケ! それは僕の、俺の釣ったタイだ。半分にわけ……全部食べるなっ」

「こまかいこと気にするやっちゃなあ。ナナオ。ほれ、これやるよ」

「エビの尻尾をどうしろというんだ!」

「ナナオ、交換しよう。尻尾の代わりに、このカレイ、半分やるよ」

「アカシア。なにか悪いものでも、食べたのか」

「ばか」


 激突の際の振舞いから、一時は仲間達からも距離を置かれていたアカシアだったが、ナナオが上手くフォローしてくれたようだ。

 自分にはもったない出来た弟だと、ロゼットも思う。

 少し離れてかまどに近づくと、エンジュが追加の握り飯を丁寧に握っていた。


「エンジュ。おにぎり、おかわり!」

「えへへ。トウジ、どんどん食べてね」

「こんぶ、つくだに、たまごやき、おかか、ツナマヨ、シャケ。この一個で、全種制覇っス。……し、し、しょっぱぁああっ!」

「この梅干し、すっぱすぎるよね。賢者さんが、これ使えって持ってきたんだけど、なんでだろう?」


 梅干は酸っぱくないとゴネる後輩がいるからな、なんて、パラソルの下で麦酒を交わしながら、ニーダルと紫の賢者がよくわからない会話をひそひそと話していた。

 小声と言えば、ヨツバとイッパチが磯の岩陰で、ごにょごにょと内緒話をしているようだった。

 気になって覗いてみると、どうやら慰めているようだったが……


「ひっぐえぐ、だからね。ヨツバにいさん、オレのあつかいだけ悪くねって。野球もちゃんと参加できなかったし」

「辛かったな。大丈夫、胸ならいつでも貸してやる。さあ、カズヤ、あっちで布団をしこう」

「ヨ ツ バ」

「ハハ。他意はありませんよ、姉さん」


 とりあえず、顔を出して釘をさして置く。これ以上、綱紀こうきが乱れては、たまったものじゃない。


(まったく……。うちの男子は、弩級馬鹿レイジを筆頭に、どいつもこいつも)


 そのレイジだが、ここ数日の疲れからか、うつらうつらと舟をこぐミズキを膝にのせて、砂浜で星空を見上げていた。

 西部連邦人民共和国の、吐きだされた有害物質と異常魔力が生み出す霧と煙で曇った空とは違い、黒く澄んだ夜空に、輝く星が瞬いている。


「綺麗ね」

「ええ」


 ロゼットはレイジの傍らで、姉弟二人で空を見上げた。

 叱責も謝罪も必要ない。それは、もう終わったことだから。

 でも、ただひとつ、ロゼットにはわからないことがあった。

 理由――だ。

 アンズは師の為、ミズキはレイジと共に戦う為、アカシアは彼女なりの信念と忠義の為。

 彼や彼女には、確かな戦う理由があった。


(だったら、この弟は、いったい何のために戦ったの?)


 メルダーマリオネッテの姉弟を全員生存させるため?

 紫の賢者を利用することで、共和国に新しい秩序をもたらすため?

 それらが、理由の大部分を占めるのだとしても、どうしても違和感が拭えないのだ。


 だから、ロゼットは訊ねた。刃ではなく、言葉を重ねることで、レイジを理解するために。


「レイジ、あなた、イシディア法王国で何を見たの?」


 レイジは、ロゼットからの問いかけに、観念したかのように息を吐いて答えた。


「雪を。天地四方からたたきつける吹雪、神焉戦争ラグナロクの先駆けたるフィンブルの冬を――おれは見た」


 しかし、弟の返答は、まるで答えになっていない。


「こんな時に、中二病発症されて電波ポエム吹かれても困るのだけど」

「聞いといて信じる気ゼロだよっ、この姉さん!」


 そう言われても、いきなりラグナロク、だの、フィンブルの冬、だのと神話由来の単語を挙げられても、本気には受け止められない。


「でも、そんな姉さんだから、宿命シックザールに打ち克ったのかもね」

「レイジ、大丈夫? 悩みがあるなら、お姉ちゃんに何でも相談していいのよ」

「ハハっ。泣きたい……」


 レイジは、黒い瞳を左手で押さえ、右手で胸ポケットから折りたたんだ封筒を取り出した。


「姉さん、中のメモに目を通してくれ。この情報は、今の姉さんに必要なはずだ」

「暗くて読みにくいわね。マラヤディヴァ、イシディア、学校に孤児院……ちょっと、これって!?」

「ああ、必要になるだろう?」

「ほんと、よくわからない弟だわ。貴方」



 復興歴1113年/共和国歴1007年、若葉の月(3月)15日目夜。

 夕食会はつつがなく終わり、ロゼットは、紫の賢者こと紫崎由貴乃むらさきゆきのと、ニーダル・ゲレーゲンハイトに呼び出され、2階の”鳳凰の間”というプレートがかかった広間に呼び出された。

 普段のロゼットなら、「ひょっとして夜の御誘い?」と胸がきゅんきゅん跳ねるところだが、あらかじめレイジがメモを渡していたため、おおよその要件をすでに予想していた。


「失礼します」

「いらっしゃい」

「よう、ロゼット。悪いな夜に呼び出して」


 ロゼットがふすまを開けると、紫崎由貴乃とニーダルがちゃぶ台を前に座り、ふたりで酒を酌み交わしていた。


一献いっこんどうだ?」

「馬鹿っ、先輩。子供に奨めるなっ!」

「無駄に頭が固いのは、赤枝といい蔵人といい、お前達男子組の悪い癖だ」

「先輩くらい斜め上に柔軟な部員は、他にいねえよっ!」


 また子供扱いする! と、ちゃぶ台の向かい側に座ったロゼットはむかむかしたが、怒りは呑み込んだ。覚悟を決めてきたのだ。こんなことで台無しにしてはいけない。


「ロゼット、皆には明日言うつもりだったが、お前には先に相談したいんだ。マラヤディヴァって国に、俺の知り合いが経営してる全寮制の冒険者学校がある」

「はい」


 ”お前には”先に相談したい、という言葉に、ちょっとだけロゼットの胸が高鳴る。

 たとえ、色気のない話であっても、彼に必要としてもらえるのは嬉しかった。

 ニーダルは、おちゃらけて見えるが、かなり名前の知られた遺跡探索者で、そういった伝手があっても不思議ではなかった


「お前たちのことは、先輩に任せるつもりだったが、いくらなんでもこんなことやらかされちゃ、居心地悪いだろう? 俺も先輩の性格の悪さは重々承知してるし」

「後輩はそんなわたしが大好きな癖に」

「む。ほっとけ」


 ……否定してよ。今は。と、それが友情なのか、慕情なのか、ロゼットは判別がつかず、奥歯をぐっと噛みしめた。


「だから、お前たちには、マラヤディヴァ国に行ってもらおうと」

「お断りします」


 呆然とするニーダルと、それみたことかと言わんばかりの表情で微笑む紫の賢者。

 あるいは、レイジから手渡されたメモにも、彼女は一枚噛んでいるのかもしれない。

 けれど、そんなことは瑣末さまつな問題だ。

 ロゼットは、ニーダルに向かって背筋を伸ばした。

 ニーダルは無精ひげの浮いたあごを何度かかいて、もう一度ロゼットの瞳を正面から見た。


「そっか、マラヤディヴァ国は駄目か。あそこは、ヴァン神教の影響も強いからなァ。じゃ、イシディア法王国はどうだ? あそこにも俺の知り合いが運営している孤児院が……」

「御好意は嬉しいですが、ワタシ達は、ここに残りたいと思います。名高い紫の賢者の元で、戦いを学ぶことが叶うなら、ここ以上の環境はありません」


 ニーダルの貌が、笑うような泣くような、めちゃくちゃな表情を形作った。

 歪んだ顔が、あまりに自然だったから、ロゼットは見惚れてしまった。

 四年前は、もう少し人工的な陰を帯びていたはずだ。

 レヴァティンをくニーダルは、きっと呪詛を克服しつつあるのだと、ロゼットは信じた。

 だからこそ、自分たちは、この場所に残らなければならない。


「ロゼット、もう戦う必要なんてないんだ。世界はもっといろんなもので出来ている。お前たちはそれを知らなくちゃいけない」


 知っている。知っているとも、それを教えてくれたのは、この感情を与えてくれたのは、他ならない貴方だから。


「ワタシたちは戦う為に育てられました。嘆いたこともありますが、今は誇りに思います。戦う力があったからこそ、ひとりも欠けることなく生きのびることができた。そして、戦う力があるからこそ、ワタシたちは、この道を選びます」


 ロゼットは、ちゃぶ台に手をついて、瞳を覗き込むようにして、最後の言葉をニーダルに囁いた。


「いつか貴方の隣で戦う為に」

「待て、ロゼットっ」


 待った。充分に待ち続けた。

 ワタシの心が叫んでいる。

 あなたと一緒にいたい、あなたに触れたい。あなたの笑っている顔がみたい。

 視線を交わすだけで、胸の奥が熱くなって、今にも弾けてしまいそう。だから!


「愛しています」


 ニーダルの頬を両手で掴んで、ロゼットはそっと唇を重ねた。

 初めての口づけは、甘かった。

 歯に触れた何かに、電流が奔ったかのように身体が震え、舌を突き出す。

 舌が絡み合い、唾液が互いの口の中を行き来して、甘く、細い糸をひく。


 だめだ。と、ロゼットは理解した。

 これはだめだ。歯止めが効かない。このまま溶けてしまいそう。

 それは、それだけは、まだ出来ない。

 恥ずかしすぎるから!


「し、失礼しましゅっ」


 ロゼットは、全速力で自室に向かって猛然と転進した。


「ま、待つんだ。ロゼットっ」


 振り返ると、追おうとしたニーダルが紫の賢者に足をからめとられ、すっ転ぶのが見えた。


「やい、ロリコン。通報するぞ」

「ろ、ロリコンちげぇしっ」

「舌を入れて、あんなにも見せつけて? これだから下半身でモノを考えるオトコはハレンチなんだっ」

「先輩にだきゃぁ言われたくねええ」


 そんな能天気な掛け合いをふすま越しに聞きながら、ロゼットは走り去った。


(今は預けてあげますわ。でも、必ず、あのひとを、ワタシは奪ってみせる!)


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