第二話 人形は道化師と出会う
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復興暦1109年/共和国暦1003年 霜雪の月(2月)17日目。
メルダー・マリオネッテは初陣に臨んだ。
殺すことに迷いなく、殺されることに怖れなく……。
人間ではなく、人形としての本分を果たすため、殺すためだけに育てられた彼らは、模擬戦では共和国の精兵すら打ち負かした。
はじめての任務に成功することで、彼女達の性能は評価され、その信頼性はゆるぎないものとなるはずだった。
目的は、ニーダル・ゲレーゲンハイトという、敵対軍閥の工作員を抹殺すること。
彼は先史時代の遺跡にもぐり、魔術道具や契約神器を発掘する遺跡荒らしだが、これまでに何度もマルティン・ヴァイデンヒュラー前主席教主の意向を妨げ、数々の破壊活動を行ったという。その上、大酒のみで女好きの外道で、関わる女性悉くを辱めた最悪の鬼畜犯罪者だった。
準備には万全を期した。
ロゼット達は、彼を雇ったシュターレン軍閥の領地深く、誰も近寄らない古代遺跡周囲の森に数多の罠を仕込み、退路を断つための地雷魔方陣をしきつめた上で襲撃をかけたのだ。
血のように赤い黄昏時。ウィツエト遺跡の入り口、洞窟から出ようとするターゲットに、ロゼット達は、「眠りの雲」という魔術を発生させる筒を投げ込み、一斉に矢を浴びせかけた。
「本日のぉ~営業はぁ、終了いたしました。
またのご来訪をっ、待つわきゃねぇえだろうがぁ!」
長身を弓なりにそらして突撃した、男の野生の獣じみた反応は、予想外のものだった。
彼は場違いな台詞を怒鳴りながら、魔術文字をつづり、爆炎を呼び出して催眠ガスの雲を焼き尽くす。
撃ち込んだ矢の1割は、男が背負ったズタ袋によって防がれた。残る9割は、穂先に三日月の刃がついた変形十文字槍によって叩き落とされていた。
初手でしとめ損ねたメルダー・マリオネッテは散開し、チームを組んで攻撃を続行した。三人が矢を浴びせ、三人が火球や氷柱、雷刃を呼び出して牽制し、刃をもった近接攻撃者が次々と襲い掛かる。標的が絶命するまで続く、終わらない死の輪舞曲。
「こんな魂のこもらん刃や魔術で、この俺様が倒せるかぁぁああ」
だが、けばけばしい真紅のコートに身を包み、長い黒髪を振り乱して闘う男の前に、メルダー・マリオネッテは一矢すら当てることができなかった。
仕掛けた罠は悉く焼き払われた。人数差なんてハンデにもならなかった。死は怖くなかった。痛みなど慣れていた。けれど、空すら焼くほどの男の激情が、ロゼット達の歯車を狂わせた。
二〇人いたメルダー・マリオネッテが、一人、また一人と倒されて、気が付けば、残ったのは、ロゼットと20だけだった。
石弓の矢は尽き、魔術を行使することも出来ず、二体は刃を手に無謀な戦闘を続行する。……まだ、最後の手段が残っていたから。
ナイフを手に跳躍したロゼットは、ニーダル・ゲレーゲンハイトの振り回す槍の石突によって跳ね飛ばされ、大地へ叩き付けられた。
「……」
切れた口から血を流しながら、ロゼットは無感動に勝利を確信する。任務は果たされた。
ロゼットが稼いだわずかな時間を使って、20は自決用の呪文を唱え終わっていたから。
迷彩色のつなぎから伸びた白い手足を、蜂蜜色の髪を、赤黒く明滅する文字が覆い尽くしてゆく。
メルダー・マリオネッテは、四肢の骨に爆薬が埋め込まれている。一度起動の呪を唱えれば、槍で彼女の胸を貫こうと、首をはねようと爆発は止まらない。魔術と炸薬が引き起こす衝撃は、彼一人を殺して余りあるだろう。
20は武器を捨て、まるで父を求める幼子のように、両の手を開いて標的に飛びついた。
ニーダル・ゲレーゲンハイトは、呆然と死を運ぶ人形を見つめ、槍を放り出して、自分を殺そうとする20を胸に掻き抱いた。
「女に無理心中を迫られる。俺の死に方としちゃあ悪くない」
20が、ロゼットが。
いや倒れながらも、意識を保っていたメルダー・マリオネッテ全員が、驚きに目を見開いた。
彼の言葉と行動は、想像もしなかったことだったから。
「だが。惜しいかな。乳と尻が足りないっ!」
そう激しく意味不明で恥ずかしい言葉を堂々と付け加えて、男の背から異形の何かが飛び出した。
それが、なんだったのか、ロゼットは、覚えていない。
☆
シュターレン軍閥領、ウィツエト遺跡から少し離れた山肌に、遺跡のモンスターを監視する詰め所があった。
ニーダルはそこの警備兵に連絡して、子供達を運ぶのを手伝ってもらった。
……巻き添えで殺されたのではと心配したが、杞憂だったようで、彼らは無事に元気な姿を見せてくれた。
昏倒した子供達を一緒に詰め所の広間へと運んだ後、ニーダルは兵士達に後の業務を彼に任せて帰るよう伝えた。
「ニーダルさん、これから二十人を相手に乱交パーティーですか。相変わらずお盛んですね~」
思いがけない休暇に心はずんだか、そう兵士達がイイ笑顔で喜んでくれたので。
「ハッハッハ。俺ってば絶倫だしぃい」
と、ニーダルもイイ笑顔で答えて、……ボコっておいた。
結果、彼らは微妙に無事ではなくなったような気もするが、気にしない。
気にすべきことは、他にあるのだから。
ニーダルは、詰め所の小屋を出て、赤いコートから掌大の水晶球を取り出した。
「クソジジイ。俺だ。今どこに居る?」
水晶の中に、ベッドの上でナイトキャップを被って眠そうに欠伸をかみ殺す老人が映し出される。
パラディース教団主席教主アブラハム・ベーレンドルフ、パラディース教団前主席教主マルティン・ヴァイデンヒュラーに次ぐ、軍閥の主にして財閥を束ねる企業家、エーエマリッヒ・シュターレンだ。
「ガートランド王国だよ。商売のことで揉めていてね。こうして直接出向くことになった。動かぬ証拠をつきつけられてさえ、何もかも王国が悪いと責任転嫁する教団上層部には困ったものだ」
眠そうな目でまばたきを繰り返して、老企業家は嘆息する。
「彼らは、『自分がどのように改善するか』ではなく、『他人にどう報道させるか』しか頭にない。これでは信用など築けぬし、真面目にやっている我々にまでとばっちりが飛んでくる。尻拭いする企業の立場にもなって欲しいものだ。……さて、愚痴はここまでだ。ニーダル。何があった?」
「ウィツエト遺跡で、ヴァイデンヒュラーの刺客に襲われた」
エーエマリッヒは、灰の混じった栗色の口ひげをひっぱって目を細め、不敵に笑った。
「わしの領内でやってくれる。遺体が残っているのなら、首でももいで送りつけてやれ。まとめて借りを返してくれる」
「ガキだった」
ニーダルがこぼした言葉は、かみ締めるように小さなものだった。
「今何と言った。ニーダル?」
「襲ってきたのはガキだったんだ。魔術による精神拘束に、薬物投与の洗脳、ご丁寧に身体に爆発物と術式まで埋め込んであった。いったい何考えてんだ。ヴァイデンヒュラーは!」
激昂し、怒りをあらわにするニーダルに、エーエマリッヒは冷ややかな視線を送る。
「よくあることだろう? 行方不明者の臓器がバラ売りされているご時勢に、何を今更怒っているのかね?」
「怒りもするわっ。ガキだぞ! ガキが爆弾背負って暗殺に来たんだ。なんでアンタはそう冷静なんだっ」
「わしは、酸いも甘いも噛分けたナイスミドル。君は、青臭い若造。それだけの話」
「あ、あ、ああああ」
振り上げた拳を下ろすに下ろせずに、ニーダルは悶絶した。
「そんなことで一々ホットラインを繋ぐな。酒なら今度つきあってやるから、ちゃんと処分して置くように」
話を打ち切ろうとする老人に、青臭い若造はこう突っ返した。
「嫌だぞ。俺は」
「まさか、何人か生かしてあるのか?」
「全員殺してねーよ」
口を歪めるニーダルに、老人はベッドの上の水差しを一口飲み、大きく口を開いた。
「”翼”を使ったか。この馬鹿造がぁああっ!!」
「当ったり前だ。全部焼き払ってやったわああああ」
老人は頭痛がするとばかりに、しわの浮いた大きな手で目を覆った。
「むごい事をする。君の行為は、人形へ人間になれと命じるようなものだぞ。天之国へ送ってやるべきなのだ。いつものように」
「くそじじい。俺は人面獣心のヒトモドキをぶっ殺すのにためらいはねえ。だけど、善悪もわからんガキに向ける槍はもってねえ」
「蜜より甘いことを言うな。そやつらは子供でなく兵器だよ。生かしておけば、必ず我らに仇を為す」
「俺にとっちゃただのガキだ。”よくあること”と言ったのはアンタだろう。たとえこいつらを殺しても、別のガキが爆弾を背負わされるだけだ」
「……」
水晶を通して、ニーダル・ゲレーゲンハイトは歯をむき出しにしてにらみ、エーエマリッヒ・シュターレンは冷徹にその視線を受け止める。
エマリッヒは言う。子供とはいえ、敵対軍閥の暗殺者だから始末しろ、と。
ニーダルは返す。たとえこの子達を始末しても、代わりなんぞすぐに用意される、と。
この若造はいつもそうだ、と、軍閥の主は苦い唾を飲み込んだ。どれほど奇抜に振舞おうと、どれほど道化じみた戦振りを見せようと、最後の最後で頑迷なまでの保守性を発揮する。
「道徳など、時代と場所で変わる。それがわからぬ君でもあるまい」
「はン! いつの時代、どこの場所だって、ガキを殺す道徳なんぞ知ったことかぁ!」
「……子供のような理屈を」
ニーダルが論理でなく、感情を優先した以上、もはや水掛け論だった。利はエーエマリッヒにある。他国ならいざ知らず、ここ西部連邦共和国ではニーダルの糖蜜じみた正論は意味を成さない。だが、そんな男であればこそ、老人は若造を信用できた。彼が絶対に裏切らない、筋を通す侠と認めていたのだ。
「勝手にするがいい。交渉の後、引き渡すよう取りはかろう。だが忘れるな、ニーダル。君の行為は、ただの自己満足だ。魔術による拘束を外し、薬物の洗脳を解き、身体に埋め込まれた爆発物と術式を破棄しても、それを彼奴らが喜ぶと思うな。いずれ、ツケを払うときがやってくる」
「もう一生分、先払いしちまったよ」
老人よりも枯れた瞳で、ニーダルは笑った。
そうして水晶が暗くなり、何も映さなくなるのを、異国の宿でエーエマリッヒは見送った。
「あやつめ」
軍閥の主は、遺跡荒らしの心中を思った。
そうだ。あの男にはもはや何もない。
帰るべき故郷、守るべき国、喜びをわかちあう友、愛する女。―――彼がすべてを失ったことを、エーエマリッヒは知っていた。
温もりを失った彼に残されたものは、すべてを焼き尽くす魔術と、復讐という熾火だけ。
「それでも、お前はお前自身であり続けるのか? あるいは、過去の残滓を演じているのか?」
老人の問いに答えるものはおらず、沈黙の闇に沈んだ。
3
ロゼット達が目覚めたのは、翌朝のことだった。
なぜ自分たちが生きているのかわからなかった。全員、傷には簡単な手当てが施され、床にひかれた毛布の上でタオルケットに包まって雑魚寝をしていた。
「おーし、ガキどもぉ、もう起きたかあ」
ガンガンと、フライパンとおたまをぶつけあわせながら、ニーダル・ゲレーゲンハイトが部屋へ入ってくる。
「顔を洗って、歯を磨いて、まずは飯にしようぜ」
この施設は、小隊規模の兵士達が詰められるよう準備されたものらしい。
おそらく封鎖された遺跡から迷いでるモンスターを監視する為の施設だろうと、ロゼットはあたりをつけた。
食堂には、パンと目玉焼き。それに野菜と干し肉を使ったスープが用意されていた。
全員、なすべきことをなすために、席に着く。
食前に祈りを捧げ……。
ニーダルがパンに口をつけた瞬間、ロゼット達はスプーンとフォークを握り締めて、彼に襲い掛かった。
動きを止めるために、熱いスープをぶちまけ、顔面に皿をぶつける。
たとえナイフでなくとも、フォークは身体の肉を裂き、スプーンは目玉をえぐる武器となる。
「ツケ、かよ」
しかし、ニーダルはメルダー・マリオネッテの上を行っていた。
炎の魔術文字を綴ってスープを焼き払い、肘と手足を使って、食器を手に襲い来る暗殺者を無手のまま叩きのめす。
時間にしてわずか10分足らず。ニーダルは、ぐったりとのびたロゼット達十九人を引きずって、広間へと放り込んだ。
「俺はお前たちを殺さない。交渉が済み次第返すから、しばらく大人しくしておけ」
最後に、彼は人数分の傷薬を投げると、こう付け加えた。
「あとな。食い物を粗末にするやつは、俺は大嫌いだ」
ドアが閉まる。
メルダー・マリオネッテは、毒が含まれていないか、細心の注意を払いながら手当てを行い、何を馬鹿なことをと胸中で呟いた。
自分達は兵器だ。標的を、あの男を殺すためにあるのだ。たとえ壊れたとしても、あの男さえ殺せば、任務は達成される。
「20は――?」
ロゼットの問いかけに、部屋へ集った仲間達は、首を横に振った。
いち、に、さん、…じゅうく。
一人足りない。
ロゼットの心に、ノイズのようなざわめきが走った。
相手は鬼畜で知られた漁色家だ。
20の小さな身体に、獣欲をぶつけてうさを晴らすくらい、やってのけるだろう。
これまでのロゼットならば、それも任務と割り切ったはずだ。だが、最年長である彼女は、生き残った最年少の少女を気にかけていた。いつもなら生じ得ない、小石がこすれるような落ち着かない気持ちに押されるように、ロゼットはドアノブに手を伸ばした。
無用心にも、鍵はかかっていなかった。
廊下に出ると、食堂から人の気配がする。足音を忍ばせて、そっと中をうかがうと。
ニーダルは、無残になった食事の残骸を片付けていた。ぐちゃぐちゃになったパン、黄身と白身が床にぶちまけられた卵、とびちった野菜や肉……。かつては食べ物だったものを、バラバラになった食器の破片と一緒に集めて、獣皮の袋につめてゆく。
彼の横では、20が、スープ溜まりに古新聞をあてていた。
「いいのか、俺の手伝いなんかして」
「ン」
20は頷いて、彼女の小さな背と伸びた蜂蜜色の髪が、わずかに前へ揺れた。
「ま、いいけどよ」
二人は、並んで作業を続ける。
それを見守るロゼットは、知らず掌を握り締めていた。
☆
こうして、暗殺者と標的の奇妙な共同生活がなし崩し的にはじまった。
ニーダルは、ロゼットたちを閉じ込めることもなく、詰め所に常備された武器すら隠そうとしなかった。
自然、メルダー・マリオネッテのニーダルへの襲撃は続く。
ニーダルが寝所に選んだ宿直室にトラップが仕込まれるなど、まだ序の口。
衣服を洗えばナイフが閃き、シーツを干せば矢が飛びかう、非日常の日々。
夜討ち朝駆け、果ては色仕掛け等のからめ手に至るまで、あらゆる手段が試された。
その全てをニーダルは受け止め、殴り倒して乗り切り、……誰も殺さなかった。
とはいえ、7(ズィーベン)や12(セバルツ)達、男に色仕掛けを受けたときはさすがに堪えたのか、男全員を集めて「ニーダル・ゲレーゲンハイトによる漢の約束3000」という怪しげな講義を丸一日かけて行った。
授業の内容はわからないが、以後、彼らがそういった行動を慎むようになったのは事実である。
……ロゼットからすれば、反動で若干おかしくなった気もしたが。
六日目が過ぎたある日の朝、強い雨風を伴う嵐がこの地域一帯へやってきた。
詰め所も例外ではなく、ニーダルは「もう着替えがない。どーすれバインダー」とか喚いていたが、不意に出るなと言付けて、小屋を出て行った。
雹の混じった冷たい雨と吹きつける風が、着込んだ真紅の外套越しに、ニーダルの体温を容赦なく奪ってゆく。
「つめて~。こんな日は、外じゃなくて、毛布の中で女といちゃいちゃしたいものだぜ」
ニーダルの趣味はナンパだが、さすがにこんな森にまでやってくる物好きはいないだろう。
彼が向かっているのは、遺跡の入り口だった。
むせ返るような土と樹がかもす森の匂いに、刺激的な異臭が混じっている。
動いている。ぞろぞろと、ずるずると、夜のように暗い森の闇を、うぞうぞと何かが蠢いている。
「こんばんわぁ、なーんつって、今は朝だぜっ」
高い草と雑木の藪をかきわけ、異物へと接近する。
泥にまみれて蠢いていたのは、全長3mに達するだろう、巨大なあめふらしの出来損ないのような怪物だった。
「……封鎖結界が破られたか。偶然だか故意だかは知らんが、面倒な真似をしてくれる」
通常、遺跡には、モンスターがはい出ぬよう、魔術師による厳重な儀式と術式による結界が張られている。
が、封印の手間とは裏腹に、相応の知識を持った工作者が要石を壊したり魔方陣に手を加えれば、結界は短時間で無力化され、地下から怪物どもが這い出てくるのだ。
無論、そんなことはめったに起こらない。起こらないが、起こしてしまうのが西部連邦共和国であると、ニーダルは熟知していた。
ニーダルが、雨に濡れた手で魔術文字を描く。この天候では、炎はろく使えまい。
かすかな煙をあげて転送されてきた三日月十文字槍を掴むと、ニーダルは跳躍した。
あめふらしもどきが酸のような液体を吐き出し、先ほどまでいた大地と草をドロドロに溶かしてしまう。
「……業だな」
三日月の穂を鎌のように振るって首を切り裂き、粘着質の皮膚を裂いて拳を突きこむ。
あめふらしもどきの体内を、魔術文字が荒れ狂い、巨躯が炎に包まれて燃え尽きた。
ほぼ同時に、上空からドリルのような嘴を回すからくり鳥が飛来し、茂みから鋭い牙を光らせた犬の首がついた鬼が飛び出した。
「はは。はははっ。あーっはっはっ」
笑う。笑う。ニーダル・ゲレーゲンハイトは狂気じみた高笑いをあげて、犬の首がついた小鬼を、からくり鳥を、あめふらしもどきを狩り続ける。
血の匂いと声に吸い寄せられるように、遺跡から迷い出た怪物たちが、砂糖を前にした蟻のようにわらわらと集ってくる。
小鬼を切り飛ばし、あめふらしに槍の穂先を突きこんだニーダルが、わずかに槍を引き抜くのが遅れた。
その隙をついて、一羽のからくり鳥が飛礫のように飛来して、ニーダルの喉首を狙って嘴を突き出した。
普段なら炎で焼き払っただろうが、この雨では不可能だ。急所だけでも外そうと横っ飛びに跳んだ瞬間、鳥の喉首に一本の矢が突き刺さった。
魔像人形を動かしているのは、有人であれ無人であれ、多くの場合頭部に刻まれた魔術文字による回路だ。
ここを破壊されたことにより、魔術仕掛けの機械鳥は、そのかりそめの命を終えた。
「……誰だ?」
雨の中、森の闇に隠れて石弓を撃ったのは、黒褐色の髪を二本のおさげにわけた、翠玉色の瞳の少女だった……。
「止せ。オジョー……。冗談なら後でつきあってやる。今の俺は、加減がきかん」
ニーダルは、幼い暗殺者が自分を襲いに来たものと考え、苦虫でも噛み潰したような表情で彼女に背を向けた。
ここで己が彼女に討たれれば、止めるものがいなくなった怪物たちは、嵐に紛れて、シュターレン領の居住地へとなだれ込むだろう。
逆に彼女を失神させて、あるいは手足に傷を負わせて無力化しても、怪物たちの前で美味しい餌の一丁あがりだ。
生きながら貪り食われるくらいなら、いっそ一息に首でも刎ねたほうが、まだしも救われるだろう。
ロゼットが、ニーダルの背中を向けて石弓を構える。
ニーダルが、ロゼットの視線を受けながら、荒い息を整える。
そして、三日月十文字槍が少女へ飛び掛かかる小鬼を貫き、”二本の”矢が遺跡荒らしを狙うからくり鳥に突き刺さった。
「この子があなたを心配して、とびだしましたのよ」
ロゼットの小さな背から、更に小さな蜂蜜色の髪の少女が顔を出した。
「ン」
「ガキンチョ……」
ニーダルは、20の蒼い瞳を覗き込んだ。
髪を撫でようと手を伸ばしかけ、青や紫の血で汚れていることに気づいて引っ込める。
彼にできたことは、首を横に振ることだけだった。
「俺は大丈夫だ。必ず帰るから小屋へ戻れ。お前らがいると集中できん」
言い切られた20は俯いて、残念そうに頷いた。何度も振り返りながら、森を後にする。
この程度の怪物が相手なら、問題はないだろう。彼女達の強さを、ニーダルは身をもって知っていた。
「お前もだ」
「いやです」
ロゼットは、従わなかった。ニーダル・ゲレーゲンハイトは、彼女に命を下すあるじではない。
「たったひとりで、怪物たちをしょぶんするつもりですか」
「ああ、叩き返す」
「むりです。むぼうです」
「無理じゃないし、無謀でもない」
ニーダルは、頑固だった。
槍をぶん回し、命のかけひきの只中にありながら、一歩も譲らない。
犬頭の鋭い爪を槍で受け、あめふらしもどきの酸をかわし、踊るように槍で命を裂いてゆく。
「オジョー。俺は帰れと言っている!」
「ワタシはオジョーなんて名前じゃない」
ロゼットもまた、なぜか譲れなかった。
自分の気持ちすら掴めないまま、石弓の引き金をひく。
強靭な生命力を誇る軟体生物や、獣じみた速度で接近戦をしかけてくる鬼を相手取るには、いささか武器の相性が悪い。
だが、空を飛ぶ相手には、槍よりも射程に優れた石弓が向いているのだ。
「俺は、ガキを数字で呼ぶ趣味はねーんだよっ」
「でしたら、ロゼットとお呼びください。ロゼット・クリュガー。それが、ワタシの本名ですわ」
気が付けば、周囲の怪物たちは、動かぬ屍をさらしていた。
だが、これで終わりではない。からくり鳥の鳴く奇声や、小鬼が走り回る音、あめふらしもどきが這いずる音が聞こえてくる。
「ロゼット。ロゼット・クリュガー」
ニーダルは青黒い血で汚れた手をハンカチで拭いて、赤い外套の内ポケットから銀色に光る何かを取り出して、ロゼットに向けて投げた。
雨に濡れてかじかむ手で受け止めると、つるりとすべって、慌てて腕の中に抱き込んだ。
どこで手に入れたものだろうか。およそ似つかわしくない繊細な細工が施された女物の懐中時計だった。
「お前達の仕掛けた魔方陣があるだろう。あれを30分後に起爆させろ」
「あなたはどうするんですの?」
「こうも多くちゃ面倒だからな。そこまで追い込んでくる」
「わかりましたわ……」
引き際だと理解して、ロゼットは退いた。
確かに昨日まで自分の命を狙っていた相手に、背中は預けられないだろう。
ふと、思った。自分が起爆しなければ、ニーダルを葬るという使命は果たせるのではないか?
(それこそ、むりですわね)
二十体のメルダー・マリオネッテの猛攻を捌ききる男が、たかが怪物にしとめ切れるはずがない。
ロゼットが戦場を見渡せる小屋へ戻ろうとすると、メルダー・マリオネッテ達は、すでに森の入り口で手に手に武器を持ってモンスター達と戦っていた。
「どう、あのヘンタイさんはぶじだった!?」
からくり鳥を投げナイフで叩き落としているのは、5(フェンフト)だ。
「ええ、ピンピンしてましたよ」
「こかんもびんびんになんつって、うはぁ」
下品なことを言いながら、12(セバルツ)は詰め所に仕舞われていた槍で軟体生物と格闘していた。
取りあえず、悪影響受けすぎだと思う。一週間前まで無口で静かなやつだったのに。
「12。危ないです。頭を下げてください」
軟体生物の吐き出す溶解液を、11が木々の枝を伸ばしてブロックする。
彼女がこの手の術が得意だとロゼットは、この一週間で初めて知った。
「あの男は先にいるのか?」
一見変化がなさそうなのが、7だ。
わかめみたいに伸びた長髪の下で、茫洋とした顔をロゼットに向ける。
「僕らが森にしいた魔方陣がつかえると思う。つたえにいこうとおもうのだが」
前言撤回。変わらないのは見た目だけ。戦場の只中で、落ち着いた理知的な瞳を輝かせている。
「そこまで追いこんでくれるそうよ。ワタシはじゅんびをします」
7と言葉を交わす間にも、メルダー・マリオネッテの放つ矢が飛び交い、次々と怪物たちを仕留めてゆく。
「20……」
中でも獅子奮迅の動きを見せているのが彼女だった。
「あの子、あんなに強かった?」
動きが見違えるように違っている。最年少で、どうしても筋力に劣る彼女は、石弓でもナイフでも、他のメンバーに比べて若干見劣りするところがあった。でも、今は違う。怪物の動きのすぐ先を的確に読んで、致命打となる一撃を次々と撃ち込んでいる。
メルダー・マリオネッテは、パラディース教徒を守るための武器として作られた。
仕える主はヴァイデンヒュラー様。でも、シュターレンに繋がるパラディース教徒もまた『人形』である自分達が奉仕する『人間』に変わりない。
だから、怪物どもは駆逐するのは間違ってない。あの男に手を貸すのも、これもまた任務なのだと、ロゼットは自分に言い聞かせた。
詰め所に戻った彼女は、起爆用の陣を描いて、地雷魔方陣を起爆させた。
森の中で、爆音が轟き、高い煙があがった。
さ迷い出たモンスターを殲滅したメルダー・マリオネッテは、小屋の広間でニーダルの帰りを待ち続けた。
40分、50分、彼は帰らない。不可思議な沈黙と、裏腹な胸中のざわついた動揺が、重い空気となって人形達を包んでいた。
「むかえにいく」
20が立ち上がって、救急箱に傷薬や解毒薬をつめ始めた。
11や12達数名が彼女に続こうとして、5や7ら残りのメンバーがロゼットを見上げる。
「まちなさい」
ロゼットは止めた。
「あの人はかならず帰るといった。だから、しんじましょう」
小屋の外では、雨がかわらず降り続いていた。
吹きつける風は、いつになっても止まなかった。
叩きつける水音と、荒れ狂う大気は、不安をかきあげる。
(もしもあの男が死んだら、ワタシ達はどうなるのだろう?)
迎えとの合流期限は、ニーダルを襲った当日であり、いまさら救出は望めない。
ロゼットたちは、敵対軍閥の領内に取り残され、待っている末路はどうあっても悲惨なものだ。
あるいは。ニーダルは、シュターレン閥の兵士達を呼びに行っているのかもしれない。
一般の兵士達ならどうということはないが、ニーダルが相手となれば、全員で挑んでもうち勝てない。
十重二十重に囲んだ兵士達に、男は殺され、女は……
(逃げる? 今なら逃げられる。追っ手がかかっても、盟約者が相手でなければ逃げられる)
ロゼットの動揺はとまらない。ふと、預かった銀の懐中時計を開いた。
彼に似合わぬ、繊細な薔薇の彫刻があしらわれた銀の外蓋を開けると、硝子の文字盤が彼女の顔を映し出す。
アップスタイルにまとめて二つのおさげに分け、両肩に垂らして巻いた黒褐色の髪は未だ乾かず、冷たい面差しと翠玉色の瞳は、不安の影を帯びている。
これでは、いけないと、深呼吸を繰り返した。
カチカチカチ。文字盤の下では、複数の歯車がかみ合い、廻っている。
歯車は、迷わない。疑わない。ただ己の成すべきことを果たし、己がすりきれるまで天命を全うする――――。
(歯車。きっと、これがワタシの理想)
すっと、憑き物でも落ちたように、ロゼットの顔から不安が消えた。ガラスに映る面差しは相変わらず冷たいが、血色が戻って気品のようなものさえ宿っていた。
そうだ。使命は変わらない。たとえ打ち捨てられようとも、我らがこの身はヴァイデンヒュラーの御ために。
「おい、ゆうひだ」
12がすっとんきょうな声をあげた。
雨がようやく止んで、厚い雲の隙間から、僅かにオレンジ色の光が射していた。
「かえってきた!」
20が小屋の外へとんでゆく。5が「安心したぜ」と呟いて寝転がり、11は「お夕食のしたくしなきゃ」といそいそと立ち上がる。7が「入れなおすか」と言いながら、20+1個のカップに琥珀色の茶を注ぎ始めた。
「いよう、無事だったか? ったく一仕事だったぜ」
窓の外では、赤いコートも灰に汚れ、あふろのように髪がぱさぱさになったニーダルが、飛びついてきた20を抱いて、くるくると回っていた。
「…………」
かつん、と、新しい紅茶が注がれたカップが目の前に置かれた。7だ。
「やぶられた”封鎖結界”を、なおしていたんじゃないかな?」
「ええ。そうかもしれませんわね」
紅茶は熱く、ロゼットの身体に染み渡った。