第16話 THE GOLDEN DAY
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午前は、どうにか息を吹き返したニーダルや男子組と一緒に、食堂兼広間の掃除をするだけ終わってしまった。
畳や家具についた血を、皆で丁寧に布と新聞紙でふき取ってゆく。
「先輩、時間を巻き戻そうぜ…」
「キミ、キミ! この包帯を巻いてくれ。くうう可愛い♪ ギプスもつけて」
ちなみに、ある意味では惨事の元凶である紫の賢者は、遊んでばかりで手伝う気はなさそうだった。
「絶対に先輩の方が性質悪いよな。おい、ハラペコクマ。出番だぜ、今すぐ噛みつきにGO! ってなんで俺に牙をむく? ぎゃあああっ」
「私の牙は、貴方専用ですから」
「なんてイヤなDV宣言。あ、意識が遠く……」
「パパ。しっかりっ」
などとてんやわんやの大騒ぎだったが、それが幸を奏したのだろう。
遅めの朝食兼昼食を取る頃には、残っていた歯車のあわない雰囲気も消えて、和やかな空気が戻ってきた。
そうして、ニーダルと紫の賢者が提案したのが、ホテルの運動施設を使った親睦会だった。
が、ことは単純ではなかった。なにせメルダーマリオネッテの子供たち、特に別働隊は遊戯を教えられたことがなく、ニーダルはルールの説明に奔走する羽目になった。
「おいっ、熱血バンチョー! テニスは相手をノックアウトするスポーツじゃない!」
「い? そうなんですかっ、せっかく必殺技を108種も考えたのに!」
別働隊男子組のエイスケは、早くも馴染んでいた。彼のプレイを見るに、”てにす”というのは、ラケットとボールを使って対戦相手を倒す格闘技だと思ったのだけど、どうやら違うらしい。
球を落とさないように打ち合うのだとニーダルに説明されても、エイスケ達にはいまいちわかりにくいようだった。
審判は、紫の賢者が折った紙人形が担当していた。便利だな、なんてロゼットはちょっとだけうらやましく思う。
少し離れたコートでは、個人球技ではなく、集団球技が行われていた。
「”さっかー”とやらを始めるにあたり、我がチームの作戦を発表する。まずはボールに隠して足の骨を狙い、またあの紙切れの目を誤魔化して肘うちで懐を狙って、敵戦力の無力化を図る。次に」
「おい、そこのエスイインチョ! 暴力プレイは禁止だ」
「……イインチョって何ですか」
”さっかー”のルールは比較的シンプルだった。手を使わずに相手のゴールにボールを入れればいい。
アカシアは提案する作戦を片端から却下されて不機嫌だったが、ナナオがフォローに回っているようだった。
そして、その隣のグランド、野球場では、はしゃいだイッパチが、変なことをやっていた。
「見てください。ニーダルさん! 投球と同時に閃光衝撃魔法でバッターの目をくらませる。これぞ消える魔球!」
「スポーツマンシップを、てか、ルールを守ろうぜイッパチィ」
「ニーダルさんまでっ。カズヤですってば、カズヤ!」
そういい笑顔で名前を連呼した直後――。
「必殺! トラックシュートっ!!」
「うわあああっ」
サッカー場から飛んできたボールが後頭部に直撃し、イッパチはその場で昏倒した。まるで眠っているような顔だから、たぶん死んではいないだろう。
「イッパチ。野球でカズヤを名乗るなんて、ムチャしやがって」
よくわからないが、野球というのはカズヤを名乗ると不幸な目に遭うらしい。
鈍器で叩くのは得意だから参加してみようと、ロゼットも第一試合に参加することにした。
―――
――――
結果は4イニングで15対12と、打撃戦の結果、ロゼットのチームが勝った。
いかんせん、両チームとも初めての試合でルールさえおぼつかなく、内野手も外野手も連携が笊同然だったから、いかに点を取るかに終始した。
次の試合は、イスカが出場していたが、皆第一試合を見て守備のコツを学んだらしく、うって変わって防御重視の試合展開が進んでいた。
ニーダルは内装工事中の観客席に、自前で用意したのだろうのぼりを立てて、メガホンを片手にイスカを応援している。
ちょうど1イニングが終わり、攻守が代わった2回の表、ロゼットは彼に声をかけた。
「隣、いいですか?」
「おう」
試合を眺めるニーダルの表情は、まるでまぶしい何かに焦がれるようで、どこかさびしそうにも見えた。
ロゼットは隣の席に腰掛けて、試合ではなく彼の横顔をそっと見つめた。
「なあ、オジョー。俺は、イスカを、お前たちを戦いから解放したい」
呟かれた言葉は、きっと偽りのない彼の望みだ。
その為に、ニーダルはイスカと離れて奮闘し、紫の賢者と出会い、裏切られ、和解した。
「今の先輩は信用できる。いや、俺は先輩を信じたいんだ」
だから、と続けようとする彼の言葉を、今は聞きたくなかった。
メガホンから離れたニーダルの右手を、ロゼットはぎゅっと握り締めた。
手をつなぐ。
この穏やかな時間を、この息の触れ合うような刹那を、ずっとずっと追い求めていたのだから。
「イスカの打席です」
「ああ」
左手で、ニーダルは娘に声援を送る。イスカは父親に手を振って応え、投げられたボールをスタンドまで打ち返した。
ホームラン。本当にあの妹は、目が良いというか、機会を決して逃がさない天性の狙撃手だ。
ニーダルが我が事のように歓声をあげ、騒ぐ。でも、右手はロゼットが繋いだまま、ずっと離さなかった。
永遠ではないもの。うつろいゆくもの。天の上に非ず、結ばれないかもしれない想い。
天上など知らない。神様もよくわからない。けれど、ロゼット・クリュガーは確かに運命を切り開いたのだと、彼女は愛情いっぱいにニーダル・ゲレーゲンハイトに微笑んだ。
☆
恋する女の子の笑顔を――、オペラグラスで覗き見していた紫崎由貴乃は思わず苦笑いした。
「近衛から始まって、いつだってアイツは面倒ごとを呼び寄せる」
認めざるを得ないだろう。ロゼット・クリュガーは、由貴乃と相対しうる存在だ。
多少はリードしているものの、そんなものあっという間に覆されかねないことを、彼女は知っていた。
男の子とは別の意味で、やっぱり女の子は厄介なのだから……。
「話とはいったい何ですか?」
不機嫌そうに、灰色熊のぬいぐるみ、ベルゲルミルはジュースを飲み干した
野球グランドに隣接する海水浴場。ビーチバレーに興じる女子組から少し離れたビーチパラソルの下で、由貴乃とノーラ、そしてベルゲルミルは向かい合ってデッキチェアに座っていた。
「世界が異なっても、スポーツのルールが類似のものになる意外性について意見を聞こうと思ってね」
「イスカの応援があるので帰ります」
「待ちたまえ。キミは少し短気が過ぎる」
「……破廉恥な格好はやめたのですね?」
由貴乃が今着ているチェック柄のチューブトップビキニは、少なくともさきほどよりは大人しめのものだ。
会談場所が海辺と聞いて、無駄に生地が少ないマイクロビキニとか、シースルーとかを想像したベルゲルミルは多少意表を突かれることになった。
「あいつの欲情した顔が見れたから満足したんだ。ベッドの上でもう一度とっくりと拝ませてやるさ」
「ろくでもない男。よくもあんなヤツを好きになれる」
「お互いにね」
涼しい顔で由貴乃はうそぶいた。ベルゲルミルはややもすれば、直情径行に過ぎる。だが、その真っ直ぐな性格は好ましいとも言えた。
交渉相手としては、腹に一物も二物も抱えた彼女の「姉」の方が、よほどに面倒くさい。
だから、由貴乃は直球で勝負をかけた。
「意見交換をしたい。ベルゲルミル。我らが宿敵”世界殺しの魔剣”と、それを封じる”柩”について」