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第15話 こんなにも紅い食堂の中で

15


 暴走状態に陥っていたらしいウロボロスをどうにか鎮めて、ニーダルと紫の賢者はホテルに降り立ち、軽い抱擁ほうよう接吻キスを交わした。


「拍手を。お芝居は終わりだ」

「良い即興劇だった。楽しかったよ」


 それが、この事件の決着。

 二派に分かれたメルダーマリオネッテの内戦を、命を賭けた殺し合いを、二人は自分達が巻き込んだお芝居という形で幕を引いた。

 お芝居だったのだから――、


「紫の賢者は、ニーダルを守るために反旗を翻したロゼットを処断する必要は無い」

「ロゼットもまた、姉弟の安全のためあえて裏切りに近い行為を働いたレイジを処罰する必要はない」


 ――そんな大人の判断で、灰色の決着。

 ロゼットの胸のなかで少しだけ苦いものが残る。

 誰もが誰もを殺さずに、殺されずに生き延びた。客観的に見ればこれ以上無い幸福な結末。

 自らの意思で剣と弩を取り、互いを理解しあうために、互いが互いであることを確認するために、不可避だった争い。

 今回の事件は、パラディース教団に邪魔な存在を殺し尽くすためにのみ存在を許されたメルダー・マリオネッテにとって、初めての己が判断で立場を分かった戦闘だったのかもしれない。


「自分で選ぶこと。自分で歩くこと。自分の手で戦うこと。そして、止めること」


 ロゼットは手のひらを見つめ、握りしめた。自分の意思で生きるということ、自分で責任を負うと言うことは、決して平坦な道ではないのだろう。


 こうして、紅い道化師と紫の賢者の戦闘は、休戦によって決着した。

 主戦場となったディミオン首長国連邦中心都市ドームのホテルは半壊状態だったが、主である紫崎由貴乃が帰還すると、まるで時計の針を逆回しにしたかのように、傷ひとつない姿を取り戻した。

 ロゼットがはじめてホテルに入ったとき、紫の賢者から聴いた言葉「こんなこともあろうかと、事前に保険へ加入してある」の意味は、こういうことだったのかもしれない。


 ――翌朝、そんな埒もないことを考えながら、寝ぼけ眼をこすりつつ、ロゼットが広間のフスマを開けると、……目に飛び込んできたのは、鮮血に染まった食堂だった。


「なんですの。これ…!?」


 パチパチ、ジュージューと香ばしい音を立てるキッチンから、紫の賢者が手ずから大皿のサラダを運んでいる。

 問題なのは、彼女の服装だ。これまで着ていたゆったりした法衣はどこへやら、上半身は素肌にぴったりした紫色のエプロン、下半身は同色のひもみたいなTバックのみ。

 日に焼けていない真っ白な肌の色が目に痛い。というか大きい。あれでまだ着やせするタイプだったとは。


「は、は、はれんちなっ」

「いや、ロゼットにはそれ言う資格ない」


 同じように起きだしてきたのだろう。アンズが部屋を覗きこみ、師匠の奇行にためいきをつきながら、ぶつぶつと余計なことを呟いている。

 ロゼットだって、全裸で毛布にくるまってニーダルさんを誘惑したら簀巻きにされて部屋の外に放り出されたり、ボンジテージファッションで部屋を訪ねて門前払いされたりしたじゃん。


「な に か いっ た?」

「いひゃいいひゃい」


 餅みたいに伸びるアンズの頬を無理やりひっぱって、食堂兼用の広間に入る。

 元は落ち着いたたたずまいだったのだろう和室は、いまや地獄絵図と変わっていた。

 イッパチも、エイスケも、鼻血をだくだく流しながら、恍惚こうこつとした表情で気絶している。

 メルダー・マリオネッテも別働隊も、男子組の九割が法悦ほうえつのなかで、自ら流した血の海へと沈んでゆく。ナナオもその一人だがどうでもいい。


「ガンチュウにないとか、僕、いや、俺不幸すぎるだろ……」


 ロゼットは呟く。今日は風の音がうるさいですわね。

 その中で、ひときわ根性を見せているのがオープンスケベことトウジだろう。貧血で青い顔をしながら、芋虫のように這いつくばって、じりじりと紫の賢者ににじりよってゆく。


「こ、この絶景を目にやきつけられたら、おれっち、もう一生悔いないっス」

「トウジのぉぉお馬鹿ぁあっ」「ちょっ、エンジュ! それ杭打ち機。アッ――」


 窓を叩く音がうるさいですわね。

 今お尻にパイルバンカーが突き刺さるという、素敵に猟奇的なシーンがあった気がするけど、気のせいに違いない。

 だいたい女の子のはずのノーラまで「コロシテヤルコロシテヤル…」とか言いながら、部屋の隅で鼻血を出しているのはどういうことだろう? 

 まだ成長期の女子組もスタイルの差を見せつけられて意気消沈しているか、目をはぁとまーくにして感嘆のため息をついているかのどちらかだ。って、なにあの百合っ子達っ、毒されすぎにも程がある。

 まともなのはヨツバだけだった。彼は色気に惑わされることなく、涼しい顔で食卓の準備を手伝っている。ロゼットが声をかけてみると――。


「ええ、紫の賢者は魅力的な女性で、素晴らしい肉体だと思います。でも、俺、同じ身体なら男のほうが好きなんです……っぐはアッ」


 こいつも同類だった。とりあえず槌で殴って赤い湖に沈めておく。

 ロゼットは、今はっきりと自覚した。

 この部隊、風紀乱れすぎだ。だいたい責任の重いNO.2とNO.3がしょっちゅう同じ布団でいちゃついてるとかあり得ないだろう。


「ここはきちんと注意ですわ」


 今こそ猥雑わいざつな空気を吹き飛ばし、部隊に鉄の秩序を取り戻すのだ。


「リーダーが恋に盲目なのにむり、いひゃひって、ふぁへふぇ」


 噂をすれば影がさすとは言ったもので、昨日事件を引っ掻き回してくれた話題の二人がちょうど食堂に到着した。

 鷹揚おうようなミズキはラフなタンクトップとジーンズを着て、派手な服を好むレイジは、ホストみたいな服で無駄に格好をつけている。……が、彼もまたふすまを開けるなり鼻血を吹きだした。


「アハッ。レイジ、きのうはあたしであんなにヌいたのに、あのひとにおっ勃てるんだ?」

「待て、ミズキっ。早まるな。これは生理現象!」

「死んじゃえっ」


 ミズキが、ロケットみたく飛び出した胸を揺らしながら、いったいどこから取り出したんだろうという大量の弩を連射して、哀れレイジは刀に手をかける暇もなく、ハリネズミのような姿で血河に沈んだ。

 あれは死んだな。でも自業自得だ。しょうがないから、あとでそこのバーベキュー串でもお墓代わりに刺してやろう。


「墓碑銘。稀代の馬鹿弟ここに眠る、と」

「……勝手に殺さないでくれ、ぐふ」


 それにしても、女子メンバー全員がツッコミ気質というか、攻撃的なのは間違いなくベルさんの影響だとしても、この惨状はいったいどうしたことか。


「アンズ。ひょっとしなくとも、メルダー・マリオネッテ男子組って全員馬鹿なんじゃ…」

「師匠が師匠だしね」


 ロゼットとアンズは、もう何度目になるかわからない、深いため息をついた。

 ドクトル・ヤーコブにせよ、ニーダル・ゲレーゲンハイトにせよ、下半身重視の言動が、男子組に与えた影響は決して小さなものではないだろう。 


「でもね、あの人の色仕掛けへの抵抗力は鉄壁よ」


 かつてニーダルは、ロゼットを含め、メルダーマリオネッテ女子組全員の色仕掛けを、よどみなく退けた実績がある。

 たかがビッチのミエミエな誘惑なんて、歯牙にもかけずに振り落とすに違いない!

 そして、今運命の扉が、ふすまが開く。


「おはよ、ふぉおおおおおおっっ!!」


 愛娘と灰色熊のぬいぐるみを連れて現れたニーダル・ゲレーゲンハイト。

 彼の動きは神速だった。開扉一番、目にもとまらぬ速さで上着とシャツとズボンを脱ぎ捨て、真っ赤なパンツ一丁で紫由貴乃に向かって走り出す。


「……てっぺき」

「……てっぺき?」


 鉄壁どころか、障子紙より薄かった!


「あ、あのひとはいきなり散らかして」


 しょうがないのでロゼットは、血にぬれる前に拾おうと、入り口まで取りに行く。ニーダルが身に着けていた衣服には、彼の肌のぬくもりがまだ残っていた。


「ロゼット、シャツの匂いをかぐのはやめようよ。ドン引きだよ」


 アンズがぐちぐちと、否、庭の木々の葉鳴りがうるさいようだが聞こえない。

 ロゼットが思い返すのは、昨夜のことだ。


 おびえる心を叱咤して、彼女はついに勇気を出した。彼の傷ついた体と心をらびゅらびゅちゅっちゅで癒してあげようと、夜這いに部屋へ忍び込んだのだ。

 そうしたら、ニーダルはこともあろうに、イスカとベルゲルミルを膝の上に乗せて、絵本を読み聞かせながら寝落ちしていた。


(どこのハートフルホームドラマですか!? 脚本の書き換えを要求しますわっ。再会した恋人とベッドインこそ王道! あんなの認められませんわ)


 だからこれくらいの役得は然るべきなのだ。

 それにしても良い匂いだ。袖を通したらどんな心地だろうか。


「お願いだから着ようとしないで。というか、ロゼット、あれ、まずい!」


 悲鳴とともにアンズが指差す先には、鳥の丸焼きを乗せた大皿を片手で運ぶ紫の賢者がいた。それはいい。だが、彼女のもう一方の手には棘のついた凶悪な首輪が握られている。


「止まりなさい!」

「だめっパパ。おちついてあの人の手を見て。くびわもってる」


 ベルゲルミルとイスカが追いすがり、ニーダルの蛮勇ばんゆうを食い止めようとする

 父親は二人を蹴飛ばさぬよう、とっさに踏みとどまった。不安を打ち消すように、心配する娘と娘の母親役の頭を優しく撫でさする。が、彼の浮かべた笑みは、さわやかというには程遠い、鼻の下をのばしたすけべな顔だった。


「だいじょうぶだ、おれはしょうきにもどった」


 そう告げるや、ニーダルは邪魔なベルゲルミルを後方に投げ飛ばし、目じりに涙を浮かべたイスカを肩車で背負うと、半裸で再び罠に向かって突進する。


「そうともっ。あの胸に挟まれるなら、たとえ犬と蔑まれようとも本望ォォ」


「「だめだ。ぜんぜん戻ってない!」」


 アンズや女子達がツッコむ声は、ロゼットには聞こえていなかった。畳んだ衣服を座敷の隅に置かれた座布団の上に放り投げ、畳を蹴りつけるように走り出す。

 ぷっつんと堪忍袋かんにんぶくろの尾が切れる音が、連続で三つ響いた気がした。


「この、娘をっ」

「妹を、泣かせないで」

「マスターに触れるなっ」


 投げられたベルゲルミルが空中で回転してニーダルの後頭部に噛み付き、ロゼットの鉄槌が彼のあごをはねあげ、開いた胴をノーラの長大な砲がぶちぬく。まるで長年の戦友のような、息を合わせた見事な連係プレイだった。


「なさけない。格好のいいところ見せてくださいな」


 ロゼットは、彼の愛情を独占する妹に嫉妬する。でも、やっぱりイスカにとって尊敬できる父親であって欲しいから。


「ロゼット、それはいいんだけど、ニーダルさん、死んでない?」


 駆け寄ってきたアンズが指摘したように、背中から降りた愛娘に介抱されるニーダルは、それはまあひどい有様だった。


「……たしかに。昨日より重症を負ってる気がしますわ」


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