第13話 世界蛇
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蒼い炎が包んだ。ひび割れた。
ニーダルと紫の賢者を囲む、無数の人形も校庭も、ばらばらと砕け、消えてゆく。
再構築された舞台は、無数の爪あとと亀裂が刻まれた、会議室を改装した小さな劇場だった。
「まさかわたしがキミの演技に釣られるなんてね。戦闘が消極的になったのはこれが理由か」
紫崎由貴乃は唇にひとさしゆびをあて、得心したとばかりに呟いた。
時果ての夢によって、レヴァティンを使えなくなると同時に、呪詛の負荷からも解放され、ニーダルはより精密で俊敏な動作が可能になった。
後輩は千兵に追われ、叩きのめされながら、力の全てを逆転のため策の構築に注いだのだろう。
「先輩の渇望は、レヴァティンにとって天敵だ」
ニーダルは、ズタズタの服のまま、槍を杖に立ち上がり息を整えた。
かつて一人の魔術師が、終わらない戦乱に慟哭し、それでも、と焔の中を駆け抜け、牙なき者の盾となり、守り続け、救い続けて辿り着いた答え。
動乱の夜闇を断ち斬り、希望の火を灯す。「終わりの太刀・始まりの焔」……、けれど「永劫回帰」という渇望が支配する舞台では、新世界が旧世界と同じ道を進むため、そこに救済などありえない。
「だから刻ませてもらった。アポトーシス……自壊因子を」
それはより良き状態を保つため、あるいは進化するために、計画された細胞の自殺だ。この自壊因子あればこそ、古い細胞は新しい細胞に生まれ変わり、がん細胞は抑制され、いくつかの生物は変態を成功させる。武者人形、雛人形、複製だからこそ可能だった攻略法だ。
「後輩。キミは元604技術試験隊の遺跡探索者だったな。忘れていたわけじゃなかったが、文字魔術の使い方にはキミに一日の長があるということか」
由貴乃がこの世界の魔術を利用して地球の技術を再現・昇華したように、ニーダルは地球の技を利用してこの世界の魔術を成功に導いた。
「だが、要は文字破壊魔術を応用したウィルスによる改ざんだろう? 式鬼はともかく、この程度の魔術では神器によって守られたこの舞台、”時果ての夢”は破壊しきれない。すぐに無力化して」
笑みを浮かべようとして、由貴乃は額に左手をあてて嘆息した。
「”それ”が本命か。キミのことだ。この空間の外にも式鬼が配置されていると踏んで、娘たちの脱出の手助けをするつもりだったか」
たとえ三十種の千代紙による式鬼の複製を破壊しても、新しい千代紙を使われれば同じことの繰り返しだ。いずれはニーダルの体力と気力が底をつく。ゆえにニーダルは自壊因子による破壊を閉鎖空間そのものに伝播を試みた、と由貴乃は推測したが、おそらく最大の理由、目標はそちらだったのだろう。
「残念だったな先輩。オジョーは、イスカの姉兄たちは優秀だ。今頃はこのホテルからおさらばしている。あとは俺がアンタをなんとかすれば」
「ああ本当にキミの娘達は優秀だ。まさか、ホテルを完全に制圧されるなんて、ね」
「……ちょっと待て!?」
動揺したのは紫の賢者ではなく、ニーダルの方だった。
「地上部地下部、完全に抑えられた。もうすぐ龍神の間に、この舞台へとなだれ込んでくるだろう。いやあ、困った困った」
まったく困った様子もなく首をかしげる紫の賢者の前で、ニーダルは先ほど心の中で願ったことを思い返した。
(オジョー、いるんだろ? ……この隙に逃げろ)
そしてロゼットは、こう受け取ったとでもいうのだろうか。
(ええ、いますわよ。ここにっ。……だからちゃきちゃき逆転しますね)
ズレている。不一致だ。嬉しいけど何かが違うっ。
「なんで逃げないんだ? なんで制圧できるんだ? あの冷徹な指揮官ぶりはどこへ行っちまった!?」
「キミが心配だからに決まっているだろう? 朴念仁の後輩。キミはとかくイスカやロゼット、あの子達をコドモ扱いしすぎている。そのザマでは、じきに抜かれるぞ?」
それこそが、ニーダルの望みであり、願いだった。
「娘は、いつか親から巣立つものさ。明日を飛ぶのはアイツらで、俺じゃない。なのに、バカヤロウ……」
「その諦観。殺したいくらい腹立たしい」
ニーダルと由貴乃、瞳に宿る黒曜石の輝きに似た強い意思の光が交差し、火花を散らす。
けれど、次に言葉を紡いだのは、予想外の人物だった。
「ころしましょう。マスター。殺して犯して奪しましょう。共和国へ帰り、盟約者と兵を引き連れて、この目障りなムシケラたちを殺しつくしましょう。じゃまだ。じゃまなのよへびがのろわれなさ、っ」
激昂し、呪詛の言葉を吐く日本人形のような少女を、紫の法衣を着た女は抱きしめて唇を重ねた。
舌をからめ、唾液が糸をひき、繰り返される深い深いキス。
ノーラはぐったりと力を失い、由貴乃の豊かな胸に華奢な体の重みを預けて泣きじゃくった。
「落ち着いたか?」
「あの子達、手を伸ばさなきゃ何もつかめないとか変なことばかり言って」
「怯えるな。迷うな。わたしを信じろ。わたしだけを信じろ」
「肯定します。私はマスターだけを信じます。私のココロもカラダもマスターだけのものです」
ニーダルは、睦みあう二人を美しいと感じた。美しいがために、放ってはおけない、と。
三日月十文字槍を手に、眉を寄せて無言で立ち尽くすニーダルを、由貴乃は意外そうに見やった。
「おや、キミのことだ。戦いを放棄するんじゃないかと思ったが」
時果ての夢……、レヴァティンの干渉を封じる劇場の内部障壁は、ニーダルによって傷つけられ、外部障壁もまたロゼット達によって無力化された。
今ならば――、すでに綻びた、この閉ざされた舞台から降りて、メルダーマリオネッテを束ねて脱出するという選択だってあったのだ。
「悪い、先輩。戦う理由が出来ちまった」
たぶんそれはおせっかいだ。小さな親切大きなお世話。憎まれるだけの割に合わない行為。でも、見てしまった。居てしまった。ならば、答えは決まってる。
「先輩はノーラちゃんに言付けてくれたよな。
俺の考えは正しい。正しいけど間違ってるって。
……俺もそう思う。先輩は正しい。正しいけれど間違ってる」
「ほう」
紫の法衣を翻し、水晶球を手に舞台中央に悠然と立つ紫の賢者を、ニーダルは正視した。
「ノーラちゃんの答えは、ノーラちゃんが迷いながら見つけるものだ。先輩が答えを決めるなっ」
「わたしは正しい答えを示したぞ? 何が不満だ後輩?」
「マスターを信じると決めたのは私です。私の唯一の意志です」
「それが最後の答えなら、俺は言わない。選択肢すらない選択は、答えなんかじゃない!」
ニーダルは思う。
ノーラの精神はまだ幼い。小さく狭い世界、けれど立って、少しずつ手探りで歩いて、世界を広げてゆくだろう。迷いと葛藤の中から意思を育んでゆくだろう。その可能性を、その芽生えを、紫崎由貴乃は『強すぎるがゆえ』に依存させて刈り取ってしまう。
(オジョー、イスカ、この娘と、闘ったんだな)
異なる存在、異なる価値観との衝突は、いずれ影響を与えるだろう。それが良い方向か悪い方向かなんてわからない。
でも、それを決めるのはノーラ・ドナク・アーガナストであって、紫崎由貴乃じゃない。
恐怖は無かった。為すべきことを、ただ心の赴くままに為すだけだ。
「顕現せよ。呪われし焔。世界樹の敵。天を滅す異形の翼よ!
呪詛機構 始まりにして終わりの焔 ――接続――
システム レーヴァティン アクセス 」
小さな舞台の亀裂から、太陽の紅炎を連想させる、赤く激しい焔が噴き出す。由貴乃はふと思い出に胸を馳せた。
学園祭のキャンプファイヤー。かつての彼は、自分を見失いかけた彼女の手を取り、背中をさすってくれた。
時果ての夢という舞台はじきに終わるだろう。ならば演じ続けよう。ハッピーエンドを掴むのは、紫崎由貴乃だ。
「ああ、それでいい。それでこそ高城悠生だ。決着をつけよう」
この世界で彼が得たもの。友人、娘、誓い、呪詛、信念、記憶。そのすべてを引き換えにしようとも、由貴乃は彼女が奪われたもの、『完全な黄金の世界』を取り戻す。
「ノーラ。出力制限をすべて解除。ウロボロスを使う」
「はい。マスター」
ノーラが小さな手のひらに載せて差し出したのは、ニーダルによって裂かれた首輪だ。
由貴乃が振るうと、無数の光の粒となって会議室の窓を飛び出し、塔を築くほどの莫大な数の首輪に増殖した。
首輪は積もり、増えて、分かれ、また増えて、いったいの巨大な、巨大すぎる蛇へと変生する。
「お前はっ、お前達は、わたしのものだ!」