第12話 楽園と追放者
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「残るはひとり。制圧なさい」
「おにんぎょうがっっ」
紙武者の軍勢が構える19世紀末に量産された長銃のレプリカが次々と火を噴いて、大理石の敷き詰められた壁や床に弾痕を刻み込む。相対するのは、20世紀末の対物狙撃銃を参考に、ミスリル銀で造られたこの世界でただ一丁の魔銃を借りた乙女とぬいぐるみ。
ノーラ率いる式鬼達の猛攻は、ホテル地下に侵入してきたメルダーマリオネッテ、合流した別働隊の一部を負傷させ、最前線からの撤退へと追い込んだ。
けれど、指揮固体であるロゼット・クリュガーと灰色熊のぬいぐるみベルゲルミルは、たった二人で、ノーラの憑依した機械人形、アルコーンtype01と、彼女が召喚する紙人形の兵士たちを相手に、龍神の間へと続くホテル地下通路で大立ち回りを続けていた。
接近を試みる紙武者は片端からロゼットの槌で殴り飛ばされ、離れている紙人形は銃弓を放つ前に魔銃に撃ち倒され、あるいはベルゲルミルに蹴り飛ばされて氷漬にされる。
けれど、二人が相手取る式鬼の数が減ることはない。戦闘不能になるや破砕して、まったく同じ形の紙武者として再生される。
さすがに銃ばかりは再生不能なため、うち捨てられたままだったが、代わりに千代紙が変化した剣や弓で武装して、途切れることなく戦い続ける。きりのなさに思わず舌打ちが漏れた。
「しつこいですわねっ」
「どうしました? ロゼット・クリュガー? 降参しますか?」
「まさかっ」
ロゼットにとって、無限再生する紙人形の軍団以上に脅威だったのが、深紅の光刃を手に突撃してくるアルコーンだった。
いかなる素材か魔術か、徹甲弾以外ではろくに損傷を与えられず、わずかな傷もすぐに自己修復されてまるで意味がない。
これではジリ貧だとロゼットも理解している。装填は魔術で自動化されているといえ、アンチマテリアルライフルの弾丸は有限で、ロゼットだって弟妹たち同様にいつまでも戦い続けられるものではない。何よりも――。
「疑問です。時間稼ぎを意図しているなら、無意味です。ニーダル・ゲレーゲンハイトは、”絶対に”マスターに勝利できません。つまり、戦いの長期化は、貴方達の敗北につながります」
機械の無貌に、信仰じみた盟約者への信頼を宿し、ノーラは音声素子で断言した。
「あら。それって過信ですわよ。アンズから聞いているのでしょう。あの人には、とっておきの切り札があるんです」
「システム・レーヴァティンのことですか?」
ロゼットは応えない。遊底をひいて排きょうし、隙をついて襲い掛かってくる紙武者を銃剣がわりに付けた槌で引きちぎる。
先ほどからの乱暴な使い方に、肩に乗ったベルさんは不愉快そうだが、我慢してもらおう。ロゼットには、斬るよりも殴るほうが、性に合っているのだ。
真っ二つになった紙人形は、粉々に引きちぎれて丸まり、再び花開くように同じ紙武者が折られて再生した。
衝撃は無い。けれど、徒労感だけは確実に積み重なっていた。
「マスターの渇望は、永劫回帰。死を迎えたときに再誕し、再び同じ生を辿ること。
このヒトガタも同じです。いくたび倒れようと、再び生を受け、倒れるまで戦い続ける。
亡びをもたらすレヴァティンの劣化複製が、マスターの渇望に勝てる道理はありません」
そういうことですの。と、ロゼットは腑におちた。ノーラの言うことが正しいなら、紫の賢者はニーダルにとって天敵だ。この八方塞も当然の帰結だろう。
魔術であれ物理であれ焼き滅ぼす不可解な焔、レヴァティン。けれど、殺した端から同一存在が生まれるのでは、打つ手がない。けれど、それは渇望と呼ぶには、あまりに残酷なことではないだろうか。
「永遠にあしふみをしたまま、同じところを回りつづける閉じた牢獄? それが、賢者様の夢ですか?」
「完成した楽園です。牢獄などと貶めるのは、貴方の瞳が曇っているからに他なりません」
ノーラの言葉があまりに確信に満ちていたから、ロゼットはわずかに逡巡する。苦しいばかりの半生だった。けれど勝ち得たものがある。かけがえのない弟妹達と巡りあい、あの人と出逢うことだって出来た。
ならば、同じ生をもう一度と願うことは、間違いだろうか?
(そうですわね……)
間違いだ、とは言いきれない。
ロゼット自身、心のどこかにあの地獄を乗り越えてなお、弟妹達と、ニーダルと再び巡り会いたいという願いがある。
振り返れば、可能性は無限にあった。もしも初陣の標的がニーダルでなかったら? もしも自分がオニンギョウのままだったら? もしもサウド湾でイスカを見捨てていたら? あるいは可能性の中には、ヨゼフィーヌ教官と和解する未来だってあったかもしれない。
(もしも、やり直しが叶ったとしても、ワタシはきっとこの場に立っている。そして、あの人もきっと)
そうだ。ロゼット達メルダーマリオネッテが、ニーダル・ゲレーゲンハイトと初めてまみえた時、彼はヴァイデンヒュラー軍閥にとって排除すべき標的に過ぎなかった。それは、シュターレン軍閥に雇われるニーダルにとっても同様で、領民たちを守るためにメルダーマリオネッテ全員の処分を命じられていたはずだ。
けれど、あの人はどれだけ襲われてもめげなかった。理解されなくとも、殺意を向けられても、全員を生かして返すという決断を曲げず、貫き通した。どれほど孤独だっただろう? どれほど不安だったろう? それでもあの人は笑ってこういうだろう。いいオトコってのはそういうもんだ、と。
「教えてあげますわ。あの人のとっておきの切り札は、勇気と信念ですわよ」
理ばかりに傾倒する紫の賢者にはわかるまい。この胸の底から溢れてくる力。感情の爆発が生む意思の奔流を!
ロゼットは、光と氷をまとって槌を叩きつけた。気勢に押されるように、アルコーンが受け止めた赤い光のブレードにわずかなひびが走る。
「否定します。そんな非論理的なものっ」
「それが、ワタシの、背を押しますのよっ」
「……撃ちなさいっ」
不利と判断するや、ノーラはアルコーンの重装甲を頼みに、紙武者達に射撃を命じた。この距離では逃すことはあり得ない。
「ベルさんっ」
「任せなさいっ」
灰色熊のぬいぐるみが、ロゼットを中心に魔術文字の結界を張り巡らせる。けれど、ノーラは知っている。どんな障壁も、撃ちつづければいつかは破壊できるのだ。そして、自分たちの力は無限……
「そうだ。マスターが、おねえちゃんが、まけるはずがないっ」
刹那。閃光のように、迫る艦影が、ノーラの脳裏を焼いた。
巨大な浮遊要塞から放たれる数十、数百もの深紅の光線と誘導弾を独楽のようにかわしながら、小さな空飛ぶ船が迫ってくる。
ざりざりと胸を掻きむしるノイズが、閉ざされた記憶を呼び起こす。白い剣。炎の翼。誰かの手をとって、いっしょうけんめいお願いした。
どうかお姉ちゃんを憎まないでください。彼は、微笑んで約束してくれた。大丈夫。俺はねえさんが――。
だ い す き だ か ら
「うそつきぃっっっ!!」
奇しくもノーラの絶叫と、紫崎由貴乃の哄笑は、時を同じくしていた。
ニーダルが刻み込んだ術式によって、紙武者たちは一斉に蒼い炎に包まれ、塵となり灰となって、解け消える。
「ころしたくせに。おねえちゃんをころしたくせに。あくまめ。みんなみんなころしてやる。ころしてやるんだからぁあ」
アルコーンが大振りな切り払いから膝蹴りを繰り出し、大腿部に仕込まれた砲口から散弾を発射する。深紅の光刃はロゼットの槌、散弾はベルゲルミルの結界によって受け止められたが、繰り返される砲撃に障壁は歪み、三射目を待たずして引き裂かれた。とはいえ、二人も予測済みだ。魔術文字を綴り、ロゼットは光の盾で受け流し、ベルゲルミルの加速呪を刻み、……龍神の間へと向かって疾走する。
(オジョー、いるんだろ?)
そんな声が聞こえた気がした。
(ええ、いますわよ。ここにっ)
ロゼットは信じていた。確信していた。彼が必ず膠着状態を打破してくれることを。
指揮官としては不適格だろう。次善の策は準備し、けれど、絶対に使わないと思い込むなんて。
そんな自分を未熟だと思う。けれど、信頼は、今報われた。
「コードF! エンジュっ、トウジっ、やっちゃいなさい」
ロゼットは通信を飛ばす。
ノーラが判断したように、弟妹たちは、負傷で最前線からの離脱を余儀なくされたのではない。
そのようにロゼットが見せかけた。撤退を選ぶにせよ、ニーダルを援護するにせよ、それは絶対に必要な布石だったから。
狙うのは、ホテル地下の魔力を支える心臓部、魔力変換室。青銅機兵と式鬼達によって守られた中枢は、エンジュ達によって攻略され、通路灯は明滅して非常灯へと切り替わった。
これでアカシアが指揮する別働隊女子部と男子部の半ば、守備の要たる箱型機械兵を制圧し、ノーラが呼び出した式鬼もいまやいない。通路遮断壁や自動防御機構も魔力変換室を抑えたことで無力化できるだろう。
「ワタシ達の勝ちですわ」
「まけてっないっ」
後方から爆発的な速度で斬りかかってきたアルコーンを受け流し、ロゼットは跳躍して着地した。
中空に描かれた幾重もの魔法陣によって守られた龍神の間が、目前に見えている。
ノーラが憑依したアルコーンは、魔術文字による防壁を潜り抜け、立ちはだかるように向かい側で両手を広げた。
「コンデンサを押さえたとしても、私とマスターには無限の力がある。私たちの楽園は永劫、こんなことでは壊れない」
「無限じゃないでしょう。紙人形はできても、銃の再生と複製はできなかった。その為に、量産可能な兵器を用意したのでしょう」
核心をつくロゼットの指摘に、ノーラは言葉を失う。
「このホテル。あの部屋は、いわば小さなフラスコで、外界からへだてるための無菌室。永遠に変わらないものなんてない」
無機物であるあはずの筐体、アルコーンの震えがとまらない。
マスター、由貴乃だって言っていたではないか。かつてチキュウを支配した恐竜達の楽園は氷河期で粉砕され、東洋一の平穏と繁栄を謳歌した江戸幕府は黒船の来航によって崩壊を始めた。
「楽園はいつだって、外側から壊される」
「やめてっ」
あの男は呪詛によって自分の余命が短いことを認識していたはずだ。
だから、娘を温室の花ではなく、山野を駆ける狩人として養育した。その強さはイスカとベルゲルミルを通じて、姉兄にも伝えられたのか。
「お前達は、楽園にふさわしくない」
ネバーランドに住む事が許されるのは子供だけ。成長してしまった大人は刈り取らなければならない。
「きえて、しまえっ」
ノーラの手が文字を刻み、空から千代紙を掴みとる。はらはらと風に巻かれる花びらのように舞い上がった色とりどりの紙華は、無機人形を中心に蕾のような何かを形作り始めた。
「ミーミルっ!?」
ベルゲルミルが信じられないと言わんばかりの悲鳴をあげる。
その悲鳴でロゼットも気づいた。火の文字を中心としたあの配列、この魔力の流れは、戦場で馴染み深いもの。けれど、ここでは考えられないもの。特大の、地雷魔法陣……。
「死ぬ気ですのっ!?」
「上には無関係のスタッフだっている。よしなさいっ」
「否定します。龍神の間は壊れない。世界にはお姉ちゃんと、マスターと私しかいらない」
戒めの声は、ノーラには狼狽としか映らなかった。
そうだ。マスターのたってのお願いといえ、楽園の扉を開くべきではなかったのだ。
二人だけなら崩れない。二人だけなら壊れない。
互いを思う絆、繋ぎ繋がれた鎖があれば、不純物なんて何もかもなくなってしまえっ!
「そう。逃げますの」
ロゼットの唇が吊りあがった。ふざけるなと胸の中で何かが燃えている。撃ちあった。殴りあった。向かい合って、ここまできた。その最後に、あの子は自分自身から逃げ出した。
「ぶっ壊して引きずり出します」
ベルゲルミルは、ロゼットの発言にポカンと口を開けた。この窮地において、目の前の娘は決断を躊躇わなかった。彼女の言葉は、まるで彼に似ていて苦笑する。
「本当、あの馬鹿は教育に悪い」
「いきますわよ」
「のったっ」
撃つ打つ撃つ、残弾の続く限り撃ち続ける。それは雪玉をコンクリートにぶつける行為かもしれない。シャベルを手に山を貫こうとする蛮勇かもしれない。でも、それでも挑まなければならない。諦めてはならない。娘の、弟妹たちの、争った相手の、多くの命がかかってる。この地雷魔法陣が完成する前に、障壁を破壊して起爆を阻止する。
「きえろ、きえろ、きえちゃえ……」
「手を伸ばさなきゃ何もつかめないでしょうっ」
ロゼットは叫ぶ。壁を隔てたノーラに、手を伸ばして叫ぶ。
オニンギョウとして、何もかもを諦めていた自分のように。壊し壊されることだけを宿命だと信じていた自分のように。……それは、とてもさびしい事だから。
「マスターはノーラというなまえをくれた。わたしをしんじろっていってくれた。だからノーラはマスターだけを、マスターしかいらない」
「この分からずやぁっ」
最後に残された拡散弾を装填、障壁に向かって撃ち込む。花火のように咲いた無数の氷柱は障壁を圧壊させようと雪崩が如く襲い掛かった。けれど、障壁はくずれない。こわれない。まるでノーラの心の壁のように立ちはだかり、わずかなひびをいれてなお、山岳のように立ちはだかる。
防壁に守られ、花嵐のようにふぶく千代紙は蕾となり、華となり、ついには建物ごと命を飲み干す大輪の地雷として咲こうとしていた。
「みんな、これでさよならっ」
「いいえ。ここからですわ」
黒褐色と金色の髪が舞う。残弾の尽き果てた銃を置き、恋する乙女と女中服に身を包んだ母親は床を蹴った。
ロゼットがわずかなひびに力任せに槌を叩きつけ、人型を得たベルゲルミルが箒の石突をえぐり込む。けれど、それでも壁は砕けない。ノーラの心は折れない。マスターは負けない。
迫るタイムリミット。自暴自棄になった幼子の慟哭と絶望が、あまたの命を飲み込もうとする。
「やらせるものですかっ」
ロゼットはベルゲルミルと共に、力の限りに槌を振るい続けた。
今止められなければ、この娘は絶対に後悔する。自分の意思であろうとなかろうと、自身で歩んだ道は、自身が負わねばならないのだ。逃げても悔やんでも、影法師のようについてくるもの、それが過去。でも未来はまだ、現在になっていない。
この刹那こそが、ロゼット・クリュガーの生きる場所。明日はワタシ達の手で切り拓く。
「……出番ですわよ。イスカっ」
「ン!」
そうして、自壊寸前のアルコーンの視覚素子で確認した。マスティマに傷つけられた黒く染まった腕で、鹵獲したのだろう銃、モシン・ナガンを腕に抱き、深手を負い血を流す彼女の兄と彼女の姉に支えられ、ここに辿り着いた最後の敵を。
「悪いね。あたしは決めたんだ。レイジのために戦うって」
(ミズキ)
「ノーラ。おれは兄貴をやめられなかったみたいだ」
(レイジ)
二人は、ノーラの兄に、姉になってくれたかもしれない存在で、それを切り捨てようとしたのはノーラ自身で。
それでも、ノーラは許せなかった。妬ましかった。父親に、母親に、兄に、姉に愛され、父と母と兄と姉を愛するその女を憎悪した。
「イスカ・ライプニッツ・ゲレーゲンハイト!」
ロゼット、ベルゲルミルがこじ開けた歪み、創りあげられたただひとつの鍵穴を、レイジとミズキに支えられたイスカの弾丸が穿ちぬいた。
アルコーンの憑依をとき、ノーラは意識を自身の器へと戻し、地雷魔法陣は完成寸前に一発の弾丸によって瓦解した。
駆け寄ってくる皆の視線に、伸ばされた手に気づくには、まだ彼女は幼く、ただ真っ黒な感情だけが渦巻いていた。




