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第七話 永遠黙示録


「ひとつ、喩え話をしよう」


 昨夜、飛行戦艦の寝室、天蓋のついたベッドにバスローブをまとって寝そべりながら、カクテルの入ったグラスを手に、紫の賢者はアンズとレイジ、ミズキにささやいた。


「君達が、お気に入りのブランドのオレンジジュースを一本買ったとする。そのジュースを流して、泥水を注いだとする。君達は、それを大好きなオレンジジュースだと主張するだろうか?」


 浴衣姿のノーラが、グラスの半ばを洗面器に捨てて、恐る恐る真っ黒な墨を注ぎいれた。夕陽の色に染まったカクテルは、黒々と淀む。


「そんなはずはないだろう。当然だ。たとえ器が同じでも、”大切なモノ”と”よくないモノ”は別物で、泥水を詰めたジュースの瓶なんてオリジナルへの冒涜(ぼうとく)だ。葡萄酒の産地国にこんなことわざがある。」


『樽一杯の泥水にひとさじのワインを注いでも泥水だが、樽一杯のワインにひとさじの泥水を注げば、一樽の泥水ができる』


「……つまりは、そういうことだよ」


 紫の賢者は、グラスを弾き、ノーラのもつ洗面器へと放り込んだ。繊細な硝子(がらす)は粉々に砕け……、破片はまるで手品のように組み合わさって再生し、紫の賢者の下へと飛んだ。


 時空間の操作。それこそが、ヴァイデンヒュラー閥でも畏れられる彼女の≪力≫。


 とはいえ、傍らに侍ったノーラが丁寧に洗剤とミネラルウォーターで洗って、きゅっきゅと磨いてるのは保険なのか、場にそぐわない冗談なのか。

 紫の賢者の瞳が冷たく輝き、差し出されたグラスに果実を絞り、酒を注いだ。


 わかるだろう? 汚染されたジュースは、一度廃棄して洗い流し、もう一度新しいオレンジジュースを注がなきゃいけない。


「……注ぐ新しいジュースが古いジュースと”違った”としても……」


 告げられた言葉を、己の口唇に乗せて、ミズキはこめられた悪意に身震いした。

 彼女の言いたいことはわかるし、たぶん間違ってもいないのだろう。

 レヴァティンは、あの魔術は異常だ。四年前のあの日、自分達の精神を縛る拘束魔術だけでなく、四肢に癒着(ゆちゃくした炸薬さくやくさえも消し飛ばした。

 上位神器にすら匹敵する、ただびとの使える魔術。――そんなもの、何の代償もなく、振るえるはずはない。


「システム・レーヴァティンは、使用者のココロをこわして、その肉体にキセイする。使い手は殺戮さつりくの化身に堕ちて、憎むものも愛するものも己すらも焼きほろぼして、灰にかえる。原初神話において、世界をほろぼした黒の王スルトのように。神焉戦争ラグナロクにおいて、黒衣の魔女を討った勇者のように」


 紫崎由貴乃は信じられない女だけど、きっとこの一点だけは嘘は言っていない。

 彼の肉体はカラッポの入れ物で、ココロによくないモノが入り込んだだけの、ニセモノなのかもしれない。


「でも、さ」


 長銃を手にミズキが走るホテルは、いまや戦場と化していた。

 フジとネムを中心に女子組が反抗を開始し、そこかしこの廊下で箱型ゴーレムやアカシア率いる別働隊と刃を交えていた。

 男子組が壊滅状態であり、ロゼットという優秀な指揮官を失った弟妹達は、一見押されているように見える。

 だが、紫の賢者は、メルダー・マリオネッテを、そして彼の娘を甘く見過ぎているのだ。

 鉄板入りのコンクリート壁が、ちり紙よろしく引き裂かれ、遠方より飛来した弾丸が着弾する。

 エンジュによってまんまと誘い出された友軍は、膨れ上がった球形の氷の魔法陣によって、霜と霧の中へ閉じ込められてしまった。

 あの子は、義理の両親のいいつけをきちんと守っているから、殺されてはいないだろうが、それでも戦力の低下は甚だしい。

 レイジの計画を達成させるためには、もう少しの間、足を止めなきゃいけない。


 ミズキは窓に狙撃銃を向けて、照準眼鏡(スコープ)に映る蜂蜜色の髪の少女を見つめた。


「あの子を、イスカ・ライプニッツを育てたのは」


 屋上で撃ち倒した、自分達の指揮固体を思った。


「ロゼット・クリュガーが、らびゅらびゅしたいのは」


 手を伸ばしても踏みしだかれ、奪われるだけだったメルダーマリオネッテに、あの日、無償の愛をくれた。


「あたしやレイジ達を助けてくれたのは、さ」


 タカシロ・ユウキなんて知らない。

 あたし達が出会った男、一週間を山小屋で過ごした保護者、ナナオやトウジが憧れた兄貴分。

 彼は、紫の賢者が言うオレンジュースでもワインでもなく――。


「ニーダルさんなんだよねッ!」


 照準眼鏡(スコープ)にの中で、すでにイスカは自身の背丈ほどもある長銃を構えていた。

 ミズキは引き金をひき、イスカが引き金を引くのを、感知した。

 轟音が、ホテルを揺るがせる――。





……

……


 遠くで銃声が聞こえた。

 テープを巻き戻すような、早送りするような音にも聞こえたけれど、きっと気のせいだろう。

 使い慣れた槍を手に、俺は黄昏の町へと歩きだした。

 働かざるもの食うべからず。夜にはご馳走とお楽しみが待っている。

 だから、頑張って、お仕事お仕事。

 正気に戻れとか、わけのわからないことを叫びながら斬りかかってくる、黒いトレンチコートの女を蹴飛ばして、次の敵を探す。

 誰にだってある楽園。脅かす敵は、永遠に終焉おわりをもたらそうとする輩は、排除しなきゃいけない。

 そんな恨みがましい目で見るなよ。これは、そう、愛の鞭ってヤツさ。

 ご主人様は皆を愛してくださる。お前だって、失ったものを、亡くしたものを、もう一度手に入れられるさ。

 だってここは、誰もが夢見た、誰もが望んだ、終わらない楽園なんだから。


 夜が来て、俺は自分の家へと帰る。

 風呂に入るのももどかしく、迎えてくれた銀色の髪の女と口付けを交わし、寝所に押し倒した。

 やっと取り戻した温もり。やっと辿り着いた幸福の輪廻。他には何も、望まない。


……

……


 遠くで爆発音が聞こえた。

 テープを巻き戻すような、早送りするような音にも聞こえたけれど、きっと気のせいだろう。

 手に馴染みすぎた槍を手に、俺は黄昏の町へと歩きだした。

 働かざるもの食うべからず。夜にはご馳走とお楽しみが待っている。

 だから、張り切って、お仕事お仕事。

 見損なったぜちくしょうとか、意味不明な言葉を叫びながら殴りかかってくる馬鹿の拳を受け止める。

 何が馬鹿って、こいつ白い大きな人形に乗っていたのに、わざわざ降りて無手でかかってきたんだぜ?

 誰にだってある大切なひと。害そうとする敵は、繰り返しを終わらせようとする輩は、排除しなきゃいけない。

 そんな呪わしい目で見るなよ。これは、そう、愛の試練ってヤツさ。

 ご主人様は皆を愛してくださる。楽園の参加者に争いは無い。ほら、お前が熱く語っていた愛と平和ってヤツが実現するんだ。

 だってここは、誰もが夢見た、誰もが望んだ、終わらない楽園なんだから。


 夜が来て、俺は自分の家へと帰る。

 艶めかしい嬌声(きょうせい)がきこえる。何か部屋が大きくなってないか?

 そこかしこで交わる男女。どこかで見た気がするが、細かいことはどうでもいいか。

 銀色の髪の女の女の首筋に唇を添えて……。

 なにかやらなければならないことがなかったか? そんな違和感が心の隅をよぎる。

 でも、そんな些事(さじ)よりも快楽の方が大切で、このままぬくもりの中に溺れていられるなら、他には何も、必要ない。

 誰かが右手の指をペロリと舐めて、心地よさに背筋が震えた。

 親指、人差し指、這う舌の熱さが、口腔の柔らかさが、意識を蕩かせる。

 

 くすぐったいぞ。

 笑って向き直って、ゾッとした。

 揺れる黒褐色のおさげ髪。熱く濡れた翆玉色の瞳。

 よせオジョー。俺はそんなことは望んでいない!

 丹念に指を愛撫し、みずかきに舌を這わせたロゼット・クリュガーの白い首には、黒い皮製の首輪が嵌められていた。

 怒りがこめかみに走り、火が宿ったかのように血が熱く燃える。

 なによ。あなただって楽しんでいるじゃない。

 翆玉色の瞳が赤褐色に変わる。ジェニファ・ポプキンスが悪戯っぽく笑う。

 気持ちいいこと、好きなくせに?

 黒い髪と健康的な肌の少女、カロリナが耳元をちろりと舐めて、その姿は梔子くちなし色の髪をもつ白い肌の女、イルヴァに変わっていた。。

 拒むことは無いのよ? 

 瞳は閉じられて、ルタ・ヒメネスが儚げに俯く。

 だって貴方が抱いているのは……

 再び気配が変わる。

 ニーダルは肝胆から震えた。前を向いてはいけない。

 今抱いている女の顔を見てはならない。

 腕の中で喘ぐその声は、その息は。


 髪の色は銀ではなく―――亜麻色の。


「ふざけるな」


 心胆より湧き上がるのは憎悪と激情。魂をも焼き尽くす怒り。

 熱に焼けた手がするりと女達の首輪を外し、自身の首輪を力任せに引きちぎる。

 氷柱よりも鋭く冷たい殺意と敵意をこめて、ニーダルは、ノイズが走る世界を、その中枢を、殴りつけた。





 偽りの部屋は雑音とともに飛散し、漆黒の空と静寂が周囲を満たした。


「さすがはわが宿主殿だ。よくわかった」


 ニーダルの拳を受けて、炎の塊はすべるように夜の闇に弾け、陽炎のように再生する。


「……痛いじゃないか」

「最悪の趣向に対する礼だ。あの人は性格は悪いが、ひとでなしじゃあないんだよ」


 湧きやまぬ怒気を押さえ込むように拳を開いて、ニーダルは炎にむかってごちる。


「だが、その彼女の望みが叶った世界は、ああなる」


 炎の反論に、ニーダルは返す言葉を飲み込んだ。


「だろうな」


 ニーダルからすれば行過ぎた個人主義を信奉する紫の賢者は、既成の道徳観に囚われない。

 愛しいものと睦みあう永遠の夜を、己が絶対の正義に基づくままに、この世界に創り出そうとするだろう。


「悪い願いじゃない。復讐よりは、上等かもしれん」


 かつて、ネメオルヒスの地であいまみえた一人の剣客は、ニーダルを浅いと喝破した。守るもの、願うものなく、ただ否定するだけならば、それは虚無だと。

 間違ってはいまい。徒に破壊だけを望むなど、子供の癇癪と何が違う。


「だがそんな停止した楽園を、未来とは認めないのだろう?」


 炎の疑問は、珍しく正鵠せいこくを射ている。


「ああ、ただ与えられ続ける歓びや快楽なんて偽物だ」


 なるほど紫の賢者は彼女なりに愛しているかもしれない。だが、それを受け取る側にとっては、無理やりだ。

 そんな一方的な愛情に、娘と娘の姉兄達を巻き込ませるわけにはいかない。彼女達はいまや自ら学び、自らの足で、自らの幸福を探そうとしているのだから。

 身勝手な楽園へと閉じ込めようなんて、行過ぎたエゴ以外のなにものか。

 

「我々は、終わりの太刀にして始まりの焔。静止も拘束も斬り散らし、焼き払おう。しかし、あれは我々の滅びすら受け付けない奇怪な神器の顕現だ。我が端末にして宿主よ。あの時間停止を破れるか?」

 

 そういうことか、と。理解した。……システム・レーヴァティンは、あれだけ詳細に演算しながら、根本から誤った数式で解こうとしているらしい。

 彼女の魔術の根源、渇望は、時間停止などではない。おそらくは、天敵ともいえる思想に基づいて編み出されている。


「まかせろ。今回は”俺だけ”でやってやるさ」


 炎の塊は、炎の影は、星の無い夜の闇の中で、ゆらゆらと揺らめいた。


「我々はすべての神器を壊したい。そのために、汝という器が欲しい」

「人に仇為す神器と盟約者には蹴りを入れよう。それ以上は御免こうむる」


 レヴァティンとニーダル。同じ肉体を共有しながら、その目的の最終地点は、あまりに異なっている。


「意見の相違だな」

「ああ、人は同じじゃない。だから、楽しいんだろ」


 たとえ望む未来が違っても、ともに明日を掴むため手をとりあえる。

 その事実を、ニーダルは喜び、祝福する。

 ゆえに、炎に対して手を差し出した。


「……」


 望む未来が違うこと、目指す明日が異なることに、炎は苛立ちを覚えずにはいられない。

 亡き恋人と、養い娘。二人が絡んだ瞬間、宿主は必ず自我を取り戻す。

 今回は、たまたまそれが役に立った。だが、大願を、大儀を果たす道行きで、宿主の強固な自我は、過去に幾度も壁となって立ちはだかり、未来もまた立ちはだかることだろう。

 それでも、いつか、我らは我らになると、炎は嘲笑い呪詛を残す。

 ゆえに、ニーダルの手をとった。


 ニーダルの中に、炎が吸い込まれて、”ひとつ”になる。

 逆立った短い髪の少年が何処からかやってきて、その光景に立ち会った。


「ここが北欧神話に近い世界なら、ニーチェの永劫回帰思想には親和性がある。ラグナロクとは破壊と再生であり、過去と未来は輪のように繋がっているから」


 巫女が歌う予言は万年先の未来であり、そして億年前にかつてあった過去でもある。

 世界は滅亡と再誕を繰り返す。ならば、ひとの歩む道筋もまた産声を上げたときから決まっていて、死の瞬間、再び同じ生を受けて、永劫に同じ時を刻んでいるのかもしれない。


「たとえそうだとしても、負けねえよ」


 望む相手や場所を無限ループに引きずり込む。

 おそらくは、それこそが紫の賢者の奥義であり、由貴乃自身の渇望なのだろう。

 今が永遠に続けばいい。あのシアワセなジカンをもういちど。

 終わりと始まりが同じ輪を∞に繰り返す。

 誰にでも人生にあった幸せな時間。苦しいとき、悔しいとき、泣き出したいとき、そんな時間をすっとばし、黄金の時間だけを何度も味わい続けられたら、それはどんなにか甘美なことだろう。

 だが、そんなものは、実現しちまえば地獄だ。


「俺の幸福は俺が決める。口説きもなしにベッドインなんて詰まらないだろう?」


 少年は苦笑いするように微笑んで、白い花びらとなって弾けた。

 花は血に染まり、炎にまかれて燃えながらも、ニーダルの中へと溶けてゆく。


「さて、いっちょやるかいっ!」



 目を見開いたまま、抗うように指を震わせるニーダルの頬を、紫崎由貴乃は優しく両の掌で抱いた。


「無駄だよ、ニーダル。時をとめた。ゆえに、振るえぬ。切り札は奪われ、キミはわたしのモノだ」


 たとえ内側が贋物であったとしても、時を経ても、足のつま先から頭の毛筋まで愛おしい。


「ニーダル・ゲレーゲンハイト。後輩の身体をのっとった亡霊よ。キミも、キミの娘も、あの人形たちも、わたしが愛そう」


 愛情を、呪詛をこめた黒い首輪をつけようとして、ふと由貴乃はニーダルの唇が何かをつぶやいていることに気づいた。呪文ではない。ある小説の、ある一節を口ずさんでいる。


「吾はこの精神に一身を捧げよう。智恵の最後の結論は、こういうことになる。自由も生活も、日毎にこれを闘いとってこそ、人間は人間足りうるのだと」


 由貴乃の瞳が驚愕に見開かれる。それは、先ほど意図的に仕込んだひびわれ。璧の舞台に仕込まれた随一の瑕。


「幼きもの、成長したもの、老いたもの、誰もが危険にとりまかれながらも、唯一の生を送る。

 吾は自由な大地と自由な民と共に過ごし、今こそ瞬間に向かって呼びかけよう。

 時よとまれ、お前は美しい!

 我が地上の日々の痕跡は、永劫へと滅びはしない。

 その幸せの予感のうちに。今味わうぞ、この至高の瞬間を―――!」


「マスター!」


 ノーラに手をひかれ、由貴乃は飛びのいた。残された指に絡まる首輪が、宙より振り落ちた三日月十文字鎌槍に裂かれた。


「俺は、あんたのモノにはならないよ。口説かれるのは嬉しいが、愛には愛で応えたい」


 愛用の槍を手に、真紅のコートを身にまとい、黒い長髪をなびかせてニーダルは立っていた。


 かのファウストの一節は、誰かに永遠を与えられることを望んだのではない。

 自ら生を勝ち取り、刹那の歓びを愛する賛美歌だ。


 だが、なぜ動けるのだ? 由貴乃は逡巡した。

 レヴァテインの干渉は、神器ミーミルの力で完全に停止させたはずだ。

 彼女の渇望から零れ落ちた「時果ての夢」は、極小のループを創造することで、対象を擬似的な時間停止に陥らせる。

 ノーラを振り返り見ても、首を横に振るだけ。呪われた(レーヴァティン)に操られる人形ならば、指一本だって動かせないはず。


 そう―――人形ならば!!


「アハハハハハハハハハハ」


 由貴乃は、泣くように笑うように、背を震わせた。


「お前は、お前なのか高城悠生。……ニーダル・ゲレーゲンハイト!」


 腕を掴んだノーラの小さな手は、わずかに震え、熱かった。


「我が同胞よ、私は君達に切望する。この世界に忠実であれと。君達は地上を超えた希望を説く人々を信じてはならない。彼等こそ毒の調合者である。

 かつては、偉大なる存在を冒涜することが最大の冒涜だった。しかし偉大なる存在は死んだ。そして偉大なる存在とともに、それらの冒涜者達も死んだのだ。今日では世界を冒涜することこそ、最も恐るべきことである。知り得ないモノのハラワタを、大地の真実以上に崇める事が。

 人間とは不潔な河流である。我々は大海にならねばならない。汚れることなしに不潔な河流を呑みこむために。

 聞け、私は君達に超越者を教える。超越者とは我々が目指す大海である。我々と君達の大いなる軽蔑は、大海の中へと流れこむことができるのだ。

 私は愛している。人間たちの上を覆う暗黒の雲から一滴一滴と落下する、重い雨粒のような者たちを。彼等は稲妻の到来を告知し、そして告知者として滅びるのだ。

 見よ、私は稲妻の告知者だ。雲から落ちる重い雨粒だ。この稲妻こそ、すなわち超越者である!」


 紫の法衣がふわりと舞い、手にしたものは智恵を司る水晶の珠。


「ならば、愛してくれ。我が愛しの君」


 由貴乃の繊細な手が、法衣の内側から色鮮やかな千代紙を掴みだし、武者のヒトガタや鴉、馬といったシキを手折る。

 彼女の傍らに寄り添うノーラが、背後の魔法陣より呼び出すは無数の火器砲塔。


「こういった説得は、優雅さに欠けるのだけどね。心技体、精神が欠けて、身体も不調、そんななりでわたしを満足させられるかい」

「なぁに、技術は上等、ハートは燃えて、股間はびんびんだ。イかせてやるさ」


 迎え撃つは、槍を手にした猪武者。


「ニーダル・ゲレーゲンハイト。切り札を失った貴方にいったい何が――」


 ノーラが直径20cmセントメルカを越える長大な砲口を掴みだし、ニーダルに向けて構える。

 だが、砲身は赤い奔流を吐き出す前に、槍によって断たれていた。


「えっ」


 武器を破壊された瞬間、ノーラはニーダルの姿を見失っていた。おかしい。速さが違う、動きが違う。

 空港で相対した時、覗きでトラップやメルダーマリオネッテ男子相手に奮戦していた時とは、まるで別人。


「出来るさ。おかげでノーラちゃんの可愛い顔がよく見える」


 くしゃりと、ノーラのおかっぱの髪が、ニーダルによって撫でられた。

 前髪をもちあげて、自分のおでこと黒い瞳を見つめる男の顔は、優しかった。


「まさか――!?」


 そのままノーラ・ドナク・アーガナストの隣を抜けて、ニーダル・ゲレーゲンハイトと呼ばれる男は、まっすぐに紫崎由貴乃へと向かう。


「自信過剰もほどほどにな。色男っ」

「上等の女が相手だ。股座だっていきり立つさ」


 ならば、いまこそ始めよう。

 一夜の夢。明けては終わる幻の睦言むつごと。終わりの無い刹那の舞台を――。

 シキと槍、砲塔が奏でる神鳴かみなりの轟音が、逢瀬のはじまりを告げた。



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