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第四話 怒りの親父、ここにあり

4 



「最初からそぉういう、思惑だったのか?」


 紫の賢者の掌の上、水晶に映るニーダルの顔は、不敵な笑みを浮かべていたが、こう仁王とか明王とかそんなイメージがだぶって真っ赤に燃えていた。


「……」


 向かい合う少年達は真っ青で、蛇か鏡を前にし蝦蟇蛙がまがえるよろしく、油汗をたらたら流している。

 実情を明かせば、少年達は、浴場に彼の娘であるイスカが”いない”と思い込んでいた為、悪意でニーダルを誘ったわけではない。

 今、サウナの隣の浴室でロゼットやアンズとはしゃいでいるイスカは、他ならぬ紫の賢者、由貴乃自身の命令で、外に人を迎えに出ていたのだから。

 だが、そんな言い訳をニーダルは聞かないだろうし、何よりも意味がない。


「うまく俺をのせたようだな。それはぁ、責めん」


 ドアを背に、ニーダルは越えられぬ山脈のように、少年達の前に立ちはだかる。


「ガキども、人の娘の裸を覗こうたぁやんちゃが過ぎるな」


 おい、土壇場で壁でかいぞっ

 だからって、目の前なんだぞ。

 ひそひそと囁き合い、少年達はついに答えを出した。


「ニーダルさん。この先に行きたいです」

「諦めろ。試合終了だ」

「あきらめませんっ」


 武器を取りだそうとする、エイスケ達新メンバーを、ナナオやトウジ達が持つなといさめる。

 杭打ち機や鋼糸、ナイフに至るまで、武器を捨てて、ニーダルに向かい合った。


「「漢の約束第十四条。いい男たるものぉ、喧嘩は素手ゴロでっ」」


 互いの宣言が戦闘の開始を告げる――。


「今こそ俺っち達は貴方を越えるっス」

「はっ、かかってこいや。エロ弟子どもぉお」


 腰の入ったトウジの右フック。彼の手首に左掌をそえて受け流し、右拳を腹に打ち込む。息がつまったトウジの手をひいて退避させ、ナナオのカカト落としが飛んでくるが、その一撃をニーダルは再び左掌をあてていなす。


「裸一貫無手での勝負なら、数の多いこちらが有利だ! いくぞっ」

「おおっ」


 上下左右から一斉に飛び掛る少年達、けれど、円を描くニーダルの動きで見事にかわされ、痛烈な直蹴を浴びた。

 紫崎由貴乃は、覚えている。彼の動き、彼の技を。根底に流れる……絆を。

 記憶は美化されるだろう。だが、たとえ差し引いても、その男の突きは、どんな槍よりも鋭く、その女の体裁きは、いかなる戦舞よりも艶やかだった。


 彼の、ニーダル・ゲレーゲンハイトの強さは、この世界における戦闘で研鑽されたものだ。

 けれど、槍ではなく無手を使うことで、見えてくるものがある。

 ニーダルの素手格闘術は、旧友である赤枝基一郎と苅谷近衛から学んだ護身術の影響を受け、おそらくは彼なりに二人を越えることを念頭に磨かれている。

 近衛のように、絡んできた不良を片端から地に叩き伏せるような、攻撃を崩して投げるところまで繋がらない。

 それでも、受け流し、死角に踏み込む速度はかつての近衛を遥かに凌駕し、相対しているナナオやトウジには、まるで消えたように映っていることだろう。

 赤枝は自分の空手を「なんちゃって」などと称していたが、幼い頃から修練を欠かさなかったせいか、正拳中段突きだけは、姿勢から呼吸にいたるまで美しく、人一人を容易く昏倒させる凄まじい威力を発揮していた。

 単純な一撃では及ばない。だからこそ、手数を増やし、工夫を加えて昇華している。


「ノーラはどう見る?」


 水晶に語りかけると、再び通信が接続され、落ち着いた声で冷静な分析が返ってきた。


「基本動作は王国槍術ですが、喪失した素手格闘を独自の技術で補っているようです。ディフェンスとオフェンスをリンクさせ、守りに回っては平手で捌き、攻撃に臨んでは突きの瞬間に握ることで、捻りを加え、打突の衝撃を強めています」

「槍術の捻り突きを応用した技法だろうね。日本拳法にも似た趣旨の技があったはずだ」


 赤枝ならば一撃必殺。そこに辿りつけなかったのが、ニーダルの天賦の才の限界であり……


「ケンポウ? 以前マスターが仰られていた、自国民の平和を脅かす最終兵器、ですか?」

「うん? そっちは日本国憲法。9条を改正しようとする者は根絶して皆殺し! だなんて”自称”平和主義者は鬼畜だよね。ってノーラ、字が違うっ」

「肯定します。失礼しました」


 ……逆に言えば、単発大砲でしかない赤枝と、攻防一如の戦術兵装として使えるニーダルの圧倒的な差でもある。


「ナナオ、トウジ……。あの人無手でもめちゃくちゃ強いんじゃないか」

「知っている」

「俺っち達の師匠っスし」


 メルダーマリオネッテの面々は善戦するも、遂には全員のされてしまった。

 這いながら、閉ざされた扉に手を伸ばす。あと少し、あと少しだったのに。


 その時、ドアが開いた。


「……!」

「……!?」


 湯気の満ちる女湯から姿を現したのは、お揃いの紺のワンピース水着に身を包み、石弓やらナイフやら釘つきバットやらで完全武装した少女達だった。あまりのシュールさに、ニーダル達は面食らう。


「紅い道化師殿ですね。紫の賢者が、龍神の間で待つとのことです。我々は最終防衛ラインの防御を任された者です。同胞の入浴を護ってくださったことを、感謝します」


 そう告げたショートカットの娘は、見覚えのない顔と聞き覚えのない声だった。エイスケのように、新しく合流したメルダーマリオネッテの一員だろうか。 


「この獣たちの処分はお任せください」


 そう言って、通路の脇にある階段を指した子には、覚えがあった。

 ふわりとした栗色の髪と少し膨らんだ胸。丸みを帯び始めた腕と足。成長していたが、過去の面影もある、確か裁縫がやたら上手かった娘だ。

 問題は、水着の上にギチギチのボンテージを着て、ごっつく太いムチをもった女王様コスチュームに身を固めていることで、この数年で趣味が変わったのだろうか。


「ま、待つッス。もうたたかえないっス。エル…エンジュ、お前ならわかってくれるよな」

「うん。紫の賢者から教わったの。この年頃のオトコノコがスケベなのは仕方ないって。だからカラダにわからせるしかないって」


 そう言って、バチンと床を叩く。痛いってゆうか、危ないだろう、アレは。


「まてまてまて降伏する」

「何を言っている、ナナオ。メルダーマリオネッテにあるのは、壊すか壊されるかだ」

「アカシア。お前、ロゼットに負けたことを、まだ根に持ってるのか」


 その言葉に、ショートの娘、アカシアの雰囲気が目に見えてかわった。


「ちがう。いつも口をひらけばロゼットロゼット。自分は腹立たしいんだ! お前の存在がっ」

「ちょっまっ」


 オラオラ。やっちゃえ。えっちなのはきらいです。ささやき、えいしょう、いのりねんじてはいになれぇええ。


「す、すまきにして焼却場へ。半端ねえ」


 ちょっとだけ余計なことしなくて良かったとニーダルは思い、階段を上りながら水晶球を取り出して、レイジへと秘匿通信を送った。


「あ、ニーダルさん、やっぱり殴っちゃいました?」

「お前、読んでたのかよ…」

「五分五分でしたけどね。紫の賢者がイスカを外へ出したんです。それで、覗きに行こうとしたらニーダルさんが風呂にいた。ああ、これは、罠かなって」

「なるほど。そういうわけか。……ヨツバ達は?」

「全員気を失って、ボコられてたところを回収しました。ナナオ達も救出が必要ですか?」

「急いでやってくれ。女の子の方が過激だ」

「それは勿論」


 入り口と女子たちの人数、装備を伝えて、ニーダルは通信を切った。レイジならば上手くやるだろう。ロゼットには及ばなかったにせよ、彼もまた指揮固体であり、男子組最上位ナンバーを務めていたのは伊達ではない。


(それよりも、だ)


 今のレイジの言葉を信じるなら、ナナオやトウジはイスカが不在だと思い込んでいた。だからニーダルに声をかけ、覗きに誘った。

 罠だというなら最初からそうだ。いかにもな張り紙、多種多様な罠に、完全武装の女子防衛隊。イスカが戻ろうと戻るまいと覗き自体は失敗する。それはいい。


(何かノせられている気がする)


 不自然なほど充実した医療設備に、地雷魔法陣や水流にも耐える奇妙な通路。たぶんこのホテルは、彼女の趣味であると同時に、有事における拠点の試作建築ではないか?

 先ほどの一件は、メルダー・マリオネッテの戦力と、何らかの空間操作魔術の稼動評価を兼ねた試験だったのかもしれない。


(……それだけじゃない。まるで、俺にあの空間を見せるのが目的だったような)

 

 どこか据わりの悪い違和感を感じながら、ニーダルはロビーで龍神の間の位置を確認し、地下へと向かった。



 ホテルの屋上で、アンズは給水塔によりかかり、息を切らせていた。


「愛しいロゼットに追われるのは嬉しいけど、命がけなのはカンベンだよね。でも、これで大丈夫……」


 先ほど入った通信によれば、ニーダルはすでに龍神の間に入ったそうだ。予定は順調に進んでいた。あとは。


「何が大丈夫なのかしら、アンズ?」


 背後から耳元に息のかかる距離で囁かれ、振り返りざまに抱きしめようしたアンズだが、抱擁はロゼットが持つ得物によって阻まれた。


「ロゼット、つ、槌はやりすぎじゃあないかな」

「ナナオから先ほど連絡がありましたの。レイジの動きが怪しいから気にかけておけ、と」


 厄介な事を、とアンズは胸の奥でつぶやいた。あの潜在的な恋敵は、こんな時にまで邪魔してくれる。


「でも、もう一人いますわよね。さっきからワタシの注意をひきつけるように、何度も挑発を繰り返して。アンズ、いったい何をたくらんでいますの?」

「ヤだな。ロゼット相手にたくらむなんて、そんな大それたこと、アタシにはできないよ」

「では、紫の賢者はいったい何を目論んでいますの?」


 先ほどからロゼットの表情は、逆光でアンズからはよく見えない。


「このホテル、地上部こそ一般建築に見せかけていますが、地下部のセキュリティが異常です。要塞か、あるいはその逆……牢獄として使えるくらいに」


 こういった展開を避ける為に、アンズはロゼットをひっぱり回したのだが、骨折り損だったらしい。空港でアンズと一緒に仲間たちと別れる前に、すでに宿を調査するよう指示を出していたのだろう。


「そんなにカンがいいのに、どうしてアタシのキモチが伝わらないかな」

「ごめんなさい。ワタシ好きな人がいますので、おつきあいできません」

「最悪だよこのリーダー!」


 妬けつくような風が吹き、太陽が雲に隠れる。

 二つに分けた黒褐色の髪の下、翠玉色の瞳がまっすぐにアンズを見つめていた。


「アンズ、茶化さないで」

「茶化してなんかない。アタシたちメルダー・マリオネッテが皆で幸せになるために必要なことだよ」

「それは、たとえば、あの人やイスカを不幸にしても?」


 ロゼットは気づいている。

 ヨゼフィーヌ教官がメルダー・マリオネッテを中東海にまで連れ出したのは、末妹のイスカを、ひいては彼女の義父であるニーダル・ゲレーゲンハイトを陣営に引き込むためだった。

 何のために? ロゼットなら、自分達の心を縛っていた魔術洗脳や、四肢に仕込まれた処刑用の炸薬を消滅させた、あの”翼”の意味すら、感づいているかもしれない。

 アンズは、紫の賢者から聞かされた言葉を思い出した。


『アンズ。レヴァティンとは、世界からともし火を消す炎だよ。物理も魔術も神器すら消滅させる力、あの炎を手に入れれば、あらゆる防壁を潜り抜け、発電所や水道施設、魔動力供給塔に対し絶大な破壊力を行使できる。無限の自由が彼を欲する理由、キミはこの意味がわかるかい?』


 盟約者や怪物の暴虐から人々を護る牙にも、屍の上で権力を謳歌するテロリズムにも流用できる鬼札。その価値を知るがゆえに、あの変態さんは共和国の二大軍閥には属さず、弱小軍閥の協力者、遺跡荒らしとして振舞って、インフラの破壊等には踏み込まなかった。


『あの男は、神にも悪魔にもなれる力を手に入れてなお、凡人であることを即断するだろう。だから』


 彼の力が欲しい。彼を掌中に収めたい。たとえ恩を仇で返し、彼やイスカの意思を踏みにじることになっても。そうすれば、皆で、幸せになれるから。もう虐げられることもなくなるから。

 アンズには、ロゼットの問いかけを否定することは、できなかった。


「ロゼットは可愛いよね。好きな男のために一生懸命になれる。そういうロゼットがアタシは好きで、でも、ロゼットみたいにはなれないんだ」


 血を浴び、泥に汚れながらも、弟妹達を生かし続けたリーダー。ともに戦えることが喜びであり、誇りだった。

 ロゼットがメルダー・マリオネッテのことを想っている事に疑いはない。でも、アタシも皆が好きで、選ぶ選択は――違う。


「紫の賢者の意図、ちからづくでも聞きだします」

「最初からあしどめがアタシの役割。ここからは進ませない」


 アンズの手から戦輪が飛ぶ。

 複数の軌跡を描いて舞うチャクラムは、蜘蛛糸のように鋼糸を撒き散らした。

 屋上を包み込む鋼の糸は、繭のようにロゼットを包み込む。


「アンズ。知ってます? 恋する乙女は強いですわよ?」


 ノコギリと出刃包丁を手に、ロゼットが剣舞を踊る。鋼糸は断ち切られ、迫る戦輪もまた、投げナイフによって軌道がそらされた。


「うん。知ってる」


 たとえ報われないオモイであっても、アンズにとってロゼットが大切なのは変わらない。


「だから、アタシも強くなれる。時間加速――!」


 アンズの指が魔術文字を紡ぎ、ロゼットの槌が光を発する。そして、二人の乙女は、互いの意思を刃に変えて交錯した。


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