特別編1話「ふたりやと思ってた世界が、今日から三人になった」
▶︎ 1. 「あれ、ちょっとおかしいなあ…」
舞子は、朝からずっと体が“だるい”。
起きても眠気が取れず、食欲も妙にない。
パンの香りがちょっとだけ気持ち悪く感じて、
コーヒーもなぜか飲みたくなかった。
「うーん……最近仕事忙しかったからなぁ、疲れ溜まってるんかも」
ふらりと鏡の前に立つ。
顔色は悪くない。
熱もない。
でも、なにかが「いつもと違う」。
(てか、今月……来てへん?)
指折り数えてみて、初めて心臓がトクン、と鳴った。
(もしかして……いやいや、まさか)
念のためにと思って立ち寄ったドラッグストアで、
検査薬をカゴに入れたとき、
心臓はドラムみたいに鳴ってた。
(何もないかもしれん。けど、もしも……)
帰宅して、勇気を出して使った結果――
そこには、くっきりとした線が二本。
舞子は、お腹をそっと撫でた。
「……うそやん。ほんまに、うちのお腹に……命、おるん?」
▶︎ 2. 帰ってきた夫に言えない
その夜、本庄はいつも通りの時間に帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり……ごはん、もうちょいでできるで」
「ありがとうございます。手伝います」
会話はいつも通り。
でも舞子の心は、まるで水の中に沈んでるみたいに落ち着かなかった。
(言わなあかん……けど、今言ったら、どう思うやろ)
彼は穏やかやけど、真面目で繊細で、
“新しいこと”に不安を抱えやすい人でもある。
子どもができたと知って――喜んでくれる? それとも、戸惑う?
「……舞子さん?」
「えっ」
「味噌汁、吹きこぼれてます」
「ああっ、ご、ごめんっ!」
動揺で火加減すら間違えた自分に、頭を抱える。
夕食のあと、ソファに座るふたり。
いつもならテレビをつけて、ゆるーいバラエティを見る時間。
でも今日は、どうしても“その空気”を壊せない。
「……今日、なんだか変ですね」
本庄が小さく言った。
「変……?」
「うまく言えませんが、目の奥が、少し揺れてる」
(あかん、バレとる……)
もう限界や。
息を大きく吸って、吐いて、そして――
「なあ、本庄さん」
「はい」
「うち、今日……妊娠検査薬で、陽性出てん」
沈黙。
ふたりの間に、すっと時間が止まったみたいに静寂が流れる。
舞子は、手をぎゅっと握った。
「まだ病院行ってへんから確定じゃないけど……
たぶん、うち……妊娠してる。ほんまに、あなたの子やと思う」
言葉が震えていた。
怖かった。喜ばれるかどうかも、答えがあるかどうかもわからない。
でも――
本庄は、ゆっくりと目を閉じて、そして立ち上がった。
「……待っててください」
「え……?」
リビングを出ていく音。
舞子の胸がまたドクンと跳ねる。
(まさか……混乱してる? 逃げ……)
5分後、本庄は静かに戻ってきた。
その手には、紙袋と、花束。
「……これ、今日、実は用意してました」
「え?」
「何か、あなたの体調が違う気がして。
無意識に、コンビニで“いつもと違う日用”の花を買ってました。
……本当に、今日でよかった」
▶︎ 3.「ありがとう」しか出てこない夜
舞子は思わず笑って、泣いた。
「……なにそれ、もう、うちが言葉出んくなるやん」
「……僕も、驚きました。
正直、不安がないわけじゃないです。
でも、“あなたの子ども”を一緒に育てられる未来が来るなら、
僕はきっと、それが一番の幸せです」
そして――
本庄は膝をつき、舞子の小さなお腹にそっと手を置いた。
「……ありがとう。来てくれて。
まだ何もわからないけど、君のために、強くなります」
舞子は、涙をぬぐいながら言った。
「これから大変なこともいっぱいあるやろけど……
でもうちは、“ふたりで”が、“三人で”になること、うれしいって思えてる」
「……僕も、同じです」
ふたりは、しばらく黙って、
ただ“ぬくもり”を、手のひら越しに感じていた。
▶︎ 4. 奈々、飛ぶ
数日後、病院で妊娠を正式に確認。
胎嚢も確認でき、心拍も問題なし。
その帰り――
舞子は、奈々にだけ、カフェで報告することにした。
「……な、なんやねん。もしかして、浮気?」
「ちゃうわ!!!」
「え、じゃあ何!? リストラ!? 離婚!? 引っ越し!? もしかして……妊娠!?」
「正解……!」
「えええええええええええええええ!!!」
カフェの店員も一瞬こっちを振り返る勢いで、奈々が叫んだ。
「ちょ、もう泣くわ……!
え、舞子がママ……ええ~!?!?!?
あの“氷の上司”が……パパ!?!?」
「せやねん。やばいよな」
「この世のニュースで一番やばい」
ふたりはケーキを前に、
“出産祝いなにしよ”で2時間話し込んだ。
*エピローグ*
夜。
ふたりでお腹に耳を当てたり、名前を相談したり、
ゆっくりと、けれど確実に“家族になる準備”が始まっていた。
「……なあ、本庄さん。
うちら、もっとちゃんと“パパとママ”になれるかな?」
「……なれますよ。あなたとなら、きっと」
「それな。うち、信じてるもん。あんたのこと。あんたが“うちの味方でいてくれる”って」
ふたりの指が、またひとつ、しっかりと重なった。
お腹の中に、小さな命がいる。
それだけで、世界の景色が少し変わって見えた。




