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第96話 逆転と撤退

 トーマは殴り抜いた拳の感触で、ミーナを仕留めていないと直感した。


「ぐ、う、ふ、ふふふっ。まさか、S級の魔物にも通じる私のフェロモンが効かないとは」


 事実、ミーナは殴りぬかれた腹部を抑えながらも倒れない。

 腹の下から焼け焦げた護符の類が落ちて来たことから、トーマの一撃を服の内側に仕込んでおいた『保険』で防いだのだろう。


「驚きであります。まさか、魔王様と同等の耐性を持った人だとは」


 驚嘆の言葉を紡ぎつつも、その表情にはまだ不敵な笑みが浮かんでいる。

 トーマの手持ちの魔物を全て無力化したとはいえ、トーマ自身という最大戦力は健在。

 なおかつ、フェロモンではトーマに干渉することは出来ない。

 更に言うのならば、ミーナ自身に際立った戦闘能力は無く、このままトーマと戦えば確実に負ける。

 その事実を理解した上でなお、ミーナは笑みを浮かべているのだ。


「ですが、何事も備えはしておくもの。ええ、フェイス殿から護符を貰っていなければ、先ほどの一撃で沈んでいたように…………万が一の備えはしておくものであります。たとえそれが、外道と罵られる所業であっても」


 ぱちん、とミーナの指が鳴らされた。

 すると、ミーナの影が広がり、その中から幾人もの子供たちが姿を現す。

 全身を拘束され、意識を失わされた子供たちが。


「影を媒体にした転移魔術に…………人質のつもりか?」

「ご安心を。貴方たちが守っていた子供ではありません」

「んなもん、見ればわかるっての……大方、この先にある街から攫った奴か?」

「はい、ご名答であります」


 意識の無い子供たちの首元には、鋭い牙を持つ小型の魔物も何体も張り付いている。

 しかも、小型の魔物でありながら、A級の者も混じっている。

 流石のトーマと言えども、この状況で人質にされた子供たちを全て無傷で助け出すのは難しい。どれほど上手く行っても、一人か二人は欠けてしまうだろう。


「実験であります」


 ミーナはトーマの前で芝居がかった仕草で両手を広げた。


「果たして、トーマ・アオギリという強者は、見知らぬ赤の他人を助けるのか? 見捨てるのか? これは結果次第では大分、こちらの有利になる実験でありますなぁ」

「……なるほどね。つまり、定番の奴だと? こいつらの命を助けたいのならば、大人しく投降しろと?」

「ええ、我らが魔王城にご案内したく思っています。そこで、たっぷりと『説得』をば」

「へぇ」


 ミーナの言葉に、トーマの頬が吊り上がった。

 だが、それは感心でも喜びでもなく、怒りのあまり笑えてしまっているという表情だ。

 ミーナの所業に、人質戦法に、トーマは笑顔のまま怒りを抱いていた。


「一応訊いておくけど、これは俺が人質を無視したらどうなるのかな?」

「人質は殺します。そして、恐らくは私も死ぬでありましょう。ですが、この情報は今後、貴殿を相手にする時に役立つ情報となるでしょう。人質など介さぬ、良くも悪くも割り切った人物であると」

「そうかよ」


 人質戦法は実験であり、試金石。

 トーマ・アオギリという強敵を攻略するための手順の一つ。

 四天王の一人でありながら、ミーナの思考は魔王軍全体の利益になるように、と自身の安全を度外視に回っていた。

 良くも悪くも、自身も他人も合わせて命を軽く扱っていた。


「――――馬鹿が」


 そんなミーナに対して、トーマは吐き捨てるようにシンプルな罵倒を吐き捨てた。

 だが、そこには怒りの他にも別の感情もある。

 それは、『呆れ』だ。


「さぁ、答えをどうぞ、トーマ殿。どちらを選んでも、我らが魔王軍のためになるのならば、私に悔いはないであります――ごぼっ!?」


 トーマを挑発するような言葉の途中、突如としてミーナが血を吐いた。


「ごぼっ、ごふっ……こ、これは?」


 ミーナは困惑の中、謎の吐血の正体を探ろうとするが、わからない。

 先ほどの打撃が今更になって効いてきたのか?

 否、違う。この内側から溶かされるような痛みは、打撃による痛みではない。

 ならば、何故?


「人質戦法。俺と戦う奴が誰も思いつかないと思うか? むしろ、そこら辺のチンピラですら思いつくほど簡単で有効的な戦法じゃないか? 直接戦えば敵わないから、そいつが動けないように人質を取る。弱者が強者をどうにかしようと考えるのならば、まぁ、誰だって思いつくだろうな――――それで?」


 怒りと呆れが混ざった表情で、トーマはミーナを見る。

 どこまでも冷たい視線で、血を吐き散らす醜態を眺める。


「まさか、この俺がその対策を取らずに居るとでも?」

「……っ!」


 げほ、ごほ、と吐血混じりの咳をしながら、ミーナは失策を悟った。


「S級ウィザードは誰しも、己が開発した『固有魔法』を持っている」


 単なる吐血だけではない。

 原因不明の寒気に、命そのものを吸い取られるような虚脱感。

 それが一秒ごとに悪化しながらミーナの体を蝕んでいる。


「当然、この俺も持っているんだよ、固有魔法。お前らみたいな卑劣な搦め手をしてくる輩を殺すための、とっておきの固有魔法が」


 がくがくとミーナの足が震えて、膝が地面に着く。


「固有魔法【先んじる復讐者】。その効果は、俺の行動を操ろうとする者に対して発動する。その者が卑劣で悪辣な方法を用いれば用いているほど、効果は絶大。ありとあらゆる防御を掻い潜り、魂を直接蝕む呪詛を撃ち込む」

「ごほっ……特定条件下のみ発動する、概念系のトラップでありますか……ですが、私を殺したところで、あの人質は――」

「馬鹿が、この程度で終わるわけないだろうが」


 地面に跪くミーナを見下ろしながら、トーマは無慈悲に告げた。


「鉄砲玉。自分の命が惜しくない奴。他の人間から強制された奴ら。その他、卑劣な手段を取る奴はごまんと居たんだ。『実行者を殺す』程度の呪詛で終わるわけがないだろうが」

「……っ! まさか」

「ああ、そうだ――――俺の固有魔法は、因果を辿り感染する」


 トーマの言葉に、ミーナは目を見開いた。

 思い至ってしまったのだ、最悪な結末を。


「鉄砲玉が感染したのならば、その命令を下した人間を。命令を下した人間が感染したのならば、その命令を下した人間が所属していた組織も。関係者に根こそぎ感染し、容赦なく審判を下す。さぁて、お前が所属する組織は――魔王軍は何人ほど生き残るかな?」


 因果を辿り、感染する呪詛。

 しかも、S級ウィザード最強であるトーマが作り上げた固有魔法による呪詛だ。

 いかに四天王クラスと言えども――否、あるいは魔王ですら防げないかもしれない。


「――っ! 我が名によって命令を下す! 『囚人を解き放て!』」


 その可能性に思い至った瞬間、ミーナの思考はかつてなく回った。

 トーマの固有魔法による呪詛の解除方法を模索した。

 これほど強力で問答無用な呪詛、何か『制限』があるはず。口頭でミーナへわざわざ固有魔法の解説をしたのも、恐らくは感染を広げるためのトリガーであるが故に。

 ならば、呪詛を解除するためのトリガーもあるはず。

 ミーナはそう考えて、すぐさま人質の解放を行った。

 拘束を解除。

 付けていた魔物たちも全て離して。

 あの人質たちをもう使わない、と固く心に誓う。


「おめでとう、正解だ」


 すると、ミーナの全身を蝕んでいた寒気も虚脱感も消え去った。

 先ほどまでの状態が嘘のように体が軽くなる。

 もっとも、それは呪詛で負った傷が治癒されるというわけでもなく。


「あの世で、不正解を出した悪党どもに自慢してくれ」


 たった今、振り下ろされようとするトーマの拳が止まるわけでもない。


「――――っ!」


 迫りくる死の一撃に、ミーナは思わず目を閉じて――――そして、後悔した。


「仲間を見捨てない、その精神性には敬意を表する。だが、生憎二度目は無い」

「か、は……これ、は、困ったよねぇ」


 何故ならば、次の目を開いた瞬間、ミーナの視界に飛び込んできたのは、ミーナを守ろうと転移してきたフェイスが血反吐を吐く姿だったのだから。

 その胸をトーマの手刀によって貫かれ、致命傷を負っている姿だったのだから。


「だけど、それ、でも――っ!」


 胸を貫かれたフェイスはそれでも止まらない。

 素早く指先の動きだけで空中に簡易魔法陣を構築。

 この場を飲み込むほどの特大の火球を生み出す。


「こんなもの――いや、そうか。俺の仲間も巻き添えか。流石に防がないとな」

「そうしていただけると、とても助かるよ」


 火球とトーマの拳が互いにぶつかり合い、花弁の如く火炎が舞う。

 そんな中、トーマが仲間の防御に入ったため、即死の間合いから解放されたフェイスが更に動く。


「さぁ、逃げようか、ミーナちゃん。今回は、残念ながら僕らの完敗だ」

「フェイス殿! 傷が! その傷は――!?」

「大丈夫、僕はまだ死なない」


 火炎が舞い散る中、フェイスはミーナと共に転移によって逃亡。

 その一瞬後、トーマはきちんと火球の攻撃範囲から全ての仲間を守り切った。


「致命傷の上に、とっておきの呪詛もぶち込んでやったけど……案外、生き延びそうだから困る。これだから、魔王軍って奴は油断ならない」


 既に二人が居なくなった空間を眺め、トーマは大きくため息を一つ。

 何度も接敵していながら、それでも四天王という幹部の一人も殺せていない現状に、危機感を抱いたのだった。

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