第93話 虫の軍勢
パラディアム王国は当然、理想郷というわけでは無い。
現王の統治により、大分治安を取り戻してはいるものの、中央の都市を中心とした貧富の格差や、地方と中央による帰属意識の差による摩擦なども起こっている。
そして、『悪の組織』と呼べるものもいくつか存在しているのだ。
それはちゃちな犯罪集団や地元密着型のマフィア的なものとは比べ物にならない、露骨すぎるほどの悪だ。
例えば、人間と魔物のどちらの売買も取り扱う密輸組織。
例えば、見合った金さえ貰えるのならば、どんな人間でも暗殺する殺し屋組織。
例えば、禁止されている薬物を何でも取り扱う調達屋。
例えば――――神人時代に失敗した研究テーマを引き継いだ、違法研究者集団。
魔物に負けない人間の創造を目的とした、『改造人間』を作り上げることに執着した組織。
このような、コミックの中に出てくるようなあからさまな悪の組織も存在するのだ。
悪の組織なのだから、当然の如く倫理感は皆無。法律も無視。
改造人間の素体となる人間は、各地方からバレないように拉致。
または、提携している他の悪の組織――なんでも取り扱う密輸組織からの購入。
様々な手段で調達した素体には、人権など存在しない。
魔物の血肉や遺伝子データを打ち込むのはもちろん、実験体同士の殺し合い。耐久度実験と言う名の拷問など、この世の地獄を詰め込んだような有様だ。
このような悪の組織が何故、野放しになっていたのか?
それは先王の時代から巨大な権力を持つ、貴族によるバックアップによるものだ。
いくら真っ当な治安維持組織が存在したとしても、地方や一部の都市では貴族の影響力が未だに強く、中々捜査の手を伸ばすことが叶わなかったのだ。
悪と権力が結びつく時、大抵はろくなことにならない。
無論、これはパラディアム王国の一部の話だ。
大抵の都市や居住区は貴族というシステムを廃し、新たなる政治体系に移行している。
それでも、悪というのは根深く、しぶといものだ。
体制が移ろったとしても、その根を断つことは中々困難だ。
故に、『その少女』の生活は絶望的だった。
「大丈夫、大丈夫。絶対助かる。絶対助かる。いつか、誰かが助けに来てくれる」
叶わない希望だと知りながら、それでも狂わないように呟く日々。
移植された魔物の能力を測るため、魔物の群れの中に放り込まれたこともあった。
危うく、魔物に内臓を食われそうになることもあった。
薬物の副作用で眠れない日々もあった。
耐久実験で死にかけることもあった。
「いつか、誰か、正義の味方が……きっと……」
段々と命が失われていく実感がある中、少女は生きる希望だけは見失わないようにした。
――――悪は必ず滅びる。
拉致される前、好きだったコミックのヒーローの決め台詞。
それを信じて、少女は何度も何度も辛い実験を耐え抜き、生還する。
実験動物を見るような、冷たい研究者の視線に尊厳を削られながらも、自分は人間だと言い続ける。
「いつか、いつか、いつか……」
だが、現実は無情だ。
都合よく少女を救う正義のヒーローなど現れない。
現実に存在する悪の組織は巧妙で悪辣だ。
正義に付け入らせるような隙は見せない。
「いつか…………」
段々と、少女の口から希望が消えていく。
胸に抱いた生きる理由が薄れていく。
無情な現実が、少女の希望を踏み砕く。
そして、少女は他の消えて行った実験体と同じように、生きる希望を失って。
『醜悪極まりない、過去の妄執よ。我が打ち砕こう』
少女の命が尽きるより前に、悪の組織は潰された。
貴族の権威も、悪辣なる偽装工作も、ありとあらゆる予防線も無視して、力任せに全て潰されたのだ。
だが、それを為したのは正義のヒーローではない。
『魔王たる我が、終わらせてやろう』
醜悪な悪を踏み砕き、君臨する偉大なる悪。
魔王によって、悪の組織は壊滅させられたのだった。
『ふむ。憐れなる実験体たちよ……己が名を取り戻し、我の手を取れ。再び、人として生きる道を選べ。絶望に浸ることは許さん――――これは命令である』
実験に関わっていた研究者たちは、容赦なしの皆殺し。
憐れなる実験体は、魔王率いる魔王軍が保護しつつも、自らの組織に勧誘。
魔王軍が持つ謎の技術力により、失った命も健康も補填されることになった。
その中には、生きる希望を失いかけていた少女も居て。
「あ、あの、魔王……さん。私は、私は、生きていて……いいのかなぁ?」
『愚問だ、少女よ。我が価値を見出し、救い出したのだ。胸を張って生きるがいい』
「…………はいっ!」
魔王が差し出した手を力強く握り、深い忠誠を誓うことになったのだ。
これが四天王が一人、ミーナ・フレンダースの始まり。
正義や倫理を踏みつけ、魔王がためにどんなことにも手を染める忠義者が誕生することになったきっかけだった。
●●●
分断されたトーマに差し向けられた魔物は、子供たちを囲っている者とは比べ物にならないほどの精鋭揃いだった。
空間を断ち切るクワガタ型の魔物を初めとして、S級相当の魔物が三体。
A級相当のステルス型の魔物が七体。
その他、二十体近くのA級とB級の混合部隊。
それが雪崩のように、一気にトーマの下に押し寄せてくるのだ。
並大抵の英雄個体ならば、この時点で既に死んでいるだろう。
上級のテイマーだとしても、ろくに魔物に指示を出す前に死んでいるだろう。
「アゼル、シラサワ、イオリ」
しかし、トーマは規格外の力を持つS級ウィザード最強の存在だ。
自らに迫りくる魔物の牙を易々を捌き、平然と自身の仲間たち三体を召喚。
「薙ぎ払え」
「「「了解!」」」
差し向けられた精鋭の駆逐を始める。
『吹き飛ぶがいい』
真体に変身したアゼルによる、嵐と雷撃のドラゴンブレス。
「昆虫採集の時間だよー!」
シラサワによる大量のスケルトンの作成。
「最終兵器の面目躍如です!」
イオリが組み上げた魔導兵器による一斉砲撃。
トーマの手持ちによる攻撃は、瞬く間にS級以下の魔物たちを駆逐した。
それほどまでに、今の仲間たちの攻撃は火力があるのだ。
「よくやった、残りは任せろ」
そして、この事態に仲間だけ動かしておいて自分は動かない、なんて怠惰をトーマは犯さない。仲間たちの火力によって露払いが済んだ後、S級魔物たちの下へと瞬間移動。魔力を凝縮した拳を、雷の如き速度で振り抜く。
「まず、一体」
次に、振り向きざまに手刀で背後に迫っていたS級魔物を切断。
「これで二体」
最後に、空間すら切り裂くクワガタの角を素手で受け止め、そのまま力任せに引き裂く。
クワガタの二本の角は左右に分かれ、血肉をまき散らしながら最後のS級魔物は絶命した。
「三体目……で、最後か?」
トーマに襲い掛かろうとしていた魔物たちは、全て排除された。
だが、トーマと仲間たちは警戒を解こうとはしない。
何故ならば、居るからだ。
ステルス型の魔物よりも更に巧妙に隠れ、今までのトーマたちの戦いを眺めていた者が。
「お見事であります、トーマ・アオギリ殿」
ぱちぱちぱち、と気安い拍手と共にその者は姿を現した。
あらゆる色を混ぜ合わせたような汚れた黒のショートヘア。
毒々しい着色料の如き青の瞳。
恐ろしく痩せた体型に、ロンと大して変わらぬ背丈。
それらを全て包み込む、古臭い、時代遅れの軍服。
「私は四天王が一人、統率者ミーナ・フレンダース。僭越ながら、貴殿のお相手をさせていただきました」
その者――ミーナは行儀の良い笑みを浮かべて、トーマへ話しかける。
先ほどまで、魔物たちを襲わせていた張本人とは思えないほど、親しげに。
「そうか。また魔王軍か…………この時点で多分、即殺しても問題ない相手だろうが、一応訊いておくぞ? 大人しく魔物どもを引かせて、この場から消え去るという選択肢は?」
「残念ながら無しであります。こちらも仕事で来ていますので」
ミーナの答えに、トーマはすっと目を細めて拳を構えた。
忠告は既に終えた。
ならば、敵対者は倒すのみ。
どれほどの伏せ札があろうとも、トーマにはその全てを打ち砕けるだけの自信があった。
「ああ、勘違いをさせて申し訳ないであります。私どもは引くつもりは無く、けれども、これ以上貴殿と戦うつもりはありません。流石に、マサムネもカグラも退けた強者と戦うには、私だけでは不足でありますので――――故に」
だが、ミーナが大仰に両手を振り上げた瞬間、トーマの手持ち三体が全て地に付した。
「最初から罠に嵌めさせていただきました」
行儀よく微笑むミーナ。
彼女の周囲には武具も魔物も存在せず、ただ、『花の香り』があるのみ。
だが、その香りこそがミーナの何よりの攻撃手段だった。
「う、げぇ。体の力が抜けるよー」
「性能低下……魔導ナノマシンによる成分調査を開始……」
『ちぃっ! マスター、毒だ! 空中に毒が散布されている! 吾輩たちにも効くような奴が!』
三体の仲間たちは意識こそ失っていないが、既に手足から力が失われて行っている。
「失礼でありますね。これは毒ではありません」
その様子を見下ろしながら、ミーナはあくまでも対等の交渉者と言わんばかりの顔で言った。
「私が調合したフェロモンであります」
そして、かつかつと安全靴の音を立てながら、トーマに近づいていく。
「私は数百の魔物のフェロモン情報を無理やり詰め込まれた、改造人間。あらゆる魔物を誘惑し、あらゆる魔物を制圧し、時には人間すらも虜にするフェロモンを生み出すことが可能なのであります」
どこまでもミーナの微笑みは行儀が良い。
だが、軍服の胸元はいつの間にか開かれて、花の香りを連想させる濃厚なフェロモンが周囲一帯に散布されていた。
そう、既にミーナの攻撃は終わっていたのである。
トーマたちが魔物を倒している、その間に。
「トーマ・アオギリ殿。我らが四天王を二度も退けるその手並み、驚嘆に値するであります。是非とも我らが軍門に下っていただきたい。もっとも、その頃には貴殿の意識は夢の中になっているでありましょうが」
ミーナはゆっくりとトーマに歩み寄る。
沈黙し、何も言わないトーマの様子に『罠が嵌った』という確信を得て、最後の止めを刺すために、触れ合うほどの距離まで接近して。
「さぁ、お休みの時間であります――」
「いや、ごめん。俺、そういうの効かないんだわ」
「えっ?」
困惑と呆れが混ざった顔のトーマから、容赦ない拳を振るわれた。




