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第164話 メアリー・スークリムの超越

 メアリー・スークリムの半生は、トーマ・アオギリと共に在ったと言ってもいい。

 幼馴染で、最強の守護者。

 悪党、魔物、災害のような事象――ありとあらゆる困難を排する存在。

 それこそが、メアリーにとってのトーマなのだ。

 揺るぎない最強であり、他に並ぶ者など存在しない。

 だからこそ、この結果は必然だった。


「まぁ、こんなもんか」


 目の前のトーマが、特に苦も滲ませぬ表情で呟く。

 トーマの周囲には、メアリーが今まで集めて来た戦力が全て無力化された状態で転がっていた。殺されていないのは偏に、トーマの余裕と、こちらも殺意を向けていなかっただけに過ぎない。


「…………やっぱり、こうなったわね」


 メアリーは苦々しい表情でトーマを見つめる。

 服装自体は、この世界の基準に合わせた戦闘用の黒スーツ。

 だが、その外見年齢は現在のトーマよりも何歳か低い。

 メアリーのことを傍で守っていた時期のトーマだ。

 現在のトーマよりも未熟で弱く、けれども、純粋なメアリーの守護者だった頃のトーマだ。

 この世界で仲間にした者たちで、勝てるわけが無い。

 何故ならば、他ならぬメアリー自身がそう思っているのだから。


「さて、残りはお前一人だが、どうする?」

「…………っ!」


 トーマから視線を向けられて、メアリーは思わず身を強張らせる。


「俺としては、お姫様が起きる前にどこかに行って欲しいんだがな?」

「…………」

「いや、マジでどっか行ってくれない?」

「…………?」

「あー、もう」


 だが、いつまで経っても攻撃してこない。

 トーマを前にして、メアリーは敗北を悟ったわけだが、肝心のトーマがいつまで経っても攻撃してこない。

 何故か?

 その理由を考えたところで、一つの仮説に辿り着く。


「なるほど。貴方は本当に、私の中のトーマを参照して作られているのね」


 この場に出て来たトーマは、あくまでもメアリーの存在の欠片によって形作られている模倣品であるということ。

 つまりは、その行動はメアリーの認識に依存しているということ。

 ならば当然、どのような設定があろうとも、『トーマがメアリーを傷つけるわけが無い』のだ。少なくとも、メアリーはそれを宇宙の真理よりも変わらぬ絶対だと信じている。


「どうしたもんか…………いや、傷つけなければあるいは?」


 とはいえ、それに気づいたところで、このトーマも馬鹿ではない。

 馬鹿ではないという認識がメアリーの中であるので、直ぐに『傷つけさえしなければ、適当に拘束して、どこかに移動させればいい』という答えに辿り着くだろう。


「触れる……触れるのはなぁ。うーん、制限の無い相手なら異性の体でも殴り抜けるのに」


 今は物騒なことを言いつつも、異性に触れる躊躇いの方がトーマの中では優先されている。

 だが、それもいつまで続くのかは不明だ。

 トーマにこの場から追い出される前に答えを出さなければならない。


「私は、どうすればトーマを越えられる?」


 幼少の頃からずっと抱いていた、メアリー自身の命題の答えを。



●●●



 トーマの中には孤独がある。

 強さ故の孤独がある。

 それをメアリーは幼い頃から、ずっと知っていた。

 人よりも強いことは必ずしも良いことばかりでは無くて、周囲に良くも悪くも影響を及ぼさないように、窮屈な思いをしなければならないことなのも知っていた。

 好意を告げるメアリーに、トーマが素直に返事を返せないのも、自身の強さで関係性を歪めてしまうことを怖がっていることも知っていた。

 そう、メアリーは知っていた。

 トーマが実は、とても臆病であることを。

 自分自身が傷つくことは、どうでもいいように振舞うのに。

 大切な人たちが傷つくことに対しては、トーマはとても臆病になるのだ。

 それはさながら、小人の街を歩く巨人のようだった。

 踏みつぶさないように、相手を傷つけないように。

 まるで野花でも愛でるような距離で、トーマは自分の大切な者と接しているのだ。

 全ては、自身の強さで相手を傷つけてしまわないために。


 ――――ふざけないで欲しい。


 実のところ、メアリーはそんなトーマの臆病さには怒りを覚えていた。

 無論、弱い方が悪いというのもある。

 トーマから全力で抱擁受ければ、それだけで死ぬような脆弱さの肉体である。

 そんな弱さを抱えながら、トーマに『全力で愛して欲しい』などと言えるわけが無い。

 故に、トーマの臆病さへの怒りの大半というのは、自分自身の弱さに対する怒りでもあるのだ。

 強くならなければいけない。

 トーマが安心して、自分に抱き着けるように。

 トーマの孤独を抱き締められるように。

 そう決心したからこそ、メアリーはトーマの下を離れた。

 天才テイマーとして躍進を果たし、ライバルとしてトーマを待ち受けようとしていた。

 けれども、それでもやはりメアリーは思うのだ。

 真の意味で対等になるためには、力が必要なのだと。

 魔王やヨハンといった、トーマさえも殺しうる力の持ち主。

 超越者と呼ばれるに相応しい力が必要なのだと。

 だからこそ、メアリーは今。


「――――今、乗り越える。超越者の境界線を」


 条理を越えた領域へと、一歩踏み出そうとしていた。




 月の愛し子。

 それは魔物から愛される性質だ。

 遠い遠い昔、竜王が落とした血脈によって繋げられた【権限】だ。

 【管理者権限】ほど直接的に星に干渉できるわけでは無い。

 だが、間違いなく繋がっているのだ。

 星の一部に。

 魔物の集合無意識へと通じているのだ。

 メアリーは普段、その繋がりを意識してはいない。

 何故ならば、普通の人間は――可愛らしい女の子というのは、そんな怪物染みた干渉能力を持たないからである。

 己の力の真価を実感してしまえば、知る前までとは戻れない。

 何気なく魔物と接して好かれることを、今度は意識的に意識に干渉し――洗脳することも可能となるのだから。

 過剰なほどの特権は要らないと、今までメアリーは遠ざけ続けてきた。

 けれども今、メアリーは自ら引いたその一線を踏み越える。


「ライン構築、アーカイブ閲覧、メモリ検索――――ヒット」


 人間の肉体には度の過ぎた負荷に、目鼻からボダボダと血を垂れ流しながらも、メアリーは『掴んだ』。

 トーマという最強の相手に対抗しうる魔物の情報を。


「月の愛し子、メアリー・スークリムが古き盟約に於いて告げる」


 そして、その魔物を呼び寄せる。

 この場が仮想世界だからこそ、反動を気にせずに無茶を為す。

 己の精魂を捧げて、最古最強の竜王すら凌ぐ魔物を呼び出す。


「魂の記憶を読み取る影よ。我が最強を模して、この場に君臨しろ」


 それは元々、ドッペルゲンガーと呼ばれる魔物だった。

 人間の姿を写し取り、模倣し、成り代わって殺すだけの魔物だった。

 等級にすれば、C級にも届かない程度の魔物に過ぎなかった。

 けれども、今は違う。

 メアリーの干渉により、ドッペルゲンガーの解釈が捻じ曲げられる。広げられる。

 ただの模倣ではなく、真に迫る変身へ。

 魂の記憶を読み取り、その一瞬を再現するため、星の魔力すら汲み上げる一つの現象として、その魔物は今、ここに誕生したのだ。


『我が仮初の主よ。一時なれども、汝の最強となろう――――じゃあ、やるか』


 メアリーの影から、黒子の如く浮かび上がったのは、一つの少年の姿だった。

 瞼を閉じれば、鮮明に姿を思い描くことが可能な、愛しい幼馴染の姿だった。

 そして何よりも、昔の姿では無く、今現在のトーマの姿だった。


「へぇ、いいね」


 敵対者たる、子供のトーマは笑う。

 自らが成長した姿の影を見て、笑う。

 そこに在るのは、対等に近い力量を持った敵対者に対する称賛の笑みで。


『さぁ――』

「――くたばれ」


 歪な鏡映しのように、二人のトーマが最強を競い合うように拳をぶつけ合った。

 そして。



『わかっていただろ? トーマ・アオギリは成長し続ける怪物だ……思い出では勝てない』



 現在を模倣した影は、過去のトーマを当たり前のように討ち取った。

 何故ならば、トーマは最強を更新し続ける怪物だからだ。


「…………あーあ、結局、私の中の最強ってトーマなんだね」


 メアリー・スークリムが信じる最強は、いつでも瞼の裏に浮かぶ最新の姿だからだ。

 故に、過去の思い出では現在を止められない。


「難しいね、トーマと対等になるのって」


 だからこそ、メアリーは思い知っていた。

 人としての一線を越え、怪物としての道を歩み出してなお、まだまだ超越者として、トーマに並ぶには足りないのだと。


「でも、待ってて。いつかちゃんと、辿り着くから」


 それでも、メアリーは先に進むことを止めない。

 恋する乙女は最強なのだと、いつか幼馴染の男の子に思い知らせるために。

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