第162話 月の愛し子
メアリー・スークリムの朝は早い。
まだ空が薄暗い頃に目を覚まし、「えいや」という掛け声と共に愛しい掛布団を蹴り飛ばす。
「…………よし!」
そして、十五分以内に高速の身支度。
テイマーたるもの、いかに仲間とはいえ、使役する者たちの前でだらしない姿は見せてはいけない。故に、メアリーはいつも身なりに気を付けて行動している。
仲間に相応しい主足らんとするために。
「解凍よし。うん、後はこれを切り分けて……うん、こんなものね」
身支度を終えたメアリーが向かうのは、キッチン――ただし、まるで巨大な食堂のキッチンのように大きく広い調理場だ。
何台もある巨大な冷蔵庫から、朝の食事の分の材料を取り出して、手早く調理。
メアリーの仲間には、巨大な肉体を持つ仲間が多いので、必然と料理の企画も大きくなる。
メアリーが振るう包丁も、扱う鍋も、基本的には巨人のそれの如く大きい。
だが、メアリーは魔力による念動力を用いることにより、自身との規格の差をクリアしていた。
「ご飯の時間よ」
朝食の準備が出来たのならば、起きているだろう魔物たちの生息地帯へと転移。
食事を振る舞い、今日のコンディションを訊いて行く。
『マスター。最近の牧草いいね。これぐらいの青臭さが、僕には向いているよ』
その際、魔物たちは自らが住む場所の感想を言うことがあるので、これは欠かさずメモ。
メアリーはこの間、統率者ミーナを倒すために大規模なS級最上位魔物たちの雇用を行ったばかりなので、まだ完全には魔物たちの情報を掌握しきれていないのだ。
従って、このような日常の世話から、こつこつと情報を集めて仲間たちのプロフィールを更新していく。
その際、環境やテイマーであるメアリーに不満があるようならば、要相談。
いかに月の愛し子としての性質を持つメアリーと言えども、その性質に依存しているだけならば、S級テイマーには慣れていない。
性質そのものによる好感度上昇だけではなく、交流によって絆を育むことこそ、いざという時、魔物とテイマーの連携を光らせるのだ。
「……ふぅ。まぁ、ざっとこんなものね」
メアリーは仲間たちの朝食の準備を終えて、一息吐く。
今まではさほど仲間にする魔物は多くなかったためか、牧場一つを経営する程度で魔物の管理はカバー出来た。
しかし、メアリーはこの間、大量のS級最上位魔物を雇用したばかりである。
必然と、『全員まとめてこの牧場に居てね』とは言い難い。
S級最上位の魔物たちは、能力が高い分、プライドが高いものばかりなのだ。
従って、求められるのは平等な待遇では無く、公平な管理だ。
それも、魔物の格に見合った管理である。
これを実現させるために、メアリーは総資産の三割を注ぎ込んで、管理区画を作った。
一つの街ほどの大きさの管理区画を作り、環境を弄り、そこで仲間にした魔物たちにそれぞれあった住処を提供しているのである。
「とはいえ、いつまでも私一人だけでの管理は難しい。ブリーダーを雇いたいけれども、私の仲間たちのお世話をしてもらうにも、相応の格が必要……難しいところね」
今現在、メアリーはその管理区画をたった一人で切り盛りしていた。
それはテイマーとして規格外の天才であるメアリーをしても、明らかにキャパシティーオーバー。早急に魔物たちの管理を手伝ってくれる人員が必要だ。
けれども、数多のS級最上位の魔物たちの管理を手伝えるほどの力量を持った人材は少ない。
とても少ない。ひょっとしたら皆無かもしれない。
だが、それでもメアリーがこの規模の仲間たちを維持するためには、その人材を探し出さなければ話にならないのだ。
「仲間の数を厳選する? いいえ、私の勧誘に応じてくれた者ばかり、やむを得ない理由ならばともかく、私の不足を押し付けるわけにはいかないわ……うん、仕方がない。この手の悩みは、アラディア御婆様を頼ってみるしかないわね」
だからこそ、メアリーはまず、己の意地を切り捨てることにした。
必要な意地ならともかく、単なる『見栄っ張り』の意地なら切り捨てる。
たとえ、トップテイマーの座を争う相手とはいえ、相手は先人。そして、口は悪くとも、意外と若者の世話を焼くのが好きな老人である。
孫ほどの年齢のメアリーが頭を下げて頼めば、無下にはしないだろうという打算があった。
「もちろん、相応の対価は必要だけれども」
ただ、それはそれとして、完全に頼り切りだと不健全なので、ライバルとしてきちんと対価を用意するぐらいのことはしなければならないが。
「…………後、どれだけ積み重ねれば、私は」
そして、当面の問題の対策を立てたメアリーはふと、空を見上げて小さく呟く。
「トーマと対等に居られる存在になれるんだろう?」
段々と白み始める空を見つめて、ほんの少しの弱音を吐く。
メアリー・スークリムは破格の存在だ。
新進気鋭の天才テイマーだ。
多くのS級最上位の魔物を従え、誇張では無く、ヨハンがテイマー界隈から追放された今、最強の戦力を持つテイマーである。
しかし、だ。
その強さを持ってしても、トーマの前では霞む。
最強のS級ウィザードにして、超越者。
数多の理不尽を踏み砕き、その全てに勝利して来た、トーマという英雄とは対等ではない。
少なくとも、トーマがメアリーのことを守るべき存在だと認識している内は、対等には慣れないのだ。
「トップテイマーになれれば…………ううん。それじゃあ、駄目。トップテイマーになった上で、ヨハン・コリンズにも勝つ。それぐらいの強さを持たないと、きっとトーマは安心してくれない。だから、強くならないと。今よりも、もっと」
故に、メアリーは更なる飛躍を求める。
今でも十分以上に破格の存在であるというのに、その上を求める。
全ては、胸の中に灯る恋の篝火が示すままに。
「よし。それじゃあ、次は――――うん?」
弱音の時間は終わり。
後はひたすら前を向いて精進を重ねる時間だ、と気合を入れ直したメアリーであるが、次の瞬間、メアリーは首を傾げた。
何故ならば、メアリーの管理区画に居る魔物たちから、一斉に『うへぇ』という感じの嫌悪と呆れ、そして畏怖が混じった感情を感じたからだ。
しかし、その対象はメアリーではない。
「…………あー、うっす。朝方に悪い」
突如として、メアリーの管理区画に転移して姿を現した、トーマに向けられたものだ。
「ん」
突然のトーマに、メアリーは無意識にぱぱぱと自分の身なりを整えた後、澄ました態度で応える。
「トーマ、一体何の用? 私への恋しさが限界になって会いに来たの?」
「いや、お前の顔が見たかったのは事実だけど、今回は英雄としての用事もあるというか、なんというか…………嫌だったら断ってもいいというか、是非と断ってくれ」
「用事の内容を言う前に、一体何を馬鹿みたいなことを言っているの?」
「うー」
メアリーはトーマの煮え切らない態度に目を丸めた。
何故ならば、珍しいからだ。
トーマがこのように悩むことなど、ほとんどない。よほど大切な何かが絡んでいる時だけ、迷いに迷った態度を見せるのだ。
「…………竜銀災害への対処の一環なんだけどな?」
それでも、トーマは渋々と言った様子で説明を始めた。
未開拓地の深部で竜銀の回収をしていたこと。
その際、星の根源と呼ばれる場所に到達したこと。
星の根源にも竜銀が寄生している可能性があり、排除しなければならないこと。
そのためには、竜王と呼ばれる【原初の魔物】からの許可を得ないといけないこと。
その許可を得るための条件の一つとして、メアリーが呼ばれていること。
そして、何よりも『予測できない危険があるかもしれないから止めた方が良いこと』を一番長く説明していた。
「なるほどね」
メアリーはトーマの説明を良く理解した。
説明の裏に隠された、『できれば断って欲しい』というトーマの願いも理解した。
その上で、メアリーはトーマに答えを返す。
「わかった、私が星の根源に行って、竜王と話を付けるわ」
自らが役立つ機会を逃さぬために。
何より、竜王という【原初の魔物】と接する機会を逃さぬために。
メアリーはトーマのためという動機と、自らが更なる成長をするためという動機の二つを合わせて、了承の答えにしたのだ。
「そっかぁ…………わかった。何があっても、俺が絶対にお前を守ってみせる」
「ふふふっ。昔から、その心配性は変わらない」
「当たり前だ。だって、大切な幼馴染が危険な場所に行くんだぞ?」
「そこは大切な恋人って言って欲しかったわ」
「…………」
「ふふふっ、変な顔」
トーマの心配を心地よく思いながらも、それでもメアリーは困難に挑む。
何故ならば、きっとトーマも、このような困難を何度も踏み越えて、超越者に至ったのだろうから。
対等であろうとする者が、この程度で尻込みはしていられないのだ。




