第157話 獅子は銀の過去を語る
「…………非礼を詫びましょう、トーマ・アオギリ。自分は貴方を侮っていた」
シミュレーションが終わり、現実の時間に意識を戻したトーマが目にしたのは、眼前で恭しく頭を下げるレオンハルトの姿だった。
「何もかもが足りぬ、有象無象の弱者の一人として設定したというのに。まさか、こちらの予想を上回るほどの最短時間で、シミュレーションを攻略するとは思いませんでした」
「ん、まぁ、あれは序盤にミスしなければ、後は手順良くレベルアップするだけの作業だったからな。流石に、完全に精神も設定に同化していたのなら、もうちょっと時間はかかっただろうが、これでも俺は『成り上がり方』は心得ているんだよ」
賞賛と驚愕の言葉を紡ぐレオンハルトに、トーマは肩を竦めて答える。
「俺だって、元からS級魔物を殴り殺せていたわけじゃない。元々は多少、他の人間よりも強い程度の感覚だったんだよ。そこから、色々と戦闘経験を積んで、何度も死にかけて、逆境を乗り越えて、そうして今、この俺が在るんだ。元々が弱者っていう程度の設定ぐらいなら、何度やっても俺は余裕でクリアしてやるぜ?」
無茶苦茶な言い分であるが、実際、トーマはそれを為した。
そして、何度繰り返しても、その全てを超越して見せるだろう。
力ではなく、その在り方と意志こそが何よりも超越的であるが故に。
トーマ・アオギリは、力無き弱者だった程度のハンディで、挫けるような精神など持ち合わせていないのだ。
「感服です、トーマ・アオギリ――いえ、マイマスター」
レオンハルトは、そんな超越者だからこそ、トーマを認めて軍門に下る。
自らが従うに足る器だと認めて。
銀の悪竜を滅ぼせる可能性のある戦士だと期待して。
「だからこそ、自分は語りましょう。満を持して、貴方に語りましょう。これが、貴方にとって有益な情報であることを願って、銀の悪竜について、自分が知っている限りの情報を語りましょう」
レオンハルトは情報を開示する。
幾千、幾万の世界を渡ってもなお、明かすことの無かった情報を。
「――――銀の悪竜が、一人の少女だった時のことを語りましょう」
銀の悪竜本人ですら、忘れ去ってしまった過去を。
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生まれながらの邪悪という存在も多く在るが、生憎、銀の悪竜はその手のタイプの邪悪では無かった。
というよりも、銀の悪竜になる前は善人だった。
当たり前に祝福を受けて生まれて。
当たり前に愛情を注がれて育てられて。
当たり前に他者を尊ぶような性格の持ち主の少女だった。
探せばどこかには居るような、生まれ育った環境では『普通のお人よし』扱いされる程度には善良な少女だった。
ただ一つ、普通と異なる点があるとすれば――――少女は天才だったのである。
それも、世界の理を覆せるほどに。
「カティ、また研究?」
少女――カティは学校に行く以外の時間はほとんど、研究室に閉じこもって作業を行う、研究馬鹿だった。
「んあ? レオ、何か用?」
そんなカティに話しかけた少年――レオは、幼馴染兼世話役の苦労人である。
カティは幼い頃から、研究熱心の天才だ。
どれほど天才かと言えば、『本来魔法が存在しないはずの科学文明に於いて、魔法の孫座愛を新たに作り出せるほど』に天才だ。
間違いなく歴史に残る、新しい時代を切り拓くことも可能な才能の持ち主だ。
「何か用? じゃないよ、カティ。研究が楽しいのはいいけれど、三食きっちりとご飯を食べなよ。下手すると倒れちゃうよ?」
「むぅ、それはまずい。皆に怒られちゃう」
「前に過労で入院した時は、それはもう連日お見舞いという名の説教に来る人が耐えなかったよね、君」
「本気で心配されているから、ろくに反論が出来ないのが困る」
「愛されている証拠だと思って、ちゃんと健康管理しなよ」
圧倒的な才能と引き換えに、多少の問題行動はあったものの、それは主に研究をやり過ぎてしまう程度。
反社会的な行動を取ることは皆無。
むしろ、カティの研究は、反社会的なものとは対極にあるものだった。
「ん、気を付けるよ。折角、『エリクサー』を開発しようとしているのに、肝心の私が病気で死んだら笑い話にもならないから」
エリクサー。
それはカティが研究している、魔法という技術で作られる予定の万能薬だ。
そう、文字通りの万能薬。
あらゆる傷、あらゆる病を癒す薬だ。
正確には、癒すというよりは『健康な状態に肉体を書き換えるための魔法薬』なのだが、万能薬を待ち望む大多数の人間からすれば、効果さえ確かならばそれでいいのだ。
「そうそう。折角、自分が色々な調整をして、色んな業界からの横槍を防いだのに」
「それはありがとう。私としても、万能薬を巡っての世界大戦なんて望んでいないから」
「まぁ、つい最近、『世界連合』が発足したばかりだからな、タイミングが良かった。ありとあらゆる人間にエリクサーが行き渡る、なんてことは不可能だけど、不治の病に苦しむ人たちを助ける程度には、エリクサーは行き渡る予定だ」
「ふふふっ。そうなったら私、有名人かな?」
「生憎、もう十分、有名人だよ、君は」
カティは溢れんばかりの才能の外にも、周囲の人間にも恵まれていた。
幼馴染のレオはもちろん、カティの才能を見つけてくれた恩師。
学校での生活を支えてくれる友達。
カティの研究をよからぬ輩から守る、後援者の数々。
類は友を呼ぶ、あるいは善因善果。
カティの善性により、カティの周囲に集まる人間というのは、大抵が人格者で、気の良い奴らばかりだった。
だからこそ、カティも惜しむことなく研究に打ち込むことが出来たのである。
「有名人かー。別に、名誉とか栄誉は要らないけど、うん。でも、皆が喜んでくれるのなら、私、物凄い有名人になるのも悪くないなー」
この時のカティにあったのは、研究欲と利他的な承認要求だった。
自分の研究が認められたい。
自分を応援してくれた人に報いたい。
そんな思いで、世界を良くするため己の才能を使っていたのだ。
――――もっとも、世界の方はカティを認めなかったのだが。
数多の異世界群の中には、『神』と呼ばれる存在が居る場合もある。
ありていに言えば、その世界の管理者的な存在だ。
神は、その世界を創り上げた創造主である場合も、超越的な力によって世界全てを支配したが故に、その座に就いた者の二種類が存在する。
カティが住む世界の神の場合、前者だった。
あらかじめ、己が目的のために世界を創り上げ、運営していたのである。
『――――失敗だな、今回は』
そして、人類が己の想定とは異なる方向に文明の進路を切った場合、何度も滅ぼしてやり直しをかけていた。
その際、失われる命などには頓着しない。
何故ならば、創造主だからだ。
命さえ、世界さえ生み出せる超越的な存在だからだ。
故に、今回もまた、神はやり直そうとした。
科学文明だけで進めるはずが、いつの間にか魔法文明が生まれそうになっている。
しかも、単なるカルトで終わらず、世界中に成果が認められつつあるのだ。
これを認めれば、神が望む世界なんて訪れない。
だからこそのやり直しである。
大雨を降らせた。
大地を割った。
雷を落した。
火炎で焼いた。
後は、全てを飲み込むほどの洪水で一掃。
全ての命を消し去っての、綺麗さっぱりな文明のリセット、そのはずだったのである。
『――――そこか、神様』
災害の中、神の居る次元まで到達した銀の竜が、逆襲を始めなければ。
『なに――』
『くふふふふふっ、がぁぶっ!!』
銀の竜は――カティだった存在は、隙だらけの神の命に食らいつき、貪った。
『や、やめろ! なんだ!? なんなんだ、貴様は!?』
銀の竜は、カティが襲い掛かる災害の中、最後に生み出した傑作にして失敗作だった。
数多の人間の魂を融合させて、強制的に世界の法則を超越する存在を生み出す。
カティが研究している魔法の中でも、荒唐無稽で成功率が極端に乏しい実験によって生み出された怪物だった。
カティと、カティのために命を捧げた多くの人間による、この災害を起こした理不尽に対する逆襲がための怪物だった。
『やめろ! やめろ、被造物が! 創造主に抗うとでも――』
『ぎゃはっ!』
銀の竜は神を喰らいつくし、己が糧とした。
その力を正しく使えば、滅んだ世界で失った者たちを取り戻すのも不可能ではなかっただろう。
『ぎゃははははっ! ぎゃはははははははっ!!』
だが、既にカティと良き人々の善意は残っていない。
あるのは、逆襲を終えた達成感と、神を喰らったことによる万能感だった。
『素晴らしい! これはとても素晴らしい! だから、もっとやろう!!』
銀の竜は、新しく得た力により、世界を粉々に破壊した。
世界を破壊し尽くした後、銀色の翼を広げて飛び立った。
新たなる世界を喰らい、滅ぼすために。
これが、銀の悪竜の始まり。
善意と幸福に満ちた少女が堕ち、悪意と怒りによって怪物へと成り上がったというだけのお話。どこにでもある悲劇が、たまたま数多の世界を滅ぼす災厄へと変わったという、最悪の奇跡の物語。
そして。
『どうして…………どうしてなんだよ、カティ。どうして、自分だけ……』
唯一、銀の竜が吐き出し、同化を拒絶した存在。
黄金の獅子と成り果てたレオの、長い長い旅の始まりでもあった。




