第148話 力を求めた者
地獄があった。
この世界の地獄の一つが、間違いなく顕現していた。
「誰か! 誰か、助けてくれ! 娘がまだあの瓦礫の中に!」
「お父さん! お父さん!」
「クソが! 騎士は何をやっている!?」
懇願と悲鳴と罵倒が混じった人々の叫び声。
その先にあるのは、『半分に潰れた王都』だ。
魔王軍四天王が一人、虐殺者カグラによって為された破壊の跡だ。
「…………え?」
そんな地獄の中、テツヤは立ち尽くしていた。
「なん、え? なん、で?」
目の前にあるのは、瓦礫。
瓦礫の中から伸びるのは、血に染まった少女の手。
見間違えることのない、幼馴染の――モモエの手だった。
「おかしい、おかしいだろ、こんなの」
テツヤとモモエは王国東部出身で、幼馴染の男女だった。
関係性は友達以上恋人未満。
されど、共に王都へ旅行に行く程度には、その関係性は未来が約束されたものだった。
――――他愛もない、普通の幸せな時間が続くはずだった。
「だって、さっきまで普通に……なんで、俺だけ……おかしいだろ、何もかも!」
モモエと共に居たテツヤが助かったのは、単なる偶然に過ぎない。
カグラの攻撃範囲から、僅かにずれていただけ。
その幸運により、テツヤは全身に細かい切り傷や擦り傷を受けつつも、命に別状はなかった。
対して、モモエは既に手遅れだった。
瓦礫の中から出ている手は、変な方向に曲がっている。
瓦礫の下からは、まるで果実が潰れたかのように赤い液体が流れている。
死んでいる。
直接見なくとも、誰もが死を連想させる光景だ。
「…………そうだ、おかしい。こんなのはおかしい。だから、生きているんだ。モモエは普通に生きていて、いつもみたいに、不機嫌そうな声で、『大変だったぞ、くそが』みたいなことを言って……」
けれども、テツヤはそれを信じない。
よろめきながらも、瓦礫の一つ一つを必死でどかして、なんとかモモエを助け出そうとして。
「――――あ」
そして、見てしまった。
大切な幼馴染の、愛した人の、『潰れた姿』を。
「あぁあああああああああああっ!!」
テツヤは絶望し、絶叫を上げた。
だが、周囲の人間はまるで反応しない。
何故ならば、珍しくはないことだから。
失った者を嘆く声など、この場には陳腐化してしまうほど溢れている。
そう、テツヤの日常はある日、ありふれた地獄に叩き落されてしまったのだ。
地獄は続く。
王都から東部に戻って来たとしても。
魔王軍が壊滅したとしても。
テツヤの心に光が差すことは無かった。
「…………」
暗い部屋の中、テツヤはひたすらベッドの中で蹲って暮らしていた。
モモエの遺体は既に火葬され、遺灰は墓に収められている。
この状態から、蘇生することはS級のウィザードでも不可能だ。
いや、そもそも、蘇生可能ならば王都の時点で蘇生させているため、元々モモエは手遅れだったのである。
肉体は焼かれ、精神は消え去り、魂は輪廻に還った。
もう、その事実は変えられない。
だからこそ、テツヤは絶望していた。
何をどうしても、あの幸せで、当たり前にあった普通の日々が帰ってこないことに、絶望していた。
「…………俺は、どうしたら」
死ねばモモエの下に行けるのならば、今すぐ首を掻き切ろう。
だが、死んでも輪廻の円環に戻るだけ。次に生まれ変わる時、魂が同じ場所に居られる保証は無い。そもそも、一度死んだ者は何もかもを失った真っ新な魂として輪廻転生するのだ。少なくとも、東部ではそう信じられているのだ。
死んで、モモエに会える保証は無い。
だが、生きていたところで、モモエは既に失われた。
「俺は、俺は、俺は」
テツヤの心は、どうしようもない虚無に飲み込まれそうになっていた。
生きようが死のうが無意味。
更には、このような悲劇は今、王国では魔王軍の所為でありふれている。
自分だけが辛いのではないのだ。
涙を流しながらも立ち上がっている人は居るのだ。
だというのに、自分は一体何をやっているのだろう、とテツヤの精神は自虐により、更に削れて行く。
「………………」
そして、何も思わず、何も感じず、ただ、そこに在るだけの者になりかけた、その時だった。
「――――っ!?」
空から銀色の光が降って来た。
それは流星の如く軌跡を描き、カーテンを閉め切ったテツヤの部屋にも光が注ぐほどに瞬いていた。
「…………あ、あ」
その光を受けて、何故か、テツヤは動き出さなくては、と思った。
精神は衰弱。
肉体は死にかけ寸前。
だというのに、不思議と健康な時よりも警戒にテツヤは動けた。
自分の部屋から飛び出て、ろくに靴も履かずに、銀の光が落ちた場所へと走って行く。
――――カーテンを閉め切っていたはずなのに、何故、落ちた場所が分かったのか?
そんな疑問すら抱かずに。
『…………?』
「あ、あああぁあああ、神様」
そして、テツヤは再会した。
銀の光が落ちた場所――墓地に立ちすくむ、裸体の少女を見て。
リッチーと成り果て、けれども間違えることのないその魂の気配を感じる、一人の少女を見て、テツヤはなけなしの水分を涙として流した。
「モモエ、ああ、よかった、また、お前と会えた」
『…………あ、う?』
テツヤはモモエを抱き締め、その冷たい感触を離さないようにと努めた。
たとえ、蘇ったモモエの目から、一切の知性を感じなくとも。
蘇ったモモエと接して、テツヤはいくつかのことが分かった。
まず、知性を感じられない状態でも、モモエはテツヤの指示に従うということ。
モモエには、この世界の形式とは異なる魔術を扱う能力があるということ。
モモエには、S級魔物ほどの戦闘能力があるということ。
――――強敵と戦えば戦うほど、モモエは知性と精神を取り戻すということ。
『う、あ、ます、マスター?』
幾度かの戦いの後、モモエが言葉を発した時、テツヤは感動に打ち震えた。
同時に、自分のことを名前で呼ばず、マスターと呼ぶモモエに苦悩した。
ひょっとしたら、自分はまるで別の何かを、モモエの形をしているだけのリッチーを育てているだけかもしれない。そんな風に思うこともあった。
だが、躊躇いはすれども、辞めることなどできなかった。
多くの戦いを経験し、モモエを元に戻す。
それだけが、今のテツヤの生きる意味だったからだ。
『マスター、大丈夫?』
強くなった。
強くなった、強くなった、強くなった。
それが異常な成長速度であることも知らずに、テツヤはテイマーとして強くなった。
けれども、モモエの精神は戻らない。
元の形に近づいて、言葉が流暢になったとしても、完全に元に戻らない。
その苛立ちの所為か、テツヤはストレスで精神が荒むようになった。
戦えば戦うほど、何かに苛立つようになった。
強くなればなるほど、この強さが王都の時に欲しかったと思うようになった。
そして、次第にそれは一つの憎悪へと収束する。
トーマ・アオギリ。魔王を討ち果たした大英雄。
――――強い癖に、自分たちを救ってくれなかった、役立たず。
いつか、その憎悪の対象を打倒することだけを考えるようになっていた。
それが、知らない間に埋め込まれていた、銀色の結晶が誘導した結果であるとも知らずに。
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「……ん、あ?」
目を覚ました時、テツヤは見覚えのない白亜の天井を見た。
「…………ん?」
体を起こし、周囲を見渡す。
だが、知っている場所ではない。少なくとも、保健室ではない。
保健室はこのように、ベッドの周りに怪しげな実験機会が置かれていない。
一体、どこなのだ、ここは?
「――――っ!」
そんな疑問を抱いた時、ふとテツヤは思い出す。
トーマと行った模擬戦闘の結末を。
よくわからない力に支配された結果、自分も、モモエも倒れることになったあの戦いを。
「も、モモエは!? そうだ、モモエは!?」
テツヤは親と離れた幼子のように、不安の声を上げる。
あの時、モモエは完全に力の源である銀の結晶を穿たれていた。
死者であるモモエが、リッチーとなって復活したのがその銀の結晶のおかげだったとすれば、それを失った場合、モモエは一体どうなるのか?
「モモエ、モモエ――」
二度目の喪失の可能性に怯えるテツヤは、とにかく必死に幼馴染を呼んで。
「寝起きに、うっさぁああああああいっ!!」
「ぎゃん!?」
いつの間にか、テツヤの隣に立っていた少女に思いっきり横っ面を殴られた。
「まったく、驚かせてあげようと隠れていたのに。そんなやかましく喚かれたら、出て来ざる得ないよ、くそが」
「…………あ」
理不尽な意見に、懐かしい暴力の感触。
何より、殴っておいて『仕方がないな』という表情を見せる、不遜な表情。
その姿は全て、失ったはずのテツヤの幼馴染と同じだった。
「モモエ!」
「叫ばなくてもわかるよ、馬鹿が」
テツヤは感動の再会とばかりにモモエに抱き着こうとして、再び横っ面を殴られる。
それは、王都のテロで失われたはずの日常風景だった。




