第137話 魔王問答
それはあまりにも静謐なる戦いだった。
「『――――』」
トーマに魔王。
二人の超越者は無言で向かい合っている。
二人の間にあるのは静謐。
何も鳴らない無音の空間。
されど、それは二人の超越者が何もせずに居るという意味ではない。
拳と剣。
容易くS級魔物の命すら刈り取る必殺が、通常攻撃として二人の間に飛び交っていた。
だが、それでも音は鳴らない。
何故ならば、両者とも攻防が極まっているからだ。
攻撃は無駄な力が外側に逸れず、ただ目的を果たすだけに振るわれるもの。
故に、余分な衝撃波はおろか、その攻撃は音すらも鳴らさない。
防御は見切りと受け流しの技術により、必殺の一撃をゼロへと還すもの。
故に、必殺の攻撃が飛び交う中でも、静謐の空間が出来上がっているのだ。
「ふぅ」
『くはっ』
やがて、数分に渡る無音の殺し合いを経て、二人は揃って息を吐いた。
「小手先のやり取りだと、決着がつかないな、これ」
『同感だ。もはや、互いに至るところまで至ってしまった』
トーマに魔王。
二人の超越者は以前殺し合った時点から、格段に成長していた。
同格の相手という、滅多に居ない最高の教材から殺し合いによって学び取り、互いの糧として消化していたのである。
従って、現在の二人は戦闘スタイルの違いはあれども、実力はほぼ拮抗。
易々と決着をつけるには、難しい状態となっていた。
『トーマよ。ここまでたどり着いたお前を勇者として認め、一つ訊ねたい』
「なんだよ?」
とはいえ、だからと言って殺し合いの手は止めない。
言葉を交わしながらも、それ以外のリソースは互いの抹殺に向けている。
『我が軍門に下る気はないか?』
「断る」
『ならば、お前が頂点に立ち、覇道を歩むつもりは?』
「断る。と言うか、論外。魔王軍はお前あっての組織だろうが」
『ふっ。それもそうか。まさか、殺し合いの相手から悟らされるとは』
「俺も殺し合いの最中に、こんな馬鹿なことを言われるとは思ってなかったよ」
魔王と勇者。
神人のアーカイブにある古典のファンタジーでは、王道とも言えるやり取り。
けれども、それは古典のファンタジーよりもかなりあっさり、まるで世間話の延長みたいな気軽さで言葉が交わされていた。
『ならば、ここからは忠告だ。心して聞け、トーマ』
「なんだよ? 殺し合いの最中に改まって」
『――――人は裏切るぞ?』
ぱぁん、と静謐なる戦闘の空間に音が鳴り響く。
それは魔王の一撃を受け止めたトーマが鳴らした衝撃音だ。
言葉に動揺したわけではない。
ただ、振るわれる魔王の一撃が、見切った想定以上の力が込められていたのである。
『弱者は容易く、己の弱さを理由にする』
音が鳴り響く。
魔王が振るう剣に、怨念の如き積年の感情が乗せられる。
本来、それは極致に至った武術に於いては余分とされるもの。
しかし、魔王はそんな条理など知ったことかと言わんばかりに、己の怨念を剣の重みに変えていた。
『弱いから仕方がない。弱いから理解できないのは仕方がない。弱いから卑劣な手段をとっても仕方がない。そのように言い訳を重ねて、やがて裏切るぞ』
「はっ! 随分と悲観じゃねーか、天下の魔王ともあろう奴が!」
『経験談だからな。我は一度、弱者どもの弱さを理解しようとせず、その所為で仲間も自分自身の立場も、何もかもを失った』
魔王が振るう魔剣、グラム。
それが段々と赤黒い魔力の奔流を纏わせていく。
単なる武の極致の応酬から、魔の領域に踏み込んだものへと変わっていく。
『わかるか? 弱さとは罪なのだ――――弱さを盾に、卑劣に落ちることが邪悪なのだ』
「ちぃっ!」
轟音が巻き起こる。
今までの静謐なるやり取りなど前座に過ぎないかのように。
魔剣の赤黒い奔流が、無数の刃となってトーマを切り刻まんとする。
「だから、弱い人間は全て殺すとでも!? 馬鹿の王様かよ、お前は!」
対応するトーマの一手も、魔力の奔流を武器とするものだ。
赤黒い奔流に対して、トーマが振るう白色の魔力がぶつかり合う。
それらは玉座の間を盛大に揺らし、余波だけで壁が軋むほどの威力。
――――けれども、そんなやり取りを重ねてなお、超越者の本領はまだ遠い。
『流石にそこまでは徹底せん。まぁ、部下が殺すのを止めるつもりも無いが』
「部下の虐殺を許容するのは大抵が愚王だぞ?」
『愚王で結構。伊達に魔王を名乗っているつもりは無い。我は人間どもを幸福にするために王となるのではない。王国の次なる支配者として君臨することはあれども、それは王国に取って代わって良き国を目指すためではない――――我は試練となりたいのだ、トーマよ』
「試練だぁ?」
二人の超越者は未だ、全力を隠している。
否、使うべきタイミングを探っている。
何故ならば、それは惑星破壊級にも及ぶ一撃だ。
下手なタイミングで使えば、自爆によって敵も味方も吹き飛ぶ。最悪、超越者同士の戦いで惑星が致命的なダメージを受けてしまう可能性がある。
故に、二人の超越者は言葉と共に必殺を交わし合いながらも、隙を窺っている。
『我は信じている。人はもっと強いのだと。醜悪な弱さに落ちるべき存在ではないのだと。故に、我は魔王となった。勇者に打ち倒されるべき存在となった。いつか人類が乗り越えるべき試練となったのだ……そうだとも。我を乗り越えられたのならばきっと、人々は弱さゆえに強者を裏切るような醜悪を晒さなくなるだろう』
「人類がその試練を、お前を突破できずに滅んだのなら?」
『期待外れだったと嘲笑おう』
「そうかよ、クソッタレ」
魔王とトーマ、二人の力が二人を弾き合い、互いに距離を取った。
『さぁ、我は語ったぞ? 己が醜悪なる理由を語ったぞ? お前はどうだ?』
「…………」
『トーマ・アオギリ。お前は何のために我に挑む? 何のために戦う?』
殺し合いの手は止まった。
魔王は今、ただトーマの返答を待つために殺し合いを止めている。
「……はぁ」
だからこそ、トーマもまた殺し合いの手を止め、正直な胸の内を吐き出した。
「そんなの、好きな女の子を守るために決まっているだろうが」
そう、魔王とは対極の、どこまでも個人的な理由を。
『ほう。ならば、仮に我らがその者に手を出さないと契約を結べばどうだ?』
「馬鹿かよ、魔王。知らないのなら教えてやる。好きな女の子を守るってことはな? 好きな女の子が暮らす世界も守るってことなんだよ」
『――――はっ』
実に、十四歳の少年らしい答えを魔王に返すトーマ。
その姿に、魔王は思わず兜の下から笑い声を漏らす。
『くはははははっ! そうか! ああ、そうか! 確かに、それはそうだ! これは我が悪い。その通り、野暮を言ったな!』
この時の魔王は、人類の試練たらんとする存在ではなく、単なる年上の男性だった。
十四歳の少年の青さに面食らった、一人の大人に過ぎなかった。
『ならば、仕方がない。勧誘も忠告も、全てが無意味でも仕方がない。我は魔王なれども、子供の青春を言葉で止める手段など知らぬ』
「そうかい。大人らしい対応を見せつけてくれてもいいんだぜ?」
『生憎、我は大人でも、とびきり愚かな大人だ――――だからこそ』
そして、魔王はひとしきり笑った後――――弾けた。
漆黒の全身鎧が弾けた。
「お前という敵を乗り越えるため、我は愚かさを極めよう」
鎧の中から現れたのは、神々しいほどの美青年だった。
燃えるような赤髪。
黒曜石の如き瞳。
古代の英雄の如き精悍なる顔立ち。
上半身は裸体でありながら、衣服を纏うよりも気品に溢れた筋骨隆々。
下半身は下履き一つで、靴すら履いておらずに裸足。
さながら、蛮族の王の如き有様。
「……っ!」
けれども、トーマは今の魔王の姿を見て、警戒を強めた。
何故ならば、その姿が自然に見えたからだ。
全身鎧の姿よりも遥かに、今の魔王はあるがままに見えたからだ。
「最初に言っておこう。先ほどまで纏っていた鎧は防具であると同時に制御装置だ。あれがなければ、我はまともに戦えぬ」
しかし、警戒を高めてなお、魔王の姿はトーマの視界から消え去った。
「くっ――」
辛うじて反応したものの、その時は既に、魔王はトーマの死角から魔剣を振り下ろしている。
――――どごぉっ!!!
先ほどの静謐なる戦いとは比べ物にならない荒々しい一撃。
だが、込められた力の総量もまた、先ほどとは比べ物にならないほど高い。
そんな一撃を受ければ、流石のトーマといえども受け止めきれない。
放たれた弾丸の如く弾き飛ばされ、壁に叩きこまれてしまう。
「この状態では、我の力は強すぎてまともに戦えぬ。たった一度、本気で動いた程度で、この有様だ」
トーマを吹き飛ばすほどの一撃を見せた魔王はされども、無傷ではない。
魔剣を振るった腕、動いた足、その全てに裂傷のような傷がついていた。
「さながら、体内で爆発を受けながら動いているようなものだ、今の我は」
ただ、その傷もすぐに消える。
魔王が扱う回復魔術によって、最初から何も無かったかのように消え去る。
「それでも、我は確信した。トーマ、お前という敵を倒すには、この状態で戦うのが最善なのだと――――たとえ、それで我が命が削られようとも」
赤黒い刀身の魔剣を構え直し、壁の中に埋まるトーマに向かって魔王は宣言した。
「死力を賭して、我はお前に勝利しよう」
文字通りの、死闘の開始を。




