第127話 契約成らず
第127話 契約成らず
気配は感じられなかった。
トーマがいくら隠密や認識阻害の魔道具を身に纏おうが、その気配を隠し切れないのと同様に、強すぎる者はどうしてもその気配で周囲に影響を及ぼしてしまう。
だからトーマは隠密の類は苦手であり、道具や装備に頼っているのだ。
しかし、たった今、トーマとヨハンの眼前に現れた魔王は、まるでその場に居ないような無色透明の気配だった。
「――――魔王ォ!」
あまりにも唐突な魔王の出現。
先ほどまで会話を交わしていた相手の死亡。
攻撃が行われるまで認識できなかった魔王の技量。
それらを一瞬で思考の外に追いやり、トーマは最善の行動を取った。
即ち、出現した魔王を殺さんと拳を放ったのである。
『くくっ。もうそこまで回復したか、タフだな、若人』
魔王はその拳を受け止めない。
むしろ、その拳の勢いに乗る形で魔剣を合わせて、背後に跳ぶ。
「ちぃっ!」
トーマの一撃は完全に透かされた。
そればかりではない。如何なる妙技によるものか、トーマの攻撃の勢いを利用して、そのまま、壁を突き破って外へと逃走したのだ。
魔王と名乗っている癖に。
トーマと互角以上の力を持っている癖に。
魔王はまるで逃走することに躊躇しない。プライドを捨てる云々以前に、逃げるという行為を何ら恥に感じていないのだ。
いや、そればかりではない。
『ははははっ! ふはははははっ!』
手慣れている。
魔王は敵地から身一つで逃げ出すという行為に手慣れていた。
即座に転移魔術で逃げるのではなく、まず、物理的な距離を取って、転移の隙を補えるだけの時間的猶予を確保しようとするあたり、素人とは思えぬ手並みだった。
「大統領は僕に任せて、君は魔王を追え!」
「おうよ!」
魔王を追うトーマの背後に、ヨハンの声がかけられる。
未だ契約は成っていないが、この場に於いての共通の敵は明らかに魔王であるため、即座に協力し合うことにしたのだ。
「魔王ォ! テメェ、人の契約を邪魔してんじゃねーよ!」
『はははっ! 邪魔するとも! それをされると困るのでな! しかし、我が配下たちに無理を言ってここに潜伏していて正解だった! 流石の我らも、お前たちが同盟を結ばれると面倒という話ではないからな!』
魔王は速い。
漆黒の全身鎧を纏いながらも、空を蹴り進むその速度は音の領域まで迫っている。
『故に、我はこうしよう』
逃走の途中、突如として魔王は魔剣を振るった。
魔力を収束させたものではなく、むしろ拡散するようなあえて雑にした一撃だった。
「何を――――くそっ!」
トーマはその攻撃を容易く弾く――だが、目的はトーマに対する攻撃ではない。
黒の斬撃はトーマが弾いた部分以外は拡散し、アーク共和国の一部を消し飛ばした。
――――非戦闘員の住人諸共。
「大統領を殺した上に、今度は虐殺か!?」
『ああ、そうだ。何せ、我は魔王だからな。勝利のために、殺戮も厭わん』
魔王が魔剣を振る。
あえて雑に。
けれども、トーマが防がなくてはいけない程度の威力を込めて。
トーマが対応しきれない部分へと、斬撃を放って、アーク共和国の人々を虐殺するように。
「そんなに殺したいのか!?」
『心外だぞ、トーマ・アオギリ。お前も我らが魔王軍の貴重な戦力を殺しただろう?』
「お前が殺したのは民間人だぞ!?」
『だからどうした? 我らが魔王軍の敵となりかねん相手だぞ?』
魔王の攻撃を、トーマは可能な限り余波も含めて封じ込めようと動く。
だが、そうなれば当然、トーマの足は止まる。動きが鈍くなる。
『民間人も、軍人も、貴族も、王族もあるものか。戦いとは、殺し合いとは、立場など関係なく、誰の命にも届くものだ』
「殺している張本人が、何を偉そうに!」
魔王は魔剣を振るいながらも、魔術を編み上げる。
転移魔術。この場からの離脱を。
「――――っ!」
トーマにはそれを止められない。
転移魔術の発動を止められない。
何故ならば、トーマは大切な誰か一人を守る戦いならばともかく、その他大勢の人間を守り抜くようなスタイルのウィザードではないからだ。
強弱の問題ではなく、向き不向きの問題だった。
加えて、トーマはつい先ほどまではアーク共和国の戦力を削ろうと、暗殺を繰り返して来た立場だ。今更、どんな立場で魔王の殺戮を止めようとしているのか? などと、苦悩が邪魔してメンタルのコンディションが著しく悪い。
「なめ、るなぁっ!!!」
それでも、ただで逃がさないのがトーマである。
驚異的な学習速度により、トーマは魔王の雑な範囲攻撃をより効率的に打ち消せる手段を会得していた。
「おらぁ!」
これにより、トーマは魔王の範囲攻撃をむしろ押し返すような一撃を放ち、逃走を測る魔王へと一撃を与えることに成功したのだ。
『見事。だが、忘れては困る――――我は一人ではない』
だが、直後、遥か上空から超巨大な隕石が、アーク共和国の拠点へと墜落してくる。
『我の仲間の一人も、辛うじて回復済みだ』
メテオフォール。
隕石落とし。
これは【原初の緑】が得意とする、独自のドラゴンブレスだ。
超質量の物体を、自身が吐き出す炎に乗せて撃ち出す。
まさしく、天変地異に等しい一撃。
「ああもう、うざってぇ!!」
その天変地異を、トーマはあっさりと殴り砕いた。
「おらおらおらおらおらおらおらぁ!!」
連打。
連打、連打、連打。
圧倒的な連打により、トーマの拳は巨大な隕石を微塵に粉砕して。
『隙あり、だ』
――――キュガッ!!!
先ほどまでの雑な攻撃とは異なる、魔王の全身全霊の一撃。
トーマが対応に追われた隙を狙い、放たれた一撃。
「づぉおおおおお!!」
だが、それはトーマの超反応によって辛うじて防御が間に合った。
「――――くそ、やられた」
トーマ自身の防御だけは。
『囮にもならぬのならば、他で有効活用するのは当然のことだ』
魔王の魔剣から放った黒の斬撃は、その凄まじい威力によってアーク共和国を消し飛ばした。
文字通り。
領土となるはずだった場所。
仮説の拠点。
そこに住む、戦闘員、非戦闘員も含めたほぼ全ての住人。
その全てを消し飛ばしたのだ。
後にはもう、焼け焦げたような荒野しか残らない。
『では、意趣返しはここまでとしよう。また会おう、トーマ・アオギリ。次は、決戦だ』
皆殺しを為した魔王は、トーマが防御から攻撃に転じるよりも前に転移した。
転移の痕跡を追おうにも、その先にあるのは魔王城だ。
たった一人で決戦を挑むには、あまりにも無謀な場所だ。
「…………ここまで殺し尽くして、一体、何が目的だ? わざわざ、大統領を殺した上に、ここまで徹底的に皆殺しにする理由は何だ?」
故に、トーマは苛立ちを奥歯で噛み砕き、己の行動を制する。
勢いのまま、殺しに行かないようにと理性を働かせる。
「どちらにせよ、これでアーク共和国の問題は無くなった、か」
トーマは最後に、アーク共和国だった場所を一瞥した後、ヨハンが待つ場所まで戻ることにした。
魔王が何を企んでいようとも、今はやるべきことをするために。
為されなかった契約の後始末をするために。
●●●
「魔王様。また無理をしたね?」
『すまぬ』
「魔王様。私も虐殺に参加したかった……」
『すまぬ』
「魔王様。とても心配したのであります」
『すまぬ』
「魔王様。無事に帰ってきたところで、小生と殺し合いでも?」
『断る』
魔王城に帰還した後の魔王は、案の定、四天王に詰められることになった。
単独でアーク共和国に忍び込むため、四天王たちに話した理由としては、『いずれアーク共和国の対処にくるトーマへ奇襲を仕掛けるため』だ。
予想通り、トーマがアーク共和国に来て暗殺をし始めたところまでは良かったのだが、ヨハンまで出てきて、なんやかんやの流れからアーク共和国も合わせた三者で同盟が結ばれそうな事態に。
それは流石に通らせるわけにはいかない魔王は、トーマへの奇襲を諦め、同盟の主体となっているアーク共和国の大統領――アビゲイルを暗殺したのである。
魔剣グラムによる、『癒えぬ致命傷』を与えて。
『流石に、ヨハンも同じ場に居た状況で、トーマと本格的にやり合うわけにはいかなかったのでな。最低限の仕事だけして、逃げ帰って来たわ』
魔王はやれやれ、とため息を吐きながら己の王座へと座る。
けれども、そのくたびれた動作の中にはどこか、命がけの仕事をこなした充足があった。
「口惜しいであります。私が一緒に良ければ、アーク共和国の人間を操って、王国へ突っ込ませることもできたというのに」
『ミーナ、それをやるためにはお前を危険に晒すことになる。トーマとヨハン、あの二人が揃った場では、直接戦闘型ではないお前が生き残れるかは怪しい』
「むぅ。そうでありますか……我が身の至らなさを恥じ入るであります」
『まぁ、ミーナが居れば取れる選択肢が違っていたのは本当だがな。正直、アーク共和国を皆殺しにしたのは苦肉の策だったが…………後から考えれば、中々どうして』
魔王は漆黒の兜の奥で笑みを浮かべた。
『王国を苦しめるには、悪くない一手だった』
胸の奥に燃える、消えることのない憎悪の炎を感じながら。




