第104話 トップテイマー
メアリーは過去に一度、ヨハンと戦ったことがある。
以前に参加したS級トーナメントの準決勝で戦うことになったのだ。
その時のメアリーは、慢心ではないにせよ、S級の最上位であるトップテイマーともある程度戦える自信があった。
何せ、S級に成りたての頃から負け続きだったアラディアに勝利することが出来たばかりの頃だったのだから。
アラディアは強い。
七十歳は超えている外見年齢だというのに、指示の切れ味が凄まじい。
S級に成りたての頃は、固有魔法無しでもボコボコにされて、メアリーが苦渋を舐めることになるぐらいにはアラディアは強かった。
そんなアラディアにも勝てるようになったのだ。
いきなりトップテイマーに勝てずとも、良い戦いが出来るようになったと考えてもおかしくはないだろう。
だが、実際に戦って見えれば、メアリーはヨハンに手も足も出なかった。
相手の三体の魔物の内、一体も落とせず、こちらは全滅。
何をされたのかもよくわからない、という途方もない力量差があったのである。
この時、メアリーは生まれて初めて、明確な挫折を味わった。
アラディアの時はまだ、『何とかなるかもしれない』と考えられる余裕があった。
しかし、ヨハンの場合は取っ掛かりすら見つけられない。
ヨハンに勝てる姿がまるで思い浮かばないのだ。
トーマとの約束が無ければ、そのままメアリーはヨハンに対して絶対的な敗北感を抱いたままだったのかもしれない。
けれども、メアリーは強くなった。
圧倒的な敗北を受けた後でも、絶え間ない修練を重ねて、強くなった。
手持ちの魔物も、メアリー自身も。
強い魔物、強い相手との戦いを何度も繰り返しながら強くなった。
「よし」
そして今、メアリーは再び最強へと挑む。
幼馴染との約束を果たし、自身がトップテイマーの座を得るために。
●●●
決勝戦のバトルフィールドとして選ばれたのは、ごく普通の市街地だった。
神人の廃墟のように、異様に頑丈な建物も無い。
王都の近くにある、とある街をモデルにした普通の市街地だ。
生活の痕跡すら残っている、無人の市街地を舞台に、S級テイマー最強を決める戦いは行われるのだ。
「マレ、索敵」
このように障害物が多いバトルフィールドのセオリーはまず、索敵だ。
戦う場はどのような構造になっているのか? 敵対者がどの場所に居るのか? そのようなことを調べ、地の利を得ることが最優先とされる。
この時、あまりにも不利な場だと感じたのならば、メアリーは容赦なくイグニスによる場の破壊を行う。このちゃぶ台返しにより、互いに地の利を取り払った勝負に持ち込むのだ。
だが、今回のメアリーはそれを使わない。
面倒な障害物を焼き払わない。
何故ならば、その一動作はヨハンを相手に致命的な隙となるからだ。
バトルフィールド全体への雑な攻撃など、ヨハンはあっさりと防ぎ、攻撃の場所を見切ってから致命的なカウンターを与えるだろう。
故にメアリーは今、マレを大量に分裂させて、こつこつと場の情報を集めているのだ。
「……猿神、発見」
そして、三十秒の探索結果、メアリーは敵の内の一体を見つけた。
猿神。
卓越した近接戦闘能力を持ちながら、分身能力も持つ厄介なS級魔物。
自由に動かせば、いつの間にか懐に潜り込まれて敗北してしまうだろう。
「マレ、デンスケ。二体で対応して」
故に、まずは一手、動かす。
巨大スライムのマレと雷イタチのデンスケと向かわせて、二体一で確実に対処する。
『マスター。例の黒羊が【展開】を始めた気配がある。我が向かおう』
「うん、お願い、イグニス」
更に、他の場所では黒羊というS級魔物が悪さを始めていた。
黒羊は文字通り、黒い毛を持つ羊型の魔物だ。
この魔物の厄介なところは、放置しておくと勝手に分裂し、勝手に自身を生贄にし、勝手に悪魔と呼ばれる異世界の魔物を召喚するところにある。
『メヘヘヘェ!』
『メヘェ!』
『メメメェ!』
街中に鳴り響く鳴き声は、羊の断末魔だ。
真っ赤な血が流れ、その血の流れから角ありの真っ黒な怪物が生まれる。
怪物の姿は千差万別。
共通点は角があることぐらいだが、それ以外は人間のような形をしていたり、犬猫のような形をしたりすることもある。あるいは、グロテスクな奇形であることも。
これらが悪魔だ。
ただ、召喚されたばかりの悪魔はまだ弱い。
精々がB級程度の力しか持たない。
そう、S級の戦いにはついていけない程度の力しか持たないのだ。
いくら数を増やしたところで、召喚されたばかりの悪魔が戦況を変えることは無い。
『ギャッ!?』
『グビッ!』
『ギギッ!』
問題は、この召喚された悪魔たちも互いを生贄にするということだ。
殺し合い、血と臓物をばらまき、更なる上位の悪魔を召喚する。
そして、召喚された上位の悪魔もまた殺し合い、再び召喚を行う。
さながら、カードゲームに於けるソリティアのように、黙々と勝手に召喚と生贄を繰り返す。
その果てに、S級上位にも負けない最上位の悪魔を複数揃え、気付けば試合を終わらせて来るのだ。
そう、単体では戦闘力も無く無害な魔物である黒羊だが、放置をしておけばどうしようもないほどの戦力差を用意されるという、厄介な性質を持っているのだ。
『滅びよ』
そのため、展開された布陣は可能な限り早く消さなければならない。
イグニスが黒羊の下に急いだのも、それが理由だ。
幸いなことに、ある程度の展開前ならば大して労は無く、イグニスのドラゴンブレスで布陣を焼き滅ぼすことが可能だ。
『メェエエ』
だが、黒羊はしぶとい。
分裂した個体ならともかく、本体の黒羊は異様なほどの不死性を持っているので、どれだけドラゴンブレスで焼き滅ぼされようが、何度も灰の中から蘇ってくる。
戦闘空間から排除するためには、黒羊がたっぷりと蓄えている魔力リソースを吐き出させんかえればならない。
放置していればゲームエンド。
対処していても、対処する相手の魔物を最低でも一体は自身に釘付けにする。
黒羊という魔物は、モンスターバトルに於いて、非常に厄介な仕事をしてくるのだ。
「イグニス、他に気を取られずに集中して滅却」
『ああ、わかっている』
それでも、メアリーは焦らない。
かつて敗北した時から、対ヨハンを想定して研究と調査を重ねに重ねたのだ。
黒羊がしぶといことなど、予想の範疇である。
「マレ、デンスケ。仕留めにかかって」
当然、黒羊だけではなく、猿神のことに関しても対策済みだ。
『ヤハ!?』
卓越した近接戦闘能力。
サイズ変更可能な分身能力。
それを飲み込むのは、物理無効の特性を持つ巨大なスライムのマレだ。
さながら津波のように、分身した猿神を全て飲み込み、動きを拘束しているのだ。
『ジュウ!』
そこに、マレを媒体としてデンスケが特大の電撃を食らわせる。
マレが拘束、デンスケが止め。
このコンビネーションで、メアリーは今までいくつもの難敵を倒してきた。
『アァァアアアアア!!?』
猿神は強烈な電撃に悲鳴を上げて藻掻くが、マレは逃さない。
しっかりと拘束し、猿神の動きを封じ込めていた。
――――ここまでが前哨戦。
そして、予定調和が終わり、ここから本番が始まる。
「悪くない……じゃあ、やるか」
今まで傍観に徹していた最強のテイマー、ヨハンが動く。
「【我が権能を授ける】」
ヨハンが口にしたのは、己の固有魔法の発動を告げる詠唱だ。
すぅ、と手を地面と平行に上げた後、そのまま何気なく横薙ぎに振るう。
『メェ!』
『ヤハハハッ!』
それだけのことで、劣勢だった二体の魔物が息を吹き返した。
『メェェエエ!』
『メェ!』
『メェエエ!』
増えるたびに焼き滅ぼしていた黒羊が、突然、爆発的に数を増す。
今までの比ではないスピードで増殖し、生贄を発動し続ける。
『ぬぅ、始まったか!』
イグニスはブレスの威力を最大火力へと引き上げた。
もはや、後の戦いを見越しての温存をしている場合ではない。
全力で焼き滅ぼさなければ、増殖速度に勢いで負けてしまう。
『ヤハ!』
猿神は突如として、デンスケの電撃に苦しまなくなった。
電撃に苦しまなくなったのならば、マレの拘束にいつまでも捕まっている道理はない。
『ヤハハハハッ!』
ぼんっ! と小規模な爆発が起こったような勢いでマレを弾き飛ばし、猿神は悠々と動き始める。
「始まったわね、ヨハンの【権能付与】が」
突如覆った形勢に、けれどもメアリーは慌てずに状況の分析を始めた。
そう、ここまでも含めて予想の範疇である。
ヨハンが持つ固有魔法【権能付与】。
それは、ヨハン自身が持つ複数の固有魔法を魔物へと貸与するものだ。
一瞬、どのような防御でも貫く概念を帯びる、『絶対攻撃』。
一瞬、どのような攻撃でも防ぐ概念を帯びる、『絶対防御』。
無尽蔵の魔力を得られる、『無尽魔力』。
一時の不死を与える、『不夜城』。
雷よりも早く動ける、『電光石火』。
現在、ヨハンが持つ固有魔法の中でも、はっきりと判明しているのは五つ。
ヨハンは基本的にこの権能を与え、魔物間で自在にシャッフルし、瞬間的に最適な付与を行うのだ。
幸いなことに、同時に二つの固有魔法は付与できないとされているのだが、それでも、ヨハンが持つこの能力は、S級テイマーの中でも最上位に君臨するものだ。
理不尽なほど、強い。
『メェエエエッ!』
黒羊は鳴く。
無尽蔵の魔力で増えながら。
『ヤハッ!』
猿神は動く。
電光石火の如く、自在に素早く。
ただでさえ強い魔物たちが、更に凶悪に強化される。
これがヨハン・コリンズ。
トップテイマーの戦略だった。
「――っ! マレ、避けて!」
そして、忘れてはならないが、ヨハンも、その手持ちの魔物たちも成長する。
頂点が呑気に現状維持してくれるのは、フィクションの中の話だけだ。
『ヤハハァ!』
烈波の掛け声と共に猿神が放った打撃は、メアリーには見覚えがあるものだった。
――――魂に響く打撃。
トーマが得意とする、耐性無視の一撃。
それを猿神も会得していたのか、マレへと放ったのだ。
どぉんっ!!
メアリーが警告を発しても、マレは元々が物理無効の魔物だ。
そこまで打撃に過敏に反応できない。
故に、マレは慌てて防御するのだが、当然の如くその打撃には『絶対攻撃』の概念が帯びていて。
「……っ!」
痛烈なる一撃を受けて、マレは戦闘不能となった。
マレはメアリーの戦術に於いて、防御の要だ。
物理無効で無尽に増えるマレが居るからこそ、猿神の近接戦闘能力や分身能力も封じ込めることが出来ていたのだ。
それが戦闘不能によって戦闘空間外へと除外された今、もはや猿神は止まらない。
デンスケの能力ではダメージを与えることが出来ても、物理的に止めることは出来ない。
イグニスは今、黒羊の対処で手一杯。
『ヤハ!』
従って、猿神は縦横無尽に分身を使い、この戦場を思うがままに蹂躙し始める。
デンスケがどれだけ広範囲に電撃を放とうとも、その勢いは止められない。
後は、黒羊を止めているイグニスの行動を阻害して、悪魔の展開を再開させる。
そうなれば一気に試合終了が近づく。
「イグニス、デンスケ――――『予定通り』にやるわ」
ヨハンの魔物は、状況を理解している三体の魔物は、そのように王道の勝利パターンを脳裏に浮かべた。
それこそが、メアリーが予想していた『隙』になるとも知らずに。
敵を一体落とした瞬間、勝利の気配を感じた瞬間、それこそがメアリーが反撃を始める瞬間になるとも知らずに。
『生命活性――――燃えよ、我らが魂』
『ジュウ!』
イグニスは黒羊の対処を一時止めて、己の身に炎を纏う。
雷の速度でイグニスと合流したデンスケが、その炎に自らの雷を帯びさせる。
イグニスの固有魔法【生命賛歌】による、存在強化。
デンスケの電気操作による、神経強化。
「さぁ、頭を回して、目を凝らすわ」
更には、メアリーによる先読みの極致が重ねられる。
「貴方たち、蹂躙しなさい」
そして、炎雷と化した二体の魔物は姿を消した。
否、姿が消えるほどの速度で動き出したのである。
「ほう、早くて速い」
ヨハンは称賛と共に最善の指示を出したのだろう。
猿神は『電光石火』の速度で、炎雷と化した二体に追随しようとして。
黒羊も引き続き、無尽蔵の魔力で悪魔の召喚を続けようとして。
「――――遅い」
イグニスが、追随する猿神を滅ぼさんとドラゴンブレスを放った。
黒羊は分裂した羊、召喚した悪魔も含めて全て、電撃によって痺れて動けなくなった。
「む」
「そこっ!」
動く、動く動く動く。
縦横無尽に動いて回避。
メアリーの意志接続によってノータイムの以心伝心。
相手の動きに合わせて、イグニスとデンスケの入れ替わり。
相手が対応しようとすれば、その対応しようとした動きを先んじて潰す。
「予知……いや、計算による予測か」
自身の魔物たちの動きを先んじるようなメアリーの指示に、ヨハンは薄く笑みを浮かべた。
トップテイマーであるが故に、もはや先の展開を知ってしまっているのだ。
即ち、こうなってしまえば。
『ヤ、ハ……』
『メェエエ……』
この流れを止めることは出来ず、猿神と黒羊は倒れるしかないのだと。
「ご苦労だった、二人とも」
ヨハンは仲間を労う言葉を紡いで、けれども笑みは崩れない。
猿神はとことん近接戦闘能力を潰され、遠距離と近距離の攻撃で倒されて。
黒羊は炎雷と化した速度で何度も倒れ、不死性の限界が訪れて。
圧倒的な速度で、自身の固有魔法と指示を凌駕されたというのに、どこかヨハンの表情は明るい。むしろ、上機嫌だ。
だが、それは決して仲間の魔物を蔑ろにしているわけではなく。
「出番だ、ニュクス――――お前に相応しい敵対者が現れた」
全力を出すに相応しい相手が現れたことによる喜びだった。
ヨハンの手持ち二体を倒すことは快挙に等しい。
ほとんどの相手は、ヨハンの手持ちを一体も倒すことなく試合を終えるのだから。
けれども、だからこそ、ここからは未知数だ。
『ふぅむ。ようやく、余の出番じゃな?』
夜の如き漆黒の長髪に、鮮血よりも鮮やかな赤い瞳。
病的なほど白い肌に、すらりと伸びた手足。
纏うはワインレッドのドレス。
背中からは蝙蝠の如き羽根が一対。
若々しくも蠱惑的な美女の姿をした魔物――――吸血鬼。
その中でも、ニュクスと呼ばれた魔物は、吸血鬼の中でも『始まり』を意味する真祖という特別な存在だった。
つまりは、S級魔物の中でも最上位に近い格の魔物である。
だが、気分屋なのか、他の理由があるのか、ニュクスは滅多なことでは戦わない。
戦う必要も無い。
他の二体で十分、ほとんどの相手は倒してしまえるのだから。
故に、ニュクスの戦闘データはほとんど皆無。
どれだけの強さを持っているのか、それすら知る者はS級テイマーの中にもほとんど居ない。
「…………っ!」
だが、対峙したメアリーは戦わずとも察していた。
ニュクスという真祖は、イグニスと同等――否、明らかに凌駕する格の魔物であると。
『挑戦者よ。余は汝らを認めよう。我らが爪牙を打ち倒し、余の足下までたどり着いたことを褒めたたえよう』
息を飲むメアリーに、ニュクスは尊大に語り掛ける。
イグニスとデンスケは動かない。
メアリーも無言ながら、指示を出さない。
相手の態度に気圧されたわけでも、相手の言葉を律儀に待っているわけでもない。
ただ単純に、隙が無いのだ。
『故に、褒美を与えよう。ここまでたどり着いた強者に相応しい褒美を――ヨハン』
「ああ、わかった」
ニュクスは優雅に手をヨハンに差し出す。
ヨハンはその手を恭しく受け取り、すっと口づけをした。
「【七冠継承】」
次の瞬間、ニュクスの両手、その内の七本の指に、黄金に輝く指輪が嵌った。
一つ一つ、途方もない魔力が秘められた指輪が。
「まさか、その一つ一つが権能――」
『来たれ、我が夜』
次いで、メアリーの驚嘆を遮るかのように『夜』が訪れた。
先ほどまで真昼のように明るかった戦闘空間内に、夜の帳が下ろされたのだ。
いとも簡単に、この戦闘空間全てがニュクスによって掌握されたのだ。
『これが、余の本気にして全力だ、挑戦者よ。お前たちに相応しい褒美は、余の全身全霊による戦闘、これに尽きるだろう?』
「は、ははは……」
ニュクスの言葉に、メアリーが乾いた笑いを貰いしたのは、全身全霊を実現したその気配に似たものを知っているからだ。
今のニュクスの気配は、最強のS級ウィザードにしてメアリーの幼馴染――トーマが本気で戦う時と似たものだった。
故に、勝敗は既にこの時、悟っていた。
「皆、抗おう」
『無論だ』
『ジュウ!』
それでもなお、戦いの姿勢を見せたのは偏に意地と覚悟。
最強に挑む者として、メアリーは最後まで戦意を折るつもりは無かった。
「次を、楽しみにしている」
そして、ヨハンの言葉はそんなメアリーの在り方を純粋に称賛して。
『では、また次の夜に』
赤竜の首は落ちて。
雷を纏うイタチは弾けて。
けれども、最後に一つ、夜の化身の頬に一筋の傷と付けて戦いは終わった。
不動の頂点は揺るがず、その壁はあまりにも高い。




