1-8「戦士の道③」
カルマは、母のその言葉に驚いた。
なぜならカルマは、父と母の前で「国を出たい」と言ったこともなければ、そんな素振りを見せた覚えもなかったからだ。
「母さん……なんで?」
「私はあなたのお母さんよ? あなたの考えていることなんて、顔を見ればすぐにわかるわ。」
カルマは知っていた。
母親とは、いつだって子供のことを一番に考えている存在だと。
思い返せば、ティニエはカルマのすることを一度も否定したことがない。
町の変わり者と言われるノーリエの家に入り浸っていた時も。
街中で眼帯を外してしまった時も。
いつもカルマを信じ、尊重してくれていた。
――だからこそ。
今回は、行けない。行ってはならないのだ。
「母さん……でも……」
「カルマ……あなた、お父さんやお母さんのためにって思ってるでしょう?」
「……!? ……うん」
「あのね。そうやって考えてくれるのは嬉しい。けれど、それはね……お母さんのためにはなっていないのよ。」
「えっ?」
「ねぇカルマ。私の幸せって何だと思う?」
「……わからない。」
「あなたが成長して、幸せになることよ。」
ティニエは、そっとカルマを抱き寄せる。
「だからね。あなたが自分の道を決めて進むことを、お父さんも私も止めたりはしない。」
「母さん……」
ティニエはカルマの両肩に手を置き、まっすぐに目を合わせた。
「カルマ・ミラ・フィーラン。あなたは戦士ダグラスの弟で、私たちの最愛の息子。
それは、離れていても絶対に変わらない。
寂しくはなるわ。でも、あなたが健やかでいてくれるなら……それでいいの。」
カルマは、もしかしたら自分は思い違いをしていたのかもしれないと思った。
前世の自分は、母に冷たく当たってしまった。
けれど――もしかしたら、あの母はそれすらも理解し、尊重してくれていたのではないか。
だからあの時、穏やかに笑っていたのだろうか。
後悔が消えることはない。
それでも、胸の奥が少しだけ洗われた気がした。
「母さん……ありがとう。」
ティニエは目に涙を浮かべながら、カルマを強く抱きしめた。
その温もりを胸に刻みながら――
カルマは、この国を出て戦士として旅立つことを決意した。
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数日後――
カルマは荷物を肩に担ぎ、剣を携える。
旅立ちの日だ。
家には両親のほかに、イリーナも来ていた。
「あ……すみません。」
扉をノックする音とともに、か細い声が響く。
「あなたは……」
「ノーリエさん!外に出るなんて珍しい。」
「君には世話になったからね。」
バトロフは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにノーリエを快く招き入れた。
ノーリエは照れくさそうに礼を言い、家の端へと静かに下がる。
それを見て、カルマはくすりと笑った。
バトロフはカルマの前に立つ。
「カルマ。今日はお前の旅立ちの日だ。まだ十二歳だが、その才能は天級の戦士たちのお墨付きだ。お前ならきっと立派な戦士になるだろう。
だが――困ったことがあれば、いつでも帰ってこい。ここにいる皆は、いつでもお前の力になる。」
その場の全員が、静かに大きく頷いた。
バトロフは、器に並々と注がれた赤い液体をカルマに差し出す。
「これは……?」
「この国の伝統だ。戦士として旅立つ者は、ギラムの実のジュースを飲む。」
「ギラムの実って、町外れにたまに生えてるやつ?」
「そうだ。あれは“腐らない果実”と呼ばれている。もいで十年経っても水々しさを失わない。
それを飲むことで、何事にも耐えられる強い意志を得られると言われている。」
「へぇ……」
カルマは赤い果汁を見つめ、覚悟を決めるように一気に飲み干した。
「がっ!?!?」
次の瞬間、喉を押さえて地面を転がる。
焼けるように、辛い。
「カルマ!」
イリーナが慌てて駆け寄る。
「はっはっは。言わなかったが、ギラムの実は激辛だ。」
「うぅ……辛い……」
「だが腐らないうえに栄養満点だ。旅先で困ったら食べるといい。」
バトロフはギラムの実を一つ、カルマの荷に忍ばせた。
「父さんから多くは語らん。立派になって帰ってこい。」
「うん。父さん、ありがとう。」
ティニエも涙をこらえながら近づく。
「どれだけ優秀な戦士になっても、あなたはあなたよ。
いつでも帰ってきなさい。」
「うん。母さん。行ってくるね。イリーナも、ありがとう。」
扉へ向かうカルマの肩に、ノーリエがそっと手を置く。
言葉はない。ただ静かな微笑みだけがあった。
イリーナはずっと下を向いている。
扉を開けると、空がいつもより広く見えた。
――自分は今、人生の一歩を踏み出すのだ。
「カルマ!!」
イリーナが外へ飛び出し、呼び止める。
「今の私には、まだあなたについていける力はない。でも……必ず、あなたの力になれるようになる。
そしたら……私もあなたについていく……から!」
カルマはふっと笑い、振り返る。
「イリーナと旅ができるの、楽しみにしてるよ。」
そして、再び前を向いて歩き出した。
イリーナは涙を流しながら、その背中が小さくなるまで見送った。




