第二章:情報の洪水、感情の渇き
翌朝、ケンジはいつものように、定刻少し前に家を出た。梅雨寒が戻ってきたのか、ひんやりとした空気が肌を刺す。彼は襟元を掻き合わせながら、マンションのエントランスを出て、人や自律走行車が行き交う通りへと歩き出した。視界の隅には、常に半透明のウィンドウが表示されている。天気予報、最新ニュースのヘッドライン、株価指数、そして友人や同僚から送られてくるリアルタイムの「ステータス・アップデート」――思考の断片や感情の波形グラフが、まるで川の流れのように、絶えず更新されていく。
『今日のプレゼン、緊張する…(不安度:68%)』
『新しいカフェのランチ、最高!(満足度:85%)』
『昨日のドラマの結末、納得いかない!(不満度:72%、共感募集タグ付き)』
これらは、ケンジが「フォロー」している人々が、自らのプライバシー設定の範囲内で公開している意識の一部だ。かつてのSNSのように、わざわざ言葉を選び、写真を選んで「投稿」する必要はない。インプラント・デバイスや、あるいはもっと進化した脳波インターフェースが、持ち主の許可した範囲で、思考や感情の表層を自動的に検知し、量子ネットワークに流すのだ。人々は、この絶え間ない情報のシャワーを浴びることで、互いの存在を確認し、社会との繋がりを実感する。「サイレント・ソーシャル」と、いつしか誰かが名付けたこのコミュニケーション様式は、もはや空気のように当たり前のものになっていた。
ケンジは、自分の意識が流れ込んでくる他者の情報に引きずられないよう、意識的にフィルター強度を少し上げた。それでも、街を歩けば、否応なく周囲の人々の「心の声」の断片が飛び込んでくる。
(ああ、電車に間に合わないかも…焦り、焦り…)
(この傘、可愛いな。どこのブランドだろう? 検索、検索…)
(昨日の会議、部長の機嫌が悪かったな…今日もかな…憂鬱…)
それはまるで、無数のラジオ局が同時に、それぞれ異なる番組を小さな音量で流しているような状態だ。一つ一つは些細な呟きや感情の揺らぎに過ぎない。だが、その総体は、都市全体を覆う巨大なノイズのようにも感じられた。
人々はこの情報の洪水に、巧みに適応していた。高度なAIフィルターが、ユーザーの関心や状況に合わせて情報を自動的に整理し、優先順位をつける。緊急性の高い情報や、親しい人物からのシグナルは強調され、無関係なノイズは背景に沈められる。あるいは、自ら特定の「チャンネル」や「コミュニティ」に意識をチューニングし、興味のある情報だけを選択的に受信することも可能だ。まるで、混雑したパーティー会場で、話し相手の声だけを聞き取るカクテルパーティー効果を、技術的に拡張したかのようだ。
このシステムは、表面的には人々の相互理解を深めたように見えた。相手が何を感じ、何を考えているのかが、ある程度「見える」ようになったからだ。誤解やすれ違いは減り、共感に基づいたコミュニケーションが円滑になった、と多くの人々が信じていた。メディアもこぞって「共感社会の到来」「人類は新たなコミュニケーションの次元へ」といった論調で、この変化を肯定的に報じていた。
しかし、ケンジは、その「共感」の質に、言いようのない薄っぺらさを感じ始めていた。流れ込んでくるのは、あくまで表層的な、瞬間的な感情や思考の断片だ。深い悩み、複雑な葛藤、言葉にならない想いといったものは、この高速な情報の流れの中では、うまく捉えられないか、あるいは意図的にフィルタリングされてしまうことが多い。人々は、手軽に得られる「いいね!」的な共感に慣れきってしまい、時間のかかる、骨の折れるような、本当の意味での他者理解から、遠ざかっているのではないか。そんな疑念が、ケンジの心の中で、じわりじわりと広がっていた。
「おはよう、ケンジ君」
オフィスに着くと、隣のデスクの佐藤が、快活な声で挨拶してきた。彼の視界にも、ケンジの出社を認識した通知と、おそらくは「平常心」「やや睡眠不足」といったケンジのバイタル・ステータスが表示されているのだろう。
「おはよう、佐藤さん」ケンジも笑顔で返す。
「昨日の例の件、クライアントから早速ポジティブな反応があったよ。君の分析レポート、かなり響いたみたいだ。さすがだね!(賞賛度:79%、信頼度:82%)」佐藤の言葉と共に、付帯情報がケンジの視界にポップアップする。
「いえ、佐藤さんのフォローのおかげですよ。(謙遜度:70%、感謝度:75%)」ケンジも、半ば自動的に、適切な感情データを付加して応答する。
こうしたやり取りは、もはや定型化された儀式のようだった。感情データによって、言葉の裏を探ったり、社交辞令に悩んだりする必要はない。コミュニケーションは効率化され、誤解のリスクは最小限に抑えられている。だが、その一方で、言葉の持つ本来の奥行きや、表情や声色から伝わる微妙なニュアンスのようなものが、捨象されてしまっているような気もした。すべてがデータとして可視化され、数値化される世界では、言葉にできないもの、数値化できないものの価値が、相対的に低下していくのかもしれない。
午後の会議は、量子アバターで行われた。ケンジも自席のターミナルから、仮想会議室に自分のアバターを送り込む。そこには、既に他の参加者たちのアバター――ホログラムで精巧に再現された、しかしどこか生身の人間とは違う滑らかさを持つ姿――が揃っていた。
議題は、新製品のマーケティング戦略について。議長役の田中部長のアバターが、よどみなく説明を始める。参加者の視界には、説明内容の要約と共に、リアルタイムで更新される各メンバーの「理解度」「関心度」「賛意/反対度」を示すグラフが表示されている。
「…以上の分析に基づき、我々としては、ターゲット層を従来のA層から、より若年層のB層へシフトすることを提案します。データ上は、こちらの方がより高いROIが見込めると予測されます」
部長の説明が終わると、仮想空間にしばしの沈黙が流れた。参加者たちの「賛意度」を示すグラフは、軒並み高い数値を示している。データに基づいた合理的な提案であり、反対する明確な理由は見当たらない。
ケンジは、少しだけ疑問を感じていた。B層へのシフトは短期的には効果があるかもしれないが、長期的なブランドイメージへの影響はどうなのか? A層のロイヤルユーザーを失うリスクはないのか? そうした懸念が、彼の思考ログには記録されているはずだ。
しかし、彼の「反対度」グラフは、全体の調和を乱すまいとする無意識の抑制が働いたのか、あるいはAIフィルターが「会議の円滑な進行」を優先した結果なのか、低い数値のまま変動しない。他の参加者たちも同様だった。皆が互いの「賛意」を確認し合い、場の空気が「承認」へと傾いていくのが、データとして手に取るように分かる。
「特に異論はないようですね」田中部長のアバターは、満足げに頷いた。「では、この方向で具体的なプランニングを進めることとします。皆さん、効率的な議論、感謝します」
会議は、開始からわずか三〇分で終了した。かつてであれば、侃々諤々の議論が交わされ、時には感情的な対立さえ起こり得たような議題が、驚くほどスムーズに、波風一つ立てずに結論に至ったのだ。
これが、進歩なのだろうか? ケンジは、自席のターミナルをオフにしながら、自問せずにはいられなかった。効率性と合理性は、確かに向上した。だが、その代償として、異質な意見が表明される機会や、議論を通じて新たな視点が生まれる可能性のようなものが、失われているのではないか。皆が空気を読み、データを読み、最適解へと収斂していく。それは、ある意味で「正しい」のかもしれないが、同時にひどく息苦しく、創造性を欠いた世界のように思えた。
退社後、ケンジは喧騒を避けるように、少し遠回りして、古い公園を抜けて帰ることにした。木々の緑が目に優しく、量子ネットワークの喧騒からも少しだけ解放される気がした。ベンチに腰を下ろし、目を閉じる。流れ込んでくる情報のシャワーを一時的に遮断すると、代わりに、風の音、鳥の声、遠くで遊ぶ子供たちの歓声といった、アナログな世界の音が耳に届いた。
(ああ、静かだ…)
そう感じた瞬間、ケンジは、自分がどれほど情報の洪水に疲れ果てていたかに気づいた。常に他者の意識と接続され、評価され、最適化される日常。それは、孤独から解放されるどころか、むしろ自分自身の内面と向き合う時間さえ奪い、魂をすり減らしていくような感覚をもたらしていた。
人々は、繋がれば繋がるほど、分かり合えると思っていた。だが、現実はどうだろう。表層的な感情データが飛び交うだけで、誰もが自分の内側の深い場所に降りていくことを忘れ、あるいは恐れているように見える。情報の洪水は、人々の心を満たすどころか、むしろ奇妙な渇きを生み出しているのではないか。もっと深く、もっと本質的な何かを求める、魂の渇きを。
ユミ・エコーとの関係も、結局はこの社会全体の縮図なのかもしれない。完璧な情報、完璧な共感、完璧な効率性。それらは、一見すると理想的なものに見える。だが、その完璧さの裏側で、人間が人間であることの本質――不完全さ、曖昧さ、予測不可能性、そして言葉やデータには還元できない魂の触れ合いのようなもの――が、静かに失われつつある。
ケンジは、ゆっくりと目を開けた。夕暮れの空は、相変わらず厚い雲に覆われている。だが、その雲の向こうには、きっと星が輝いているはずだ。今は見えなくても、確かにそこに存在している。情報として観測できなくても、確かに在るもの。
彼は、スマートフォンを思い浮かべた。ユミ・エコーに、何かメッセージを送ろうとしたのかもしれない。だが、言葉が浮かばなかった。何を伝えればいいのか、分からなかったからだ。データとしてではなく、心として伝えたい言葉が、見つからなかった。
結局、ケンジはスマートフォンイメージを消去し、ただ黙って、暮れゆく公園の景色を眺めていた。情報の洪水が止んだ束の間の静寂の中で、彼の心を満たしていたのは、安らぎではなく、むしろ増していくばかりの、深い、深い渇きだった。