六 別れの章
――りんの薬のお陰かくちなわの表情は穏やかだが、呼吸は忙しない。くちなわが唇を震わせた。
(りんちゃん、あの時聞かせてくれたよな、送長虫のこと……憶えてるか……?)
「はい」
くちなわの腹が、浅く上下する。
(なあ、りんちゃん。もしかしたらあの時聞かせてくれた話は、嘘かもしれんよ。送長虫が心安い場所に送ってくれるって話……)
くちなわは、ふうっと息を吐いた。
(……あのな。おいらの中に、居るんだ)
「はい」
りんの答えに、くちなわの唇の端が僅かに持ち上がった。
(なーんだ、気付いてたんだ。でもな、送長虫は教えてくれんかった。居心地良い場所も、そこへの行き方も……)
くちなわの目に盛り上がる涙に、りんの顔が逆しまに歪んで映る。涙に浮かぶ像の口元が、更に歪んだ。
「送長虫は都合の良い生き物ではございません。宿主が心安らかなら、己の棲みかが安泰であるというだけのこと。何事もなく宿主が永らえることが出来るのは、宿主と送長虫の求める所が同じなればこそでございます」
(…………)
「ですからあの日、申し上げたのです。『心安くお過ごし下さい』、と。もし違えたなら、送長虫が送る先は楽土とは限りませんから」
(…………)
ぽとり
りんは、くちなわの眦から零れ落ちた涙を見詰め、
「くちなわ様の暮らしがどのようなものだったのか、わたくしに知る術はございません。宿主が己の真に逆らって生きるのであれば、その棲みかは送長虫にとって安泰ではないのです。居心地の悪さに、何としても清流に帰ろうとするでしょう。くちなわ様の内に居るのは、そういうものなのでございます」
ぽと、ぽとり
ふた粒、み粒……涙粒が零れ、止まった。
「……くちなわ様?」
くちなわの口から薄紅色の蛇がぬるりと這い出した。それは迷うことなく清水に向かって身をくねらせ、細い流れに身を滑り込ませる。
血と泥が洗い流され現れた透明な身体が、光を浴びて七色に煌めく。完全に透明になり飛沫に紛れる寸前、りんの手が蛇を掬い上げ、腰に下げた竹筒にするりと流し込んだ。
「己の胸の裡も聞けないとは、人とは面倒で難しい生き物でございますね。いえ、それとも、敢えて耳を塞いでいるのでございましょうか。それが人というものなのかもしれませんが」
りんの手が、光を失ったくちなわの目元をそうっと覆う。ゆっくりと手を退けると、瞼を閉じさせた横顔に、
「これを迎えるのは、もう少し後でもよろしゅうございましたのに……おさらばでございます、くちなわ様。とても……名残り惜しゅうございます」
一陣の風が吹いた。
くちなわの亡骸だけが残されたそこに、僅かな樟脳のにおいが漂う。やがて再び吹いた風ににおいは千切れ、空に消えた。