アキラトリッカ その九
トルベリーナの館の裏手では、松凛の戦いが続いていた。
突然のヘリの出現に、その場にいた全員がわずかの間、動きを止めたものの、ヘリが飛び去ると再び戦いが開始されていた。
度数四十度、すなわち四十パーセントのアルコールが含まれるテキーラを丸々一瓶一気飲み、常人であれば泥酔どころか、急性のアルコール中毒症でぶっ倒れてもおかしくない。
だが武藤松凛に、酔っているような様子は見られなかった。
コックコートの女が繰り出す包丁と、金眼の女が繰り出すサーベル、その息をもつかせぬ攻撃を、紙一重で見切り、躱し続けている。
「おいおい、二人がかりは良いけどさ、お前ら急造のタッグだろ、連携がなってねえぜ」
松凛は避けながら軽口を叩く余裕すら見せていた。
「お前ら!見てないで仕事しな!」
金眼の女が叫ぶ。
引き連れられていた男達が、わらわらと松凛の周囲を取り囲む。
「だあぁぁらっしゃぁああ!」
突然の叫び声とともに、松凛を取り囲んでいた男達の一角が崩れた。
「と、飛び膝蹴り……!?」
大輔が思わず技の名前を口にする。
男達の背後から突然現れた一人の女が、叫び声とともに鮮やかな飛び膝蹴りを男達の一人の後頭部に見舞ったのだ。
崩れ落ちる男に、女は空手の残心のようなポーズを決める。
「見るともなしに見させてもらったが、女一人相手にするのに野郎が大勢たぁ卑怯が過ぎるじゃねえか、八犬士、犬飼現、ここは助太刀させて貰うぜ!」
「八犬士!?」
大輔が漏らした驚きの声を、現は耳聡く聞きつける。
「あーっ!」
叫びながら大輔を指差した。
「いた! いた! いた! ここにいた!」
取り囲む男達を意に介さず、すたすたと大輔の方へ歩み寄ってくる。
男が一人、行く手を遮ろうと前に出た。
「フッ!」
カウンター気味の立ち膝蹴りを食らい、あっさり倒される。
鎧袖一触とはまさにこれだ。
八犬士の一人、犬飼現を名乗った女は、大輔の目前まで歩んできた。
赤く染めた髪をベリーショートにして、左側は地肌が見えるほどに刈り上げている。
きりりとした眉が目立つ、野性的な印象の美女だ。
その両手には、ボクシングのバンテージのようなものが巻かれていた。
「いやー大体の方向しか聞いてなくてさ、勘に任せてうろうろしてたんだけど、闇雲にでも歩いてみるもんだな……あんたが大輔……真田大輔だろ?」
「……あ、はい」
「八犬士、犬飼現だ、よろしくな! ……へえ、写真で見るより良い男じゃん」
突然乱入してきた現に呆気にとられていた侵入者達だったが、気を取り直した男が一人、現の背後から襲いかかってきた。
現は振り向きもせず、襲ってきた男の横面に強烈な裏拳を見舞う。
「……大事な話の最中だ、邪魔すんな」
男は、糸の切れた操り人形のように倒れた。
「さてと、で、どいつをぶっ飛ばしゃ良い?」
「えーと、今あなたがぶっ飛ばした方の人です、っていうか、あの黒髪の、大きな女の人、見えますね? それ以外の全員です」
現は振り向き、大事が指差した方を確認する。
「よし、わかった!」
叫ぶなり現は、ずかずかと松凛と二人の女が戦っている方へと向かって行く。
周囲を囲んでいた男達の中から、三人ほどが現へと向かって来た。
先頭の男が振り下ろす木刀を躱し、現は右の拳を繰り出す。
拳は男の顔面を捉え、男の意識を何処か遠くへと誘う。
流れるような動きで現は二人目の男に向かう。
二人目の男は手に短刀を持っていた。
現は繰り出される短刀の突きをかいくぐりつつ、ギュンと身体を回すと相手の後頭部に肘を打ち込む。
回転肘打ち、ムエタイではソーク・クラブと呼ばれる技だ。
短刀の男の意識も、木刀の男の意識の後に続いた。
怯んで足を止めた三人目の男に、現は猛禽の如く飛びかかった。
反応する間もなく、頭頂部へ打ち下ろしの肘を受け、三人目の男も倒れる。
(ムエタイかと思ったけど、ちょっと違うな……)
大輔は思った。
現が使う、肘と膝を多用する格闘技は、一見するとムエタイ――タイ王国で行われているキックボクシングに似てはいたが、ムエタイでは頭頂部への肘打ちは反則だ。
(それに構えも違う……)
ムエタイの基本的な構え方、アップライトと呼ばれる立ち方は、直立し重心をやや後ろに置き、両手は顔の位置まで上げる。
さらに、相手のキックをカットしたり、牽制のキックが繰り出しやすいように、前側の脚は浮かし気味にする事が多い。
現の構えはそれよりも低く、前後の足の幅も広かった、両方の足裏をしっかりと地面につけている。
現はそのまま歩みを止めず、松凛と二人の女の闘いに割って入る。
「サーベルの奴は貰うぜ!」
「乱入かよ、まあ好きにしな!」
繰り出される包丁を避けつつ松凛が答えた。
「しゃしゃり出るな!」
金眼の女は叫びつつサーベルを現に向けて振り下ろすが、現は前に出つつ、相手のサーベルを持った右手をキャッチする。
と同時に、捉えた相手の腕に、自分の左拳を叩き込んだ。
「牙を折る!」
肘関節が曲がらない方向への打撃を叩き込まれ、金眼の女は苦痛の呻きとともにサーベルを取り落とす。
さらに現は捉えた腕を軸に、相手の身体の重心を崩し、引き倒して膝で押さえつける。
「邪鬼を踏む!」
現はそのままぎりぎりと相手の腕をねじ上げるが、唐突に技を解き、後ろに下がって相手から距離を取った。
右腕を押さえながらようやく立ち上がった金眼の女に、現は全力で走り、飛びかかる。
相手めがけて跳躍した現は、右膝蹴りと右肘打ちを同時に放った。
すなわち、膝蹴りで相手の下顎を捉えつつ、打ち下ろしの肘打ちで相手の頭頂部を打つ、どちらか片方だけでも必殺の威力を持つ二つの打撃を同時に受ける相手の頭部はひとたまりもない。
まさに龍の顎門が獲物を捉え、噛み砕く姿さながらだった。
倒れた相手に残心のポーズを取りながら、現が言う。
「ムェイ・ナレースワン奥義! 満月を喰らう龍!!」
「おっほー、やるじゃん、こっちも負けてらんないね」
松凛はそう言うと、コックコートの女が繰り出した突きを躱し、包丁を持つ腕を同じようにキャッチする。
そのまま相手の腕の外側に手を回し、脇の下に抱え込むようにしてぎりぎりと締め上げる。
片閂と呼ばれる立ち関節技だ。
ちなみに閂は相撲の技でもあるが、相手の肘関節を壊しかねない危険な技でもあるため、アマチュアの試合では禁止技となっている程だ。
「こ……の……!」
コックコートの女は苦痛に顔を歪ませながら、空いている左手を自分の背中に回す。
「くらえ!」
背中に隠し持ったペティナイフを、松凛の喉を狙って突き出すが、これもあっさりキャッチされてしまう。
「残念、お見通しだよ」
凄まじい握力で手首を握られ、手にしたペティナイフを取り落とす。
「ふん!」
松凛の頭突きがコックコートの女に炸裂する。
普通こういった場合の頭突きは、眉間や鼻など、相手の弱い所を狙うものだが、松凛はあえて自分の額と相手の額、人間の頭部で最も硬いとされる部分同士をぶつけ合わせた。
鈍い音が周囲に響く。
コックコートの女の膝から力が抜ける。
松凛は両手を離し、バックステップで距離を取った。
両手の人さし指を天に突き上げ、周囲にアピールするポーズを取る。
(いや!そんなことやってる場合ですか!)
大輔は、心の中だけでツッコんだ。
「いくぜオラ!」
松凛は片膝をついた状態のコックコートの女にダッシュする。
相手の膝を踏み台にして駆け上がりつつ、膝を顔面に叩き込んだ。
「し、閃光魔術……!!」
またしても、思わず技の名前が大輔の口をついて出る。




