シノブトイサミ その二
信と陳が対峙する路上、秋の夕暮れは早く、既に薄暗くなり始めた裏通りには、通りがかる者もいない。
二人は互いに構えて、三メートル程の間合いを保ったまま対峙している。
信は棒を右手に持ち両の腕は下げたまま、いわゆる自然体に近い、構えているとも見えない構えだ。心持ち体の右側を前に出し斜に構えている。
陳は両手を前に出し、やや前傾姿勢に構えている
「行くよ」
陳はそう言うとゆらりと上体から前にでる、二、三歩踏み込むと瞬時に大きく跳躍し、信の脇をすり抜け、さらに先に着地する。
陳のすれ違いざまの、鉤爪での斬撃を受け止めたため、信の半棒には四筋の傷が付いている。
走り幅跳びの世界記録は八メートル九十五センチ、ただしそれはあくまでも、十分な助走距離をとったうえでのことである。
陳は無助走に近い状態で一瞬のうちに数メートルを跳躍していた。
着地し、振り向いた陳は、トントンとその場で軽く飛び跳ねて体制を整えながら言った。
「人並み外れた跳躍力、これがあたしの特技だ、だから人からは『跳澗虎』って呼ばれてる、谷を飛び越える虎って意味さ」
「すごい跳躍です、でも」
「でも、なんだい?」
「速さはそれほどでも、ないですね」
信の言葉に、陳の表情が険しさを増す。
「……そうかい」
陳は再び襲撃の姿勢に移る。
「シャッ!!」
再度跳躍しながら鋭い気合とともに切りつける陳、最初は片手だけだったのが、今度は左右の手で斬りつけている。
陳の攻撃を防いだ信の棒には、さらに四筋の傷が二か所、増えている。
「ああ、棒が……」
信の一言を受け、陳の表情がさらに険しくなり、額には血管が浮かんだ。
「棒の心配より!」
叫びながら陳はまたも飛びかかる。
「自分の心配だろうが!!」
二人が交差する刹那、硬質の衝撃音が響く。信が身を沈めつつ繰り出した突きが、宙にある陳の眉間を的確にの捉えていた。
陳の目がぐるりと白目をむき、そのまま落下する。
「彩霞流棒術、中伝、朝露の突きです、本当はもっと色々と技をお見せしたかったのですが……」
棒を見てため息をつく信。
「棒が傷だらけになってしまったので」
信は取り出した簡易手錠、ナイロン製の結束バンドのようなもので陳の手足を素早く拘束する。
拘束を終えた信はスマートフォンを取り出し、八犬士の本部へと連絡する。
「こちらは犬塚です、被疑者一名を拘束しました、至急回収をお願いします、場所は――」
通話を終えた信はスマートフォンを操作し、画面を確認する。
画面には付近の地図が表示され、中央には赤い点が一つあった。赤い点は公園の中から移動していない。
先程の公園で大輔の服装を整える時、素早く超小型の電波発信機を付けたのだ。
発振器の位置は、信のスマートフォンの専用アプリでのみ検知が可能になっている。
(発信機は動いていない、ですね)
スマートフォンをしまった信は、公園へ向かって脱兎の如く駆け出した。
公園の中では伊三美と楊、互いの激しい技の応酬が続いていた。
立て続けに鋭い貫手を繰り出す楊、それをギリギリの所でかわす伊三。
楊の手技、特に貫手を主とする攻撃は、俗に蛇拳と呼ばれる中国拳法のそれだった。
遅れて大輔がトイレの外へと出てくる。
と、そこへ信が駆けつけてきた。
「何かあったのですか?」
「あの黒い服の人に拐われそうになったところに、あの大きい人が助けてくれて……」
激しい攻防の中、相手の攻撃を捌く伊三美の内心には一つの疑念が生じていた。
(確かに速えことは速えけど、かわせねえ速さじゃねえ、それに突きの威力も足りねえ、長引けば不利なのは分かってるはず、なのに急所もろくに狙って来ないのは何故だ?)
毒を使ってくる可能性も考えたが、鋭敏な伊三美の鼻は、毒を思わせる匂いを嗅ぎ取ってはいない。
(しょうがねえ、こっちから誘ってみるか)
伊三美はあえて大ぶりのロングフックを繰り出す。
その一瞬を捉えた楊の眼光が鋭さを増す。
「もらった!」
楊は一段階速さを増した動きでフックをかいくぐり、伊三美の背後へ回り込む。さながら巨大な蛇を思わせる動きで絡みつき、両腕で伊三美の首へ裸絞め、またはチョークスリーパーと呼ばれる技を決める。両足は胴へと絡めている。
仁王立ちの状態で締め上げられる伊三美の耳元に楊がささやく。
「狙ってたのはこれさ、人からは白花蛇と呼ばれるアタシの締め技、味はどうだい?」
伊三美はこめかみに血管を浮き立たせつつ、両腕を使って楊の手を引き剥がそうとするが外れない。
かろうじてまだ立ってはいるものの、やがて伊三美の両腕がだらりと垂れ下がった。
絡み合う2人の方に、思わず駆け寄ろうとする大輔の肩を、信が片手で掴み、制止する。
「大丈夫、まだ決着はついていないようです」
だらりと下げられていた伊三美の両腕に再び力が宿る。
伊三美は、右手で締め上げている楊の腕をがっちりと握り、左手は胴を締めている楊の足を強く押さえつける。
(まだ動けるのか……!)
楊は締め付けを強める。
「離……すんじゃ……ねえぞ……」
伊三美は、一歩、また一歩と前へ歩き出す。
伊三美の歩みは徐々に速さを増し、ついには走りへと変わった。
(まずい!)
危険を察した楊は慌てて離れようとするが、手も足も恐ろしく強い力で押さえつけられ、振りほどけない。
「うおおおおお!」
叫びとともに、伊三美は手も使わずに脚力のみで公園の遊具を一気に駆け上がる、遊具の最も高い所でさらに跳躍し、背中から地面へとダイブした。
伊三美と楊、二人はそのまま地面へと叩きつけられる。
人気のない公園に鈍い音が響いた。
地面に倒れている二人、やがて伊三美がむくりと起き上がった。
伊三美は首を鳴らしながら言う。
「普通の相手なら決まってたかもしれねえが」
伊三美はそこで大きく笑みを浮かべる。
「相手が悪かったな」
体の埃を払いながら立ち上がる伊三美のもとへ、大輔と信が駆け寄る。
「さてと、真田大輔くん」
伊三美が大輔へ言った。
「ちゃんとした自己紹介がまだだったな、あたしは真田十勇士の一人、三好伊三美、君を保護するよう命を受けてここに来た」
大輔と信は声を合わせて驚く。
「「十勇士!?」」
大輔と信は顔を見合わせる。伊三美へ向き直ると大輔は言った。
「ええと、少々込み入った話になりそうなんで……うちへ、来ませんか、お二人とも」
十勇士と八犬士、その関係の始まりは戦国時代の頃までさかのぼる。
戦国時代も末の頃、関ヶ原の戦いで勝利を収め、政治支配の実権を掌握した徳川家康は1614年、豊臣氏を完全この世から消滅させるべく大阪城攻略へと乗り出した。
しかし二十万とも伝えられる圧倒的な軍勢持って攻め寄せ、冬と夏二度の攻略戦を経ても大阪城は落とせず、豊臣家は幕末に至るまで強大な大大名として存続する事になる、その陰には真田幸村と彼に率いられた真田十勇士の活躍があった
更には大阪城夏の陣において、真田幸村と十勇士は家康本陣を急襲、家康は一時は死を覚悟するまでに追い詰められるが、その危機を救ったのが里見八犬士であった。
これにより幕府側・徳川方となった八犬士と、反幕府側・豊臣方となった十勇士は、幾重にも世代を重ねつつ、その力を受け継ぐ者たちによって、徳川幕府が終焉を迎えるまでの間、暗闘を繰り広げる事になる。
その後明治維新によって新政府が誕生すると、新政府に対して八犬士は警視庁の一部として公的な立場から、十勇士は表向き政府に所属しない私的な組織として、それぞれ陰に日向に国家を支えていく事になる。
ここは真田家のダイニング・ルーム、テーブルの片側には信と伊三美が並んで座っている。
その反対側には真田大輔とその母が並んで座っていた。
釈然としない表情を浮かべ、腕組みをする伊三美の隣で、信は涼しい顔で出された茶を飲んでいる。
伊三美が会話の口火を切った。
「……しっかし意外だぜ、噂に聞いた七流皆伝、八犬士筆頭の犬塚信がこんな華奢なお嬢ちゃんだったとはな、もっと厳つい奴かと思ってたよ」
「七流皆伝?」
と、大輔が聞く。
「そ、七つの流派で皆伝の印可を貰った、分かり易く言えばその流派の奥義を余す所なく学んだ、要は武芸の、もぉんのすげぇ達人ってこと」
と、伊三美が応える。
「もうすぐ八流になります」
と、信が付け加えた。
「それで、三好さんいわく、僕には真田十勇士の指導者である真田幸村の星が宿っていると」
「うん」
と、伊三美が応じる。
「そして犬塚さんいわく、僕には八犬士の指導者である丶大法師の魂が宿っていると」
「はい」
と、信が答える。
「いやだっておかしいでしょ!我が国の人口が約一億二千万としてその中からただ一人選ばれる確率は一億二千万分の一、そいつを一億二千万人の中に戻してガラガラ混ぜて、もう一回引いたら同じ人でした、なんて、いったいどういう確率なんですか!」
と、まくしたてる大輔に、伊三美が言った。
「いやーおっかねえな、少子化ニッポン」
「……茶化さないでください」
伊三美に言い返した大輔は、さらに続ける。
「それにうちなんて、血筋で言えば庶流も庶流、何代前に分家したかもよくわからないような家ですよ、まあこれは父に聞いた話ですけど」
「嫡流だろうが庶流だろうが、血の濃さなんて皆同じ、一代下れば半分、二代下れば四分の一、三代下れば八分の一だ、それに過去の“真田幸村”が全て本家筋から出てるわけじゃねえ、ま、その点は十勇士も一緒だけどな、それより」
と、そこまで言うと伊三美は信を横目で見つつ、続ける。
「こっちがいまいち信用ならねえのは、隣のお嬢さんの言い分だ」
伊三美は一口茶をすすると続けた。
「なんせ十勇士と八犬士、初めて相対した大阪では敵味方、幕末でも敵味方、明治以降はまあ、場合によって敵になったり味方になったり色々だ、今回も何かの嫌がらせを……」
手にした茶碗をテーブルにおいた信は、笑顔で真田の母の方を向きながら問いかける。
「お母様、不躾ではありますが、旧姓をお伺いしてもよろしいでしょうか」
真田の母が答える。
「金碗ですが」
伊三美は驚きの声を発した。
「マジか!?」
「え」
大輔に伊三美が言う。
「金碗大輔孝徳、初代の丶大法師の俗名だ、しかし真田氏の一族と金碗氏の一族の婚姻なんて、よくどっからも横槍が入らなかったな」
真田の母は笑いながら答える。
「まあうちも庶流でしたから」
伊三美は、改めて腕組みをしつつ言った。
「……となるとすぐには結論は出ねえかもな、まあ状況は上の方に投げといたから、今頃は事実関係の確認と政治的なやり取りの準備で大わらわだろうな」
伊三美が信へ問いかける。
「そっちもだろ?」
「はい、八犬士の筆頭は一応、私ですが、政治的なお話が得意なかたは、他にいますので」
伊三美は小さくため息をつくと姿勢を正し、真田の母の方に向き直り、言った。
「っつーことで、引き続き二十四時間体制で護衛の任務に当たる事になりますので、お母さん、ご協力のほどをよろしくお願いします」
続いて信が真田の母へ深々と頭を下げる。
「同じく、私も身辺警護にあたらせていただきます、よろしくお願いいたします」
「あらあら、お客様用のお布団、用意しなくちゃ」
真田の母が席を立つ。その様子を横目で見つつ、大輔はつぶやいた。
「受け入れるの、早すぎるでしょ……」
伊三美が話題を切り替えた。
「さて、となると問題は襲ってきた連中だな……」
大輔は小さく手を挙げ、言った。
「あの、多分ですが、一人は香港の人かと」
信と伊三美は少し驚いた顔で真田を見る。
「なぜですか?」
「なんでだい?」
「僕を直接襲った方の人、ヨンって言ってたし……あと日本語は流暢だったんですが、ほんの少しアクセントに違和感があったので、聞いてみたんです、『今何時ですか?』って」
と、一息入れると大輔は続けた。
「最初は広東語で、反応がなければ北京とか客家とか、もっと色々続けるつもりだったんてすが」
伊三美は感心した風に答える。
「なるほどな、あの質問、単に気をそらすためかと思ったが、思い出してみたらその通りだ、広東語に笑って答えてやがった」
笑顔で信が言う。
「襲われながらも冷静な判断、お見事ですね」
「あ、いや、そんな大したものじゃないです、逆らわなければ手荒な事はされない、ってのはわかってましたし」
伊三美も大輔を褒める。
「それに語学も堪能とはねぇ」
「いえ、違うんです、別に広東語が分かるってわけじゃなくて、『今何時ですか』だけはいろんな国の言語で言えるってだけで、特技なんです、役に立つ時が来るとは思ってなかったけど」
「いやいや大したもんだ、パッと見は頼りなさそうにも思えたが、なかなか見せてくれるじゃねーか、うちらの主の片鱗ってやつをさ」
伊三美の発言に信が釘を刺す。
「私たちの、です」
伊三美は信を横目で見つつ、言う。
「まあどっちにしても、そっちのルートで各国の警察組織に照会中なんだろ?」
「はい、過去に犯罪歴があるか、そういった組織の構成員であれは、遅くとも明日には」
そこで大輔が気になっていた事を口にした。
「そういえば、襲ってきた二人はどこへ……」
「お二人とも病院です、いちおう監視は付けているはずですが……」
伊三美が信の言葉ににかぶせて言う。
「まああの状態じゃ、悪さをするどころか脱走もできねえだろうな、しばらくの間は」
真田家での話し合いが行われていた同日の同時刻、香港。とある高層ビルの最上階に九龍会と呼ばれる組織のオフィスがあった。
窓の外には「十万ドルの夜景」と称された香港の夜景が広がっている。
豪奢だが落ち着いた調度の置かれた部屋では、大きな執務机にチャイナドレスの女、史 竜媚が座っていた。
右腕に一匹、左腕にも一匹、史の両腕には見事な龍の入れ墨が彫られていた。
机の傍らに立つ女、組織の副主領各である朱からの報告を受けている。
「貴女でもあの二人を抑える事ができなかったとはね……」
朱は深々と頭を下げる。
「申し訳ございません」
「……まあ良いわ、二人とも、生きているのなら何も問題はない、奪還はいつでもできる」
ふと窓の外へ目をやると史は続けた。
「それに逸る気持ちもよくわかる……でも、少しの間は様子を見る事にしましょう、二人には……陳と楊にはゆっくり休んで傷を癒せと伝えて」
朱はふたたび深々と頭を下げる
「はい」
その翌日、昼下がり、真田家の最寄り駅である阻止賀谷大蔵駅のホームに、一人の女が降り立った。
整った顔立ちに、ふくよかな胸元、丸眼鏡をかけ、伝統的な英国式のメイド服を着て、キャスター付のスーツケースを転がしている。
だが何よりもその女を周囲の人間に強烈に印象付けたのは、おおよそ二メートルはあろうかという、その身長だった。
メイド服の女は顔を上げ言った。
「さて」




