009 第三騎士隊ヴェリデウス・バートン 3
ハンクスの案内で、城下町の噴水広場近くだという『野兎亭』までは男の足でも10分少々で辿り着いた。
「いらっしゃい!! おや、ハンクスじゃないか」
店の扉を開けると、恰幅のいい女主人に声掛けされ、店内は程ほどに賑わっているかに見えた。
「今日は俺の上司が一緒だから、いつもみたいな飲み勝負は出来ないっスよ」
「そうかい! 好きな席に座んな」
「そうするっス」
店の奥に位置する隅の四人掛けテーブルにハンクスが率先して通路側に陣取り、俺とルシウス・ウェグナーは壁側の席に着いた。
「おい、ハンクス! 〝いつもみたいな飲み勝負〟ってなんだ?」
「酒豪の客と飲み比べして先に潰れた方が酒代持ちってルールなんスよ! 周りで見てる客はどっちが勝つか賭けて、勝ったら負け側の賭け金を等分するんス!」
ハンクスがたまに二日酔いで出勤してくることがあったが、もしかしなくてもコレが原因か──。
「はあ……酒が飲みたいなら、2杯までなら飲んでもいいぞ」
「本当っスか!?」
「ウェグナー、アルコールは得意な方か?」
「ワインなら飲めます」
ハンクスが女主人を呼び、酒2杯とワイン1杯とバゲットをひと山と燻製肉の盛り合わせに、今日のお勧め料理2品をそれぞれ三人分で注文する。
「さすがに外套くらいは脱いだらどうだ?」
俺は腕を組みながら、目の前の見目麗しい青年に向けて注意とも取れる発言をする。
「……ああ、はいっ! 失礼しました」
彼は着ていた外套を素早く脱いだ。
他人の命令には素直に応じるという、集団生活では大事なことが出来ているな、と感心する。
俺の部下のハンクス・ランジェットという男はそれが中々出来ず、俺が今でもお目付け役として行動しているのだが……俺の苦労を知らずか、当の本人は自由気ままに振る舞っている。今、この瞬間も──。
「うおっ!? ルシウスさんの顔面偏差値が高くて驚いたっス! 男から見てもドキドキするもんなんスね」
ハンクスがウェグナーの顔をまじまじと見ながら頬を染めている。
……それは俺もまったく同じ気持ちだった。
男だとわかっているから自制が利くが、この顔をした女がいたら男が放っておく訳がない。
彼はハンクスの言葉に顔を赤くすると俯き、視線をテーブルに彷徨わせる。
せっかく外套を脱いだのに、顔を見せたくないとは……。
ここでも俺のお節介とも言うべき、部下への教育心が顔を出す。
「ウェグナー、王国騎士団に入るからには顔は下を向いていてはいけない。民に対して疚しいことがないなら真っ直ぐ前を見るんだ」
はっとしてウェグナーは顔を上げ、俺の顔を見つめる。
「……私の顔は周りからの注目を集めるようで、俯くのが癖になっていました。これからは気をつけます」
そうして、椅子に掛けたまま軽く会釈した姿は、とても綺麗だと見惚れてしまった。
彼はこのような目立つ容姿でどうやって過ごしてきたのだろうか──。
初対面で話すことではないと分かってはいるが、何故か彼のこれまでの生い立ちがとても気になってしまっていた。
なんだ、これは……?
動悸が速くなっている?
俺は……何かおかしな病気に罹ってしまったのか──?
「お待ちどおさま! 酒2杯とワイン1杯だよ!」
女主人がテーブルにジョッキをドン!ドン!と乱暴に忙しなく置いていく。
ウェグナーの前にも、俺たちの酒のジョッキと同じ大きさの木樽のジョッキが置かれた。
「ワインがジョッキで……?」
見慣れないのか、ウェグナーがワインが並々と注がれた木樽のジョッキに釘付けになっている。
「バートン隊長! まずは乾杯っス!」
三人でジョッキを顔の高さに掲げて乾杯し、ごくごくと喉を鳴らして酒を胃に入れる。
はー、仕事の後の一杯は旨いな。
「ぷはーっ! イリナさん、酒おかわり!」
ダン!とハンクスがテーブルに勢いよくジョッキを置いた。
「ハンクスお前、もう飲んだのか?」
「隊長、飲み勝負は早く飲まないと負けるんスよ」
「……おい、これは飲み勝負じゃないんだぞ」
ウェグナーもハンクスの飲みっぷりに唖然とする。
ハンクスが〝イリナ〟と呼ぶ女主人がやって来て、テーブルの中央にカットされたバゲットを籠でひと山と、ハンクスの前に並々と酒が注がれたジョッキを置き、空になったジョッキを下げていった。
そのまたすぐに我々の席へやってきたイリナは、骨付き肉が載った皿を3つ、乱雑に置いていく。どうやら店の客の入りが増えて、接客に手が回っていないようだ。確かに、店に入った時よりも座席は満席と言ってもいいほどで、喧騒はより一層大きくなったと感じる。
ハンクスは自分で皿を引き寄せたので、俺はウェグナーの前に皿を寄せてやった。
俺とハンクスは骨付き肉を掴むと、肉に齧りついて味を堪能する。
「んん゛? 絶品じゃないか」
「この店の料理人は元々とある貴族家の料理長をしてたらしいっス」
「あの……この肉料理は……」
ウェグナーが骨付き肉を凝視したまま、手をつけずにいた。
(まさか……)
「ルシウスさんは牛の骨付き肉、食べたことないっスか?」
「もしかして苦手だったか?」
ハンクスと俺は矢継ぎ早に質問する。
(まさか、ルシウス・ウェグナーはアステナ教徒なのか……!?)
俺の中で緊張が走る。
心臓が外へ踊り出そうだ……!!
「その、食べたことがないので──」
「ナイフとフォークを貰えませんか?」
「「──え?」」
俺とハンクスは、二人して拍子抜けする。
「ですから、手づかみで食べたことがないので、ナイフとフォークをお借りしたくて……」
「な、ナイフと、フォーク……!」
伯爵家長男の俺と侯爵家次男のハンクスは、こういった下町の食堂は平民のためにカトラリーを使わない料理が出てくるのは当然という認識だが、どうやらウェグナーは違うようだ。
そう、まるで……。
俺たちと同じ貴族だとでもいうように───。
「クッキーのような焼菓子は手づかみで食べますが、パン以外の食事を手づかみで食べたことはなくて……おかしいのでしょうか?」
「ああ、いや、大丈夫だ」
ハンクスがイリナとは別の女給を呼び止め、ナイフとフォークを1セット要求し、ウェグナーにカトラリーを渡した。
ウェグナーはカトラリーで綺麗に骨から肉を切り離し、ワインを飲みつつ、スマートに食べていく。
(俺よりも綺麗な所作だな──)
女給が席へやって来て、燻製肉の盛り合わせと注文済みのもう一品のお勧め料理三人前をテーブルへ並べていく。
「この料理は?」
「付け野菜と猪肉のソテーです」
ソテーの皿にはフォークだけが添えられている。
ウェグナーのことがなければフォークで肉にぶっ刺してかぶりついているのだが、自分が貴族であることを思い出し、躊躇する。
「バートンさん、私もワインのおかわりをしてもよろしいでしょうか? 猪肉はダラス辺境領でも滅多に食卓に上がらなくなって久しいのです」
「……あ、ああ、構わない」
「バートン隊長、俺もおかわりいいっスか?」
「──ハンクス、俺は前以て言ったはずだ。酒は2杯までだと。今から追加する酒はハンクスお前の自腹だ」
「ええ!? 冷たくないっスか~!?」
「冷たくない!! どうやらお前はザルのようだから俺は自分の財布の中身を守らねばならん!」
俺たちがギャアギャアとやり合っている横で、ウェグナーがきょとんとしながらも、クスっと微笑む。
「お二方はとても仲がよろしいのですね」
ハンクスも俺も、ウェグナーの顔を見た途端に口を噤む。
「「……っ!!」」
「あれれ~? 隊長、顔が真っ赤っスよ?」
「……これは! 酒のせいで顔が赤いだけだ!」
たった1杯の酒で酔うものかっ!
ハンクスめ、余計なことを!
お前の方こそ顔を赤くしやがって……!
ダラス辺境領では野生の鹿や猪を見掛けなくなり、魔獣の肉をよく食していたと、ウェグナーが話してくれた。
至高が魔物避けの結界をダラス辺境領に張ってくれているお陰で、Bランク以下の魔獣は結界内に入れなくなり、私設騎士団の出動回数が激減したのだとか。
しかし、Aランク以上の魔獣は結界をものともせずに結界を破って入ってくるらしく、結界内に入ってきた魔獣の討伐は、魔力なしの私設騎士団だけでは討伐出来ず、毎回至高の魔術に頼らざるを得ない状況なのだという。
「高位レベルの魔獣の討伐は得物だけでは困難で、騎士たちも怪我が治りきらない内に討伐に参加しては怪我人や犠牲者が増える一方で、魔術師か魔法騎士を派遣して貰えるよう、お願いしに王国騎士団を訪ねたのですが───」
「たまたまその日が騎士団員の入隊試験の一次予選会の日で、試験官が入隊希望者と間違えてウェグナーを会場に入れてしまったと……」
その剣技の実技試験の会場には、俺も試験官として、あの場にいたのだ。
そういえば、あの時のウェグナーは───。
*
ウェグナーは開始の合図とともに、目にも留まらぬ速さで対戦相手である試験官の模擬剣を吹っ飛ばし、観ていた者たちの度肝を抜いた。
そして訓練場の中央に立つと、声高らかに叫んだ。
「魔法騎士か宮廷魔術師をダラス辺境領へ派遣頂きたくお願いに来ました!! よろしくお願いします!!」
訓練場の中央で深々と頭を下げるウェグナーに、試験会場は水を打ったように静まり返った。
「ダラス辺境だと!? 俺が行こう!」
その沈黙を破ったのは、宮廷魔術師団のカルロ・ハーデルヴァイドだった。