008 第三騎士隊ヴェリデウス・バートン 2
「オリバーの懸念事項はこちらでも何か策がないかを講じてみるとしよう。ところでハンクス、出来上がった調書を見せてみろ」
ハンクスに向けて手を出すと、ハンクスはこの部屋へ来た理由をたった今思い出したかのように、持っていた書類の束を俺の手の上にバサッと載せた。
俺は受け取った調書を一枚ずつ捲り、目で読み進めていく。
「調書の枚数が多いな。何があった?」
俺の手元をじっと見ていたオリバーが不意に尋ねた。調書へ視線を落としたまま、俺は返答する。
「ああ、久方ぶりに解決者が王都で仕事をしたようだ」
「なに!? 解決者だと!? それは確かか?」
オリバーが食い入り気味になる。
「……どうした? 何か因縁でもあるのか?」
冗談混じりに口にしたが、どうやらそういう雰囲気ではなさそうだ。
躊躇い気味にオリバーは口火を切った。
「ヴェリデは諜報部隊の『王国の影』を直接動かしているのは国王陛下だと知っているだろう?」
「ああ、王国騎士団にそれは周知されている。誰がとまでは判らずとも、他の者に混じって表向きの仕事をしながら諜報活動を行っている、と」
「──だが、『王国の影』は指示された命令以外で動くことはない。解決者は、陛下からの命令で動くこともあれば、自らの判断で動くようだ」
「……ははっ、そいつはかなり陛下からの信頼が厚い人物なんだな!」
一国の王からの信頼が厚いというのならば、解決者は国王陛下との年齢もあまり大差ないほどの人物……王弟のリチャード殿下は確か齢三十五だったか、そのくらいの歳の人物かもしれない。
「……そういえば、今回の捕り物は今朝方に被害報告のあった宝飾品店への窃盗団だったんだが、解決者らしき者は薄汚れた外套を羽織った金髪の男だったと犯人たちが自供している。そうだな? ハンクス」
「──は、はい! 外套を着た男は腰に帯剣をしていたそうっスが、一度たりとも剣を抜くことなく、犯人たちは体術のみで仕留められたとのことっス!」
「オリバー、俺も犯人たちが積み重なるように倒れていた現場に居合わせたのだが、人と人がすれ違うのがやっとの狭い路地だったんだ。長剣を振り回すことはまず不可能な場所だ」
オリバーはひと言も発することなく黙って俺たちの話に耳を傾けていた。
同期であるこの男との付き合いはそれなりに長くなってきたが、未だにこちらが理解できない行動をする時がある。
それが如実に現れたのは、約一年前に起こったオリバーの末妹のルナリア嬢とエリクフォード第二王子殿下との婚約破棄騒動だ。
オリバーが自身の妹たち、特に末妹のルナリア嬢を溺愛しているのは王宮に勤める者なら誰しもが周知の事実であった。
俺も一度だけ彼女の姿を見かけたことがあったが、可憐な見た目の中に年齢相当の可愛らしさを持った少女は、男たちをひと目で虜にし魅了した。
俺自身も年甲斐もなく、彼女に魅了されてしまった内のひとりだ。
だが、第二王子殿下の婚約者だと分かれば大抵は諦めるものだが、中にはしぶとくルナリア嬢を是非とも妻にしたいと近づき、食い下がる独身の貴族令息たちも存在していた。その者たちには例外なく鉄壁のロイヤルガードが発動し、彼女に不埒な行いをしようものならば、翌日には粛清されていたようである。
噂ではオリバーがその実権を握っていたと囁かれていたが、あくまでも噂の域を出ない。
そのように大事にされていた彼女が第二王子殿下との婚約破棄を国王陛下へ嘆願した翌日に、オリバーはあれ程まで溺愛していたルナリア嬢を家から放り出し、即時に貴族籍から除籍し平民へ叩き落としたのだ。
寝耳に水の溺愛からの追放劇は、王都の貴族たちの誰もが知るところとなる。
この件でオリバーを『冷酷だ』『血も涙も無いのか』と批判する貴族たちがいる一方で、一部の主に貴族家の当主たちからは賞賛の声が挙がった。
こうしてオリバーはデルカモンド侯爵家の次期当主としての地位が確固となったのである。
「ハンクス、宝飾品店の関係者を呼んで、犯人たちが持っていた宝石やアクセサリーが盗難の被害に遭った物と同一の品なのか、照合を進めてくれ。何にしろ被害総額およそ七百万ディルだからな」
「──はっ!」
ハンクスは俺とオリバーに向けて一礼をすると、執務室から退室していった。
俺はティーポットを持ち上げると、ポットに残っていた冷めたお茶をオリバーのカップに注ぎ足す。
「……ルシウス・ウェグナーだったか……? 考えたんだが、確かキザス皇国の国民の大半はアステナ教の信者だろう? アステナ教では四足の動物の肉を食べないと聞いたことがある。ルシウス・ウェグナーに四足動物の肉を食べさせて、拒否したり嫌がればキザス皇国の者ではないのか?」
「なるほど」
口に片手を当てたまま、オリバーは視線を脚に落としたままだ。
「駄目だったか?」
「いや、その案でいこう。早速今夜にでも実行に移して欲しいのだが、頼めるか?」
「何を?」
「ヴェリデがルシウス・ウェグナーを食事に誘い、四足動物の料理を食するかどうかを確認してくれないか? 食事代は出す」
「オリバーが行かないのか?」
「俺は忙しい」
「俺も忙しいわっ!」
「試験監督の俺が一受験者を特別扱いしているだのとあらぬ誤解を受ける可能性がある!」
「騎士団隊長の俺も立場はオリバーと同じだろ!」
「いいや! ヴェリデは直接試験には関わっていない。俺とは違う」
「…………」
あ゛ーーっ! もう! 埒があかない!
オリバーはこうと決めたら梃子でも動かない頑固な所がある。
こりゃあ、オリバーの一存で追い出されたルナリア嬢も、きっとこんな感じだったのだろう。ルナリア嬢に酷く同情するぞ、俺は。
片手で頭をがしがしと掻く。
「──分かった。ルシウス・ウェグナーと食事に行って確かめてきてやる」
「おう! それでこそヴェリデだ! これは軍資金だ。ルシウス・ウェグナーには18時に城門前で待つように伝えておく」
機嫌を良くしたオリバーは懐から二千ディル分の貨幣を出すとテーブルの上に置き、ソファーから立ち上がった。
そうして「長々と邪魔したな」と言い、部屋から出ていった。
18時と言ったか?
時計を見ると、すでに17時20分を過ぎている。
「猶予は与えてくれないんだな、オリバーめ……!」
「バートン隊長!! 聞いてくださいよー!!」
「──ハンクス! ノックをしろと……」
ノックもせずに執務室へ入ってくる部下を叱責しようとして、ハンクスも食事の席に連れていこうという思考がチラと入った。
「いや……ハンクス、この後だが俺と飯に行かないか? もちろん俺の奢りだ」
〝奢り〟と言ったらハンクスの目の色が変わったのを瞬時に感じとる。
こいつは本当に侯爵家のご子息様なのだろうか?
「四本足の動物の肉料理が旨い店を知らないか?」
「それなら断然『野兎亭』っス!」
「場所はどこにある?」
「城下町の噴水広場から五分もしない所っスよ」
「じゃあそこへ行くから案内しろ! それから、もうひとり連れていく。着替えたら城門前に集合だ」
ハンクスを部屋から追い出し、執務室を施錠する。急いで寮の自室へ戻り、私服に着替え帯剣すると、先ほど必死に上ってきた階段を下りた。
個室が役職付きの特権なのは分かるが、毎日最上階まで脚力を鍛えさせられるのは勘弁して欲しい。特に仕事帰りのくたくたの身体に鞭打って五階まで階段を上らされるのは拷問以外の何者でもない。
城門前に到着すると、私服姿のハンクスと外套のフードで顔を隠した男が居ることを確認してから、外套を着た男の方に接近する。
「君がルシウス・ウェグナーか?」
俺の呼び掛けに顔を上げた男は、男の俺でさえも見惚れるほどの美男子面をフードで隠していたのだと知る。
これは……変な虫が湧く……確実に。
俺の姿に気づき、ハンクスも俺の元へやってくる。
「俺は王国騎士団第三騎士隊のヴェリデウス・バートン。俺のことはバートンと呼んでくれ。こちらの男は部下のハンクス・ランジェットだ」
「ハンクス・ランジェットっス! ハンクスって呼んでくださいっス」
「ルシウス・ウェグナーと申します。バートンさん、ハンクスさん、今宵はお世話になります」
胸に手を当て、俺に会釈するルシウス・ウェグナーの姿は、とても平民出身の男には見えなかった。