028 初めての護衛任務 7
「……リア、気がついたのか?」
私の耳にジルフォード王太子殿下の馴染んだ声が心地よく溶け込む。
寝惚け眼のまま寝台で身体を起こすと、ジルに「まだ大人しく寝ていろ!」とデコピンされた。
「え? 私、まさか気を失ってた……? ここ、ジルの部屋?」
騎士服を脱がされ、私は寝間着に着せ替えられていた。
「よく分かったな。ここは俺の執務室の隣の仮眠室だ。今は夕刻だ。肋骨が折れていたそうだ。先ほどまで神官が治癒魔法を施していたから身体の損傷は治っている。それと……」
ジルは胸の前で腕を組みながら、落ち着いた口調で私に説明する。
「ローレンスはルナリアである、お前の負傷した姿に酷く動揺していたな。ルシウスがお前だったとは一切気づかなかったようだ」
「その言い方はまるで……ジルは、ルシウスが私だってことを気づいていたの?」
(あっ! そういえば腕輪の魔石が壊れて……)
咄嗟に左腕を上げるが、手首には腕輪がなかった。
「あれ……? どこ? まさか落とした!?」
上掛けを捲るなり、寝具の上を目を皿にして探そうとしたところ、ジルに上掛けを戻される。
「お前が着けていた金の装身具なら、朱の髪色の男が『直してまた持ってくる』と言って、手首から外して持っていった。あの男は誰なんだ?」
レアリーニが修理で持ち帰ったと聞いて、ほうっと胸を撫で下ろす。
「あれは誰だ、と訊いている! まさか、恋人なのか!?」
ジルが声を荒らげ、不機嫌さを露にする。
「……恋人なんていないわよ! エリクフォードじゃあるまいし! レアリーニはダラス辺境に住む魔法使いよ。〝至高〟と言ったら分かってもらえるかしら?」
「あれが〝至高〟だと? 生きていたら結構な高齢の筈だが?」
「……え? 何歳くらい?」
そういえば、初めてレアリーニに会った時、クラウディオが私に師匠の年齢を教えようとして、レアリーニに黒猫にさせられていたわ。
確か───。
「二百五十歳くらいじゃないか?」
「にひゃくごじゅ……!? 何かの間違いじゃ……?」
「永く生きながらえているのは魔族の末裔だとか秘薬を飲んでいるからと云われているが、その辺は本人に訊いてみてくれ。俺もそこまで詳しくは知らん。そうか、あの男が〝至高〟なのか」
ジルの顔がみるみるうちに険がとれて軟化していく。
「ティアナの部屋で騎士服姿のお前を初めて見た時、ティアナがお前をルシウスと呼んでいて俺は混乱した。周りの動向を窺うと、どうやら俺だけがルナリアに見えていると分かって、ずっと黙っていた。また逢えて嬉しいよ、リア」
そう言うと、ジルは寝台の端に腰掛け、私の髪を触った。
「髪、長かったのに随分と短く切ってしまったのだな」
「これでも肩にかかるくらいには伸びたのよ? 剣術をするには長い髪は邪魔だもの」
「リア……お前は本当に強いな。この度はご苦労だった。オオムカデは過去に王都に被害をもたらしたこともある。それを二体も仕留めたんだ、誇ってもいいぞ」
私の髪を触っていたジルの手は、私の頭を優しく撫でる。
「二体?」
「三等分に斬られた黒褐色の個体と、お前の折れた刀身が刺さったまま頭を割られて絶命していた赤褐色の個体、だろう? 調査は大方済んでいる」
「私の剣が刺さっていたムカデは死んでいた、のね?」
「ああ」
ジルが頷き、肯定する。
(私を弾き跳ばしたのは、最期の力を振り絞って……本当に間一髪だったのかもしれない……)
自分の甘さが我が身に返ってきたのだ。認めなければならない。自分は、まだまだ取るに足りないのだということを───。
「それから、お前と同じグループの重傷を負った二人も無事だ」
「ブレンダンとアレンが……よかった、無事で……」
二人の無事を知り、安堵からじわりと瞳が潤んだ。
「今回の件はオリバーにも報告しているが、ルシウスがリアだと知るのは俺とローレンスだけだ。そのことについてローレンスには箝口令を敷いてある」
「オリバーお兄様にも……」
「実兄のオリバーにもルシウス・ウェグナーはルナリアだと教えた方がよかったのか?」
力を込めてぶんぶんと頭を横に振る。
「気遣ってもらえて嬉しいわ、ジル。オリバーお兄様の力が無くても、私はひとりでやっていけるんだって証明したいの! だから、暫くはこのまま黙って見守っていてくれるのなら助かるわ」
「……そうか」
ジルが私を慈悲を込めたような目で見つめる。
「私にとってジルは、年の近いお兄様だと思っているのよ」
「え゛?」
「ジルを本当のお兄様みたいに思っているわ」
何故かジルが、座っていた姿勢を固持したまま、背中からバタリと床の上に倒れた。
「ジル! どうしたの!? 大丈夫?」
「……お前は、時に残酷だ……」
床に寝転がったまま、ジルは袖口で目元を隠し、訳が分からないことを言う。
のろのろと床から立ち上がったジルは、晩餐をこの部屋へ持ってきてくれると言い残し、執務室へ戻っていった。
「一体どうしたのかしら……?」
「───鈍いお前には男心など分からんのだろう」
「……この声、レアリーニ? どこにいるの?」
目の前の視界がチカっと光り、瞬きをした次の瞬間には、先ほどジルが出ていった扉の前にレアリーニが立っていた。
「ちょっと! 私が鈍いってどういうことよ!?」
「お前は頭脳も剣術も優れているが、人の心の機微には恐ろしいほどに愚鈍過ぎる」
何故かレアリーニは、私に残念な子を見るような目を向けては憐れむ。
「……もしかして、もう直ったの?」
レアリーニの口角の端が上がる。
「私を誰だと思っているのだ? 大魔法使い様だぞ! 魔核の調達が遅れただけだ」
「魔核?」
「お前たちは討伐した魔物から取り出した核を魔石と呼ぶが、生きている間は魔核が生命を司る。人間の心臓の役割と同じだ。ちょうど都合よくお前がムカデを二匹仕留めたからな、在庫も確保できた」
レアリーニが指をパチンと鳴らすと、私の左手首に金の腕輪が装着された。
「……わっ!」
(でも、よく考えてみれば、この腕輪の魔石って元はあのムカデの魔物の核だったって……)
背中に虫が這ったかのような気分になり、ゾワリとする。
「? どうした?」
「いえ、ナンデモゴザイマセン」
「そうか、では私は帰るからな」
「ありがとう、レアリーニ」
その瞬間、空間が裂け、レアリーニはその空間の裂け目に入り、そして消え失せた。
部屋に、元の静寂だけが戻る。
「『寝ていろ』って言われたけど、退屈しのぎに本でも置いていってくれてもいいのに、何もすることがないのはさすがにね……」
この部屋を見回しても、寝台以外に家具は置かれていない。本当に仮眠するだけの部屋なのだ。
あまりにも退屈で、もぞもぞと寝台から降りて靴を履く。
「さすが、王宮お抱えの神官は治癒能力が高いのね。背中と腰に痛みがあったのに、もう何処も痛くない……」
いつまでも寝ているのは性分に合わない。
この部屋から出て、執務室のジルの手伝いでもさせてもらおうと思った。
先ほどジルが出ていった扉を開けると、執務室ではなく、明かりもない真っ直ぐに延びた通路になっている。よく目を凝らして見ると、奥に扉が見える。その扉に向かって進み、扉にコンコンコンとノックした。
てっきり中から「どうぞ」とでも返事が来るのを期待したが、その思惑は即座に裏切られる。
扉が突然に開け放たれ、目の前に立っていたのは、かつての私の婚約者だったエリクフォード第二王子殿下、その人だった。
「エ、エリクフォード……」
「──ここで何をしている? この部屋が王太子殿下の執務室と知ってのことか!?」
(しまった! 今の私は〝ルシウス〟だった!)
エリクフォードの腰に帯剣している剣が抜かれ、切っ先を喉元に突きつけられた。丸腰の私には為す術がない。
「エリク! 剣を収めろ!」
「しかしながら兄上……!」
エリクフォードがジルの方へ顔を向けた瞬間、エリクフォードの剣を持つ手を、力の限り蹴り上げた。
「あ……っ!!」
エリクフォードの手から離れた剣は、真上の天井にドスッと突き刺さった。
「エリク、俺がその部屋に匿ったんだ。説明が足りなかったな……」
ジルが深い溜め息を吐きながら、片手で額を押さえる。
「ティアナを蔑ろにして、ティアナのお気に入りの男娼を側に置くとは聞いたが……女よりもその男がいいのか、兄上!」
「男…娼……?」
(それって、私のことを言ってるの?)
「待て、エリク……そもそもティアナは両国の和平のために王命で結婚したに過ぎない。それからルシウスは男娼ではなく新人の騎士だ、勘違いするな!」
「兄上の仮眠室から寝間着姿で出てきたのを何をどう弁明するつもりなの、兄上?」
エリクフォードに言われて、改めて自分の装いがこの場にそぐわないものであったと、自分の行動の認識の甘さを実感する。
「エリクフォード殿下! 畏れながら発言の許可を戴けますでしょうか!」
声を上げたのは、執務室に控えていたローレンだ。
「兄上の護衛騎士のローレンス・フロンターレか……発言を認める」
「ありがとうございます。ルシウスは本日午前中の〝帰還の森〟での演習にて魔物との戦闘で負傷したので、ルシウスの上司である私が殿下の指示でこの部屋へ運び入れました」
「──何故、他の者と同じように医務室ではないんだ、兄上?」
「ああ、ルシウスは城のメイドたちからも麗しいと注目の的だ。身動ぎ出来ないルシウスが襲われたり治療に支障があっては困るからな」
「現に動いているじゃないか」
エリクフォードは私を物であるかのように指を差す。
「先ほど神官に治癒してもらったばかりだ」
「ふうん……確かに、眉目秀麗だな」
何故かエリクフォードが私の顔を間近でじろじろと、舐めるように観察する。
「初めて見る顔……なのに、既視感があるのは何故なんだ?」
エリクフォードの指摘に身体中に冷や汗が流れ、心拍数が跳ね上がる。
その時、執務室の扉が数回ノックされた。
「失礼致します。こちらにエリクフォード第二王子殿下はお見えでしょうか?」
「来ている。何の用件だ?」
ジルが言伝にやって来た侍従に端的に返した。
「リチャード王弟殿下がお呼びしております。至急、お戻りください」
「叔父上が? すぐ行く。兄上、今夜の晩餐の時にまた」
エリクフォードは一瞬で私への興味を失い、踵を返して慌てて退室していった。




