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024 初めての護衛任務 3

 

 ───その日の夜。

 シャワーを借りるために男子寮の最上階のバートン隊長の部屋を訪ねた私は、湯上がり後に配属二日目に起こった出来事をバートン隊長にお話しした。

 但し、ティアナに迫られて口づけされたことまでは喋っていない。私の沽券に関わるものだから、あの場に居た誰かが漏らさない限り、秘密は守られる筈……だと信じたい。


「──それで? 来週末の狩猟大会に出ることになったのか?」

「はい、不本意ながら……」

 外した腕輪(リング)をテーブルに置き、バートン隊長が淹れてくれたお茶を二人で飲みながら就寝前の夜のひとときを過ごす。私がこの男子寮への入寮が決まり、入室から早くも今日で五日目。入寮してからの新たな日課になりつつある。

「あー……弓なら俺が教えてもいいが……入隊するまでは時々、父親と領地の森で弓矢や小銃で狩猟していたから腕は確かだ」

「本当ですかっ!? 是非ともご指導をお願いします!」

 小銃と呼ばれる魔石を原動力に魔力波を放つ銃も、狩猟や対魔獣用として貴族や冒険者の間で普及してきたとは云え、まだまだ高額で贅沢品でもある。狩猟大会では公平性を保つことを目的に、弓矢以外は大会での使用を禁じている。

「剣の腕前は君には敵わないのに、ルナリア嬢に弓の指導ができるなんて光栄だよ」

 バートン隊長は目を細めて優しく微笑む。

「あの、バートン隊長……わたくしはもう貴族家の令嬢ではありませんので、敬称や令嬢呼びはせずに〝ルナ〟とお呼びください」

 バートン隊長の顔が、見る間に赤くなる。

(あまりにも不躾なお願いだったかしら……?)

「ん゛ん゛! 失礼、そのような申し出を女性から受けたのは初めてのことで……その……」

 軽く咳払いをしながら、バートン隊長は私から目線を外した。

「あっ、ご、ごめんなさい! 今まで通りの呼び方で結構です」

「いや、愛称呼びを許可されたのだから遠慮なく呼ばせてもらうよ」

「……え?」

「ルナ」

 バートン隊長の琥珀色をした瞳は、私の瞳を真っ直ぐに見つめていた。私の名前を愛称で呼ぶ、低いけれど耳に心地よく響く彼の声。それを意識した途端に私の体温が一気に急上昇し、不覚にも片方の鼻から血がたらりと流れた。テーブルに赤黒い血が一滴落ちて、小さな真円を描く。

「……あ……」

「ルナ! 血が……!」

 バートン隊長がさっと席を立ち、ナイトテーブルに置かれた白いハンカチを手にすると空いた方の手で私の顎を掴み、ハンカチで私の鼻の下を軽く押し当てた。

「動かないで、じっとして」

(──お顔が、近い……!!)

 真剣な面差しのバートン隊長の顔つきに、胸がキュンと高鳴る。

(私……一体どうしちゃったの……!?)

 バートン隊長を見ると変に高揚して胸がざわつく。自分のことなのに自分がわからなくなる。

 程なくして出血は止まり、白いハンカチは私の鼻血で赤く染まった。

「ハンカチを駄目にしてしまったので新しいハンカチを買ってお返しします!」

「それほど重く受け取らなくていい。たかがハンカチだ」

「でも……」

「取り敢えずハンカチのことは今一度忘れてもらいたい。今度二人で鍛冶屋通り(ディールレーン)の武器屋で君に合った弓を買いに行かないか? 今から見繕うと今回の狩猟大会には間に合わないが、今後のためにもきっと必要になる筈だ」

 爽やかに微笑んだバートン隊長の口から、綺麗に並んだ白い歯がちらと覗く。

(それってもしかして、巷でいうところの恋人同士がするデート(、、、)では……? でも、そもそも恋人同士の買い物で武器屋に行くものなのかしら……?)

 頭の中に一瞬浮かんだ疑問を『〝ルナリア〟ではなく〝ルシウス〟として誘われた』のだと考えを改め、頭を横に振って浮ついた気持ちを追い出す。

「城下町の武器屋でしたら仕事終わりに隊服のままで向かえますね!」

「……ルナ、そうじゃないんだ……」

 私の言葉にバートン隊長はガックリと肩を落とした。

(あら? 急に不機嫌さが(あらわ)になったわ)

「大丈夫です。バートン隊長がまさか両刀使いだなんて、誰にも告げませんから」

「違う、そうじゃない! そうじゃないんだ……!」

 バートン隊長は空を仰いで両手で頭を抱えてしまった。

「そ、そろそろ部屋に戻りますね」

 気まずくなり、テーブルに置いた腕輪(リング)を掴み、手首に嵌める。瞬時に〝ルナリア〟から〝ルシウス〟に姿を変えた私を眺めながら、彼は言った。

「……明日の早朝、隊服に着替えたら訓練場へ六時半に集合な。本番まで日がないから、これから毎朝、俺が弓の扱い方や基礎を教える。その後、一緒に朝食をとろうか」

「はい! おやすみなさい」

 例え彼が両刀使いであっても、私は気にしない。

 顔が緩みそうになるのを必死で(こら)え、平静を装ったつもりだけれど、声音の違いで動揺していたことを気づかれたかもしれない。


 三階の自分の部屋に戻ると、小さな窓から射し込む月灯りだけの薄闇の中、同室のブレンダンは寝台の天井に取り付けられたカーテンを閉めず、仰向けで両手足を大きく伸ばした姿で高いびきをかいていた。

 自身の寝台の端に腰掛け、先ほどまでのバートン隊長との会話を反芻しては、顔を赤面させる。

(明日の朝から当分の間、バートン隊長直々の個別指導……って、ナニソレ!? バートン隊長の一日の始まりと終わりを私が独占してもいいの!?)

 握っていた左手の拳をそっと開く。私の鼻血で赤く染まったハンカチが手の中にあった。

(つい持ってきてしまったわ。汚れが落ちるかしら……?)


 その時、コツンと部屋の窓に何かが当たる音がした。窓に近づくと、部屋の外に真っ白な鳥がこちらの様子を伺うように窓の棧に佇んでいる。上げ下げ式の窓を開け、白い鳥を部屋の中に招き入れると、鳥は瞬く間に一枚の白い便箋に早変わりした。

 ───依頼人(、、、)からの〝仕事〟だ。

 第二王子の婚約者だった頃から、度々このような形態の〝依頼書〟が私宛てに届くようになった。

 内容は、公にはしにくい犯罪者の生け捕りを目的とするものが主になる。

 依頼内容を完遂させると、デルカモンド家が取引している銀行の私の個人口座に『レックス商会』という名義で報酬が振り込まれる。しかしながら、レックス商会はセルディア王国や近隣諸国にも存在しない架空の商会なのは調査済みだ。

 レックス商会はどうやって私の個人口座を知り得たのか?

 デルカモンド家の取引先の銀行をお父様が漏らしたというのだろうか?

 それとも、銀行の機密情報を扱う上層部の役員が顧客情報を漏洩させた?

 取引銀行のオーナーは、シュヴァルツ男爵───地方の領主だが、以前から宮廷入りを狙う野心家だと囁かれている……。


『狩猟大会当日、

国王陛下と王太子殿下の御身をお護りせよ』


 依頼内容は過去の依頼とは打って代わり、この国の要人を護れという、人生初となる護衛任務だった。

 依頼主が王家簒奪を企む革新派ではなく王権派だと分かっただけで、少なからず私は安心していた。デルカモンド家は王家への忠義を尽くしている家系のため、私が反王権派からの依頼を受けて反旗を(ひるがえ)したと思われようものならば、一族諸共(もろとも)一家断絶は免れない。

(───依頼人は、誰なの……?)



 *



 翌朝、六時半頃に隊服を着て訓練場へ赴くと、標的台を前に弓を携えたバートン隊長の姿がそこにあった。

「遅かったな」

「すみません! 朝早くに王城入りすることを門番兵に怪しまれて詰所で尋問されていました」

「っ……! そうか、俺が先に門番へ話を通しておくべきだったのに悪かった」

 ばつが悪そうな顔を浮かべたバートン隊長にかける言葉を失い、引け目を感じる。

「…………」

「───時間もないからさっさとやるぞ」

 バートン隊長は標的台から三十メートル程の距離をとると、弓を引いた瞬間に矢を放った。

 ───ビュッ! ドスッ!

 その場の空気を切り裂くかのようにぐんと飛び出した矢は、標的の中心を僅かに斜め右下へ逸れた場所に突き刺さっていた。

「……鮮やかです」

 姿勢の美しさや正確さに感銘を受けて、感嘆の溜め息を吐く。

「久方ぶりだから流石に腕が(なま)ってしまったみたいだ。これぐらいは褒められたものじゃない」

 矢が中心に当たらなかった不服さを、彼は不満げに露骨に口にした。


 バートン隊長の弓を借り、まずは基本の立ち姿勢から教わる。

「足を肩幅と同じくらいに開いて……そうだ。弓を持つ腕は脇を軽くしめて、弓を顔の横に持ってくる。顔は弓を構えたまま、的に向けて真っ直ぐに見ろ。そうすると自ずと射るべき道筋が見える筈だ」

「……道筋?」

「剣術に長けていれば自然に備わっているだろう? それさえ分かれば、後は弦に掛けた矢を軽く摘まむように持ちつつ弓弦を強く引いて放つだけだ」

「そんな簡単なことでは……」

 言われた通りに足を肩幅に合わせて開き、弓を顔の横に持ってきて顔を的のある方へ向いた。

(矢の……道筋……?)

 目を閉じて、先ほどのバートン隊長の流れるような構えを思い浮かべ、動作を重ねる。

「確か、こう……」

 弦に掛けた矢を摘まみながら弓弦を引くと、ぎしりと軋みながら弾力の重みが増す。

(……重い! それをバートン隊長は軽々と……!)

 限界まで胸を開くように弦を引いた時、バートン隊長が叫声を発した。

「そこだ! 討て!!」

 彼の声でハッと我に返り、強く引いていた腕の位置をピタリと止めた瞬間、緩んだ指先から矢と弦が消え失せた。

 ───バシュッ! ドォーーン!!


「……は……?」

「……え?」

 矢は的の中心ではないが、先ほどのバートン隊長の射た矢よりも中心に近い位置にめり込み、縦に割れた的板の半分がゴトリと落下する。

 私が放った一射だけで、拳ひとつ分の厚さの的板を真っ二つに割ってしまっていたのだった。

 隣に立つバートン隊長の顔からは、当然ながら余裕そうな笑みが消え、今は引きつった笑顔を浮かべている。

「……どうやら俺はウェグナーの力量を見誤っていたようだ……」

「こ、これはですね……バートン隊長の指示が的確だったからですよ……!?」

「ウェグナー、壊した的板はお前の給金から天引きだ。流石に俺は庇ってやれん」

「そんなーー!」

「考えてみろ、矢の貫通した鹿やら兎を料理して旨いと思うか? 上質な獣の革が手に入るのか? 傷をつけるのは致命傷になる部分だけでいいんだ」

「──なるほど」

 バートン隊長の言葉は、極自然に私の中へストンと落ちてきた。これが〝腑に落ちる〟ということなのだろう。


 その後、的板が半分に欠けた標的台は百メートル以上離れた位置に移動され、バートン隊長の指導の元、朝食が始まる七時半頃までひたすら矢を的に向けて放ち続けた。

 いつの間にか私たちの訓練の様子を見物に来た騎士たちや城のメイドたちで訓練場のギャラリーが埋まっていたと気づき、そこで訓練を切り上げることにしたのが七時半だったのだが。

 まさかバートン隊長が周りへの牽制のため、訓練の時間を早めに切り上げたのだという事実に、私は知る由もなかったのである。


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