021 ディアルド・デルカモンド侯爵
◇ ◇ ◇
「やり過ぎだっ!!」
執務室で書類仕事をしていると、壁を隔てた隣の談話室から長男のオリバーの怒鳴る声が響き渡る。
「一体何事だ……」
執務机からのっそりと立ち上がり、隣の談話室へ移動すると、息子の剣幕におろおろする我が妻の前でオリバーが末娘のルナリアを叱責している。
「どうしてルナリアを叱っているのか私に説明しなさい、オリバー」
「父上!」
オリバーは私に身体を向けると、怒りの矛先を私に向けた。
「何故ルナリアを王妃のお茶会に出席させたのですか!? 今日のお茶会は第二王子が婚約者を選ぶために開かれたものだということぐらい、父上だってご存知だった筈でしょう!?」
「──はあ……仕方なかったんだ。王家からルナリアを名指しで招待された以上、病気でもなければ拒否は出来ない」
我が妻、アウローラをベンチタイプの長ソファに座らせ、その隣に腰を下ろす。
「話を戻すが、何故ルナリアを叱責している? 何があったのか答えなさい。オリバー?」
口ごもったオリバーは、話す言葉を慎重に選びながら私に説明する。
「……お茶会の最中、城の庭園に他国の間諜に侵入され、ルナリアが秘密裏に仕留めたそうです。俺がそれを知ったのは犯人たちが小柄な少女にやられたと口を割ったからで、その……ルナリアは〝身体強化〟を使ったらしく犯人たちの両膝と大腿骨を破壊したのです! そんなことより!! ルナリアの隠しきれないかわいらしさが、よりにもよって第二王子の目に留まって婚約者に内定してしまったのです!! これは由々しき事態ですよ、父上!!」
私に似て、屈強で上背もある我が家の長男オリバーは、顔を真っ赤にして涙目になり、興奮状態から冷めやらない。
その姿を、私たち夫婦は呆れてポカンと眺める。
「──褒めることはあれど、どこに叱責せねばならんことがあるんだ? ルナリア、ここへおいで。よくやったな」
オリバーに頭ごなしに叱られ、萎縮していたルナリアを呼び寄せると、途端に小さな花が咲いたように末娘の顔が綻ぶ。
「でもね、ルナリア。あなたはもう淑女なのだから、ドレスを着ている時はお淑やかにしなさい。お茶会へ着ていったドレスは土埃だらけで、洗濯メイドが『汚れが落ちない』って嘆いていたそうよ」
妻の言葉にルナリアはしゅんとしおらしくなり「ごめんなさい」と呟く。
「父上っ!! 〝身体強化〟は我がデルカモンド家の秘匿の術ではなかったのですか!? 世間に知られては……!」
「オリバー!!」
私の一喝にオリバーは口を噤む。
「この技が使えるのはデルカモンド家だけではない。騎士家系のシュレイツ家とトルナリス家も元を辿れば同じ家門の出であるから発現する可能性はある。私の代で、たまたまお前とルナリアの二人に適性があっただけで、他家を入れても過去約五十年もの間に〝身体強化〟を会得できた者はいなかったのだ。知られることはない」
私自身も会得することが叶わなかった究極の体術が、まさか息子だけでなく末娘のルナリアにも発現するのは、まったく予想外の出来事だった。
確かに、この国では六歳になると神殿にて魔力測定が行われ、この二人には『魔力なし』と判定されていた。
他家では『魔力なし』ならば他の家族から疎まれたり、蔑まれ、使用人と同様の扱いを受けると聞かされるが、我がデルカモンド家は違う。
『魔力なし』こそが〝身体強化〟を発現する可能性を秘めていると伝承しており、御先祖様が体術について書き遺された書物にも、そのことは必須条件として最初の項に記述されている。
「───そもそも、〝身体強化〟を使用して対峙した敵に逃げられないよう逃走手段を絶つという教えの通りに実践したのは初めてだったから、力加減がわからなかったのだろう?」
ルナリアの力強い瞳を見ながら諭すと、娘は無言のまま大きく頷く。
「ルナリア、次はもう少し手加減して殺りなさい」
「はい、お父様」
私の言葉の真意に気づかなかった娘だけが瞳を輝かせて私を見るが、オリバーは顔面蒼白になっている。隣に座るアウローラもどうやら娘と同類のようで、周りの張り詰めた空気に気づかず、娘を微笑ましく見ている。
「旦那様、その発言は些か不穏でございます。気づいていらっしゃったのは坊っちゃんだけでございますよ」
最初からこの部屋での動向を見守っていた家令のサントスが苦言を呈する。
「……ふむ、ルナリアにはこれから社交の上での貴族の会話にも慣れないとだな……第二王子の婚約者になることだし。昨日のお茶会で同性の友達はできたのか?」
できるだけやんわりとした口調を心掛けたつもりだったが、ルナリアは私から目を逸らし俯くと、ふるふると頭を左右に振った。
「王立中央貴族学院への入学を来年ではなく、来月から始まる社交シーズンに合わせて一年前倒しで入学させてはどうかしら? サントス、ルナリアの学業の習熟度は如何ほど?」
「お嬢様は年齢相応の学習は履修済みと家庭教師から伺っております」
「そう、なら問題ないわね。サントス、ルナリアの王立中央貴族学院への入学手続きをお願いできるかしら?」
「かしこまりました」
「それから──」
座ったままのアウローラがふらりとよろめき、私は妻の身体を抱き留めると自分の方へ引き寄せた。
「アウローラ、無理をするな」
「お母様……!」
「母上!」
オリバーもアウローラの傍へ駆け寄る。
「ごめんなさい。あなたたちにまで心配させてしまって……」
アウローラは六年前の事件の時から心身に不調をきたすようになった。彼女はガラスの如く繊細な心を粉々に打ち砕かれるほどの深い悲しみを背負ったままであり、私はその憂いを取り除けないでいる。
何より、この陰惨な事件は未だ解決には至っていないのだ。
「奥様、お部屋の支度が整っております」
侍女がアウローラに告げる。アウローラは侍女に手を引かれ、就寝のために挨拶もそこそこに談話室を後にした。
入れ替わるように年若い執事が談話室を訪れ、サントスへ何事かを耳打ちし、一通の封筒を手渡す。
「旦那様、先ほど王家からの遣いの者が『至急開封せよ』と手紙をお持ちになられました」
サントスから渡された手紙の封には、王家の紋章の封蝋が施されている。
その場で開封し、中身を検める。
「父上、手紙にはなんと……?」
「明日、登城して午前十時に謁見の間に来るように、とのことだ」
「父上だけ、ですか?」
「……いや、『息女のルナリアを同伴させよ』と書いてある」
便箋の最後には陛下の手書きの署名と玉璽が捺されている。間違いなく本物だ。
「ルナリア、婚姻する相手が第二王子で本当にいいのか? お前は昔からローレンのことが───」
「お、お兄様……!?」
オリバーがローレンスの名前を出した途端に娘はあわてふためき、顔と耳が真っ赤に染まる。
そうか……ルナリアはまだまだ幼いと思っていたが……いつの間にか親の私の知らない顔をするようになったのか……。
つうと頬に熱いものが伝う。
「……お父様!? どうなさったのですか!?」
私は堪らず愛娘のルナリアを抱きしめた。
「い…行ぐな…嫁になど…行がなぐでもいい……」
「ええ゛……!? お父様……?」
「ルナリア、俺も父上に同意だ! お前はこの家に残っても構わない! お前ひとりくらいを養うことなぞ造作もない」
オリバーも私の上からルナリアに抱きつく。
「お兄様はわたくしのことよりも、ご自身の結婚相手を早く見つけてください!!」
ルナリアの言葉に、私の目から溢れる涙の供給がピタリと止む。ハッとしてオリバーを睨むと、私の視線に気づいたオリバーは咄嗟に目を泳がせた。
「……オリバー、私は今のお前の歳にはアウローラと婚約していたのだぞ。この家を継がぬつもりなのか?」
「マーガレットかローズマリーの子を養子に迎えます」
「戯け者が!! 二十五歳までにお前自身の子を成せぬなら次期当主の座は私の甥のサーヴィンに継がせる!」
私が一喝すると、オリバーは直ちに真っ向から歯向かう姿勢を見せる。
「父上……!? 婚約者がいない俺に五年弱で相手を見つけて結婚して子を作れというのですか!? 無理です! 時間が足りません!」
「知っておるぞ、オリバー。私はこれでも役職付きの中央貴族なんだ。息子の醜聞くらいは王宮で耳にする。どれほど麗しい令嬢が擦り寄っても袖にしている、とな!」
「しかしながら、ご令嬢を無下に扱ったつもりはなく、まったく身に覚えがないのですが───」
息子の言葉に、私は暫し呆気にとられた。
まさか自分の息子がここまで色恋に興味がない、剣術馬鹿だとは思わなかった……。
(──待て、これは由々しき問題だぞ、ディアルド!!)
オリバーにとっては厳しいであろうが、とあることを課すことにした。
「オリバー、今年の社交シーズンの間に開催されるパーティーに皆出席の上で生涯添い遂げられると思える相手を決めて婚約するんだ! いいか? これはデルカモンド家当主としての命令だ!!」
私は今まで息子だからと、オリバーを甘やかしていたのだろう。時には厳しくしなければならない。
それが今、この時なのだ。
たとえオリバーが泡を食って白目を剥いていたとしても───。




