020 第二王子エリクフォード・セルディア 2
その日の夜、晩餐の席に国王である父上と兄上の姿が無く、俺は上皇后の祖母と母上の三人だけで食事をとった。居心地は決して良いものではない。
「エリクフォード、やっとお相手を決めたそうね」
祖母から鋭い眼光を向けられる。
先王だった祖父が亡くなったとは云えど、上皇后としての威厳は未だに衰えず、母上も祖母には強く出られない。
「お義母様、デルカモンド侯爵家のルナリア嬢ですわ」
「デルカモンド家……? 騎士家系じゃないの。宰相の娘は駄目だったのかい?」
祖母からの問いかけに返事をせず、料理の皿だけを見つめ、無言で料理を片っ端から口に運んでは平らげていく。
「エリクフォード! 聞いてるのかい!?」
祖母のキンキンと耳に響くような荒らげた声にうんざりとしながら手に持っていたカトラリーを置き、テーブルナプキンで口を拭ってから吐き捨てるように告げた。
「宰相の娘のロアンヌ嬢は今のお祖母様のように癇癪持ちの女性なので選ぶつもりはありません」
「なんですって!? エリクフォード!!」
祖母の怒声を無視するように席を立つと、さっさと晩餐室から出てきた。
城の中は昨日とは打って変わって物々しい雰囲気になっている。
お茶会が終わってから、俺の護衛騎士から城の敷地内に他国の間諜二名が侵入していたと報告がなされた。その者たちはすでに捕縛し、騎士団で尋問している最中だ。
父上と兄上はその対応に追われ、ゆっくりと食事をとることさえ儘ならない。
俺が自室へ辿り着いた時、部屋の前で兄上の側近のコーディアス・ラドウェルが待ち構えていた。
「エリクフォード殿下、兄君のジルフォード殿下の執務室までご同行願います」
「……わかった」
普段ならこのような遅い時間までコーディアスは仕事をしていない。厳重な監視の目を潜り抜けて王城の敷地内へ侵入されるなど、やはり只事ではないのだ。
兄上の執務室のドアをコーディアスがノックし、入室すると真正面の執務机で兄上が青い顔をしており、俺の顔を見るなり机に手をついて椅子から立ち上がった。
「エリク! お前、侵入者の顔は見ていないのか!? 怪我はしていないんだな!?」
「……はあ?」
話を聞くところによると、庭園を警備していた護衛騎士が間諜の男たちを見つけて捕縛したそうなのだが、意識のない状態で倒れていたので労をせずに拘束できたとのこと。
「そんな怪しい人物が城内をうろついていたのか……」
「何を呑気な……! 今日のお茶会の趣旨を侵入者たちは知っていたそうだ。エリク、お前を攫うのが狙いだったと自白している」
兄上から突拍子もない言葉が飛び出す。王太子である兄上ではなく、俺が狙われていたと言われても、何故かピンとこない。
「俺を攫う理由がわからない」
「本当にわからないのか? お前は王族とは云え魔力も多く、火水土風の四属性持ちだ。俺でも火と風の二属性しか適性がないのに」
俺の憮然とした態度に呆れたとばかりに兄上が諭す。
自分のことなのに、まるで自覚していなかった。
俺がどんなに頑張っても、兄上には何ひとつ敵わないと思っていたのに、兄上より勝っている要素があったのかと呆気にとられる。
「母上の茶会で何か変わったことがなかったか?」
「いや、何も……」
「何人もの護衛が侵入者たちが倒れていた場所を何度も見回っているのに、気づかなかったというのか? それなら護衛騎士の怠慢だとして隊員たちを罰しなければならないな!」
「…………っ!」
その時、執務室のドアにノックがなされ、ひとりの騎士が取り調べの報告書を置いていった。すかさず兄上が報告書に目を通し、読み進めるごとに徐々に双眸が見開く。
「……令嬢? まさか……」
兄上は報告書に向けてぶつぶつと呟き、報告書から目を離すと、俺の目を真っ直ぐに見つめ、口を突いた。
「──藤色のドレスを着た、金色の長い髪の少女だったそうだ」
どきりと俺の心臓が跳ねる。
今日のお茶会に呼ばれた十数名の令嬢が着ていたドレスの色と髪色を、脳内の記憶から手繰り寄せる。
握った手の平の中はじわりと汗が滲み始める。
まさか……?
俺の記憶が確かならば、金色の髪の令嬢は幾人かは居たが、藤色のドレスと言われるとひとりしか思い浮かばなかった。
「───ルナリア……」
「ルナリア……?」
「……オリバー・デルカモンドの妹のルナリア嬢……俺が婚約したいと決めた令嬢だ」
兄上は片手で両目を覆うと、どさりと倒れるように執務机の椅子に身体を預けた。
「エリク……彼女は……歳はいくつなんだ?」
「え……? 今年で十二歳と言っていた」
「───なかなか口を割らないから業を煮やしていたんだが、やっと白状した。ひとりの小柄な少女に大の大人の男二人が太刀打ち出来なかったなど、自尊心が許せなかったらしい」
俺には兄上が何を言っているのか、さっぱり理解が出来なかった。続け様に兄上が噛み砕くように説明していく。
「武器も持たない、たったひとりの小柄な少女に侵入者たちはこてんぱんにされたそうだ。俺もにわかに信じがたい」
「そんな、冗談みたいな話……」
ルナリアが薄汚れた格好で俺の目の前に現れ、『たまたまネコを二匹も見つけたので』と俺に言った瞬間が、俺の頭の中で回想される。
「……雄ネコ……たち……」
「雄ネコ? ネコがどうした、エリク」
「ルナリアが、ネコが二匹侵入していたから戯れていたと……」
「ネコが城内の敷地に侵入していたという報告は直近で受けてはいない。──待て、『雄ネコ』と言ったか。雄だと分かるほどに接近したのだろう? ネコは睾丸があるかないかでしか雌雄の判別がつかないし、そもそもネコは家族でもなければ群れることはない。だとすれば、ネコとは彼女なりの隠語だろう」
俺は兄上の言葉を素直に受け止めると、ぞわりと全身が粟立った。今までに立ち会ったことのない、何とも言えない恐怖心に襲われる。
軽い毒を盛られる程度なら普段からよくあるが、死を実感したことはなかった。
呼吸が荒くなる。呼吸の仕方がわからなくなる。
全身の汗腺から玉のような汗がどっと噴き出す。
「おい! エリク、どうした? コーディアス、エリクを座らせてやってくれ」
俺の様子がおかしいと察知した兄上は、俺をソファに掛けるよう、コーディアスに命じる。
だが、俺は崩れるように床に手と膝を落とすと、嘔吐き、晩餐で胃に収めた食べ物を床にぶちまけてしまった。
「ゲェ……ゲッホ! ゲホ!」
「侍女に床の掃除を頼んでくれ! あと、汗を拭くために濡らしたタオルをひとつ持ってきてくれ!」
兄上の指示で、側近や使用人たちがテキパキと無駄なく動き、床に散らばった俺の胃の内容物が片付けられていく。
「エリク、普段から『お前は王族としての意識が薄い。自覚を持て』と言っているだろう。自分で拭けるか?」
兄上から濡れたタオルを渡され、嘔吐いた苦しさから出た涙で滲んだ両目にタオルを押し当てる。
「エリクフォード殿下、念のため、医務室で手当てを受けられますか?」
コーディアスの問いかけに、無言で頭を横に振る。
「エリクのこれは精神的なものだ。薬は必要ない。俺も幼い頃にそのようなことになったからよく分かる」
「……もしも……俺が、その侵入者に攫われたとしたら、どうなっていた?」
落ち着きを取り戻した俺は、どうしても気になっていた事柄を訊いてみた。
「攫われたお前の行く末か? 魔力を持った子孫を残すために、その国の貴族どもに死ぬまで種馬にされた筈だ。ルナリア嬢に感謝だな」
口の中に生唾が拡がる。唾を飲み込みたくても、飲んだらまた吐きそうになるのは分かっていた。
「それにしても、報告書の『侵入者の状態』が凄まじいですね。侵入者Aは両膝の損壊で歩行不能、侵入者Bは右足大腿骨の骨折で歩行不能。成人であれば騎士団に是非とも欲しい逸材ですよ、彼女は!」
「───わあっ! 馬鹿!!」
コーディアスが嬉々として報告書を読み上げ、兄上が慌ててコーディアスの手から報告書を引ったくる。
「……ははっ、何でもないからな、エリク……」
俺は無言で徐に立ち上がると、兄上の執務室から退室し、よろよろと足取りが覚束ないまま手洗い場へ向かい、体内に残されていた吐瀉物を排出した。
しばらく呆然と、まるで脱け殻のように手洗い場の近くに置かれたベンチに腰を下ろし、深い溜め息を吐く。
(俺は、婚約者選びを過ったのだろうか──?)
そのことが、いつまでも俺の頭の中で反芻していた。




