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002 貴族令嬢、辞めます


 王都に構える別邸の朝食の席で、私はお兄様に自分の本当の気持ちを伝えた。

「お兄様! わたくしは、自分の心を殺してまで生きたいとは思いません! ですから、殿下との婚約破棄の撤回は致しません!」

 険しい顔つきで私は訴える。

「……何だと!? ルナリア!! もう一度言ってみろ!!」

「何度でも言います! 殿下のような尊敬出来ない相手とは結婚したくありません! 国王陛下にも婚約破棄を申し出ています!!」

 途端にお兄様の双眸(そうぼう)が見開いた。どうやら私の発言はお兄様の逆鱗に触れたようだった。


「──出ていけ! この家に二度と戻ってくるな!! 今すぐ出ていけ!!」

 数秒の間、お兄様と対峙するが、私は腹を括る。

「ええ、今すぐにでも出ていきます。さようなら、お兄様!!」


 私は席を立つと素早く食堂から退室した。その足で自室へ向かい、引き出しの中に仕舞われた鋏を手にしては、じっと鋏の刃の部分を眺める。

 深く息を吐き、呼吸を整え、覚悟を決めるとお兄様と同じ髪色の自分の髪に躊躇いなく鋏を入れた。

 腰まで伸ばした金の髪を惜しみなく足下へバサリバサリと切り落としていく。後は顔の輪郭に沿って短く切り揃えた。

「お、お嬢様ーー!! 何をなさるのですか!!」

 私付きの侍女のマイラが部屋に入った途端に私の凶行を見て絶叫する。


「お兄様と決別したの。私はデルカモンド侯爵家を出ていくわ。ごめんなさいね、マイラ」

 マイラに向けて力なく笑う。マイラはその場でへなへなと座り込んだ。

 室内用ドレスを寝台の上に脱ぎ捨て、クローゼットから動きやすい服を数着取り出し、その中から乗馬服に着替え、剣帯を腰に巻き付ける。

 次に鞄を広げ、当面の間に必要なものを鞄へどんどん詰めていく。ドレスもアクセサリーも要らない。着飾る必要はもうない。

 ───私は自由になるんだ……!!


 荷物をまとめた鞄を持って階下へ降り、鞄は一時階段の脇へ置いたまま、お父様の執務室の扉をノックする。部屋の中から「誰だ?」と返ってくる。

「ルナリアです」

「入れ」

 扉を開けて頭を下げると、執務机に向かうお父様には一切見向きもせず、壁に飾られた剣へまっしぐらに向かった。

 そのうちの純銀製のひと振りを手にし、剣帯へ差し込む。

 私はお父様に向き直り、事の詳細を報告する。

「お父様! わたくしはエリクフォード殿下との婚約を破棄致しました。王家に嫁ぐことの出来なかった役立たずは今日限りでこの家を出ていきます! 今までお世話になりました」

 お父様は短くなった私の髪を見て、口をぱくぱくさせては顔を真っ白にして絶句していた。

 深々とお辞儀をして執務室から出てくると、

「婚約破棄とはどういうことだ!! 行ぐな゛ーー!! ルナリアーー!!」

と、お父様の叫声が廊下にまで響き渡る。お父様の声を無視して玄関ホールで外套を羽織った。


「お嬢様、本当に出ていかれるのですか?」

 執事長で家令のサントスが、私を心配して声を掛けてきた。

「二言はないわ、サントス。私はもうデルカモンド侯爵家の人間じゃないの。お父様のこと、よろしくね」

 私はサントスに精一杯の笑顔を見せると、鞄を持ってすたすたと足早に裏口へ回った。

 使用人出入り口である裏口のすぐそばにある厩舎で、馬番に私の鞄を明るい栗毛色の愛馬に括りつけてもらう。馬の準備が調うと愛馬に跨がった。

「じゃあ、みんな元気でね」

 屋敷から出ていく私の見送りに来た数名の使用人たちに最後の別れの挨拶を告げる。私の幼い頃から世話をしてくれた年嵩の使用人たちが目頭を押さえて別れを惜しんでくれたのを見て、私も鼻の先がつんと痛み涙腺が緩む。


「お嬢様も、どうかご自愛くださいませ」

 使用人の中でも一番の年長者のサントスは、いつの間にか顔の皺がたくさん増えた。この先、私がサントスの皺の本数を数えることはない。

 小さかった頃を思い出し、涙が溢れ、はらはらと伝い流れる。手の甲で目元を押さえ、私は必死に涙を隠したけれども、皆は分かっていたみたいだ。

 大きく手を振ってから、お屋敷の敷地を愛馬で駆け抜けていく。愛馬の速度を徐々に上げ、日没までに出来るだけ距離を稼ぐことに集中する。

 そうして、私は単騎で辺境の領地を目指した。



 ◇ ◇ ◇



 ルナリアが王都のデルカモンド侯爵家の別邸を出ていった翌日、オリバーが騎士団官舎の執務机で事務処理をしている最中に第二王子のエリクフォードが第一騎士隊の執務室に顔を出した。


「殿下! 御用でしたら私がそちらへ伺いましたのに!」

 オリバーが持っていたペンをペン立てに差し、慌てて席を立った。副隊長のローレンスがエリクフォードにソファへ掛けるように案内する。

 近くにいた部下にお茶を持ってくるように指示を出し、オリバーはエリクフォードの向かいのソファに掛けた。


「……オリバー、ルナリアは私のことを気にしていたか?」

 エリクフォードは頬を染めてはにかんだ。

「──は?」

「反省していたなら許してやらないこともない! ルナリアは私の妻になるんだ。こんな諍いなど、この先もたくさん起きるだろう?」

「殿下、それなら手遅れです」

 オリバーはエリクフォードの言葉を最後まで聞き取った上で結論から話し始めた。その表情に感情は一切入っていない。

「はぁ? 手遅れ(、、、)とはどういうことだ?」

 オリバーの言葉に要領を得ないエリクフォードは聞き返し、返答を待った。オリバーはエリクフォードの前に手のひらの大きさの木箱を差し出す。

「何だ、これは?」

「ルナリアの物です」

「開けても?」

「どうぞ」

 エリクフォードが木箱の蓋を開けると、紙に包まれた金色の長い髪の毛がひと房、小さく巻かれて入っていた。

「……どういうことだ、オリバー!! 答えろっ!!」

「デルカモンド侯爵家令嬢のルナリアは昨日、失くなりました」

「……何……だと……?」

 エリクフォードの顔が暗く沈んだものに変化する。側で話を聞いていたローレンスも双眸を大きく見開く。

「ルナリアを追い詰めたのは、俺のせいか……」

「──そうですね……」

 がくりと項垂れたエリクフォードは、両方の膝頭を掴み、肩を小刻みに震わせ静かに涙を溢し鼻を啜る。



「──ルナリアは殿下との婚約破棄を撤回しないというのでデルカモンド家から追放しました。平民となったルナリアは現在行方知れずです」


 エリクフォードとローレンスは口を閉じることすらを忘れ、絶句した。暫し止まっていた空気の流れを再び動かしたのはエリクフォードである。

「──は? 自死したのでは……?」

「いいえ、デルカモンド侯爵家から追放してルナリアの貴族籍が失くなりました。庶民として生存しているかまでは把握しておりません」

「うわあぁぁぁあ!!! ややこしいんだよ、オリバー!! 俺の涙を返せ!!」

 エリクフォードはソファから立ち上がると机の上の木箱を床へ叩き落とし、両手で頭を抱え、酷く取り乱した。

「返せと言われても……涙など消え物でしょう?」

「そもそも、実の妹を家から追い出すとか、お前は鬼なのか!!」

「まあ……部下からは〝鬼隊長〟とは言われますが」

 顎に手をやり、オリバーは眉根を寄せる。

「そういうことじゃないっ!!!」

 興奮したエリクフォードの目には再度、涙がじわりと浮かぶ。エリクフォードはソファからのろのろと離れると、

「……邪魔したな……失礼する」

と、だけ告げ、オリバーたちの顔も見ずにふらふらと部屋から出ていった。


 エリクフォードと入れ違いで部下がお茶の用意を持って入室したので、オリバーはローレンスにお茶を勧めた。


「……オリバー、ルナリアを家から追い出したって、正気か?」

「冗談でこんなこと、言うわけないだろう? 貴族院へは除籍報告済みだ」

「ルナリアを異常なほど可愛がっていたお前が? にわかに信じがたいな」


(ローレンの奴、俺に対して怒っている……なぜだ……?)


 オリバーとローレンスは幼い頃からの付き合いで、互いに能力を高め合ってきたからこそ、相手の考えていることが手に取るように分かる。しかし、ローレンスの言葉の端々から怒りが漏れ出ていると思われた。

 オリバーは内心では動揺していたが、悟られまいと必死に取り繕う。ルナリアへの制裁はけじめのつもりだったが、ルナリアの貴族籍の剥奪まで行うのはやり過ぎたかもと後悔し始めていた。


「──なら、ルナリアは第二王子殿下の婚約者でも、オリバーの監視下でもない。私の妻にしても差し支えないだろう?」


 ローレンスが前触れもなく突拍子もないことを口にするとは予想外で、オリバーは暫しの間、呆気にとられていた。

 しかし、これはこの男なりの冗談なのだろうと思い至り、一笑する。

「何を言っているんだ、ローレン。ルナリアはまだまだ子どもだぞ」

「──いつまでもルナリアを小さな子どもだと思っているのはオリバー、お前だけだ。ルナリアは美しく魅惑的な娘だ。その考えを改めないと足を掬われるぞ」

 ローレンスはオリバーをただ静かにじっと見据える。


(ルナリアを〝美しく魅惑的〟だと!? 今までルナリアは妹としか思えないと言っていた男が──)


「──いつからだ?」

 オリバーは語気を強める。

「いつからルナリアをそんな目で見るようになった!?」

「……さあて、な」

 ティーカップのお茶を口にし、ローレンスはくくっと声を殺して薄く笑う。


(──ローレンめ、気に食わないな……)


 自分の幼馴染みであり部下でもあるのに、腹の底が見えない相手をこれ以上信用してもいいものかと、オリバーはこの時ばかりはローレンスに不信感を抱いた。


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