019 第二王子エリクフォード・セルディア 1
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更新を待っていた方にはご迷惑をお掛け致しました。大変申し訳ございません。
◇ ◇ ◇
幼い頃から自分は〝スペア〟なのだと父上の側近の大臣たちが話すのを聞いていた。物心がついた頃には、それが良い意味ではないのだと薄々感付いてくる。どうやら三歳上の兄上にもしものことがあった時の代わりなのだと知った瞬間、おぞましくさえ思えた。
(兄上の代わりなど到底務められるはずがない……!)
俺は自分自身の限界を知っていた。
十五歳の時、王妃である母上主催のお茶会に、俺の歳に近い高位貴族の令嬢たち十数名が王宮の庭園に呼び寄せられ、俺は強制的に参加をさせられることになる。
未だ婚約者がいない俺に、『気に入った令嬢を選べ』という母上が画策したお見合いの場なのは歴然であった。俺に気に入られようと、上目遣いで媚びを売る令嬢たちを適当にあしらい、俺はお茶の席から逃げ果せる。
俺から見れば、貴族令嬢とは、ただのお茶会でさえも誰もが煌びやかなドレスやごてごてした意匠の装飾品を身に着け、過度に香水を使用して酷い臭いを撒き散らす迷惑な存在でしかない。
そして、王妃である母上と同じように、扇子で口元を隠すのが淑女であると信じて疑わない令嬢たちは扇子を広げ、腹の探り合いをする。俺の周りには、そんな女しか居なかった。
だから、逃げた先の低木の茂みの中で、薄紫色のドレスを纏った令嬢が芝生の上で無防備にも両手足を広げて寝転んでいるなんて思いもしなかったんだ。
「あ……っ!」
短く叫んだ俺の身体は、彼女の脚の上に転がった。
「……きゃ!」
「す、すまない」
彼女は驚いて身体を起こし、俺は彼女の身体の上から退いて体勢を直しつつ、彼女の顔をまじまじと見つめる。
透けるような長い金の髪、整った眉に憂いを帯びた晴れた空のような瞳、スッと通った鼻梁、唇は小さめでいてぽってりと艶やか。
まだあどけない幼さの残った少女の顔に、俺の胸は鷲掴みされたかのように目が離せなくなる。
「あの、エリクフォード殿下、大丈夫ですか? わたくしがこんなところに居たばかりに……」
「い、いや、大丈夫だ。君の方こそ怪我はないか?」
「ご心配には及びませんわ」
小さく綻んだ笑顔に、俺の警戒心も緩む。
「訊いてもいいかい? こんなところで寝転んで何をしていたんだい?」
我ながら意地悪なことを訊いてしまったな、と思うが、彼女は頬を染めて途切れがちに言葉を紡ぐ。
「あ、あの、お茶会が楽しいとは思えなくて……お話をするのも苦手で……」
「ははっ、俺と一緒だ。俺も匿ってくれないか?」
彼女の隣に座ると、先ほどの彼女と同じように芝生にごろりと寝転がり、両腕は頭の後ろに組み、片足を反対の脚の立てた膝に乗せる。
「君の名前は?」
「……ルナリアです。デルカモンド侯爵家の末娘のルナリアと申します。今年で十二歳になります。このような格好での無礼をお許しください」
「来年、王立魔法学園へ入学するのか?」
少しの沈黙の後、ルナリアが答える。
「……我がデルカモンド家は騎士家系なので私も例外なく魔力がありません。ですから、王立中央貴族学院へ入学予定になります」
「……そ…うか、同じ学校へは通えないのだな」
「エリクフォード殿下は王立魔法学園へ在学中でございますの?」
「ああ、王族は皆、何かしら属性を持った魔力を持っているからな」
「まあ! 殿下は魔法が使えるのですね」
「そんなに大したことは出来ないさ」
陽の光に透けて煌めくルナリアの髪が綺麗だと思い、ルナリアの長い髪をひと掬いし、髪に口づけを落とした。
途端に冷静だったルナリアの顔が紅潮し、動揺から視線を彷徨わせる。その顔に俺の脳が痺れたかのように、ぞくりとする。同時に、俺の胸の動悸が激しく感じ、苦しくなってくる。
(何だ……これは?)
「殿下、私の髪を放してくださいませ」
「ああ、悪い」
髪を持っていた指を緩めると、ぱらぱらと金糸のような髪が手から零れ落ちていく。それなのに、もう一度髪を掬い取ってしまう。
「で……殿下?」
ルナリアは俺の態度に戸惑い、困惑している。
「──〝エリク〟だ」
「え?」
「ルナリアには俺のことを〝エリク〟と呼んで欲しい」
「あ、の……? エリク様……?」
「ん?」
「その……手を、放してくださらないかしら?」
零れ落ちたルナリアの髪を掬おうとして、ルナリアの手が当たり、ついルナリアの細い指に自身の指を絡め、手を繋いでしまっていた。
「──もう少し、このままで……」
時折、ルナリアの手を引き寄せ、指に軽く口づけ、頬ずりする。
「エリク様……」
ころころと鈴が転がるような繊細なルナリアの声に、俺は浸ってしまっていた。聴いていて心地よいと思う声がこの世にあることにいたく悦ぶ。
「何でもいい。ルナリアの声を、俺のためだけに奏でてくれないか?」
懇願してしまった俺に、ルナリアは嫌な顔ひとつせず、瞳に優しさを蓄え、俺を見て口角の端が緩く上がる。
「困った王子様ね……」
「殿下ーー!」「エリクフォード殿下ーー!?」
護衛を撒いたと思ったけれど、王城広しと言えど、基本はお茶会の会場である庭園からはそう遠くへは移動していないのだ。
その場で俺はすっくと立ち上がる。
俺は芝生に座り込んでいたルナリアに腕を伸ばし、身体を引っ張り上げる。ルナリアはスカートの後ろを懸命に叩いて服に付いた芝生を払い落とした。
「殿下! こんなところに! 茶会の席へお戻りください」
護衛騎士のオリバー・デルカモンドが俺の元へ駆けつける。
「オリバー、お前の妹のルナリアに決めたよ」
「殿下? 何を私のかわいい妹のルナリアに決めたのですか?」
「俺の婚約者だ」
「……こん…!? ルナリアが茶会に来ていたのですか?」
「ああ、ここに……」
俺が振り返った場所には、誰ひとりとして居らず、ルナリアは忽然と俺の前から姿を消した。
(──は!? いない?)
「殿下、王妃様がお呼びですから参りますよ」
「あ、ああ……」
オリバーと歩きながらルナリアの姿を目を皿のようにして探すも、まったく見つけられない。
「……オリバー、お前の妹のルナリアはどこへ行ったんだ?」
「はあ……その辺にいるはずです」
ぶっきらぼうにオリバーが答える。
(居るのか、居るんだな? ルナリア……!)
「母上、お呼びでしょうか?」
同じテーブルに着く王妃の一挙手一投足を気にして怯える令嬢たちを尻目に、優雅な所作でお茶を嗜む母の姿は、遠目から見ても完璧としか言いようがなかった。
俺が結婚する相手にも、母と同じ仕種が求められる。王族と結婚するとは、そういうことだ。
「どうですか? エリク、あなたに相応しい相手を見つけることができましたか?」
「……ああ、彼女しかいない」
俺の言葉に、母と同じテーブルに着いていた令嬢たちがざわめく。
「デルカモンド侯爵家のルナリア嬢、彼女がいい」
「デルカモンド侯爵家……? エリク、あちらに見えるご令嬢のことかしら?」
扇子で口元を隠す母の視線の先には、茶会のテーブルから離れたところで、髪は乱れドレスは土や芝生で薄汚れてぼろぼろになった令嬢がひとり、両手をお腹の前に揃えて会釈をしていた。
「──ルナリア!?」
俺はルナリアの元へ駆けつけた。
「ルナリア! 何があった!?」
「……エリク様、この王宮にはネコの子一匹入れないようにと、わたくしのお兄様や護衛の皆様が尽力しているのは存じ上げておりますけれど、たまたまネコを二匹も見つけたので、ついつい戯れてしまいましたの」
酷い身なりでうっすらと笑うルナリアの左頬が土で汚れているのに気づいた俺は、持っていたハンカチをルナリアに差し出すが、薄汚れたルナリアの姿に王妃と卓を囲む令嬢たちが嘲笑を浮かべる。
「あら、そのネコたちとそのまま戯れていれば宜しかったですのに」
王家に近い血筋のアディエラ公爵家のヴィヴィアナ嬢が扇子で口元を隠し、ルナリアに悪態をつく。扇子で隠していても、ほくそ笑んだ意地の悪さは透けて見えるようだ。何もなければ、彼女は俺の婚約者になっていたであろう候補のひとりでもあった。
ヴィヴィアナの言葉に、他の令嬢たちもくすくすと同調する。
「ヴィヴィアナ様、生憎とその雄ネコたちはわたくしと相性が悪かったようでして、随分と抵抗されたので護衛に引き渡し致しました。わたくしそろそろお暇致します。ごきげんよう」
ルナリアは真顔のまま表情を動かさずに、すらすらと言葉を返し、俺のハンカチを受け取ることもせず、庭園から出ていってしまった。
令嬢たちのくすくすといった嘲笑だけが、俺の耳に残る。
その日の夜、俺は真実を知る───。