016 男爵令嬢ミュリエッタ・レイヴァル 2
体調が回復してきた私はペンを取り、まずはお兄様に手紙を書くことにした。
お父様が王都へ移住するために王都の端に小さな住まいを借りてしまっていること、お父様が魔獣に襲われて亡くなったこと、そして私自身もベルガナ辺境領を出て王都へ住みたいこと、荷馬車を二台手配して欲しいこと、他にも王都に借りた住居の住所を書いておくなど、細かいことを認め、手紙を出しておいた。
今住んでいる屋敷の中は、これまでに売れる価値ある物があれば手放していたので調度品や美術品の類いは一切なく、どの部屋も壁や棚が殺風景になっている。
身の回りの物は持っていくとして、大きな家具などはそのまま残していくので、実際のところは荷物はとても少ない。
そして、お父様に関して。
遺体が魔獣によって喪われているので、墓は設けない。寧ろ、お母様もこんな酷い男と死んでまで一緒に居たくはないだろう。
それから、お父様が最期に持っていた財布の中身は……すっからかんだった。完全なるオケラではなかったが、子どものお駄賃程度しか残っておらず、何の足しにもならない。
念のため、行きつけにしていた居酒屋にツケ払いが残っていないかどうかを確認しなくてはならない。
あと、長い間使用した痕跡のない埃だらけの執務室の書類と資料。今回の移住で持っていく荷物全体の四分の三を占める。はっきり言うと、邪魔で仕方がないのだが、レイヴァル男爵家初代当主からの資料も持ち越しているので、棄てるに棄てられない。王都で優秀な管財人に精査してもらって、不要なものは処分したい。
お兄様へ宛てた手紙からひと月後には、何らかの動向があると思っている。それまでは、いつも通りに怪我人の治癒を施した報酬で生活し、少しずつ荷造りを進めていった。
*
「やあ、ミュリエッタちゃん! もう顔色もいいね」
隣家の老夫婦のご主人に声を掛けられる。
「ダナールさん! その節は大変お世話になりました」
「……引っ越しするのかい?」
「兄が王都の学園にいますので、この屋敷は処分して王都で住み替えます」
「……そうか」
「はい」
「……儂ら夫婦も、王都でミュリエッタちゃん家の下働きで雇ってもらえないだろうか?」
「え……? ええ゛!?」
突然の申し出に、私は変な声が出てしまう。
「なあに! レイヴァル男爵が散財してお金がないことはわかっとる。最初は無報酬でも構わん」
ダナールさんの申し出は、とてもありがたい。
でも、だけど……!
「儂ら夫婦はミュリエッタちゃんを自分の娘のように思うとった。これからも見守らせてはくれんか?」
狡いよ、ダナールさん。
そんなことを言われたら、断れないじゃないの。
「──ダナールさん、よろしくお願いします」
「ミュリエッタちゃん……! ありがとう! こうしちゃおれん!」
ダナールさんは踵を返すと、慌てて家へ戻っていった。
*
そうして、ベルガナ辺境で暮らす最後の日々が刻一刻と過ぎ去っていった。
お兄様に手紙を出してから約一ヶ月が過ぎた頃、荷馬車がやってきたと近所の人から教えてもらい、急いで屋敷の外へ出た。
「ミュリエッターーー!!」
屋敷の敷地に最初に入ってきた荷馬車の御者の隣に座る兄が、大きく手を振って私の名を叫んでいる。
「──お兄さ…ま……?」
私は驚いて、口を開けたまま白目を剥いた。
「……お、お兄様!? これは一体何ごとですか!?」
敷地に三台の荷馬車が止まる。
まるでキャラバン隊が来たかのように。
御者台から下りたお兄様が、私と対面した。
「ミュリエッタが希望した『荷馬車を二台』では足りないかと思って三台借りてきた。あと、腕の立つ冒険者たちも護衛として雇った」
「そんなにも、お金は!? どうやって借りたのですか!?」
「襲爵の手続きをして俺がレイヴァル男爵当主になったから、当主として貸付で借りることができた」
「そうだった……のですね……」
御者付きで王都とベルガナ辺境領との往復で一ヶ月間も借りるのだ。それを三台分。莫大な資金が必要になる。
子どもの私には、そんなにもお金が必要になるとは想像が及ばなかった。
「ああ……それとな、手紙で教えてもらった王都で借りたという当該の屋敷を見てきたが、どうやら父さんは騙されたようだ。あちこちボロボロで修繕しないとまず住むことも出来ない上に、王都内の道路整備計画で立ち退きになっている区画だった」
「騙され……!?」
「だから、その屋敷の契約自体を白紙にして、別のところを契約した」
「え?」
「しかも身元のしっかりした貸し主で、毎月の支払いも破格の値段にしてもらえた」
「どうやって契約を白紙に……!?」
「……それは内緒だ」
私が今までに見たことがない満面の笑顔をしたお兄様が、不気味にも思える。
なぜか物凄く自信満々だし、我が実兄ながら何を考えているのやら。
「それと、お兄様にご報告したいことがあるのです!」
隣家のダナールさん夫妻を王都のレイヴァル男爵邸の下働きとして雇って欲しいと願い出ると、あっさり許可をもらえた。
「ミュリエッタには父さんの生け贄になってもらってたからな。長い間、助けてやれなくてごめんな」
ポンポンと頭を叩くように撫でられる。
「お兄様、私はもう小さな子どもじゃないわ」
「おや、それは失礼しました。ミュリエッタお嬢様」
にまにまと目を細めて私を見つめる兄。
「淑女になるためにも、王都で貴族の学園に通うか?」
ふるふると頭を横に振る。
「私は貴族としてのマナーが何ひとつ身についていないのよ?」
「……ならば、俺と同じ王立魔法学園に通うか? 魔力が顕現したなら貴族も平民も関係なしに途中入学も可能だろう」
「私が……魔法学園に……?」
憧れだった、魔力がなければ入学すら出来ない学校に、私も通えるというの?
「行きたい……! 通いたいです! お願いします、お兄様!!」
私は興奮のあまり、上気した顔でお兄様に詰め寄る。さすがのお兄様も、私の豹変ぶりにたじろぐばかりだ。
「……わかった、わかった。王都に着いたら魔法学園への入学手続きをするとしよう」
「やったーっ! お兄様、ありがとうございます!!」
瞬時に両手を挙げて喜びを爆発させる。
私の脳内では天使さんが私のために祝福のラッパを吹いてくれているわ。
「入学するとクラス分けのための実力考査が行われるが──」
「実力こうさ? 何それ」
「今のお前の学力を知るための筆記試験だ。学園では魔法の授業以外にも王国の歴史や近隣諸国との交易や関係性、算術も習う。お前は手紙が書けるから最下位クラスに振り分けられることはないと思うがな」
「ふーん?」
その後、私がまとめた屋敷の荷物とダナールさん家の荷物を荷馬車に積み込んでもらっている合間に、ベルガナ辺境領を統治するロイ辺境伯家へ私とお兄様の二人で挨拶を済ませる。
そうして陽が傾きかけた頃、ようやく私たちはベルガナ辺境領を後にしたのだった。
*
十四日間の野営を経て、十五日目になり王都オルラインの大きな外堀を渡り、堅牢な城壁を早朝に通過した。幸いにも、移動中に魔獣や良からぬ輩に遭遇することもなく、今回は比較的安全な旅だったとお兄様が仰った。
私たちは城下町の広い大通りを進み、お兄様の案内で新しい住まいへ向かう。
「この屋敷だ」
お兄様が御者台から降り、屋敷の門扉を大きく開くと御者台に戻った。
「お兄様……今までの屋敷よりも広くて大きいのですが……?」
「元は伯爵位の方の持ち物だったそうだが、老齢で王都に来るのが難しく、領地の本宅以外は手放したそうだ」
庭が広く、手入れをするのが大変そうだ。門扉から正面玄関まで少し遠く感じる。
お兄様が屋敷の玄関扉を解錠している間に私も荷馬車から降り、お兄様の隣に立つ。扉が開くと、邸宅内からむわっと漂う埃とカビ臭さに思わず顔を歪める。
「お兄様、まずは屋敷の窓を全部開放して空気の入れ換えね」
荷馬車に乗っていたダナールさん夫妻と護衛役の冒険者たちも皆、どやどやと荷馬車から降りてきた。
小走りになり、手分けして各部屋へ入っては窓という窓を開け放していく。
「掃除もしないとダメね。このままじゃ寝られないわ」
お兄様は王立魔法学園へ私の入学手続きと、料理人とハウスメイドの募集をしに行く、と言い外出した。
下働きがダナールさん夫妻だけでは手が足りな過ぎるからだ。前に住んでいた屋敷はこじんまりとしていて私ひとりでも管理できたが、新しい屋敷は広すぎて数人は雇わないと屋敷が維持できない。
「ダナールさんとモネ夫人は調理場を清潔にして、十二人分の食事の用意をしてくれないかしら?」
「かしこまりました」
モネ夫人は私に頭を下げ、調理場へ向かった。
護衛で雇ったはずの冒険者たちと手分けして床を掃除し、少しずつ荷馬車から適切な場所へ荷物を屋敷へ運び入れる。
モネ夫人の作った食事で一時休憩する。その間にお兄様も帰宅された。
「ミュリエッタ、明日に王立魔法学園で実力考査を実施するから来校せよ、とのことだ」
「明日?」
「俺も明日は登校するから一緒に行こう」
三台の荷馬車の荷物をすべて屋敷へ運び込んで荷馬車が空くなり、お兄様が御者に賃金を渡し、帰ってもらった。
冒険者たちも、荷物を屋敷へ運んでくれるまででいいと言ったにも関わらず、荷物の整理も手伝ってくれたのでとても助かった。お兄様が冒険者の方たちに賃金を渡し、長旅のお礼をして皆を見送る。
広い屋敷に私たち兄妹と、ダナールさんとモネ夫人の四人が取り残され、その日から私の新たな生活が始まったのだった。
次話は5月10日(土)に更新します。