013 欠けた記憶と光の輪 3
私がまだ第二王子の婚約者だった三年前、王子妃教育の一貫として、魔法の授業で魔術陣を構築する練習をしていた。
結界だの防御だの、色々と作ってみて欲しいと言われ作製したのだ。バートン様がもらったという、その魔術陣もそのうちのひとつだ。
その後、術式が発動可能なのかどうかを宮廷魔術師団で試すと言って、持ち出されたままだったかも……と思い出す。
「魔術陣の外側のここに、作製者であるわたくしの名前の『ルナリア』と入ってますでしょう? この場所は術式に干渉されないのです」
私が〝ここ〟と指し示した場所をバートン様とハンクスさんの二人が魔術陣を注視し、私の名前を見つけては、本当だ、と言う。
「まさか、カルロが君を執拗に付け狙うのは──」
「……ご想像のとおりだと思います。新たな魔術陣の構築をして欲しいのでしょうね」
「いや、それだけじゃないと俺は思うが……」
バートン様が腕を組んで、何やら複雑そうな顔をする。
「ルナリア嬢は魔法を使えないと言わなかったか?」
「魔術陣は魔力がなくても、術式を理解さえしていれば構築して作製できます」
「作製だけ?」
「そうです。魔術陣は魔力がないと発動しませんから、実際に動作可能な術式なのかは宮廷魔術師団で実証試験をして頂いていました」
「……何と言うか……都合よく使われたんだな、ルナリア嬢は」
バートン様から憐れみの目を向けられる。
「どういうことですか?」
「この移動術式の簡易魔術陣は、誰もが大金を積んででも欲しがる貴重なものだ。それこそ、どこかの商会で売ったらひと財産は築ける代物だよ」
自身がそれほど大層な物を創ったのだという実感はない。
「そういえば、あの頃……宮廷魔術師団から何枚かの魔術陣を見せられては、効率のいい術式に出来ないかと再構築をお願いされて、新しい魔術陣を作製していました」
「誰に?」
「主に副師団長のメイダース様からです」
「メイダースか……この二年くらい急に金回りがよくなったんじゃなかったか?」
バートン様がハンクスさんに伺うように話す。
「そうっスね。爵位を買って王都に別邸を構えたとも聞いたことあるっス」
メイダース様は私が作製した簡易魔術陣を、贔屓の商会で取引している──?
「──あっ、宿屋から鞄を持ってきたっス。馬もこの寮の厩舎で預けているっスよ」
ハンクスさんから鞄を受け取る。
「ありがとうございます、ハンクスさん」
「ルナリア嬢、その鞄に普段着ではない女性の服は入っているか?」
「? いいえ、そもそも女性として王都に来た訳ではないので──」
「今日の夜はルナリア嬢の誕生日ディナーにする。それなりに格式のある店に行くつもりだから服も買いに行くとしよう」
「えっ!? バートン様たちにそこまでして戴かなくても──」
私はバートン様の厚意をこれ以上は受け取れないと思い、必死に食い下がる。
「いい。俺が君を祝ってあげたいだけだ。ハンクス、今夜も……」
バートン様がハンクスさんへ視線を移す。
「あ、俺は遠慮するっス」
バートン様がすべてを話す前にハンクスさんは誘いを断り、バートン様に向けて笑顔でウインクをする。
「俺は野暮なことはしないっスから二人で楽しんでくるっスよ」
「~~~ハ、ハンクス!!」
途端にバートン様が顔だけでなく耳まで真っ赤にし、ハンクスさんを大声でがなり立てた。
「えー? これでも気ぃ使ったんスけど」
「俺はそんなつもりじゃないっ!!」
「素直じゃないっスねーー」
二人の言い合いをよそに、急に目の前の空間が歪んだ気がした───が、気のせいではなかった。
私の目の前に、朱色の緩やかなウェーブの髪を腰まで纏った人物が突然に現れる。
「……レアリーニ!?」
バートン様とハンクスさんも言い合いを止め、レアリーニの容貌に目を奪われているかに思えた。
「ルナリア、お前の力が必要だ! 一緒に来い!」
レアリーニは私に有無を言わせず、私の手首を掴んだ。
「待って! 剣を持ってない」
レアリーニの腕を振り払い、壁に立て掛けてあった私の剣と剣帯を手にすると、剣帯を腰に巻きつける。
「何が起こったの?」
「スタンピードだ」
「「……!!」」
その場にいた、レアリーニ以外の私たちは揃って息を呑む。
「1000を越える魔獣がダラス辺境を目指してやってくる。私の結界もさすがに破られるだろう」
バートン様の顔を咄嗟に見て、断りを入れる。
「ごめんなさい! 今夜のお誘いですが、火急の事態にて本日はこれにて失礼します!」
「行くぞ、ルナリア」
「はい!」
レアリーニの元へ駆けつけると、バートン様がレアリーニに向かい合うなり、哀願する。
「──俺も一緒に連れていってくれ!」
「バ、バートン隊長!?」
ハンクスさんが素っ頓狂な声を出す。
レアリーニはバートン様の言葉を無視し、私の手首を再度掴むと、バートン様たちに向けて冷たく言い放った。
「お前たちでは足手纏いだ。自分の力量を自覚しろ」
「っ……な!?」
レアリーニの移動魔法が発動し、次の瞬間、私とレアリーニの二人はダラス辺境の遥か上空にいた。
地上にいる時よりも強い風を受けて、肌がピリピリと軋むように痛む。
私の腰を抱いたレアリーニはキザス皇国側の方角を指差す。
「ルナリア、あれが見えるか? 砂埃が舞い上がって見えるのが魔獣の群れの先頭だ」
私の目には小さく砂埃が立ちのぼっているようにしか見えない。
「ルナリア……お前、何があった?」
レアリーニを見ると、酷く驚いた顔をしている。
「以前は微かにしかなかった魔力が──いや、これは……神聖力か?」
「天から神の祝福を受けました」
レアリーニの顔を見ずに、キザス皇国側を見据えたまま、レアリーニの質問に答える。
「祝福を受けた? いつだ?」
「今日の午前中です」
突如、アッハッハ、と大声で笑いだし、私の顔を覗き見て口角の端を上げる。
「やはり、お前は面白いな。その聖女の力でこのスタンピードを止めるぞ!」
「……聖女の力って、どうやったら使えるの?」
「知らんのか?」
「知りません!! デルカモンド家は神殿派ではなく王族派だったので!」
「手を組んで祈りを込めろ」
訝しげに、言われたとおりに両手を組み、目を閉じて祈りを込めてみる。
すると、組んだ手の中から明るい光が漏れ出す。
「えっ? えっ? ええっ?」
「休むな! 続けろ!」
続けて祈りを込めると、次第に私の身体が光に包まれ一気に放出された。私を中心に広大な光の円を描き、光の円に取り込まれた魔獣は一匹残らず姿を消していく。
「──もう、祈らなくてもいいぞ」
レアリーニの声にハっと意識を戻し、咄嗟にレアリーニの顔を見る。
「ルナリア、お前のおかげで差し迫っていた脅威は去った」
ふう、と安堵から溜め息を吐く。
レアリーニはゆっくりと地上に降り立ち、私の腰から手を離した。
「……もう戻るか? 先ほどの好いた男の元へ」
ぶわっと一瞬で私の顔が真っ赤になる。
「そ、そそ、そんなんじゃ、ない……! 彼の部屋に私の鞄を忘れてきたから……!」
「あの男とお前では不釣り合いだと私は思うが?」
「ねえ!! 私の話、聞いてるかしら!?」
半ばヤケクソのようにレアリーニに怒鳴る。
「──お前は少し優しくされただけでコロッと簡単に騙される……自分は騙されないという自信は何処から来るんだ?」
心臓にドスっと重い鏃を打ち込まれたくらいに私のことを見事に言い当てていて、言い返すことができない。
「お前を見ていると危なっかしくて放っておけん」
(──は?)
「お前の様子をたまに見に行くことにする」
(──はぁ!?)
「……なんで!?」
「親心だ」
「──いや、レアリーニは私の親じゃないでしょう?」
「お前たちでは討伐できない魔獣を仕留める手助けをしていたんだ。親みたいなものだろう」
「ずぇんっぜん、違うわよっ!! わざわざ見に来なくていいから!!」
レアリーニが私の腰に手を回す。
「元の場所へ戻してやる」
「──え?」
短く出た声と同時に、次の瞬間にはまたもバートン様の部屋に戻ってきていた。
「──っあ! 帰ってきたっスか!?」
「! ルナリアじょ……ぅ……」
バートン様の声は、私の腰の辺りを見つめたまま、かき消えていた。
「た……ただいま戻りました」
〝ただいま〟という言葉がこの場に合っていたのかはわからない。だから、私は照れてしまった。
そんな私を無視して、レアリーニはバートン様たちに向けて簡単に説明だけする。
「スタンピードはルナリアの聖女の力で消滅することが出来た。また来る──」
『また来る』と言い残し、レアリーニは私たちの前から瞬時に姿を消した。
「……レアリーニ!」
私の呼び掛けはレアリーニには届いていないが、声を出さずにはいられなかった。