012 欠けた記憶と光の輪 2
コンコンコンと扉がノックされる。
「開けていいっスか?」
ハンクスさんの声が部屋の外から響く。
「開けてもいいぞ、ハンクス」
「バートン隊長、命令通りに魔術師を外に棄ててきたっス」
扉が開くなり二人の会話が始まる。
「ハンクスは目映い光に人間が包まれたりといった話は聞いたことないか?」
「なんスか、突然。神殿の枢機卿か神官の話の受け売りっスか?」
「そういう訳では──」
通路を慌ただしく駆ける足音が近づく。
「バートンさん!! やっぱりバートンさんの所だったか!!」
扉を開けたままハンクスさんが立つ隣に、随分と年嵩の行った男性が通路から顔を出す。
「管理人の爺さんか、どうした?」
「どうしたもこうしたもあるか! 神殿の使いの者から問い合わせが来ているんだ! この建物に十八歳の女性が今朝の午前中に居ただろうと! 光の輪がこの建物に降りているのをたくさんの人が見ているんだ! バートンさん、そんな女性は居なかったと言ってくれ! ここは男子寮だ。若い女が部屋に居たと知れたら儂が職務違反で職を失ってしまう……」
管理人は一気に捲し立てると膝を床につけ、頽れてしまった。
バートン様がカトラリーを置いて席を立ち、管理人の肩に手を当て、「階下に神殿の使いの者が居るのか? 俺が弁明する」と言って管理人を伴い部屋を出ていった。部屋には、私とハンクスさんが取り残された。
*
程なくして、バートン様がひとりで部屋に戻ってくるなり部屋の扉を厳重に閉め、ハンクスにも話を共有することにする、と前置く。
「ハンクス、今からお前も共犯だ。黙っていて悪かったが、そこにいるルシウス・ウェグナーの真の正体はオリバーの末妹のルナリア嬢だ」
「え? ええ? えええ゛!? オリバー隊長の妹!? 俺、強制的に共犯っスか? 隊長酷いっスよ~!」
「まあ、聞け! ここから先は俺も初めて知る話だが──ルナリア嬢、君の誕生日はいつだ?」
「えっと、十の月の二十五日……」
「今月は十の月だ。何歳になる?」
「十七だったので、十八歳になります」
「君は今日が二十五日だと知っていたか? 今日で十八歳になったということだ……」
バートン様は都合が悪いといった風に頭を掻く。
「半年くらい前に神通力の強い神官が神託を受けたそうだ。ここ最近、増え続けた魔獣の蔓延る地域を浄化するために『十の月に齢十八になるひとりの乙女に神から最大の祝福が降りる』とな」
言葉が、出てこない──。
「ルナリア嬢、君が……神から祝福を受けた乙女だ」
「隊長は『そんな女性はこの男子寮には居ない』って否定したんスよね?」
「ああ、管理人の爺さんに負い目もあるからな……ルナリア嬢、君はどうしたい? 自分が神託の乙女だと名乗り出るか?」
バートン様は、私の気持ちを汲んでくれている──?
どうするかなんて、訊かれなくても私の答えは決まっている。
「わたくしは……名乗り出るつもりは、毛頭ありません」
「──よし! 言質はとった。今、この時点から我々は一蓮托生だ」
「乗り掛かった船、仕方ないっス」
「わたくしのために、お二方には……多大なるご迷惑をお掛けします」
二人に向けて、深々と頭を下げる。
「ははっ、国と神殿を欺くんだ! しらを切り通すしかないな」
「隊長、なんでそんなに楽しそうなんスか? 俺たち反逆者っスよ」
そう言いながらも、まんざらでも無さそうにハンクスさんも楽しそうに笑う。
「こんな面白い話、経験することなんかないじゃないか」
悪い顔をしていたバートン様とハンクスさんの二人から笑顔を向けられる。
「十八歳おめでとう、ルナリア嬢」
「おめでとうっス!」
お母様が療養で領地の本邸へ移ってから、誕生日のパーティーも無くなって、〝おめでとう〟すらも言われなくなった──。
そんな些細なことに、大人になったのだから、慣れてしまったと思っていたのに。
まさかの不意打ちに、嬉しくて涙が出るなんて、知らなかった……。
頬を伝う涙を止めたいのに、泣いていることを手の甲で隠すことしか出来ない。
私が肩を震わせていると、バートン様がさりげなくハンカチを差し出してくださる。
やっぱり、バートン様は気遣いがあって優しくて素敵な人だと再認識する。
お二人は私の涙が止まるまで待ってくれていた。
*
私の涙も止まり、気持ちも落ち着いてから、昨夜に宿泊する予定だった宿の部屋へ置いたままの鞄と愛馬を引き取りに行きたいのだと申し出た。すると、ハンクスさんが私の代わりに宿屋へ出向いてくださるらしい。
「リュートは牡馬なので気位が高く、扱いが難しいかもしれません」
「リュート? ああ、馬の名前っスか」
ハンクスさんに宿屋の名前を伝え、宿から預かった部屋の鍵を手渡す。
「その宿なら近いんですぐに帰ってくるっス」
「よろしくお願いします」
ハンクスさんを見送ると、部屋に残されたバートン様が中断した食事のテーブルの椅子に腰を下ろす。
「やれやれ、せっかくの食事がすっかり冷めてしまっているな」
「すみません! わたくしのせいで……」
「ああ、君を責めた訳じゃない。俺は仕事柄こういったことはよくあるからな。それよりも、君はもういいのか? あまり食べていないだろう? 遠慮しないで──忘れてた! お茶を持ってくるから待っててくれ」
バートン様は椅子から立ち上がると慌てて部屋から出ていった。
(──え?)
呆気にとられたまま、何もすることもなく椅子に座って暫く待っていると、お盆にティーセットを載せたバートン様が部屋に戻ってきた。
テーブルに置く余裕がないティーセットのお盆は文机に置かれ、バートン様はティーカップにポットのお茶を注ぐとソーサーにカップを載せ、私の前に置く。
(綺麗な赤褐色……)
ティーカップの水面の揺らぎを止めることなくソーサーを手に取り、カップの中へひと息吹きかけると、カップに口をつけ、赤褐色の液体を口へ含ませる。
「……美味しい」
高温で淹れた時のえぐみが無く、それでいて香りを損なうことなくまろやかな味に調っている。
「淹れるのがとってもお上手なんですね」
「俺の数少ない特技のひとつなんだ」
「淹れ方を是非ともご教授願いたいです」
「教えたいのは山々なんだが、火魔法と風魔法の魔力を使っているんでね。適性がないと教えることは不可能だ」
「──バートン様は、魔法が使えるのですか?」
「生活魔法程度だよ。ほら、こんな感じに」
バートン様が人差し指を床に向けると小さなつむじ風が巻き起こり、部屋の床を隅々まで動き回った。そして、人差し指からの風魔法で部屋の窓を開け、つむじ風を窓から外へ放った。バートン様は席を立ち、自らの手で窓を閉める。
ぱちぱちと瞬きをし、間近で披露される魔法に興奮して言葉を失っていると、私から尊敬の念を感じ取ったのか、バートン様の顔が一瞬にして紅潮する。
(なんて、かわいい人なんだろう……)
自分よりもずっと年上の男の人に〝かわいい〟なんて感情を向けてしまったことに気づき、途端に恥ずかしさでいっぱいになる。
それに加えて、一宿一飯のお礼に掃除でも……だなんて烏滸がましくも考えて、結局ローレンから逃げおおせて掃除用具を借りることすら出来ず、迷惑を掛けただけ。
バートン様はご自分の魔法であんなに簡単に床掃除を終わらせてしまったのに……。
自身が勉強しか出来ない〝役立たず〟だと認識し、意気消沈する。
私が落ち込んでいる前で、バートン様は料理の載った皿、ひとつひとつに火魔法を使って温め直している。
「温め直した方が食べやすいだろ? ……って、ど、どうしたんだ!?」
「……え?」
自分でも気づかない内に、せっかく引っ込んだ涙をまたも溢していた。
「わ…わたくし、魔法も使えないし、自分で思っているよりも何も出来ないとわかったら、胸に込み上げてしまって……掃除用具を管理人室で借りることも出来なくて……」
「掃除? しようとしてくれたのか?」
無言でコクリと頷く。
「ははっ、そんなこと気にしなくてもよかったのに」
バートン様の大きな手が、私の頭をぐしゃりと撫でる。
「ただいまっスーーーっ!!」
部屋に突然ハンクスさんが現れて、私とバートン様は二人して目を剥く。
「あーー!! バートン隊長! 昨日、『女はもう懲り懲りだ!』って言ったばかりなのにルナリア嬢はいいんスか!?」
「ハ、ハンクス、お前……っ!」
ハンクスさんに茶化されて、顔を真っ赤にしたバートン様は私の頭に置いていた手を慌てて下ろした。
「ハンクスさん、どうやってこの部屋に……?」
「あ、これっスよ。バートン隊長に借りたっス」
手のひらの大きさの紙を摘まんでヒラヒラさせ、私に見せてくれた。
「魔術陣……? これって──」
「俺が管理人の爺さんにもらったんだ」
「──これはわたくしが三年くらい前に魔術陣構築の練習で作製した魔術陣です」
「「ええっ!?」」
次回の更新は4月19日(土)になります。