001 新人騎士ルシウス・ウェグナー
王宮の騎士官舎では、暗く落ち着いた煉瓦色の糊のきいた真新しい騎士服に身を包んだ新人騎士たちが、配属された各騎士隊ごとに隊長の執務室に集められていた。
第一騎士隊長の執務室は窓を背に執務机が置かれ、一辺の壁には書棚に資料と思われる書類がぎっしりと収められている。
来客用の応接セットは二人掛けの長いベンチタイプソファをテーブルを挟んで二組、執務机側に一人掛けソファを配置している。
要するに、この部屋には必要最低限のものしか置かれていないということだ。
きっとそれは、この人の周囲を取り巻く人間関係にも同じことが言える。かつて私に『家から出ていけ』と声を荒らげた人なのだから───。
「私が君たちの上司のオリバー・デルカモンドだ。第一騎士隊の隊長職を拝命している」
本日配属が決まった新人騎士たちを前に、黒が基調の隊長服を着こなしたオリバーは最初が肝心だと威厳を持ってして、はっきりとした口調で自身の名と役職を告げる。
短く切り揃えた癖のないさらさらの透けるような金の髪。すっと通った鼻梁、冷淡に見えるが故に時に冷酷と評される青い瞳。薄いが形の良い唇、男らしくキリッと見せる整った眉。その顔のパーツすべてで、オリバー・デルカモンドの精悍とも云える顔を形成している。
そして、身長は186センチメートルあり、日々の鍛練により筋肉は必要なところにしっかりとついた恵まれた体格をしていた。
異性だけでなく同性から見ても憧れの存在とされるこの男は、今回配属された新人騎士に末の妹である『ルナリア・デルカモンド』が紛れ込んでいるなど露ほどに思いもしないのであろう。
(……ど、どうして私、お兄様の第一騎士隊に配属されたの……!?)
ルナリアは必死で平静を装うが、背中で組んでいる両の手の平は汗でじとりと湿り、背中は幾筋もの冷たい大粒の汗が留めどもなしに滲み出てくる。
胸に巻いた晒が背中の汗を吸い取り、べちゃりと肌に張り付き不快感は最高潮である。
「───筆記試験は最後の五問のうち三問以上の正解と実技試験の剣技の技量が一定以上であれば、この第一騎士隊への配属となっている……ルシウス・ウェグナー!!」
「……ひゃいっ!!」
突然、目の前の兄から騎士姿時の私の名前を呼ばれ、驚いて変な声が出てしまう。
「今回の全受験者のうち貴様だけが筆記試験が全問正解だった!」
この部屋に居る全員が、一斉に私へ注目する。
「……っは!? 左様ですか」
「何だ? 不服そうだな」
不遜な態度をとっているように見えたのか、兄はまるで苦虫を噛み潰したような顔を私に向ける。
「そそそ、そんな滅相もございません!」
ぶんぶんと頭を左右に振って否定する。
「オリバー、今から新人を苛めなくてもいいだろう?」
兄の隣で胸の前で腕を組み、それまでじっと静観していた私たち兄妹の幼馴染みでもあるローレンス・フロンターレが助け船を出してくれた。
「ローレン! これは苛めなどではない」
「ルシウス・ウェグナーが優秀過ぎるから嫉妬しているように見受けられたが?」
(……嫉妬? お兄様が私に!?)
「諸君! 私は副隊長のローレンス・フロンターレだ。隊長は君たちと同じ歳の頃、入隊試験の筆記問題をケアレスミスで失点し、首席合格を私に譲ってくれたのだよ」
ローレンス・フロンターレが朗らかに語る横で、オリバーは今にも噛みつかんとする殺気を含ませ、虎視眈々とローレンスを見据える。
「……誰にでも失敗はあるということだ。君たちはまだ若い。これからたくさんのことを経験して研鑽を積めばいい。私は君たちの活躍に大いに期待しているよ。私からは以上だ」
私を含め、新人騎士たちからパチパチと拍手を贈られる。
一瞬、ローレンと目が合ったような気がした。だが、ローレンは次の瞬間には別の場所に目を向けている。
ローレンス・フロンターレはフロンターレ公爵家の次男であるが、長男が後継者である以上、家督を継ぐ必要がない気楽さを抱えたまま騎士職に就いている。今年は二十六の歳であるが結婚どころか婚約者も立てず、来るもの拒まずで社交界に浮き名を流していると聞く。
ローレンも兄のオリバーほどではないが180センチメートルの背丈がある。
肩に掛かる真っ直ぐな艶のある綺麗な金の髪に、翠眼の涼やかな目元、左目の下にある小さなほくろ。長いまつ毛、すらりと伸びた鼻筋、形の良い薄い唇、甘いマスクで貴婦人たちを虜にする。
実はローレンは私の初恋であるが、歳が七つも離れているので恋愛対象には見られていないことは分かっている。だから、私はずっと『友人の妹』の立ち位置から動くつもりは一切ない。
それに……私は知っている。
ローレンは私の二人の姉のうち、昔から上の姉のマーガレット姉様が好きだったはず。
だけど、マーガレット姉様は七年前に皮肉にもローレンのお兄様の元へ嫁いでいった。今では公爵家の世継ぎの男児を含む三人の子宝にも恵まれ、夫婦仲も良く公爵領の本邸で幸せに暮らしている。
*
午後に入り、王宮の敷地内の訓練場へ王都内の騎士たちが一同に集合して、王国騎士団総隊長から新人騎士たちへの挨拶が行われるとのことだった。
「総隊長って誰ですか?」
私は隣に立つ同じ第一騎士隊の先輩であるケヴィン・ホワイトに訊いてみた。
「王弟のリチャード殿下だよ」
「教えてくださってありがとうございます」
リチャード殿下は現国王の腹違いの弟だ。確か、今年で齢三十五だったはずだが、未だにご縁がないままに目下独身生活を満喫しているらしい。
(実際にお目にかかったことがないから、噂でしかリチャード殿下のことを知らないのよね……)
「来たぞ! 殿下だ!!」
先ほどまでのざわめきもぴたりと止み、リチャード殿下以外の騎士たちは皆、頭を垂れている。
「皆の者、面を上げよ!」
顔を上げると、明るい紺色の長い髪を後ろで結わえた、ソフトな印象の何とも美麗な男性が立っている。
(あれで三十五歳!? わ……若々しい……!)
「──おい、あれは第二王子殿下じゃないか?」
「本当だ! どうして第二王子が居るんだ?」
私の心臓はどきりと波打つ。
騎士たちの気づきを切っ掛けに、王弟のリチャード殿下から、その後ろに控える濃紺の髪色の第二王子殿下へ皆の興味が移ってしまっている。
私の目にも、この国の第二王子『エリクフォード・セルディア』の姿を捉えることができた。その傍らには、まるで真夏のヒマワリのように明るい髪色で笑顔がとてもかわいらしい女性を侍らせている。
私としてはできれば彼の姿を見たくはなかったが、この際致し方ない。
「──あの女性は誰だ?」
「第二王子の新しい婚約者か?」
憶測が飛び交う。
「そういえば、オリバー隊長の末の妹が第二王子との婚約を破棄されたんだったな───」
ひゅっと息を呑む。
(──私が悪かったというの?)
女なのに剣を振るから?
女なのに体術を極めているから?
女なのに男性並に上背があるから?
女なのに政務が出来るから?
(──いいえ、どれも違うわね……)
『お前は……そんなに俺を貶めたいのか!! お前とは婚約破棄だ!!』
目を剥いたエリクフォードに悪罵を投げつけられた瞬間が回想される。
エリクフォードの元に届く決裁や起案の書類。
その書類の処理を待っている人たちがいるのに、彼はなかなか書類に目を通すこともなく、悪戯に時間だけが経過していく。
見兼ねて私が第二王子の婚約者の権限を使って書類を処理していくようになった。大臣や文官たちからは感謝されるようにはなったが、根本的な解決方法ではなく、ある日エリクフォードが居る前で私に向けて大臣がぽろりと溢したひと言が端を発した。
『さすがはルナリア様ですね! 王子妃教育もとても優秀だと伺っております』
そのひと言が、彼の自尊心を大層傷つけたらしい。
(なんて狭量な男なの……!)
婚約してからの五年間、休まず受けた厳しい王子妃教育、あんな男のために私の貴重な時間を費やされてしまった。
婚約破棄をして、私がどれほど嬉しかったかなんて、第二王子殿下には分かりようもないでしょうけど。
そのことを翌日、耳が早いお兄様に咎められた。
『男を立ててやれ! 陰で男を支えるのが正しい淑女の在り方だ!! 今ならまだ間に合う。謝れば婚約破棄は撤回してもらえる。殿下も本気で言ったわけじゃない』
お兄様は私の味方ではなかった。その事実が、苦しいほどに私の胸をぎゅっと締めつける。
(──私は、悪くない!!)
何もかも、私には我慢の限界だった───。