世界を救え!バハムート!!
「だ……、だい……じょうぶか?ムー子……?」
「だから……そんな犬みたいな呼び方……、やめてよ……!」
そう言いながら俺の幼馴染「武藤妙子」は、大粒の涙を流した。
頬には涙の他にも赤黒い雫、それは俺が流した返り血……、この場合は返り血って言うのかな? 俺はムー子に刺された訳では無いしな。俺を刺したのはこのストーカー野郎だ。
背中が焼けるように熱い。なんの知識もない俺でも、これが致命傷だということはわかる。
そうだ。知識や経験もないくせに、お節介をすればだいたい碌な目には遭わない。
中学生のころ、読み込んだマンガの知識で運動音痴なくせにバスケに手を出したり、映画にそそのかされていっぱしな恋愛論を語って恥をかいたり、今回だってそうだ。
幼馴染から受けたストーカーの相談。
正直下心がなかったとは言えない。いや、言えないどころかバリバリあったよ。下心。むしろ下心しかない。最後のチャンスだったかもしれないからな。
俺は初めて見た時から、ずっと幼馴染のムー子に恋をしていたのだから。
だから相談を受けた時、俺は舞い上がって張り切ってしまったのだ。
だから今回も間違えた。
何もできない俺が、彼女に対して行うべき正解。それは一緒に警察へ行くことだったのだ。
そうしていれば、こんな結果にはならなかっただろう。
唯一良かったと思えることは、俺がこの状況でムー子を置いて逃げ出すようなチキン野郎じゃなかったってわかったこと。そして、刺されたのがムー子ではなく俺だったことだ。これじゃあ唯一じゃなくて唯二だけどな。けど、それだけは本当に良かった。こんなロクでもない俺が今まで生きていたのは、この日のためにじゃないかと思えるくらい。
「ムー子……、もういいから……、さっさと逃げろ……」
背中が痛い。意識を保っているのもやっとだ。
ムー子、今すぐに俺を置いて逃げろ……。もうちょっとだけ……、俺が時間を稼ぐから……
「タクヤ……、でも……!」
俺は精一杯の力を振り絞ってストーカーにしがみつく。
「ムー子!行け……!」
そうだ。早く行ってくれ……。
でないと……、せっかくの俺の……
ああ……、もう少し一緒にいたかったな……。
せめて来世では、もう一度……
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「ヤ……、ヤバいんじゃないか?これは……」
パーティーのリーダーであるSランク冒険者、天剣のガストが顔を引き攣らせる。
彼は確かに経験豊かな冒険者であったが、その空間の異様さに気付くためには彼ほどの経験を必要しないだろう。
例えば今日初めて冒険者となり初めてこの迷宮に足を踏み入った新米Fランク冒険者であったとしても、この場が自分の死地であることを悟るのに十分の筈だ。
つい数分前まで、僕たち8人は迷宮を進んでいた。
確かに数日前、別のギルドに所属する冒険者が大きな神器を発見したという噂を聞き、焦っていたということはある。
しかしそれでも、僕たちは十分に準備をして、慎重に迷宮の未踏破エリアを進んでいたはずだ。
龍を祀ってあると思われる祠に手を触れてしまった。それが不用意だったと言われてしまえばそうかも知れない。
しかし僕たち冒険者は、そうしなければメシを食っていけないのだ。
その結果この場所に全員で転移させられたというのであれば、それは宿命だったといえるのかも知れない。
「ミケーナ、何かわからないか?」
「わ、わかりませ……ん。それより魔法が全く使えない!ここには魔素が一切感じられない……!」
「なんだって!?魔素がないなんて、そんなことあり得るのか?」
「魔素はこの世界の全てのものに宿ります……。何か特別なことをしなければ、魔素がないなんてことはあり得ないはずです……!」
ガストがパーティーの知恵袋でもある魔術師のミケーナに訪ねるが、彼女は文字通り涙目で答えた。
魔術師の彼女にとって、魔法が使えないというのは自分の全ての力を封印されたに等しいからだ。
ここが何かを祀った神殿であるということは一目で分かった。
途轍もなく高い天井に、何本も等間隔に伸びる精巧なレリーフが刻まれた太い石柱、そして美しく装飾された壁には出入り口らしきものは見当たらない。
そのどれもに怒りをぶつけられたかのような激しい焦げ跡が残るが、その全てが怒りを嘲笑うかのように傷一つついていなかった。
その神殿の中央に疼くまる黒い塊。館ほどあろうかというそれは、ゆっくりと呼吸をするように蠢いている。
そしてその塊の後ろに積まれているおびただしい財宝の数々。それはまるで、奴の機嫌を取るために捧げられた貢物のようだった。
「あ、あれはもしや、終末の龍でしょうか……」
神官のクレリックが呟く。
この「7柱の神と終末の龍が眠る迷宮」、通称七柱大迷宮に神殿があるとすれば、それは神か龍を祀ったものの筈だ。
7柱の神が、その奇跡を持ってたった一匹の龍を封じたと言われる迷宮。この場所は神殿と呼ぶのに相応しい様相ではあるが、少なくともあの黒い生物は神には見えない。
終末の龍。それはこの世界の誰もが知っている、死と破壊の象徴である。
「とりあえず、あの魔物を刺激しないように出口を探すんだ……。寝てるのであれば決して起こすなよ」
世界が今の形を作った時から存在し、そして変わることがない迷宮。
迷宮は地上に広がる山岳、森林、草原部分をはじめ、その地下には広大な迷宮、洞窟が広がっているらしい。
何故らしいなのか?
それはこの迷宮の縁に迷宮都市アルサンドラが出来て400年、街は迷宮を侵食しながら広がり続けているものの、400年経ってもその全貌が全く見えないからだ。
最初に迷宮に注目が集まったのは350年前。
一つの冒険者パーティーが迷宮の地下の比較的浅い層に、小さな祠と一つのみすぼらしい水瓶を見つけたことだった。
その祠に祈りを捧げた男は水神リケーの加護を受け、そしてその水瓶からは無限の水が湧き出したという。
男は国に戻り、砂漠の国の王となった。
それを皮切りに多くの国が迷宮都市アルサンドラに自前の冒険者ギルドを作り、そこで多くの冒険者を雇い、そして迷宮の謎に挑んでいったのだった。
そして俺たちは、騎士王国ナイトヘイルが運営する冒険者ギルド「ナイトヘブン」が誇る筆頭冒険者パーティ。暁の風だった。
「とりあえず、出口を探そう……。カルック!お前は龍を見張れ!何があってもそこから一歩も動くなよ!役立たずのお前を、ここまで連れてきてやったんだからな!」
ガストは俺に命令する。
「あ、ああ。わかった……」
「奴が動き出したら、すぐにお前のギフトで攻撃するんだ!まあ、どうせ無駄だろうけどな!」
仲間たちの冷ややかな視線が俺に向けられる。それも仕方がない。俺は本当に役立たずなんだから。
この世界の人間は、誰もが神にギフトを授かって産まれてくる。
そして俺は、産まれながら二つのギフトに恵まれていた。
だいたいの人は授かるギフトが一つであるが、その中でギフトを二つ授かった俺は村の期待を一身に背負った。
さらに、その二つともが途轍もなくレアなギフトだったのだ。
一つはアイテムボックスの中の一種、「唯一無二の宝箱」だ。
それは、一つの物体であれば大きさや形、そしてその神格に関わらず物を収納できるという能力。
そしてもう一つは、「幸せうさぎの後ろ足」。どんな相手であれ、体の中に一つだけ存在する魔力の源、コアポイントにダメージを与えられれば、確殺できるという恐ろしいものだった。
俺がこのパーティに参加できたのは、当然このスキルがあったからだ。冒険者パーティ暁の風は、俺の噂を聞きつけてわざわざ村までスカウトに来てくれたのである。
その時冒険者に憧れていた俺は、有名パーティがわざわざ誘いに来てくれてとても嬉しかった。両親のいない俺は、これで妹にも楽をさせてあげれるとも思った。全てはレアなギフトを手に入れられたから、その時はそう思ったのである。
しかし実際にはこのギフト、とんでもないゴミギフトであったのだ。
唯一無二の宝箱、本来ならアイテムボックスの時点で神スキルだ。一つだけしか入れられないとしても、入れられるアイテムの大きさに制限がない。
しかし、逆に言えばポーション一つでも入れたらそれ以上は何も入れることができない。そもそも冒険において、そんなにおおきな荷物を持ち運ぶことはない。それならば、ハッキリ言ってカバンの方が便利だ。であれば、俺がなるべきは冒険者ではなく運送屋だ。
そして幸せうさぎの後ろ足。コアポイントに攻撃を当てるだけで確殺できるというスキルは、どんな不利な状況でも形勢を一変できるレアスキルだ。ただし、攻撃を当てられればである。
人によって、生物によって、コアポイントがどこにあるかは変わってくる。当たれば有効ではあるものの、自動的にコアポイントに命中するスキルでもない。当然当たったとしても、ダメージが入らなければ効果は発動しないのだ。
コアポイントが研究されている生物であればまだしも、今目の前にある黒い山の様な龍を相手に、どこを攻撃すればいいのか、どうやって当てるのか、そして当たってもダメージが入るのか、どう考えても俺には勝ち目は無い。
『騒がしいな……』
突然の地響きのような声。
それは地の底から湧き上がるような声で、直接脳に叩き込まれるかのような、圧倒的な恐怖の塊。
先程まで黒い塊としてしか見えなかったそれは、翼を大きく広げて鎌首を持ち上げ、そのシルエットは間違いなく龍そのものだった。
『ここが終末の龍、バハムートの祭壇だと知っての狼藉か?』
背後でバタンと何かが倒れる音がする。
振り返ると、そこには神官のクレリックが地面に伏していた。おそらく、あまりの恐怖に気を失ったのだろう。
「終末の龍、バハムートよ!我々は分かってこの祭壇に立ち入ったわけではない!直ぐにここから立ち去りたい!出口を教えてくれ!」
ガストが勇敢にもバハムートを名乗る龍に問いかける。
『知らずに足を踏み入れた……か。いいのか?ここには神代の神器が多数ある。死者を甦らせるという反魂の宝珠や、神の盾さえも貫く神剣、「全てを貫くもの」、他にも巨万の富に匹敵する宝があるのだぞ?我と戦って手にしようとは思わぬのか?』
どれもが伝説に出てくるようなアイテムだ。おそらくそれ以外にも多くの伝説級アイテムがあるのだろう。
しかし、人の力ではどう足掻いてもあのバハムートを倒せるとは思えない。
この迷宮の噂が本当なら、あの龍を封じ込めるために7柱の神が力を使っているのだから。
「バハムートよ!宝には一切手をつけない!俺たちが持っているアイテムや金は全てここに置いて行く!どうか俺達を見逃してくれ!」
『ふん……、身をわきまえたことだ。しかしこの神殿に踏み入れた時点で、魂を一つ捧げなければ出ることは叶わぬ。我の魂でも、其方の魂でも、どちらでも良いぞ? どのみち戦うしかないのだ。覚悟をしろ……』
「お前が俺たちを殺せば、お前はこの神殿から出られるのか?」
『我は神の呪いで生きてここからは出られぬ。安心するがよい、勝ち目はある。そこの人間、お前であれば我を屠れるかもしれぬぞ?試さなくて良いのか?』
そう言いながらバハムートは大木のような腕で俺を指差す。
おそらく奴は人のギフトを見ることができるのだろう。俺の幸せうさぎの後ろ足のことを言っているのだと思われる。
当然そんなことは不可能だ……。
でも、不可能でもやるしかない……!俺には妹が待っているんだ!
「バハムートよ!もしお前と戦う中で一人が命を落としたとする。そうすれば残りの者は見逃してくれるだろうか!?」
『神の祭壇が欲す魂は一つのみ。ただし、この場所のことは口を紡ぐが良い。一言でも喋れば、血が繋がる者全ての命をもって償ってもらう』
「わかった……。約束だぞ、バハムート……」
そういうと、ガストは剣を構えた。
他の仲間たちもそれぞれの得物を構え、臨戦体制をとる。
「カルック……、お前のスキルが唯一の希望だ。俺たちで隙を作るから、お前は前だけに集中しろ」
「わかった……」
「よかったな、カルック……。やっと役に立てる時がきたぞ……」
ああ、もちろんだ……。俺はともかく仲間たちは高ランクの冒険者。仲間が全力で援護をしてくれればもしかしたら……
次の瞬間、ドンという衝撃と共に焼いた鉄串を当てられたかのような痛みが体を貫く。
な、なんだ?バハムートは一歩も動いていないのに……、いや、この痛みは後ろから?
「バハムートよ!魂は一つだけでいいのだろう?」
ガストがバハムートに問いかける。
『……愚かなことだ』
え?どういう意味だ?
「だそうだ、カルック。良かったな、最後の最後で俺達の役にたてて」
背後から聞こえたのは斥候のサッシュの声。そしてその手には短剣が握られており、それは俺の背中に深々と突き立てられていた。
背中が焼けるように熱い。なんの知識もない俺でも、これが致命傷だということは分かる。
サッシュは俺から短剣を抜き取ると、俺の体を蹴り飛ばした。
汚い物を見るような視線、それは別に珍しくもない。仲間は俺を、常にそんな目で見ていたのだから。
「さあ、バハムート!約束どおり魂を一つ捧げた!俺たちを解放してくれ!」
そうだ、そもそも俺がこのパーティにいたことが場違いだったんだ。
迷惑をかけた……。それは謝る……。しかし、だからといって!……いや、仕方が無いのか?戦っていたとしても結果は変わらなかったかもしれない……。しかし……、しかしせめて妹のことは……。妹のスーシャのことだけは……
「カルック、安心しろ……。お前の妹、お前には過ぎたあの可愛い妹は、俺がちゃんと面倒を見てやる。たっぷりと可愛がってやるからな!お兄ちゃんは安心してくたばりな!」
サッシュは下卑た笑みを顔に貼り付け、俺に向けてもう一度短剣を振り下ろした……。
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俺はいったい誰なんだろう?村上タクヤ?それとも冒険者のカルック?
頭が痛い。脳みそがグルグルとかき混ぜられたみたいだ。
自分が自分でないような、自分の中に誰かがいるような、自分が二人いるような二人が混ぜ合わさっているような感覚。
鮮明に覚えているのは、背中から短剣で刺されて……
「俺は……死んだのか?」
俺は死んだ?誰が死んだんだ?村上タクヤ?カルック?そのどちらでもありどちらでもない?
『ほう、奇妙なことだ。魂が混じっておるな。我も反魂の宝珠を使ったのは初めてのこと。扉を開くのに使われた魂を、別の魂で補ったのか』
目の前にいる黒い塊、俺はそれが何かを知っている。終末の龍、バハムートだ。
「バハムート、お前が俺を助けたのか?」
俺の前には砕け散った水晶のような物があった。おそらくこれが反魂の宝珠で、俺はバハムートに復活させられたということだろうか?
『余りにも哀れでな……』
「哀れ……。終末の龍がそんなことを言うんだな」
『終末の龍など神が勝手に付けた名だ……。もっとも我が望めば、世界に終末をもたらすなど容易いがな……』
バハムートはそう言うと、眠るように姿を丸める。
俺は一度死んだんだ。そしてこの龍によって復活させられた……。
妙子は無事だったんだろうか?いや、きっと……、無事に違いない……。妙子?誰だそれは?いや、そんなことより妹が!
『人間よ、其方に頼みがある。わたしはこの場所に封じられ、四千年の時が経った。その間、何百人も人を殺し、そしてお前のように殺される所を見てきた。我はもう生きるのに飽きたのだ。今まで誰一人、我にとどめを刺せる者は現れなかった。どうか我を殺してくれないだろうか?これが最後の好機になるかも知れぬ。我を殺せる術を持つものが現れるのは……』
「そんな……!終末の龍がそんなことを望むのか!?」
『永遠を生きる不死の龍とて、心は常に蝕まれる。ここは地獄だ。道理が分からぬ化け物に成り下がる前に、せめて気高い龍のまま生を終わらせたい……』
龍は相変わらず丸まったまま、身じろぎすらしない。
どうやらこれは、俺に威圧感を与えないようにしてくれているようだ。
「お前は……、どうやってもここから出られないのか?」
『7柱の神の呪いは絶対だ。もし誰かが柱の一本でも折ってくれれば抜け出せようが……、それもまた不可能だろう』
「お前の力は7柱の神に匹敵すると?」
『さよう……。さあ、其方には時間がないのではないか?妹がいるのだろう?』
「……聞こえていたのか」
『其方の仲間たちが……、いや、奴らがここを離れて既に半刻は経つ。急がなくてはいけないのではないか?』
そ、そうだ。俺には妹がいて……、いや、妹なんていたか?いや、いたはずだ……。
そして、サッシュという最低な男が妹を狙っている……らしい?
「しかしバハムートよ、俺の力ではお前の鱗を貫いて傷を負わすことはできない!それにお前のコアポイントがどこにあるか分からない!」
『今のお前には見えるはずだ。我の弱点が……』
「そんなことは……、あ、あれ!?」
確かにさっきまでは分からなかった。しかし、今は何故だかハッキリと理解できる。
バハムートにある逆鱗が、奴の弱点であることを。
『さあ、その神剣全てを貫く物を使うが良い。それに貫けぬ物は無い』
「バハムート、俺にはお前が邪悪な龍には思えない……」
『それが今関係あるのか?其方は生きて此処を出たい。我は命を終わらせたい。互いの利益が一致しただけのことだ。そうそう、我を殺した礼にこの部屋の宝を一つ持って行っても良い。例えばその剣があれば其方は無敵だろう。売れば七代は遊んで暮らせるはずだ。もしくは、其方を生き返らせた反魂の宝珠ももう一つある。それ以外でもこの部屋の宝は、全て神器。どれを取ってもお前と妹の助けになるだろう』
「しかし……」
『ならば妹を見捨てるのか?』
俺は言葉に詰まる。今この瞬間にもサッシュは妹の元に向かっているのかも知れないのだ。
「……分かった」
俺はバハムートに促されるままに剣を取った。
神剣全てを貫く物。重さを全く感じない、重力すら断ち切ったかのような感触。
手にした瞬間に分かった。これに貫けない物はないのだと。
「……バハムート、もし此処から出られたらどうする?」
『我が此処を出られるのは命を終えた時のみ。……しかし、もしそれが叶うのであれば……そうだな。変わった世界を眺めてみたいのう。四千年変わらぬ壁だけを眺めて生きてきたのだ。変わりゆく世界をただ見守る、それだけでよい……』
「……分かった」
『我を打ったら其方は間も無く迷宮の外へ転移される。持ち出せる宝は一つ、神剣を手放すでないぞ……』
そう言うと、バハムートは再び俺の方を向き首をもたげる。
恐怖を具現化したかのように見えたそれは、今はとても気高く美しいとさえ思える。
首の中央、規則正しく並んだ鱗の中に一つだけ逆向いた鱗、それがバハムートのコアポイント。
何故それが分かるようになったのかは分からない。もしかしたら俺の中に紛れ込んだもう一人のギフト?
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
深く集中し、神剣を強く握る。そして俺のギフト幸せうさぎの後ろ足は、バハムートの逆鱗を正確に貫いた……
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『……これはどういうことだ?』
目を覚ましたバハムートは、辺りを見回した。
空には満天の星が輝き、深い森の空気は重い。
ただ吹くだけの風ですら、バハムートには四千年ぶりのはずだ。
バハムートは首をもたげ天を仰ぎ、まるで時が止まったかのように微動だせずにいた。
夜中でなければ大騒ぎになったことだろう。
「バハムート、すまないが俺はもう行くよ。妹が心配なんだ」
『ま、待て!ここは……神殿の外なのか?』
「ああ。そうだよ」
『いったいどうやって……』
「それはね……」
俺はバハムートの足元を指差す。
『これは……反魂の宝珠の破片?』
「ああ。俺のギフトの一つは、どんな大きな物でも一つだけ収納できるアイテムボックスだ。だからバハムートを殺した後、アイテムボックスに入れて迷宮の外へ出た。そして反魂の宝珠でお前を生き返らせたんだ。生きている物はアイテムボックスに入れられないけど、死んでいればなんでも、どんな大きさのものでも、どんな神格が高い物でも持ち運べるからね」
『どうりで……。ふむ、我が魂にも微かに混じり物を感じる。其方と同じように、欠けた魂を補うために誰かの魂を取り込んだか……』
バハムートは翼を大きく広げ、首を高く伸ばす。
俺は何故か、その仕草が猫が背を伸ばすように思えた。
『それで、神剣はどうした?』
「神剣は諦めた」
『愚かなことを……。我を邪悪な龍だと聞いておらぬのか?』
「バハムート、お前は邪悪な龍ではない。……けど、頼むから大人しくしていてくれよ?俺のせいで世界に終末が訪れたら大変だからね」
不意にバハムートの体が光ったかと思うと、その姿がみるみる縮んでいき人間の少女ぐらいの大きさになった。
真っ白な髪に真っ白な肌、そして瞳はルビーのように赤い。
一糸纏わぬ全裸であった。
「バ、バハムート!?」
「あの大きさでは少し目立ちすぎるからのう。神殿では神の力で魔法が封じられておったが、外に出ればこれくらいのことは造作でも無い」
「そ、それより、服はないのか!?」
「なんじゃ、其方は龍に欲情するのか?」
「そうじゃないけど!」
バハムートは俺の顔をまっすぐ見つめ、深く頭を下げた。
「人間の生は長くない。我が生と比べれば瞬きするほどの長さじゃ。お前には決して返せぬ借りを受けた。その借りは其方が生きている内に返しきれるものではないだろう。であればせめて、其方の命が尽きるまで我は其方につくし、其方の望みを全て聞こう」
「そ、そんな!いいよ!」
「気高き龍の王に借りを返させぬというのか?我が人生の中では一瞬の戯れじゃ。其方が受け入れなくとも我は勝手について行くぞ」
「と、とりあえず一緒に行こう。先ずは服を……、妹の服……より小さいかな」
「それよりも先ずは名前じゃな。其方は我をバハムートと呼ぶつもりか?」
「そ、そうか。それは流石にまずい」
「我に字名をつけることを許そう。なんでも好きによぶがよい」
俺は少し考えると、不意に一つの名前が頭に浮かんだ。
「ムーコ」
「……ムーコ?」
「うん。ムーコ」
「ムーコ……」
バハムートは阿呆を見るかのような目で俺を見る。
「バハムー子で、略してムーコ」
「……正気か?」
「……うん。なんとなく、お前の名前はそれしか浮かばない。というか、それしかあり得ない気がするんだ」
「そんな犬みたいな呼び方……、いや、まあ仕方ない。良いだろう」
良いと言いながらも、バハムート……、いや、ムーコは不満そうな表情を隠そうともしない。
「とりあえず行くか。先ずは仕返しからかの?」
「先ずは妹の安全を確保するところからだ」
「分かった。では行くとしようか、タクヤよ」
「え?なんか言った?」
「いや、すまぬ。カルックだったの」
こうして俺たちの奇妙な旅は始まったのだ。
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